1時間目の授業では緊迫化する北朝鮮情勢、2時間目の授業ではアメリカに依存する日本の外交問題に迫りました。3時間目となるこの日の放送では、田原さんがジャーナリズムを目指した原点でもある戦争体験と敗戦の記憶について話してくれました。

1934年生まれ、御年83歳の今なおジャーナリストとして活動する田原さんは第二次世界大戦を経験。戦争を知っている最後の世代として、自身の戦争体験を語り継いできました。

田原さんの親戚は、焼け野原で死んでいる人をかき分けながら疎開したと言います。そして、田原さんが生まれ育った滋賀県彦根市は空襲がなかったものの、「アメリカの艦載機が冗談半分で機銃掃射をして何人も亡くなった。僕の家の前でも亡くなった人や負傷した人が連れられていくのを見た。僕のいとこも2人戦死している」と当時の辛い記憶を遡ります。

小学校5年生のときに、社会の授業で軍事教練が始まったそうで、「世界の侵略国であるアメリカやイギリスを打ち滅ぼし、植民地にされているアジアの国々を独立させ、解放させるための正義の戦争である。早く大きくなって戦争に参加して名誉の戦死をしろ」と教えられたのだそうです。

しかし、昭和天皇による玉音放送後となる2学期には「あの戦争は間違った戦争だった、やってはいけない戦争だった。君たちは平和のために頑張らなきゃいけない……と先生の言うことが180度変わった」と話す田原さん。
幼いながらに「大人たちやマスコミの言うことはまったく信用できない。国は国民を騙すんだ」と感じたと言い、そのときの思いがジャーナリズムを目指した原点なのだとか。

当時、日本が戦争に突入した最大の理由は「言論の自由がなかったから」だと田原さんは話します。だからこそ「言論の自由は命を懸けて守らなきゃならない」と思いの丈を打ち明けていました。

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