真姫「花陽と凛と、私の絆」
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土曜日。
太陽がゆっくりと輝きを増し始めた頃、私は家を出た。
μ'sの練習が休みの今日、花陽と凛と出掛けることになっているのだ。
昨日、練習終わりの談笑タイムにそんな話になった。
私たちの話がどういう風に影響したのか、二年生と三年生もそれぞれ出掛けることになったのだとか。
このすっきりと晴れた空は、普段頑張っている私たちへのプレゼントなのね、きっと。 *
花陽「もう寝ちゃったみたい。きっと、随分楽しみにしてくれてたんだね」
凛「ところで、かよちん。どうしたの?」
花陽「え?」
凛「え?」
真姫ちゃんの頭に伸ばしかけた手を止めて、凛ちゃんを見る。 しっかりと目が合う――のはいいけれど、そんなにきょとんとされても…
花陽「どうしたのって、なにが?」
凛「なにか悩んでるんでしょ?」
花陽「え…」
花陽「あ、あれ…?私、凛ちゃんになにか言ったっけ…?」
凛「ううん。なにも聞いてないよ」
花陽「じゃ、じゃあどうして悩んでるってわかったの!?」
まるで心の内を見透かされたかのような発言に戸惑って、焦る私に笑いかけて、凛ちゃんはあっけらかんと言った。
凛「あはは。そんなの一目でわかるよ〜。変なかよちん」
唖然とする。 凛「ごめんね。結構前から悩んでたのに、なかなか二人きりになる時間がなくて、話を聞いてあげられなくって」
花陽「う、ううん…そんなことないよ」
凛「電話でもよかったんだけど、ちゃんとかよちんの顔を見ながらお話ししたかったから」
照れたようにそう言うと、凛ちゃんは不意に眠る真姫ちゃんへと視線を落とした。
長いまつ毛が風に揺れて、はっとするくらい綺麗な寝顔。
花陽「真姫ちゃんが、どうかしたの?」
凛「ちゃんと寝てるかなーって」
花陽「ちゃんと?」
言葉の意味がわからなくて、聞き返す。 凛「二人きりで話したいから、かよちん、真姫ちゃんを眠らせたんでしょ?」
花陽「ね、眠らせてなんかないよ。人聞きの悪いこと言わないでよう!」
凛「にゃ。偶然だったんだ〜」
感心したように頷いて、けらけらと笑う凛ちゃん。
鋭いのか天然なのかわからない。 凛「それで、どうしたの?凛でよければ聞くよ」
花陽「う、うん…凛ちゃんになら、話せるかな…」
意を決して、口をひらく。
花陽「あのね――」
* *
凛「――なんだね」
花陽「…うん。少しだけ、悩んでたんだけど。えへへ…凛ちゃんに聞いてもらえてよかった」
凛「そういうときは、こうやって…ぎゅーってするにゃー!」ギュッ
花陽「わわっ」
そう言うなり、凛ちゃんが飛び付いてくる。
すりすりと擦り付けられるほっぺたがとても温かく感じられて、思わず口元が緩んでしまう。 花陽「その、は…恥ずかしいから、誰にも言わないでね」
凛「うん!凛とかよちんだけの秘密だね!」
わざわざそんなことを言わなくっても、凛ちゃんが私が嫌だと思うことをするはずなんかない。
念のための念のため、くらいの念押しに、凛ちゃんは力強く頷いてくれた。 凛「ふああ…安心したら凛も眠くなってきちゃった。少し寝よ?」
花陽「うん、そうだね。寝ちゃおっか」
スマートフォンを操作して、一時間後に目覚ましを掛ける。
その横で凛ちゃんが
凛「真姫ちゃんだけずるーい。凛もかよちんのおひざで寝たいにゃー」
と、ゆさゆさと真姫ちゃんを揺らし始めるので、慌てて止める。
花陽「わわ、凛ちゃん。真姫ちゃん起きちゃうよ。腕枕でよかったらしてあげるから。ね?」 凛「わーい!かよちんの腕、柔らかいから大好き!」
花陽「あんまり嬉しくないかも、それ…」
真姫ちゃんが起きてしまわないように静かに脚を崩して、からだを倒して腕を伸ばす。
なんだか柔軟体操みたいな格好になってしまった。 凛ちゃんが頭を預けてきて、私の二の腕をつつく。
ぷにぷに。
花陽「つ、つつかないでえ」
むに。
花陽「つ、つままないでえ」
凛「おやすみなさいっ」
花陽「う、うん。お休みなさい」
一通り私の腕をいじって満足したようで、凛ちゃんは目を閉じた。 凛「うーん…気持ちいいにゃあ…」
花陽「ひ、陽射しのことだよね…腕のことじゃないよね…」
凛「………すー」
花陽「答えてから…眠ってよぉ……」
そこで、私の意識もすっと途切れた。
真姫「………………」
* *
真姫「寝過ごしたわ」
時計を見ると、時刻は四時半。
イルカショーは三時から四時だったので、完全に見逃したことになる。
真姫「そりゃ、三人揃って眠りこけてたらこうなるわよね…」
寄り添って気持ちよさそうに眠る二人を見やる。 そういえば、花陽がアラームを掛けるって言っていたはずだけれど…
ごめんと思いつつ、花陽のスマホを見てみると――マナーモード。
なるほどね。
真姫「水族館に来てるんだものね。花陽なら当然か…」
小さく嘆息し、スマホをそっと枕元に戻す。
今さら慌てる必要もないわけだから、もう少しこのままにしておくとして。 再び、二人の寝顔に視線を寄越す。
母親の腕の中で眠っているかのように、安心し切った表情の凛。
愛娘を抱き締めているかのように、穏やかな表情の花陽。
真姫「………」
先ほど花陽が凛に打ち明けた悩みを思い返す。 正直、やっと口にした――もとい自覚したのね、という感じだった。
μ'sの中でも何人かは気付いていたし、誰かが手を引くことだってできたけれど――今までそうしなかったのは、花陽自身に気付いてほしいと思っていたから。
やっと自覚して、言葉にした。
これで、花陽が前に進める…そう思うと、まるで自分のことのように嬉しい。
嬉しい――けれど。
残念なのは、花陽がそれを最初に告げた相手が、『やっぱり』私ではなかったという事実。 この二人の付き合いが長いことはわかっているし、出会って数ヶ月の私がその間に遜色なく入り込めるだなんて思っていない。
それでも、最近、私はもしかしたら三人で全く対等な友人同士になれてきたのではないかと思い始めていた。
思い始めて――しまって、いた。
言葉にして正面から問えば、きっと二人は大きく頷いてくれるに違いない。
けれど。 凛『二人きりで話したいから、かよちん、真姫ちゃんを眠らせたんでしょ?』
凛の言葉が甦る。
もちろん、花陽にそんなつもりがなかったのであろうことも、凛に言葉ほどの悪気があったわけではないであろうことも、ちゃんとわかっている。
だから、こんなことで淋しいと感じるのは、間違っている。
凛がその考えに至ったのは至極当然のことなのだから。
友人に悩みを話すとき、友人の悩みを聞くとき、自分たち以外の存在を排除しようと思うのは。
私だってそうするはずだ。
私だって――悩みを打ち明けるほどに親しい友人と『それほどまでではない友人』とがいれば、そうするはずだ………
不意に、視界がじわりと滲む。 真姫「私も…悩みを相談すれば、もっと二人と仲良くなれるのかしら……」
凛「真姫ちゃん、悩み事があるの?」
真姫「ヴェェェェェェッ!?」
真姫「り、凛!起きてたの!?」
凛「うん!」
真姫「そんな満面の笑みで…っ」
あまりに驚いて大声を出してしまい、またそう言いかけて、寸でのところで呑み込む。
悪いことをしたわけでもないのに、ばつが悪いからというだけで怒鳴り付けるのは失礼ね… 凛「悩み事がどうかしたの?」
真姫「な、な、な、なんでもないわよ!」
凛「にゃ?変な真姫ちゃーん」
凛はそこであっさりと追及の手を止め、花陽に向き直る。
ゆさゆさと、私にしたように身体を揺する。
寝ている相手を揺するのが癖なのかしら… 凛「かーよちーん。起きてー」
花陽「んん…」
凛「イルカショー観にいくよー」
真姫「あー…」
真姫「あのね凛、非常に言いにくいことがあるんだけど」
凛「にゃ?」
真姫「時計を見てみなさい」 きょとんとするばかりの凛に、スマホの画面を突き付ける。
真姫「時間がわかる?」
凛「四時半だね」
真姫「…そうね」
凛「…?」
首をかしげる凛。
だめだ、どうやら理解していない様子ね。 仕方なくパンフレットを取り出そうとしたところで、花陽が飛び起きた。
花陽「四時半っ!?」ガバッ
真姫「あ、花陽…おはよう」
凛「おはようかよちん!イルカショー観にいこっ」
花陽「あ…あああ…」 変わらずにこやかな凛と、カタカタと震え出す花陽。
寝起きながら、花陽は状況を理解したみたいね…
花陽「だ…だ………っ、ダレカタスケテェェ――――――っ!!」
真姫「そんなこと言ったって、過ぎた時間は誰にもどうしようもないでしょ」
涙目で叫ぶ花陽に、私はやれやれと呟いた。
* *
帰り道。
花陽「真姫ちゃん…ごめんね」
花陽がぽつりと呟いた。
これで四度目。
真姫「いいから。気にしてないって言ってるでしょ」
花陽「…うん」
さっきからこの調子で、私の言葉は聞こえていないようだった。 もう限界。
立ち止まって、花陽と正面から向き合う。
真姫「いい?先に寝ちゃったのは私なんだから、花陽が気にすることなんかなにもないの。だから、もう謝らないで」
凛「ねえねえ、凛たち、なんでイルカショー観ずに帰ってきちゃったの?」
花陽と二人分の冷ややかな視線が刺さる。
この子は大丈夫だろうか…
さすがに、高校生にしては記憶容量が小さ過ぎる気が…まあいいけれど。 真姫「…ハァ。じゃ、私はこっちだから。また月曜日にね」
凛「うん!また遊びにいこうね!」
真姫「凛、花陽を頼むわよ。このままじゃ電柱にぶつかるわ」
花陽「だ、大丈夫だよぉ」
あはは…と、乾いた笑い。
不安に思いつつも、二人に手を振って別れる。 やがて後ろで、凛ちゃんもごめんね、イルカショー観られなくて、と聞こえた。
その声は、私に向けられたものとは全く調子が違う。
忘れ物をしちゃって借りるときのような、待ち合わせに五分だけ遅れちゃったときのような、日常的に使う「ごめんね」。
それは、言うなれば信頼の証。
相手が今回の失敗をどのくらい気にするかわかっていて、自分が今回の失敗をどのくらい気にすればいいかわかっていて、だからこそその一言で明日からまたなんの気負いもなくなるとわかっている。
たった一言が、そこまで雄弁に物語る。
彼女たちと、期間は短いながらも濃い密度で近い距離で付き合ってきたからこそ、私にもそれが汲み取れた。
だとしたら反対に彼女たちも、自分と私との関係をはっきりと感じているのだろう。
花陽が私に重ねた「ごめんね」の重さを――
そこまで考えが至って、ぞくりとする。 居ても立ってもいられなくなり、慌てて踵を返した。
ほんの数分前に別れたのだから、まだそう遠くない距離にいるはず。
慎重に、確かめるように進めていた歩みが、自然に焦りを纏う早歩きとなり、気が付けば私は死に物狂いで走っていた。
花陽と凛の笑顔を思い浮かべる。
同時に、その笑顔が曇る様子が脳裏をよぎる。
嫌だ、と思った。
頭の中にその気持ちだけが満ちる。 嫌だ、嫌だ、嫌だ――――
あんなに屈託のない笑みを向けてくれる友人が、今まで私にいたことがあったっけ。
誰も彼も、どこか一線を引いた付き合いで。
それが紛れもない私自身のせいであったことくらい、自覚しているけれど。
自分の心を知られるのが怖くて、相手の心を知るのが怖くて、遠慮していたのはいつも私だった。
それでも、あの二人はそんな気難しい私に手を差し伸べてくれて、すぐにそっぽを向いて距離を置こうとする私を諦めずにいてくれて、優しく根気強く向き合い続けてくれた。 もう二度と、こんな友人はできないかもしれない。
こんなちっぽけな失敗一つで、あの二人を失いたくなんかない。
気を遣わないでほしいの。
悪いと思わないでほしいの。
あなたたちがお互いにするように、私にも遠慮のなさと、それを補って余りあるほどの信頼をぶつけてほしいのよ―― 真姫「――花陽!凛!」
凛「にゃ?」
花陽「ま、真姫ちゃん?どうしたの?」
首筋を伝う玉汗。
激しく打つ動悸。
肩が忙しなく上下し、肺は熱くて、呼吸は荒くて。
そんな私を見かねて、二人が駆け寄ってくる。 凛「真姫ちゃん、どうしたの?なにか忘れ物?」
花陽「花陽たち、なにか預かってたっけ…?」
真姫「ち…違うのっ。聞いて、ほしいのっ…」
半ば言葉を遮るように叫ぶ。
その尋常ならざる勢いに気圧され、二人が黙る。
伝えなきゃ、伝えなきゃ。
私の中を駆け巡るこの想いを、二人に伝えなきゃ。 しかし、そう思えば思うほど、汗が吹き出て動悸が速くなる。
言葉だけが見付からない。
肩で息をするのが精いっぱいで、喉に大きな塊が詰まってしまったかのように、言葉が奪われていく。
そんな自分がもどかしくて涙が浮かぶ。
こんな風にしたいわけじゃないのに。
伝えなきゃいけないことがあるのに。
これじゃ、私、変な子だ。
もっと呆れられる。
嫌だ。
私のことを見捨てないで。
嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ――――「真姫ちゃん」 思考が黒く塗り潰されそうになる直前、花陽の優しい声が聞こえた。
顔を上げる。
花陽「落ち着いて、真姫ちゃん。ゆっくりでいいから」
そう言い、にこりと微笑む花陽を見た途端、心を覆っていた霧が晴れていった。
そうだ。
伝えなきゃいけないことがあるんじゃない。
伝えたいことがあるんだ。
大きく息を吸って、吐いて。
背筋を伸ばして、二人に向き合う。
大丈夫――言える。 真姫「今日のことは、本当に気にしてないの。誰が悪かったってわけじゃない」
真姫「だから、私に悪いなんて思うのは、もうやめてほしい」
花陽がはっとする。
花陽「真姫ちゃん…」
真姫「そうやって私のことを気遣ってくれる花陽の気持ちは嬉しい。でも、もう嫌なの」
凛「真姫ちゃん、気を遣われるのが嫌いなの…?」
凛が珍しく真剣な表情で…ううん、違う。
この子はいつだって、大切なことはきちんと大切にしている。
あの元気な笑顔だって、真剣な表情の一つだ。
真姫「嫌いよ」
はっきりと答える。 真姫「気を遣われるのが嫌い。嫌なの」
花陽「…それは、」
真姫「だって、私たちは友達でしょう?だったら、迷惑を掛けたり掛けられたりするのは当然のことじゃない。そんなことで気を遣って、私一人を置いてけぼりにしないで」
あなたたちの隣にいたい。
同じ場所で同じように笑っていたいの。 真姫「私一人じゃ水族館になんか来られなかった。行こうって言い出してくれた凛にも、付き合ってくれた花陽にも感謝してる。それだけで、イルカショーを見逃した程度のこと、お釣りを貰えるくらいよ」
凛「真姫ちゃん…」
凛は照れ臭そうに笑い、花陽は俯いてわずかに震える。
真姫「だから、その…もし、わ、悪いと思ってるなら、その…」
凛と花陽が同時にこちらを見る。
恥ずかしい――けれど、それ以上に、言いたい言葉。
真姫「ま、また一緒に…水族館に、付き合いなさいよ…!」 もう無理。
耐え切れなくなって、顔を逸らす。
ああもう、私はまた肝心なところで――
凛/花陽「「真姫ちゃんっ」」
二人が同時に抱き付いてくる。
花陽「真姫ちゃん…そうだよね、何回だって、また一緒に来ればいいんだよね」
凛「真姫ちゃん…次はちゃんと寝てくることをお勧めするにゃーっ!」
真姫「う、うるさいわね!あんたに言われたくないわよ!」
大事な場面で茶々を入れてきた凛に喝を入れる。 一瞬の沈黙のあと、誰からともなく笑い出す。
道中で抱き合って笑い合う三人組を、道行く人たちは不思議そうな目で見ていった。
だけどそんなことが全然気にならないくらい、私は清々しくて。
花陽「じゃあ、真姫ちゃん。改めてお願いがあるの」
真姫「え?」
ひとしきり笑い合ったあと、不意にそんな申し出があって。
凛がカレンダー画面を見せて、来月の日曜日を指で示す。
花陽「ここ、一緒に出掛けよ」
凛「またイルカショーやるみたいだにゃ!」
真姫「…!」 離れてからたった数分の間に、次の予定を調べてくれていたらしい。
なんだ、と思う。
あんな心配は、そもそも不要だった。
もっと、今よりもっと、全身で信頼していきたい。
この二人にならそれができる。
その日、たとえどんな予定があったって、私が投げ出すに違いない。
もちろん、なんとしてでも行くわ。
私は大きく頷いて、できる限りの笑顔でそう答える――
真姫「ば、ばかね。そんな先のこと、練習があったら行けないでしょ」 凛「もーっ、真姫ちゃん素直じゃないにゃー」
花陽「ふふ、確かに真姫ちゃんの言う通りだね」
真姫「れ、練習が休みだったら行ってあげてもいいけど」
凛「練習があったってサボっちゃえばいいよ!」
花陽「さ、サボるのはよくないかも…」
凛「一日くらい平気だよ!」 真姫「海未に特別メニュー課せられるわよ」
凛「ひぃっ!?そ、それは勘弁にゃ…」
真姫「…でも」
凛「にゃ?」
花陽「ん?」
真姫「『三人で』なら、特別メニューも――怖くないじゃない?」
真姫「花陽と凛と、私の絆」・了 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています