栞子「お見合い、ですか?」
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職場から近くに借りたマンションに帰宅すると久しぶりに会う姉がいた。
鍵は渡していないはずなのに、とは思ったがこのマンションも三船の家経由で契約しているのでそれを経由して入ったのだろう。
最も、それは手段であって理由ではないのだが。
栞子「姉さん…日本に帰っていたんですね」
薫子「お!おかえり、栞子〜」
栞子「…ただいま。今日はどうしたんですか?」
薫子「ええ〜、久しぶりに会う姉に対して連れないな〜」 理由はないようだ。
まあ、姉のこういった振る舞いは慣れっこだ。
昔はちょっとした憤りも感じてはいたのだが、同好会の皆さんのおかげで今はもうなんともない。
栞子「もう夜ですよ?会いに来てくれるのは嬉しいですが、明日は私もお休みですし連絡をくだされば三船の本家に顔を出したのに」
薫子「いや〜、いいニュースがあってさ。一刻も早く知らせたくって」
栞子「…良いニュースですか?」
”良いニュース”。このワードが姉から発された時は要注意だ。
本当に良いニュースであることは少なく、ほとんどは姉の思い付きに良かれと思って巻き込まれるのだ。 薫子「栞子に、お見合いを持ってきたんだ!」
栞子「お見合い…ですか?」
お見合い…実際に行ったことはないが、いままでも何度かそういった話をもらったことはある。
三船の家を継ぐ者として、私には男女問わず名家から新進気鋭の芸術家、上場企業の御曹司まで様々なお見合いの話が来ていた。
そのすべてをこれまで何かと理由をつけて断ってきたのだが、まさか私が三船を継がされる原因になった姉からその話をされるとは思わなかった。
栞子「私にはまだ、早いかなと思うのですが」
薫子「そんなことないって!もう25でしょ?ぜんぜん早いことないってば」
あなたも未婚でしょうが、という一言をぐっと飲み込む。
薫子「それに、今回はこっちから声をかけたからさ。ほら、私の顔を立てると思って、会うだけでも、ね?」
私の顔を立てると思って?三船本家がもってきた見合いではないのか。 栞子「…姉さんが持ってきたお話なのですか?」
薫子「え?うん。相手も今独り身だって言うし、それに栞子なら気に入ってくれると思うんだよね」
栞子「私も知っている方なのですか?」
薫子「え?うん。もちろん」
姉は今虹ヶ咲の教員を数年努めた後はラブライブの運営を含めたスクールアイドルを後援する団体の代表をしている。
私も高校の三年間をスクールアイドルに捧げた身なのでそれなりに知り合いはできた。
その中で会った方なのだろうか。
流石に知り合いに会うこともせず断るのはマズいかもしれない。 栞子「わかりました。とりあえず会うだけですよ?」
薫子「そうこなくっちゃ!きっと気に入るよ」
栞子「それで、どなたなのですか?」
薫子「あ、うん。一応写真も持ってきたんだ」
姉が取り出した写真には、私もよく知るひとが写っていた。 薫子「ほら、もう先方は待ってるよ」
栞子「ま、待ってください!髪型変じゃないですか!?」
薫子「大丈夫だよ。ていうか、なんでそんなに緊張してるのさ。結構会ってるんでしょ?」
栞子「いや、前にお会いしたのは1年も前で…それに…」
薫子「ほら、開けるよ?」
栞子「あ、待っ…」
止める声はむなしく、ふすまは開かれた。
歩夢「あはは…1年ぶりだね、栞子ちゃん。って、ちゃんは失礼か。栞子…さん?」
栞子「…ちゃんで、お願いします」
ふすま越しに聞こえていたであろう姉との騒ぎ声に笑うその人はやっぱり歩夢さんだった。 歩夢「うん、わかったよ。栞子ちゃん。あの日、以来かな?」
栞子「…そうですね」
薫子「ほら、栞子。久しぶりに会ったなら気持ちは分かるけど、まずは座ろうよ」
栞子「…はい」
促されるまで立ちっぱなしだった。
行儀の悪いことだ。
席に着くと自然と歩夢さんとの距離が近づく。 薫子「いやー、ごめんなさいね。こちらがお願いした縁談なのに」
歩夢ママ「いいえ、こちらもつい先ほど来たところなので」
歩夢さんのお母様と姉の話を聞きながら、私は歩夢さんを見つめていた。
お化粧をしているせいだろうか、記憶の中よりずっと綺麗だった。
薫子「積もる話もあるでしょうし、そろそろお若い二人に任せて我々は退出しましょうか」
栞子「!?」
少し話した後、お見合いの常套句を言う姉を思わず見てしまう。
私の視線に何を思ったのか姉はウインクをして歩夢さんのお母様と一緒に出ていってしまった。
二人きりになった部屋にしばらく沈黙が流れる。 栞子「…お久しぶりです、歩夢さん。お元気でしたか?」
耐えきれずにこちらから会話を切り出した。
歩夢「…うん、元気だよ。栞子ちゃんはご実家のお仕事をしているの?」
栞子「はい。といっても今はしがない会社員ですが」
歩夢「へぇ、頑張ってるんだね。何の会社なの?」
栞子「---という会社でして」
歩夢「あ!その会社しってる!私の友達もよく買ってるって言ってるよ」
自然と会話が続いてることに安堵すると同時に、ああこの人は聞き上手なんだったと思い出す。
めちゃくちゃな幼馴染と姉に囲まれて育ち、お世辞にも会話慣れしていなかったあの頃の自分とも本当に楽しそうに話してくれたのだ。 栞子「それでですね、その時その人が」
歩夢「…ねぇ、栞子ちゃん」
栞子「あ…はい」
だけど、今私たちは大人だ。
あれから何年も経った。
ここはお見合いの場だ。いつまでも世間話だけをするのも変だろう。
それに、自分はこの人と…。
歩夢「栞子ちゃんは、すっかり大人になったね」
栞子「…それを言うなら歩夢さんがですよ。私なんて」
歩夢「ううん、大人になったよ。私はまだ…」
歩夢さんはそれきり黙ってしまう。 栞子「あの、歩夢さん?」
歩夢「…ほら食べよう?おいしそうだよ?」
栞子「…どうして、お見合い、受けてくださったんですか」
歩夢「…どうしてって」
栞子「あれから、私…」
その時、ふすまが開く。
料亭の店員さんがお茶を運んできてくれたのだ。
歩夢「…そろそろ、時間だね」
時計を見ると迎えを呼んである時間だった。
歩夢「ねぇ、栞子ちゃん。あれから…何かな?」
栞子「…いえ、なんでもないです」
歩夢「そっか。…また、会えるかな?その、近いうちに」
栞子「…もちろんです。こんどはかすみさんや菜々さんも呼んで」
歩夢「そうじゃなくって、ふたりで」
意味は、分かる。
元々、そのための会なのだ。
でも、また会ってくれるのか。それも二人で。 栞子「…はい」
歩夢「うん、ありがとう」
にっこりと微笑んだ歩夢さんはやっぱり、綺麗だった。
それから店の前で分かれる時に、次に会う具体的な日取りと場所を決めて解散になった。
迎えにきてくれた姉さんにまた会うことになったことを言うとすごく喜んでくれた。
でも、私の内心はそんなに単純じゃない。
歩夢さんと最後に会ったのは1年前。その日以来私は歩夢さんに会っていない。
あの日送ったLINEの返事はまだもらっていない。 かすみ『行っちゃったね、先輩』
璃奈『寂しくなる…りなちゃんボード「うるうる」』
しずく『本当に!それに、アメリカからスカウトなんて。先輩はコネだっていってたけど、ミアさんのお墨付きだもんね』
愛『そうだよ!門出なんだからお祝いしなきゃ!それに、あの子なら絶対上手くいくって!』
菜々『もちろんです!さあ、私たちも次のライブに向けて頑張りますよ!かすみさん!』
かすみ『あ、待ってくださいよ!せつ…菜々先輩!』
友人たちの会話を聞きながら、私は恩人の乗った飛行機の残す雲を見つめるその人が心配だった。 栞子『歩夢さん、その、大丈夫ですか?』
歩夢『え?…うん、大丈夫だよ。私も応援するって決めたんだもん』
栞子『…あの人の代わりにはならないかもしれませんが、何かあれば私…たちにも頼ってくださいね』
歩夢『も〜何いってるの?もうそんなんじゃないってば。ほら、私たちもいこ?』
振り切るようにこちらを向き、悲しそうに微笑む歩夢さん。
その当時、いや学生のころからずっと、私は歩夢さんのことが好きだった。 それから、私は歩夢さんと会う頻度はそれまでよりずっと多くなった。
あの人のいなくなった隙間を私が埋めるように、要するに寂しい歩夢さんの心に付け入ったのだ。
歩夢さんも私を拒まず、連絡をすれば遊びに付き合ってくれた。
最初の内は同好会のメンバーも一緒だったけれど、皆忙しくなるにつれて私と歩夢さんは二人で会う機会が増えた。
歩夢さんの心はあの人に向いているのは知っていたけれど、それでも私はとても幸せだった。
あの日も、いつものように待ち合わせをしたんだ。
いつものように、おしゃれをして待ち合わせ場所に行くと、歩夢さんはまだ来ていなかった。
それから少し待って、待ち合わせの時間になってもまだ来ない。
不審に思った私は歩夢さんの家へ行ったのだ。
そこで…。 目覚ましの音に目を覚ます。
あの頃の夢を見たのは、今日が歩夢さんと会う日だからか。
夢見がいいというべきか、悪いというべきか。
栞子「はぁ…」
待ち合わせの時間は昼前だ。
とにかく見た目で失敗しないよう、午前中にしっかりと準備をしよう。
職場との往復の生活で普段は買わないおしゃれ着を昨日の内に買ってある。
タグ付きの服を着ていかないように、念入りに確認をし、化粧もいつもより気持ち分時間をかけた。
栞子「…行こう」
それでもずっと早くに支度が終わってしまったけれど、家にいてもソワソワするだけなので早めに出かけることにした。 待ち合わせ場所には1時間前に着いた。
有名な忠犬像前は休日というのもあって人であふれていたが、よく知った相手と待ち合わせるのには問題ない。
カフェで時間をつぶそうかとも思ったが、コーヒーは口臭に影響すると聞いたことがあったのを思い出し、止めた。別に期待しているとかではないが。
30分ほど待っていると歩夢さんは来た。
歩夢「おまたせ〜。早いね、栞子ちゃん」
栞子「いえ、今来たところなので。歩夢さんこそ」
歩夢「え?ふふ、そうかな?」
カップル染みた会話が懐かしい。
歩夢「栞子ちゃん、どこか行きたいところ、あるの?」
栞子「えっと、歩夢さんはお昼はまだですか?」
歩夢「うん、まだだよ」
栞子「でしたら、ぜひ行きたいお店がありまして」
歩夢「そうなんだ。じゃあ、行こうか」
栞子「はい!」 前もって行く場所は決めてある。
私たちはおしゃれなお店でパスタを食べて、ウィンドウショッピングを楽しみ、有名なケーキ屋さんがやっているらしいカフェで紅茶を楽しんだ。
歩夢さんは終始笑顔だったし、楽しんでいるように見える。
このまま夕食も食べに行かないか、という私の提案に歩夢さんは頷いてくれた。
歩夢「ここが栞子ちゃんのオススメのお店?」
栞子「はい。といっても、以前取引先の方に連れてきていただいただけなんですが」
歩夢「そうなんだ、おしゃれなところだね」
栞子「ええ、料理も絶品でしたので」
歩夢「楽しみだね」
予約しておいたコースは一番良いものだ、次々に出される料理に舌鼓を打ちつつ、歩夢さんと私は今日のことを話した。
このお店の服が可愛かったとか、あのケーキがおいしかったとか、ここはデザートも有名なんですよ、とか。
なんてことのない話をしていると、あの頃に戻ったようだ。
あの、一番楽しかったころに。そうすると、必然に、そこで頭に浮かんでしまう。あの時のことが。 すいません、書き忘れていましたが、牛歩ですのでよろしくお願いします。 帰り道も歩夢さんはずっと歩夢さんは明るかった。
私も、楽しかった。一年間会っていなかったのが嘘のようだ。
このまま次にあう約束をして別れれば、あの頃に戻れるのかもしれない。
でも、このままでは、またいつか破綻してしまう気がする。
私は歩夢さんと、少なくとも気の置けない関係でありたい。
栞子「歩夢さん」
歩夢「なに?」
栞子「私は、歩夢さんのことが好きです」
歩夢「…まだ、そう言ってくれるんだね」
栞子「そうでなければ、デートなんて、ましてやお見合いなんてしませんよ。でも、歩夢さんは違いますよね」
歩夢「そんなこと…」
栞子「ではどうして、あの後LINEを返してくれなかったんですか」
歩夢「それは…」
栞子「話してくれませんか?」
歩夢「…」
栞子「…私、待ってたんですよ?ずっと」 歩夢「…ごめんなさい。ずっと謝らないといけないと思っていたの、あの日のこと、傷つけたよね。でも、栞子ちゃんまでいなくなったら、私…だから返信できなくて…でも、会えなくて、1年も経っちゃって、それで…」
栞子「お見合いを受けてくださったんですね」
頷く歩夢さん。
歩夢「うん、取引先に薫子先生がいて、たまたま今一人だって話をしたら栞子ちゃんとどうかって…」
栞子「姉さんが…」
あまり身内の色恋に口を出す人ではないのに珍しいとおもっていたが、思えばあの頃の私は歩夢さんのことばかり見ていたから、姉さんも気づいていたのかもしれない。
歩夢「ごめんね…お見合いの時から、ずっと謝る時間を探してて、でも栞子ちゃんあの時と変わらないから、優しいから、逃げそうになっちゃってた。また、あの頃に戻れるんじゃないかって…」 きっかけを探していてくれたんだ。
あの頃に戻りたいとおもっていてくれた。
それが私はとても嬉しかった。
栞子「歩夢さん…私も1年間、結構悩みました」
それを聞いた歩夢さんの表情は申し訳なさそうで、泣きそうで。
歩夢「ごめんね…」
栞子「だから、お詫びに仲直りしましょう」
歩夢「栞子ちゃん…。ごめんね。ごめんなさい」
栞子「もう、泣かないでください。その、笑顔の方が歩夢さんには似合っていますから…」
歩夢「…うん!ありがとう」
泣き顔で笑う歩夢さん。
それをみて、私は思ってしまう。
ああ、やっぱり好きだなぁ、と。 インターホンを押しても返事がない。
部屋の前まで上がると、鍵が開いていた。
強盗や空き巣といった嫌なワードが脳裏に浮かぶ。
栞子『歩夢さん?入りますよ?』
玄関にはいつも使っている仕事に持っていくというバッグが置いてある。
昨日帰宅してそのままのようだった。
奥へ入ると部屋が荒らされている様子はないが、ところどころにつまずいた後のように家具の位置が少しずれていた。
そして、リビングに行くと机に突っ伏す歩夢さんがいた。
嫌な想像が浮かび、歩夢さんに駆け寄る。
身体を揺すると、歩夢さんはむくりと上体を机から起こした。
栞子『歩夢さん!?大丈夫ですか!歩夢さん!うっ…』
ひどいアルコールの匂いがした。 歩夢『あれ?栞子ちゃんだあ?』
メイクをしていたのが流れたのだろうか、涙でぐずぐずになった顔をみて少しぎょっとしてしまうがとにかく命に別状はなさそうだった。
栞子『すいません、待ち合わせにいらっしゃらなかったもので、心配してしまって…』
歩夢『…待ち合わせ?そっかあ、ごめんね…』
よくみると、机の上にはお酒の瓶が置いてある。
前にいただいたけれど強くて飲めないと言っていたお酒が、ほとんど空だ。
普段から飲んでいるチューハイの缶もいくつか転がっていた。
いつから飲んでいたのだろうか。 栞子『一体どうされたのですか?こんなに飲むなんて…。とにかくお水を』
歩夢『ううん大丈夫だよ…』
栞子『しかし…』
どう見ても大丈夫なようには見えなかった。
冷蔵庫に中にはペットボトルの水があったので、無理やりそれを飲ませる。
少しすると、まだ目は座っていたが視線が合うようになった。
栞子『何が、あったんですか』
歩夢『…あの子が…結婚するって』
そう言うと、また黙ってしまった。
あの方が結婚…。なるほど、待ち合わせに来ないはずだと思った。
でも、歩夢さんに何もなくてよかった。
安心して、足の力が抜けた。
倒れ込むように歩夢さんの隣の椅子に座った。 栞子『すいません、椅子、お借りしますね』
歩夢『…』
歩夢さんは何も言わなかった。
メイク落としで顔を拭いても、されるがままにただ虚ろに前をじっと見ていた。
それにしても、結婚とは。
いつも突然行動する方だったが、また急な話だ、と思った。
歩夢さんがさっき知ったのでは同好会の面々も知らないだろう。
いや、もしかしたら同好会の誰かと?
ここ2年はアメリカにいるはずなので一番怪しいのはミアさんだろうか。
そんなことを考えながらしばらくそうしていたが、そのうちに腹の虫が耐えかねてくる。
待ち合わせ場所を離れられず待った時間も長く、気づけばもう夕飯の時間だ。 栞子『とにかく、無事でよかったです。その様子では歩夢さんも何も食べていないでしょうし、何か買ってきますね』
返事はない。
ただ、立ち上がろうとすると裾をつかまれた。
栞子『大丈夫です。すぐに戻りますから』
子どもたちに接するように声をかけても離す様子はない。
栞子『歩夢さん?』
顔を覗き込んで、そして。
栞子『んむっ!?』
キスをされた。 栞子『あゆっ、んっ』
歩夢『あん、ちゅっあなたっ!』
初めてのそれは、想像していたよりもずっと濃厚で、残酷だった。
初恋の人に、今もずっと好きな人にキスされているのに、その目は私を見ていない。
その事実がひどく悲しくて、でも信じられないくらいに、私は興奮していた。 気づいたら裸でベッドの上にいた。
あれからむさぼるように歩夢さんに抱かれた。
今も彼女は隣で寝息を立てている。
起こさないようにベッドを抜けようとするが、その動きで歩夢さんは目を覚ましてしまった。
歩夢『…あなた?』
栞子『あ、起こしてしまいましたか、ごめんなさい』
歩夢『え?…しおりこ、ちゃん?』
栞子『はい』
歩夢『あ、ああ、あああ、あああああ…ごめん、ごめんなさい、し、栞子ちゃん…』
栞子『大丈夫、大丈夫ですから。落ち着いてください』
歩夢『大丈夫なわけないよ!だって私…うっ』
頭を押さえる歩夢さん。
アルコールに強くないのにあんなに飲んだら、きっと今日明日は地獄だろう。 栞子『大丈夫です。私、歩夢さんのこと好きですから』
歩夢『嘘だよ、そんなの…』
栞子『嘘ではないです。だから、落ち着いてください』
歩夢『う、うん…』
栞子『とにかく、私は気にしていませんし、昨日のことはただの事故でした。忘れましょう?』
歩夢『そんなわけには!』
栞子『いいですから。私は帰りますね。歩夢さんも、深酒をした翌日なのでいまさらですがお水をよくのんでください』
それから私はのろのろと追いすがる歩夢さんにまるで気づいていないように歩夢さんの家を出た。
拒もうと思えば拒めたのに、欲望に負けて歩夢さんを傷つけたことから逃げるようにして。
帰り道にスマホが鳴り、歩夢さんから一言『ごめんなさい』と謝罪が入っていた。
私はそれにもう一度、気にしないで下さい、忘れましょうと送って、来週からまた歩夢さんと遊びに出かけられると思っていた。
今思えばひどく楽観的な考え方だ。
壊れた関係性は見て見ぬふりでは取り戻せないのだ。
翌週に何事もなかったかのように遊びに誘ったLINEにいつまで経っても返事がなくなって初めて、私はそのことを実感したのだった。 人間、自分にとって都合の悪いことはなるべく自然と思い出さないようになるらしい。
あれから少しして、自分の罪から逃げるようにその記憶は私のなかの片隅に追いやられていた。
けれど、歩夢さんと今再びこうして気兼ねなく会えるとなると、ぼーっとしているときには、特に歩夢さんのことを考えていると連想的にあの時のことを思い出すようになった。
歩夢さんからすれば滅多に飲まないお酒で逃避したいほどの現実に私がダブルパンチを加えた結果になるのだから、1年間音信不通になったのも仕方のないことだと今なら分かる。
「次は---、---です。お降りの方は---」
そもそも、家が分かっていたのだから、私から行けばよかった。
まぁ、後で返信が来なくなって冷静になった後は私もとんでもないことになってしまったと思って、自分からアクションを起こすことに臆病になってしまっていたので、できなかったとは思うが。 ピンポーン…[はーい、あ!栞子ちゃん!ちょっとまってね、今鍵開けるね。
改めて歩夢さんに再会できて、ましてやこうして家に招かれるまで至れたことは本当に幸運だった。
姉さんには感謝してもしきれない。
今日は歩夢さんに招かれて、お宅でお手製のお菓子をいただけることになっている。
あれから何回か一緒に週末に遊びに行き、そこで歩夢さんが最近自宅でケーキを焼くのにハマっているという話題になり、御馳走になれることになったのだ。
歩夢「いらっしゃい、栞子ちゃん。丁度今焼きあがったんだ〜」
可愛らしいエプロン姿で迎えて下さる歩夢さん。
甘く香ばしい香りが玄関まで漂ってくる。 栞子「お邪魔します。これ、お土産です。ケーキをいただけるということなので、紅茶を」
歩夢「ええ?いいのに、ありがとう。じゃあ、さっそく淹れさせてもらうね」
栞子「あ、でしたら私が淹れます。こう見えて上手いんですよ、紅茶を入れるの」
歩夢「ふふっ、知ってるよ。じゃあ、お願いしようかな」
栞子「任せてください」
ああ、この何気ない会話に幸せを感じる。
栞子「あと、これ言っていた映画です。お茶をしながら見ようと思って」
鞄から借りてきたDVDを取り出す。
家の中で話題を途切れさせないためのアイテムだ。
歩夢「前に言ってたワンちゃんの?楽しみだね!」
笑顔の歩夢さん。
失った時間は取り返せないけれど、私たちには今がある。
これからもっと一緒の時間を過ごして、あの頃よりも近づきたい。
願わくば、歩夢さんの特別な人になりたい。
欲深い私はそんなことを考えられるようになっていた。 事件はその日、ケーキを食べた後に映画を見ていた時に起こった。
紅茶を飲みながら映画をみていた時だ。
必然にテレビの前でソファーに並んでみることになった。
あんなことがあった後でも、私は歩夢さんと近づくだけでドキドキが止まらない。
こんなに近づいたのは久しぶりだ。
鼻腔を甘い歩夢さんの香りが満たし、ちらりと横を向けば歩夢さんの顔が見える。
油断している歩夢さん。その時私は愚かにも思ってしまった。
手、くらいなら繋いでもいいのではないか、と。
思えばお見合いの話を姉としていた時に、歩夢さんは独り身だと聞いている。
私のことがあって、こんな美人を一年間もそうしたことから遠ざからざるを得なくなってしまったことについては申し訳ないが、私にとっては都合がいい。
なにせ、あの方が結婚された今、歩夢さんに一番近いのは、私だろう。 今みている映画を実は私は一人で一度見ている。
歩夢さんにつまらない映画を見せる気はないのだ。
この映画、実はラブシーンがある。
といっても、主人公の犬の飼い主がヒロインと結ばれるシーンでキスシーンがあるというだけの子供騙しなものだが、盛り上がるシーンではあるので手を繋ぐきっかけにはなるだろう。
そのシーンが近づくにつれて自分でもソワソワしているのを感じた。
歩夢さんは犬の出てくるシーンに「わぁ…」とか「うう…」だとか実に可愛らしい反応をしており映画に夢中だ。
そして、そのシーンがやってきた。
私がそっと自分の左手を歩夢さんの右手に被せようとして、指先が触れた瞬間。
バッと歩夢さんが手を引っ込めた。
恐る恐る歩夢さんの方を見ると、歩夢さんは今しがた私が触れた右手をぎゅっと胸に抱きながら、こちらを見ていた。
その明確な拒絶の様子が目に入ると同時に、サーッという自分の血の気が引ける音が聞こえた気がした。 栞子「あ、ち、違うんです!手が、たまたま当たってしまって」
何が違うというのだろうか、必死に誤魔化そうとする私の言い訳を聞いた歩夢さんは同じく取り繕うようににこりと笑った。
歩夢「…ごめんね。ちょっとびっくりしちゃった」
栞子「え、う、す、すいません…」
歩夢「ううん、気にしないで」
そう言って、歩夢さんはまた画面の方に視線を戻した。
だけど、盛り上がっているシーンなのにもう歓声を上げることはない。
明らかにさっきまでとは様子が違う。
私はというと、映画が終わるまでずっと歩夢さんがどんな表情をしているのかが気になって仕方がなかった。 映画は私たちを置いてけぼりにして盛り上がり、ハッピーエンドを迎えた。
その後歩夢さんは「ワンちゃん、可愛かったね」と感想を言ってくれたけど、それ以上に話題が膨らまず、今日はお開きになった。
出口まで見送ってくれた歩夢さんに、何かと理由をつけてまた会う口実を取り付けたけど、とても不自然だったことだろう。
帰りの電車の中での気分は最悪だった。
取り繕おうと必死だったが、あのタイミングで手が重なるのはわざとらしいにもほどがあっただろう。
私が歩夢さんの手を握ろうとしたのはバレバレだったはずだ。
それを拒まれたということは、脈なんて存在していないのではなかろうか。 栞子「はぁ…」
自然と何度目かのため息がもれる。
私にとっては10年来の片思いだ。
面と向かってフラれたわけではない以上はこの程度のことで諦められはしない。
歩夢さんだって、お見合いまでして私との仲を取り戻そうとしてくださったのだ。
もっとも、それは友人としてのものであって、歩夢さんにとってはお見合いもデートも仲直りの手段に過ぎなかったのかもしれないが。それでも、嫌われてはいないはずだ。
だとすると、私のアプローチをああやって明確に拒絶した理由は一つしか思いつかない。
歩夢さんの愛は慈愛の愛だ。
それはもしかしたら相手が結婚しても変わらないのかもしれない。
歩夢さんはまだあの方が好きなのだろう。 歩夢さんはあの方の結婚を知った時、決して強くないお酒を自分を失うほどに飲まれるほどに悲しんでいた。
それでも愛しているとなると、勝ち目なんて存在しないのではないか。
栞子「不毛ですね…」
既に結婚している人を好きな歩夢さん、そして決して振り向くことのない相手が好きな私。
歩夢さんがあの方の家庭をめちゃくちゃにしてまであの方を手に入れようとはしないであろうことは分かる。
であれば、この関係は私が歩夢さんを振り向かせることができるか、あるいは永遠に続くのだろう。
できれば前者がの方がいいが、ここ1年間の自分の行動力を振り返るにこのままでは後者にまっしぐらだ。
とにかく、超えるべき壁は…。
栞子「あの方、ですか…。いったいいつ帰ってこられるのやら」
あれから3年経つが一度も帰ってきたという話は聞いていない。
電車の中で私は何度目かのため息をついた。 朝、目を覚ますと、スマートフォンに大量の通知が届いていた。
内容は、あの方が帰還したということ。
そして、愛さんが主催でその記念のパーティーをするということだった。
まあパーティーといっても飲み会だが。
参加か不参加かのアンケートもある。
その日程はというと。
栞子「…歩夢さんと会う日だ」
歩夢さんは参加するだろう。
そうなれば私も、必然参加せざるを得ない。
いや、私だってあの方に会いたくないわけではないが。
栞子「一応、歩夢さんにも確認の連絡をとりますか」
ブッキングはしているわけであるし、確認は必要だろう。
あの後も私と歩夢さんはそれなりの頻度で会っている。
単に出かけた先が近かった為合流したり、約束をして会ったりと様々だが、誘って断られたり嫌な顔をされたことはない。
まぁ、だからといって前進もしていないので、あの方に会えるのは良い機会だろう。
歩夢さんにとっても。
もちろん、私にとってもだ。 愛「それじゃあ、この子の帰還を祝って!かんぱ〜い!!」
「「「かんぱ〜い!!」」
愛さんの音頭に合わせてグラスを上げる。
あなた「あはは、みんなありがとう〜!ホントに久しぶりだね」
久しぶりに会うその人は、髪を染めていたりはしたけれど、見た目は全然変わっていなかった。
しずく「先輩、しばらくはこちらに居られるのですか?」
あなた「うーん、ひと月くらいかな?向こうの家もほったらかしじゃマズいしね」
せつ菜「そういえば、新婚さんでしたね。結婚式はされたのですか?」
あなた「いやー、もう1年だし新婚ってほどでもないんだけどね。結婚式は向こうでしたよ」
璃奈「写真あるの?見たい!りなちゃんボード「憧れ」」
愛「あ!アタシも!アタシもみたい!」
皆さんあの方を中心に盛り上がっている。
私もいろいろと話したいことはあったが、とりあえずは歩夢さんが心配だった。
歩夢さんはかつて陣取っていたあの方の隣からはずっと遠くに座っていた。 かすみ「あれ、歩夢せんぱ〜い、それノンアルコールじゃないですか?」
歩夢「え?うん。ちょっとお酒で失敗しちゃって…。それ以来飲まないようにしてるんだ」
かすみ「へぇ〜。歩夢先輩にしては珍しいですね。一体何をやらかしたんですか?」
歩夢「あー、ちょっとここじゃ言えない失敗かな?」
かすみさんにだる絡みされているが、様子がおかしなことはない。
あの方とも、再開の時にはにこやかに接していたし、問題はないようにみえた。
かすみ「えー、お酒の席ですよ〜?あ、しお子なら知ってるんじゃないの?」
栞子「あはは…。確かにここではちょっと…」
かすみ「一体何やらかしたんですかぁ!?」
愛「それにしても、かすかすならこの子に再会できた瞬間に抱き着くと思ってたけど、今日はしなかったね」
かすみ「かすみんです!ってこのやりとりも懐かしいですね…。流石に奥さんのいる人に抱き着くのはちょっと…」
歩夢「あはは、かすみちゃんも大人になったんだねぇ」
かすみ「そうですよ〜。だ・か・ら、歩夢先輩に抱き着いちゃいま〜す!むぐっ、何で避けるんですか〜!」
歩夢「お酒臭かったから…」
そう言ってかすみさんが飛びつこうとして、歩夢さんがサッと避けた。
お店のソファにそのままうつぶせでつっこんで、文句を垂れるかすみさんに、みんなが笑う。
あなた「もう、そんなの気にしなくていいのに。ほら、おいでかすみちゃん」
かすみ「あ〜ん!せんぱい好き好き〜!」
皆大人になったし、急な招集で集まれないひとも多かったけど、変わらない空気感がそこにはあった。
あんなことがあったからといって心配をしすぎだっただろうか。 すいません、1ですが、昨日本日と出勤のため、本日の更新はできないか、できても深夜になると思われます。 かすみ「にじかい〜どうします〜?」
しずく「かすみさん…今日は帰ろう?だいぶ飲んでたし」
かすみ「ええ〜!大丈夫だよ〜しず子のけち〜!」
しずく「ケチで結構だよ。それでは先輩、またご挨拶に伺いますね。愛さんも、幹事ありがとうございました」
かすみ「みなさ〜ん!おやすみなさ〜い」
しずくさんの腕に掴まって、かすみさんが連れられて行く。
あの二人は付き合ってるわけでもないのに一緒に住んでいるらしい。
うらやましいことだ。 愛「かすみんの言うように二次会って思ってたけど、5人まで減っちゃったしね。また君が帰る前にやろうよ。今度は今日いなかったメンツもイケる日でさ」
あなた「うん。今日は来れなかったけど、今度は嫁もつれてくるよ」
璃奈「あなたの口から嫁なんて言葉を聞くとちょっとどきっとするね」
私もどきっとする。璃奈さんとは別の意味で。
ちらりと歩夢さんをみたけれど、特に表情に暗いものは感じなかった。
私が過敏になりすぎているのだろうか。
愛「じゃあね、せっつーと歩夢も。またランジュも呼んで5人で2年生会やろう!」
せつ菜「はい!やりましょう!また予定を連絡します!」
歩夢「うん。私も送るね」
璃奈「私たちも。今ミアちゃんも日本にいるし1年生会もやろう!りなちゃんボード「うふふ」」
栞子「その区切りで言うならミアさんは3年生ですが…。そうですね、私もやりたいです」
それぞれ別れを言って、自分の今の日常に帰っていく。
私たちの代が二十歳になったタイミングでも皆で集まったが、ほぼ全員が学生の身分だったしそれ以外でも結構な頻度で集まれていた。
でも皆社会に出てしまうとなかなかきっかけでもなければ集まりづらくなってきていた。
こういったタイミングで新しい約束ができることは嬉しいことだ。 愛「かすみんの言うように二次会って思ってたけど、6人まで減っちゃったしね。また君が帰る前にやろうよ。今度は今日いなかったメンツもイケる日でさ」
あなた「うん。今日は来れなかったけど、今度は嫁もつれてくるよ」
璃奈「あなたの口から嫁なんて言葉を聞くとちょっとどきっとするね」
私もどきっとする。璃奈さんとは別の意味で。
ちらりと歩夢さんをみたけれど、特に表情に暗いものは感じなかった。
私が過敏になりすぎているのだろうか。
愛「じゃあね、せっつーと歩夢も。またランジュも呼んで5人で2年生会やろう!」
せつ菜「はい!やりましょう!また予定を連絡します!」
歩夢「うん。私も送るね」
璃奈「私たちも。今ミアちゃんも日本にいるし1年生会もやろう!りなちゃんボード「うふふ」」
栞子「その区切りで言うならミアさんは3年生ですが…。そうですね、私もやりたいです」
それぞれ別れを言って、自分の今の日常に帰っていく。
私たちの代が二十歳になったタイミングでも皆で集まったが、ほぼ全員が学生の身分だったしそれ以外でも結構な頻度で集まれていた。
でも皆社会に出てしまうとなかなかきっかけでもなければ集まりづらくなってきていた。
こういったタイミングで新しい約束ができることは嬉しいことだ。 駅前でせつ菜さんと別れ、3人で電車に乗る。
歩夢「最寄り駅は栞子ちゃんが一番近いね。あなたは今日はどうするの?」
あなた「日本にいる間は実家に帰るよ。ほかに家もないしね」
歩夢「そっか。なら一番遠いね。あ、栞子ちゃん次の駅だよ」
栞子「あ、今日は私もこの後少し予定がありまして、まだ降りないんですよ」
あなた「こんな遅くに?」
ちらりと時計をみると22時。
こんな時間に一体どんな予定があるというのか。
栞子「…できるだけ早い方がいい用事を思い出しまして」
あなた「…」
いらぬ誤解を招きかねない発言だったかもしれないが、私の目の前で歩夢さんとこの方が2人きりになる場面はできるだけ避けたかった。
それに、嘘は言っていない。 少しの間電車に揺られて、歩夢さんの降りる駅に着いた。
その間無言ということもなく、お二人は昔とそう変わりない距離感で話しているようにみえた。
むしろ、私が少し会話の輪から外れてしまっているくらいだ。
歩夢「じゃあ、またね。あなた、栞子ちゃん」
栞子「はい、また連絡しますね」
あなた「歩夢もたまには実家に帰りなよ?おばさん、全然帰ってこないって怒ってたよ」
歩夢「…うん。今度帰るって言っておいて」
あなた「わかったよ。でも、自分でも連絡しなよ?」
歩夢さんは曖昧に頷いて、電車を降りて行った。
あなた「さて、次は栞子ちゃんだね。用事って、どこに?」
栞子「どこに、というか…。あなたにお話しがありまして」
あなた「あ、やっぱり?ちょっとそんな気がしたんだよね」
バレていたか。
鋭いのか、鈍いのか相変わらず分からないひとだ。 あなた「それで、何かな?言っとくけど、私今結婚してるよ?」
栞子「…ええ、よく知っていますよ」
あなた「冗談だって、そんな怖い顔しないでよ」
笑えない冗談だ。
いや、ある意味では冗談ではないかもしれない。
栞子「私の話というのは、歩夢さんのことです」
あなた「やっぱり?でも、最近の歩夢ちゃんのことなら私よりも栞子ちゃんの方が詳しいでしょ?」
歩夢さんと私がよく会っていることを知っている。
やっぱり歩夢さんはあの後もこの方と連絡を取っていたようだ。
飲み会の中でそんな話にはなっていなかったはずだし。
栞子「…そうでもありませんよ」
あなた「そっか。で、なにが聞きたいのかな?昔の話ならいくらでもあるけど?」
栞子「そのお話も、興味がないと言えば嘘になりますが、今は別のことを」
そう、大事なのは今の話だ。 栞子「…あなたは、歩夢さんのことをどう思っていますか?」
あなた「どうって…大切な人だよ。昔からそれは変わらない」
それはそうだろう。でも、私が聞きたいのそういう意味ではなくて。
栞子「それは…一人の女性として?」
あなた「もちろん、違うよ。あくまで、幼馴染としてさ」
栞子「では、恋愛感情はないんですね?」
あなた「もちろんだよ」
栞子「そう、ですか…」
正直安心した。
私の質問の心外だ、という顔をしているが、たくさんのスクールアイドルに囲まれてなお、この人にとって歩夢さんは特別な人だった。
もし結婚した今でも歩夢さんと関係を持ちたいと言い出したら心の底から軽蔑していただろうが、ありえないとは言い切れなかった。 栞子「でしたら、お願いがあります」
あなた「それは、歩夢ちゃんに関することだね?」
栞子「もちろんです」
むしろこの流れで他に何の話があるというのだろうか。
あなた「それで、お願いというのは?」
栞子「…歩夢さんは、あなたのことを想っています」
あなた「え?いやいや、流石にもうそんなことはないと思うけどなぁ」
もう?歩夢さんの好意を知っていたのか。
いや、気づかない訳がないか。誰が見ても昔の歩夢さんはこの人にべったりだった。
栞子「いいえ、歩夢さんは今でもきっと…だから、あなたの口からはっきりと言ってほしいんです。歩夢さんに…」
『もう結婚しているから、自分のことを想うのはやめるように』と。
あなた「…それを栞子ちゃんが私に頼む理由は?」
何でそんなことを聞くのか、話の流れでわかりきっていることだろうに。
いや、試しているのか?
私の想いが遂げられた時、大切な幼馴染を任せるに足る相手かを。 栞子「…私が、歩夢さんを愛しているからです。今も変わらずずっと」
あなた「それを聞いて、安心したよ」
栞子「よかったです。では、私のお願いは…」
あなた「でも、嫌かな?」
え?
栞子「…なぜ、ですか?」
あなた「だってさ…」
そこまで言って、言葉がとまる。
言うか言うまいかを考えているようだった。
そして『もったいぶるな』という私の視線に負けたのか、頬を指でポリポリとかいてから「まぁ栞子ちゃんもある意味当事者だし、いいか」と前置き、私にとって、衝撃的な事実を言った。
あなた「私、もう歩夢ちゃんのこと、フったんだよね」 私事ですいません、仕事により本日の更新は難しそうです。
明日の深夜で更新したいと思います。 あなた「1年とちょっと前かな?私、結婚してすぐに歩夢ちゃんにビデオレターを送ったんだよね。やっぱり一番最初に言うべきだと思ってさ」
本当にとんだ便りだった。
おかげで私は歩夢さんと一年間も連絡すらとれなくなったのだ。
あなた「そしたらその次の日に電話がかかってきてさ。正直何言われるんだろうとか覚悟して出たんだよね。それで、出てみたら栞子ちゃんを襲っちゃったって…ホント最初は意味が分からなかったよ」
歩夢さん…話していたのか。
まぁ、パニックになった時に相談相手として誰が浮かぶかと言われたら、この人だったのだろう。
責められまい。
あなた「それで、泣きじゃくる歩夢ちゃんを宥めて話を聞いたら、お酒でつぶれて、私と勘違いして一方的に…って言うしさ。いや、ごめんね、なんか」
栞子「…いえ、その件については私にも非があるので…」
自分が惨めになるのであんまり謝らないでほしい。 あなた「その時歩夢ちゃんもだいぶ参ってたみたいでさ。私の送ったビデオを見たはずなのに」
歩夢『お願い…帰ってきて、あなた…あなたがいないと私、だめなの!私の側にずっといて!私だけのあなたでいて…』
あなた「って」
栞子「…それで、その時に?」
あなた「まあ、流石に断ったんだ。キッパリと」
栞子「そう、ですよね」
あなた「ただ、流石にそのまま突き放すだけだと歩夢ちゃんを追い詰め過ぎちゃう気がしたからさ、その後も連絡自体は結構頻繁にとるようにしたんだ。でも、物理的に距離はとった方が歩夢ちゃんのためにもいいかなと思って。だから、日本にはしばらく帰ってなかったんだけど」
栞子「そういうことだったんですか」
確かに、別に実家と喧嘩しているわけでもないなら、結婚する時くらいは帰ってきて挨拶をするのが自然だろう。
この方も、それをしないほどには歩夢さんもことも大切に思っているということだ。国際電話は高いだろうに。 栞子「でしたら、今回帰国されたのは?」
あなた「え?まぁ、もう大丈夫かなって」
栞子「えぇ…」
べつに私がとやかく言える立場ではないと思うが、結婚から一年も帰らなかったのにそんな理由でいいのか。
あなた「いや、別に根拠も無しにってわけじゃないよ?」
栞子「…根拠というと?」
あなた「えっとね、歩夢ちゃんと電話してるとさ、大体昔の話になるんだ。幼稚園の頃とか、小学校の頃の話、あとは同好会の頃の話が多かったかな?」
栞子「想像できますね」
私のよく知る二人の会話の内容だ。
もう3年近く聞いていないが。 あなた「でもね、最近は違うんだ」
栞子「え?違うとは?」
あなた「歩夢ちゃんの話の内容。今日は栞子ちゃんとどこに行って、何がおいしかった、楽しかったって。そんな話を、すっごい嬉しそうに話してくれるようになった」
栞子「…それ、本当ですか?」
あなた「もちろん」
一緒にいる歩夢さんはいつも笑顔だったけれど、私といて本当に楽しいのか、負い目で一緒にいて下さっているのではないか。どうしてもそう思ってしまっていた。
歩夢さんの本心がこの方の言う通りなら、こんなに嬉しいことはない。 あなた「だから、もう大丈夫だって思った。歩夢ちゃんには栞子ちゃんがいるからって、そう思った」
そう言って、車窓を振り返る。
私も学生時代に何回か降りたことのある、この方と歩夢さんのご実家の最寄り駅が見えていた。
あなた「それが根拠だよ」
電車が減速し、やがて止まる。
車掌のアナウンスが聞こえて、ドアが開いた。
あなた「まぁ、私の話はこれくらいなんだけどさ。栞子ちゃん、まだ私に歩夢ちゃんのことをもう一度振ってほしい?」
栞子「…いいえ。すいません、大丈夫です」
あなた「ん。…ところで、栞子ちゃんはこれから予定とかある?」
栞子「え?今からですか?家に帰りますが…」
さすがに今の時間から他に用事はない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています