絵里「いつでもがらがらチョコレート喫茶」
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雨の強い日だった。
絵里「…んー」
暇ね。
少し早いけど閉めようかしら。 あと秒針が一回回ったら立ち上がろう。
そう考えて時計をぼけーっと眺めているとき。
雨音が急に室内に入り込んできた。
ドアベルが、チリンと鳴った。 絵里「いらっしゃいませ」
「…どうも」
びしょびしょな足元に視線を落としていた彼女が、顔を上げた。
真姫「…ブラック、もらえる?…ホットで」
濡れた赤髪から覗く陰鬱そうなその顔には良く見覚えがあった。
「……え?」
彼女は私に視線を向けたまま、3秒くらい固まった。 絵里「真姫、真姫じゃない!」
真姫「…どうしてここにいるの?経営者?ええ?」
絵里「お客様として来たこっちだってビビるわよ。それよりびしょ濡れじゃない。傘忘れたの?こっち来て」
真姫「別にいいから。ていうかどこ連れてくのよ。店は?」 絵里「お客さんなんてこないから平気平気。服は乾かすから、お風呂入って体温めなさい」
真姫「お節介よ。飲んだらすぐ帰る…いやいや、お風呂?アルバイトとかじゃなくて経営者な訳?あ、住み込み?」
絵里「ん?興味津々ね。8人がどんな道進んでるか気になる?」
真姫「……別に何でもない」
──
── 絵里「シャンプーは赤、ボディーソープは白だから」
真姫「…うん」
真姫を風呂に押し込んで衣類を拝借する。
案外こういうのって同性でも何か背徳感を覚えるわね。
特に下着とか。
まあ気にするべきじゃない。
出来れば洗濯なりしてやりたいところだけど、真姫にも予定はあるだろうし、そんな時間はない。 6畳ほどのせせこましいリビングにそれらを広げてドライヤーでうぉんうぉんと乾かしていく。
…わ、下着までびしょびしょじゃないの。
真姫が傘忘れるなんて、どうしたのかしら。
いざとなれば金という権力に物を言わせて対処だってできるでしょうに。
──
── 真姫が頭をバスタオルでごしごしやりながら二階から降りてくる。
絵里「悪いわね。生乾きになっちゃって。もし嫌だったら服貸すけど」
真姫「これでいい。こちらこそどうも」
私は頬杖をつきながらテーブルの一つを指差す。
コーヒーカップは湯気を立てていて、今にも薫りが漂ってきそう。
自慢の一品だ。 絵里「ブラック。30秒くらい前に入れたばかり。冷めないうちにどうぞ」
真姫「…どうも」
ぶっきらぼうに答えつつ、テーブルの椅子に腰掛ける。
上気した頬はお風呂のせいだけではあるまい。
真姫「…頂きます」
両手で白いカップを包み込むように持つと、赤い唇をカップに口づけた。 真姫「…おいしい」
絵里「嬉しいわね、素直にそう言ってもらえると」
ちょっとふざけて皮肉を混ぜてそう言ったつもりだったんだけど、真姫は反応しない。
真姫「どこの豆、使ってるの?」
絵里「それは企業秘密よ。エリーチカオリジナル」
真姫「…そう」 心なしか、真姫の表情ががっかりしたように見えた。
結構お気に召したのかもしれない。
ちょっと嬉しい。
……。 ……。
雨の音、時計の秒針が、聞こえる。
説明しようか、聞こうか。
この店について話すか、びしょ濡れだった理由を聞くか。
出来れば後者を選びたいんだけど、なんとなく聞いていいのか躊躇われる。 あの秒針がもう180度回転したら口を開こうと考えていると、先に真姫ちゃんが沈黙を破った。
真姫「…他に人がいる雰囲気はないし、住み込みにしては個人的過ぎる。それに、え、エリーチカオリジナル?って言ってたでしょ」
絵里「え、ええ」
文脈もなしにそう問われる。
何か悪事が暴くために証拠を並べられてるみたいで怖い。 真姫「…その、ここの店長なんでしょ」
絵里「まあ、そうよ」
急に目を逸らして濡れた髪をくるくる指で巻きながら声を出す真姫ちゃん。
明らかに何か言い淀んてる。恥ずかしがってる様子。 真姫「…」
絵里「…」
真姫「…」
絵里「それがどうしたのよ」
真姫「…べ、別に」
絵里「…」
真姫「…」 みるみる真っ赤になってきた。
あんまり素直だから思わず吹き出しそうになる。
ザ・ツンデレ!
真姫「笑わないで!」
絵里「ぶふ、わ、笑ってない笑ってない」
ちょっと希かにこ辺りの影響を受けてるかもしれない。 真姫「……ト」
絵里「トマト?」
真っ赤だし。
真姫「バイト!アルバイト!」
絵里「…アルバイト?」 一瞬何を言っているのか分からなかった。
店長よ。さっき真姫が言ってたように店長。
……ん?
真姫「募集!してるの?してないの?」
絵里「…」 募集?
私が?
真姫がアルバイト?
わけがわからない。 真姫「ねえ、絵里い」
目を潤ませて必死そうに訴える真姫がいる。
絵里「わかった、わかったから落ち着くの」
わけわかんないまま慌てて私はそう言った。
──
── 翌日、午前10時前に真姫はさっそくやって来た。
今までならなるはずのない時間に響くドアベルがお客様でないことを告げた。
うっかり「いらっ」までいって口を閉じる。
絵里「おはよう」
真姫「…おはよう」 絵里「じゃあ、ちょっと面倒だけど二階のリビングに荷物置いてもらえるかしら。それから、服、どうする?別にそのままでもいいけど汚れるかも」
真姫「制服とかないの?」
絵里「あるにはあるけど、今は私の予備しかないのよ。リビングに掛けておいたから、自由に使ってもらって構わないわ」
真姫「…ありがと」
よし、これで準備完了。 真姫「…準備完了?」
絵里「ええ」
真姫「開店10時半でしょ」
絵里「つい癖でね」
エプロンチックな服を着て降りてきた真姫が溜息を吐く。
似合ってるんだからそんな顔しないの。 絵里「いえ、掃除なり仕込みなり仕事残しておこうかなとは思ったのよ。でも考えてるうちについ勝手に体が準備終わらせちゃって」
真姫「てんで私不要そうなんだけど…」
絵里「ははは」
真姫「…いえ、自分からわがまま言って雇わせておいて。失言だった。ごめんなさい」
絵里「ちょっと、全然気にしてないから。だからそんな顔しない、ほら、笑って笑って、にっこにっこにー」 真姫「ほんと、お金に困ってる訳じゃないから。全部返すからむしろ倍返しするから」
絵里「気にしないでいいのいいの全然!」
昨日、落ち着いた後、なるべく深く探らないように「どうしてここでアルバイトしたいと思ったのですか?」と面接官っぽく聞いた。
「なんでアルバイトを?」「家の方は?」なんて聞いてはいけない気がしたから。
だけど、真姫は、そんな逃げ道の作られた質問でさえ、下を向いて俯いてしまった。
陰鬱な表情をしていた。
触れてほしくないものがあるのだろう。 絵里「それよりほら、テレビ見ましょ、テレビ」
真姫「…何故にテレビ」
絵里「退屈だから、かしら」
真姫「タダ働きじゃない…」
思うところがあったのか、昨夜、寝ようとしているところに、一言、送られてきた。
「お金に困ってる訳じゃないから。心配しないで」
らしい。
それはそれで心配なんだけどね。 絵里「店長命令。寛ぎなさい」
真姫「どんな店長よ」
まあ、本人が言いたくないことなら言わなくていい。
言いたくなったら言えばいい。
そこではじめて相談にのってやればいい。 厳しさは優しさだ、とか、甘やかすのは真の友情じゃない、なんて言うけれど、それなら人の感じる「優しさ」とはどこにあるのだろうか。
嫌なこと、目を背けたいことを見せ付け、押し付け、未来のためだと克服させることだけが優しさなのだろうか。
それは間違っている。
本人の意志を尊重し、その支えになってやる。それが優しさだ。
自分勝手に自分の正義を押し付けて自分の思う成長を押し付けるのは、優しさを盾にした自己主張でしかない。
その時が来るまで、待ってやるのが真の友情であり、優しさだと思う。
今はテレビでも見てればいい。
──
── 絵里「あそこにこんなお店あったのね」
真姫「割と有名」
絵里「へえ。美味しそう」
真姫「大袈裟な演技とそれらしくみえる撮影で誤魔化してるだけよ、あれ」
絵里「そういうもの?テラテラ光る脂とか最高に食欲がそそられるけど」
真姫「値段張ってるだけで硬いし臭いしそこらのファミレスの方がマシね」
絵里「ああ、行ったことあるの」
真姫「まあ」 ホットチョコレート(真姫はホットコーヒー)を飲みテレビを見ながらカウンターに腰掛けてだらだらダベっていると、11時過ぎに今日一人目のお客様が来た。
チリン。
絵里「いらっしゃい」
真姫「…ぃ」
真姫(これ私も?私もいらっしゃい?)
絵里(そうよ、さあ、勇気を出して、せーの) 真姫「…い、いらっ…ぃ」
「…ほほほ。新人さん?」
真姫「…あぅ」
絵里「そう。アルバイトの真姫ちゃん。どうぞよろしく」
真姫「…よろしく、お願いします」
「こちらこそ、トキです。どうぞよろしくね」 顔をしわくちゃにして朗らかな笑顔をみせるおばあちゃん。
トキさん。常連だ。
「真姫ちゃんも、制服がよく似合うねえ」
クリーム色と茶色を基調とした衣装で、下半身は腰から下はくるぶしの上程まであるロングスカート。上半身はメイド服まではいかないが多少フリルをつけたりとこだわって作った長袖のもので、キュートさと上品さのバランスに凝っている。 それからシュシュ。これに合わせて購入した焦げ茶のシュシュで、開店時間前にツインテールに結いてやった。
自分のために作ったいわゆるオーダメイドだけど案外赤髪の真姫にも似合ってる。
可愛い。
真姫「…あ、ありがとう…ございま…」
「…ん?」
耳が少し遠いので聞き取れなかったらしい。
絵里「ありがとうだって。まだ今日入ったばかりで、真姫ちゃんは照れてるの。恥ずかしいって」
「ははは」 ゆっくり、だけど慣れた様子でトキさんは窓際の席に着く。
何も言わずに私はホットチョコレートとチョコレートケーキを用意する。
どちらも出来合いのものを盛り付けるだけなので数分とかからない。
トレーをとろうと振り返ると、真姫が側まで寄ってきてじっと見ていることに気が付いた。 絵里「まあ、はじめは見ててもらえるかしら。勝手とか分かってほしいし」
真姫「…了解」
トレーにカップとお皿、フォークに、もう一つ小皿を乗っけてテーブルへ運ぶ。
絵里「おまたせ、はい」
「ありがとう」 絵里「あとこれ、珍しいチョコ見つけたから、チョコプリン作ってみたの。でも昨日のだから、ちょっと風味落ちちゃってるかもしれないけど…」
「まあ、嬉しい!昨日はゴメンね。傘を息子に貸しちゃってね、外に出られなくて」
絵里「うんうん、来てくれて安心した」
「心配かけて悪いねえ。じゃあこのプリン頂きますね」
絵里「召し上がれ。感想聞かせてね」
キッチンへ戻る。 真姫(……)
絵里(……何?)
真姫(…別に。常連さん?)
絵里(ええ。ほぼ毎日来てくれる方)
真姫(ふうん) 絵里(…)
真姫(で、絵里が移したわけ?あの口がチョコりそうな品々。飲み物もチョコなんて極めすぎでしょ)
絵里(移した?チョコ好きのこと?いえ、だってここチョコの喫茶店だし普通チョコ好き…)
真姫(メニュー見せて)
絵里(え、ええ)
真姫(……) 絵里(…まさか)
真姫(…茶色一色。チョコレートの海…)
絵里(ここがチョコレート喫茶って初めて知ったの)
真姫(どんだけチョコ好きなのよ…)
あれ、これいつまでこしょこしょ話してるんだろ。 真姫(あまりにも無計画過ぎたかも)
絵里「まあなるようになれ、よ」
真姫「…」 己の無知さに驚愕した真姫の要望で、キッチン周辺の用具の場所やら出来合いのものの場所やらドリンクの分量やらを教えていると、あっという間に時間が経った。
そろそろ。
「はい、ごちそうさまね」
絵里「プリンどうだった?結構自信作だったのだけど」
「すごく美味しかったよ。しつこくないんだけど、細切れのチョコがアクセントになってて楽しいね。是非また食べたいよ」
絵里「ありがとう!また作るわね」 プリン代とか言ってプリン代にしては高過ぎる料金を置いていこうとするトキさんの背中を押して、また明日、なんて言い訳をしながらにこにこの笑顔を見送る。
いい常連さんだ。
真姫「素敵な常連さんね」
キッチンの方へ戻ると勝手に皿洗いを始めている真姫が背を向けて言った。
絵里「ええ」 昨日とはうって変わった陽気な天気。穏やか日差しと平和な雰囲気の中、皿洗いをするはずだった手で頬杖をつく。
テレビを横目に、真姫の背中を見て、あたたかい気持ちになった。
まぶたが重くなった。
──
── SSはいいんだけど、休憩所でちょっと愚痴りすぎやね
なにも言わすサラッと投下してたら純粋な評価にもなるだろうに >>55
あそこはなんでもokの便所の落書きやから気にしなくてもええやん
わざわざ引き合いに出すのはやりすぎだぞ >>56
だすし、休憩所の愚痴をここに貼ろうと思ってるよ
休憩所でもぐだぐだうるさいからな 休憩所って何か知らんから純粋にこの話楽しめる。本当にこの喫茶店行きたいわ >>59
魔女の百年祭の別表記は笑だから自演ださwって思われて1に迷惑かけたくないならでてくんな
ガチ自演だったら知らん >>60
大丈夫、ちゃんと休憩所のレス貼るから安心してまっとき >>64
ガッ
このssの雰囲気めっちゃ好きだわ いい雰囲気だなぁ
どんな展開になっていくのかも気になるし純粋にずっと読んでいたい キチガイSSばっかだったので(それはそれでいいけど)こういう雰囲気なのが
たまには読めると嬉しい 喫茶店入ってドヤ顔で「ブラック」て注文しちゃうまきちゃんかわいいw 紙をめくる音が意識の外側から聞こえてくる。
夢が、段々と意識の中へ入ってくる。
自分が眠っていることを理解しはじめる。
ここはどこだ。その疑問の答えを思い出すと同時に顔をあげる。
……。40分くらい眠ってたみたい。 真姫は、何やら読んでいる。
真姫「……」
ぶつぶつと独り言を呟いている。
というよりは暗唱の口パク版かな。
あれ前に作ったレシピノートだ。 絵里「勤勉ね」
真姫「ひっ」
ガタッと大袈裟に椅子を揺らす真姫。
真姫「なっべべぺ別に勉強とか全然暇だっただけなんだからもうびっくりさせないでよ!」
絵里「っくくく」
真姫「笑わないでよ、もう!」 さて。
正午。
からかってむくれてしまった真姫のご機嫌をとるためにも、ここは絵里お姉さんがご馳走してあげましょう。
絵里「真姫、どれ興味ある?」
プイって効果音出そうなほどありありと拗ねる真姫。
真姫「…知らない」 絵里「真ー姫ぃー」
真姫「…コーヒー」
絵里「ドリンク以外で」
真姫「…知らない」
絵里「真ー姫ぃー」
真姫「…知らないの。任せるって言ってるの」
絵里「はいはい。オススメね」
真姫「ふん」
じゃああれで。 メニューさえ決まればちゃっちゃと取っかかる。
ぷいぷいしてる真姫も作業に入ると私をじっと観察していた。
彼女なりに責任感を感じているんだろう。
その責任感の裏に、彼女の言いたくないそれが隠れているのかもしれないと思った。 手慣れたもので、3,4分でそれは出来上がった。
絵里「一丁上がり。お食べ」
真姫「うん。…その、頂きます」 チョコレートパフェ。
スイーツは激しい競争。
その頂点の一角であるこの二種。
贅沢さ。全部載せ。スイーツ界で最も王者に近い存在。満足感でパフェに敵うものはない。
全世界に知られる、全世界が愛する、甘いスイーツの中でもとりわけ有名な、それでいて誰からも近いチョコレート。スイーツはチョコレート抜きでは語れない。
そう。パフェ。チョコレート。
この二者が生み出す驚異のコラボレーションは、口にした人をもれなく魅了するのだ。
競争に、戦争に、終止符を打つ。 真姫は、てっぺんのチョコレートアイス、チョコレートソース、刺さるように盛り付けられたバナナをスプーンに盛り付け、それらを運んだ。
私は思わず息を呑んだ。
真姫「…」
絵里「…」
真姫「…なにこれ、美味しい」
絵里「…ひひ」
どうやら、真姫の脳内ワールドでは玉音放送が響き渡り、ありとあらゆるものが泣いてよろこび、手を取り合って世界が笑っているに違いない。
思わず気持ち悪い笑みが溢れた。
真姫「…」
白い目で見られた。 真姫「冗談抜きに、美味しいと思う。コーヒーといい、ちょっとした有名店になれる実力あるわ。こんなにガランとしてるのは、明らかにアレよ」
絵里「…アレ?」
まあアレね。
真姫「宣伝不足」
別に有名になりたいから店を開いたのかというと違う。
有名なりたくないのか、憧れないのかと問われて全く違うと答えれば嘘になるけど。
そういうのはうんざりなの。 真姫「その…今はちょっと厳しい…いや、パパに頼んでちょっと宣伝してあげても」
絵里「いいえ」
自分で思っていたより冷たい声が出てしまった。
真姫「絵里…?」
何でもないというふうに続ける。
絵里「まあ、この静かな雰囲気も好きなのよ。下手に盛況して儲かったとしても時間が削られるのは嫌だもの。時間は買えない、て言うでしょ?」 真姫「…そうね」
言い訳がましい。
妙な沈黙。
短いか長いかも分からないような沈黙。
それを救うように、チリン、チリン、とベルが立て続けになった。 絵里「いらっしゃいませ」
真姫「い、いらっしゃいませ」
お昼時から、少し人が来始めるのだ。
真姫「あ、これ」
絵里「どうしたの?」
真姫「パフェ、全然食べてない」 絵里「ああ、こっちはいいから、食べちゃいなさい」
真姫「でも…」
絵里「こっちはあいだ見て適当に食べるから。美味しいうちに食べないとチョコレートパフェに失礼だしね。これから少し混むからお昼済ませちゃいなさい」
真姫「…うん」
絵里「ご注文はいかがなさいますか?」
真姫「…うん?お昼?パフェ?」
──
── ピークというピークもなく、ダラダラと人が入っては出ていく。
洗い物とテーブル拭きは真姫がほとんどやってくれた。
ケーキ出して、飲み物入れて、座ってテレビ見て、を繰り返していたらあっという間に夕方だ。
閉店は18時だけど、梅雨のせいで、30分ほど前からまた降り出している。
ぼちぼち片付け始める頃合いだろう。 絵里「真姫ー?」
雨の降る窓の外をじっと眺めている真姫に声をかける。
真姫「何?」
絵里「金庫の下に黒いバインダーがあるの」
真姫「うん」 絵里「金額数えて記入しておいて貰える?もうすぐ閉めるわ」
真姫「…分かったけど、早くない?」
絵里「雨だと人が極端に減るの。それに、この店って目立ちにくいから常連の方が多いんだけど、私が気分で早く閉めたりしているせいか、17時以降は人が少ないの」
真姫「ふ、なにそれ」
いい表情。
外をみる真姫ちゃんの表情が、暗かった気がしたから。
まあ気まぐれに閉店してお客さん少ないのはほんとの事。てへ。 絵里「あとは、そうね、適当に店内を箒でかけてもらえる?それでおしまい」
真姫「了解」
絵里「どう?初バイト初日は。楽しかった?」
あれ?自分で言っておいてなんだけど他にバイトってしたことあるのかしら。
真姫「…まあ、それなりに」
ツンデレだ。ツンデレ。
──
── 数日後。
真姫は毎日ここに来ているせいか、もう大体のことを一人でこなしている程には慣れていた。
私といえば、混んだときと調理が必要な注文を受けたときに動くだけ。
ひまーチカ。 トキさんに関しても私は挨拶こそするもののほとんど真姫が接客をしていた。
真姫「ここのお店のコーヒー、飲んだことありますか?」
「いいえ」
真姫「とても美味しいんです。チョコレートも美味しいけど、負けないくらい」
「へえ、私はコーヒーも好きだけど、メニューにあったんだねえ」
大分打ち解けたみたいだし。 「絵里ちゃんが褒められて笑ってるよ、ほら」
真姫「な、なな、別にコーヒーとかチョコとか大したことないし。その、普通と比べたらそこそこ食べられるってだけで、ああもう!」
「はは、なに、真姫ちゃんは、最近のつんでれってやつかい?」
真姫「ち、違いまひゅ!」
トキさん、物知り。
あと、流行りみたいに言ってるけど、それキャラ作りとかじゃなくて天然よ。 トキさんが帰られてしばし暇な時間。
お昼前。
真姫は自前のお弁当箱を広げている。
絵里「お昼ならいくらだってご馳走するのに」
真姫「お昼にチョコ系スイーツを食べるのはゴメンだって言ってるでしょ」 絵里「このツンデレ」
真姫「違う!これは絶対に違うから!」
えー。
美味しいのになあ、焼きチョコサンドイッチ。
アツアツカリカリの生地の中から溢れ出る、とろけるチョコレート。
口内から体内に楽園が広がっていくよう。 真姫「ねえ」
絵里「一口食べたい?」
真姫「じゃ一口」
サクッ。
真姫「…」
絵里「…」
なぜか真姫は頭を抱えた。 真姫「ねえ」
絵里「もう一口?」
真姫「じゃもう一く…じゃなくて」
絵里「ははは」
真姫「何この漫才」
絵里「乗ったの真姫じゃないの」
真姫「し、仕方ないでしょ、あんまりにも美味しそうに食べるんだから」
素直だなー。 真姫「漫才がやりたかったんじゃなくて、その、私にも、つくらせて…よ。そういうの」
絵里「…そうね」
確かに多少手順を踏むものは私が受け持っている。
ドリンクに出来合いしか任せていないけど、もう8割型の品は任せてしまって問題ないだろう。 残りの二割はにスキルが必要なもの。体で理解しなければならない。習得には時間が必要だ。
まあ真姫は真面目だし性格面ではは不器用極まりないけど手先は器用だから、100%マスターするのも遠くはない。
楽するためにも、この絵里チカ、直々に教えてしんぜよう。
──
── 絵里「そうそう、そんな感じ」
真姫「…こう?」
絵里「ん、ちょっと少ないかな。もうちょい」
真姫「…このくらい?」
絵里「うん、おっけー」 真姫「…見た目が悪い」
絵里「いえ、上出来よ。そこまでできていれば不快に思う人はいないでしょう」
真姫「…うーん」
絵里「あとは数あるのみ。回数重ねずして上達しないわ」
真姫「ま、その通りね」 時々来る人たちは私が捌きつつ、真姫は練習中。
かなりいい線いってると思うんだけど、目標の高い真姫は今いち納得がいかない様子。
後は回数重ねるしかない。 ブー、ブー。
真姫「ん」
絵里「電話?」
真姫「うん。ちょっと抜ける」
絵里「いってら」
聞かれたくないことだろうか。
まあ、電話を目の前で聞かれるのって恥ずかしいから、気持ちはわかるけど。
そそくさと二階へ上がっていく。 私は手を洗った。
結構天井が薄いせいか、そもそも小さな作りで直接空間を跳ね返ってくるのか知らないけど足音だとか大きな声とかは響いたりする。
手を洗っていたから聞き取れなかった。
降りてきた真姫の表情がまた暗い気がした。
真姫「お待たせ。この前のパフェも作りたいんだけど、教えてもらえる?」
何事もなかったように、真姫は言った。
絵里「ええ」
私もまたそう答えた。
──
── それから来た人の注文は私が監視しつつもとりあえず全部作ってもらってみた。
大体頼まれるメニューって決まってるの。チョコケーキとか、チョコパフェとか、チョコアイスとか、ホットチョコとか。
白米スムージーチョコ味なんて滅多に売れないからね。
パフェやアイスとか、盛り付けに少し工夫がいるものも、なかなか上手にやっていたので、もう安心して任せられそうだと思った。 絵里「はい、6時。閉店閉店。お疲れさーん」
真姫「お疲れ」
伸びをしていると、視界の端で真姫は当たり前のように金庫(ちなみにこれがレジ代わり)の前に立つ。
ん?
あー、真姫来てからここ数日早く閉めてて任せてたから。 絵里「真姫ー、もう時間だから、私がやっておくから上がっちゃっていいわ?」
真姫「別に、やっておくから。このくらい。5分もかからないじゃない」
絵里「そう?さんきゅー」
まあ確かに5分もかからないけど。
やってもらえるなら有り難い。掃き掃除でもするかね。
よっこらせ、と腰を上げる。 真姫「ね、ねえ」
真姫はお札をピラピラと数えながらこっちを見ずに何か聞いてきた。
絵里「何かしら」
真姫「明日、休みなんでしょ」
絵里「ええ。水曜日は定休日」
とりあえず照れていることは頑なに動かない視線からいとも簡単に勘ぐれた。 あんまり待ってやると「だから○○なの!ムキー!」とか逆ギレしちゃうからこっちから少し助け舟を出す。
絵里「それがどうかした?」
真姫「…ほら、えっと」
絵里「働きたくて仕方ないけど働けなくて居場所がない?」
真姫「な、私別に、そんな社畜じゃないし…」
おお。
あながち的外れという反応でもない。 真姫「え、絵里はどうなの?」
暇か?って意味だろう。
絵里「特に足りないものは無いし。するべきことは何もないわね」
真姫「…ふーん?」
お札をペラペラする手はいつの間にか髪の毛をくるくるする手にシフトチェンジしていた。
店閉め時に私を誘うタイミングを見つけようとしていたのかもしれない。
可愛い奴め。
絵里「どこか行く?」
真姫「ふ、ふーん?別にいいけど」
──
── どどーん!
これぞ肉!
これぞ贅沢!
これぞ食の深淵!
絵里「ハラショー!」
ステーキだ。
素敵だ!
真姫「テンション高い…」 この舌が肥えに肥えたブルジョアお嬢様が高く評価するステーキのお店。
テンションがあがらない筈がない。
絵里「ねえ、食べていい?食べていいのよね?」
真姫「勝手に食べなさいよ」
絵里「頂きます神様!」 ナイフをお肉様にあてる。
お切りさせていただぎすよ。
な……。当てただけでナイフが沈み込み、その厚い塊に断層が入っていくよう。
柔らかすぎる。
な……。断層から垣間見えるミディアムレアの絶妙な焼き加減が伺える赤い肉。溢れ出んとしみ出している黄金の肉汁。
長い年月を眠り、ミルフィーユのように重なり、莫大な価値のあるものを溜め込んできてそこに悠然と立ちはだかる姿は、化石や宝石を溜め込んだ地層に思えた。 これは食べる宝石か。
これこそが自然の生み出した奇跡。
真姫「…」
なにかしら真姫。
今私は自然を噛み締め、世界遺産をも超える体験をしようとしているのよ。
白けた顔をしていると目の前の宝石が盗まれるわよ。
私に。 さあ、今こそ食す時。
フォークを刺して。
いざ。いざ!
絵里「Oh.....」
最高。
他に形容しようがない。
口の中に天使が舞い降りて、オーケストラを演奏したとしても、ここまでの幸せは味わえないだろう。
生きててよかった。
真姫「…はぁ。何このアホ。恥ずかしいんですけど」 真姫「超恥ずかしかったんですけど」
絵里「まあ悪かったわね、でもあの真姫お墨付きのステーキなんてテンション上がらないほうがどうかしてるわ。実際この26年間で食べてきたお肉というお肉で一番美味しかったもの」
真姫「…さいですか」
お肉を堪能した後、映画館への道をぶらぶら歩く。
特に二人とも宛があるわけではなかったので、なんとなく映画でも見ようという話になった流れ。 絵里「ねえ真姫、他にも美味しいお店情報沢山隠し持ってるんでしょ?出しなさいよ」
真姫「別に隠してないし」
絵里「勿体ぶっているのね?ほら、全部制覇してあげるから一つ残らず教えなさい」
真姫「新手の脅迫?」
絵里「くっくっくっ。あらいざらい絵里姉に吐き出しな。さもなくば真姫の弁当箱に毎日入っている最高級プチトマトはチカ姉の胃袋行きだぜ」
真姫「ダサい…」
やれやれと額に手を当てる真姫。
つれないなあ。 真姫「思うんだけど、絵里、太らないの?」
絵里「まあ、増減はほとんどないかしら」
真姫「チョコ食べっぱなしでその体型…。新陳代謝相当激しいんじゃないの」
絵里「だからいくらステーキ食べても平気。いえ、今度はお寿司が食べたいわ。いい場所知らない?」
真姫「お寿司か…。まあ知らないことはないけど」 絵里「さっすが真姫ちゃんさしすせそ。今度一緒に行きましょうよ」
真姫「でも偉い金額になる。お寿司は特にこだわってるところ多いから。いくらなんでも」
絵里「…」
真姫「あっ」
金額。
お金。 そのことについては、私から積極的に言い出すことはないし、真姫も、何かしら察して口にすることはなかったのだろう。
なまじ予想が付いているだろうから尚更だ。
私は気にしなくていいという意思表示のためにも、明るさを意識して笑った。
絵里「いえ、お金なら使い切れないほどあるから平気」
真姫「…そう」 その時、タイミング悪く、反対側の歩道の10歳くらいの男の子が私を指さした。
「ままー、テレビの人がいるー!」
「こら、人を指差しちゃだめ」
「サインは?くれるの?」
「駄目。そんなジロジロみたら失礼でしょ」
そんな声が聞こえた。 真姫にも聞こえたであろうその会話のせいで、私は笑い飛ばすこともできない。
あやふやにして、ふっ飛ばすには、メンタルがもたない。
真姫「あの、さ」
複雑な横顔を見せる真姫は、葛藤しているのだ。
優しさとは何か、と。 その顔が、不意に私に向けられる。
真姫「絵里にとって……さ」
街の騒音が、音を消す。
人の足音が、車のロードノイズが、軒を連ねる店々のBGMが、音を消す。
ただ、その声の先を待った。 真姫「…やっぱり、何でもない」
真姫は正面に向き直った。
音が動き出した。
絵里「そう」
私たちもまた、動き出す。 真姫は、何も聞かないと、葛藤の末に選んだ。
踏み込むべきではないと考えた。
所詮、それが正しいかどうかなんて分かりっこない。
ただあるのは、主観のみ。
私たちの答えは、私たち自身で決定するしかない。
絵里「映画、何見る?」
逃げているのか、真姫を思ってなのか、自分でも分からないようなことを聞いた。
真姫「何上映してるか見てから決めればいいんじゃないの?」 ──
──
館内に入ってさっそく見つけたポスターを指さして、真姫に提案する。
絵里「あ、これにしましょ。これ、気になってたの」
3週間くらい前からテレビやネットで話題になっていた作品。
機会があればと思っていたので、丁度いい。 真姫「どれ?ぅええ、スプラッター映画?!無理無理」
絵里「えー、真姫苦手?」
医学部って解体とかするんじゃないの?
思わず口を滑らせそうになる。 真姫「得意じゃないけど、さっきお肉食べたでしょ、お肉。チェンソーとかで切られて、どばーって出てくるんでしょ!あり得ない!」
絵里「そんなこと言ったら何も食べられないわよ」
真姫「いやー!グロテスク意味分かんない」
かなり苦手らしい。
残念だけど他の機会にしよう。 絵里「うーんと、それじゃあ」
当たり障りのないのは。
あ、これ映画化されてたんだ。
絵里「ねえ、このアニメ見てた?」
真姫「アニメ?」
──
── 見終わって、モール内をぶらぶら。
絵里「感゛動゛しだわ」
真姫「面白かったけど、泣き過ぎ」
絵里「特に抱き合うシーンなんて滝のように涙が溢れた」
真姫「ああ。山場の」
絵里「タイトル回収はズルいのよ。一期のOPBGMは反則」
真姫「ちょっと無理矢理感あったわよ」
絵里「ぐっと来なかった?」
真姫「…来た」 絵里「ほら」
真姫「…まあ。ていうか、二期通して、まるで進歩してないのに驚いた。一期しか見てないけど、キス目前みたいなものだったでしょ」
絵里「あら、二期見てないの?」
真姫「うん」
絵里「勿体ない!BD持ってるから貸したげるから見るべきね。特典映像も揃ってるしそれからCDの主題歌とかサントラも持ってるから貸すわ。むしろ借りなさい」
真姫「どんだけ好きなのよ」
言われてちょっと高ぶり続ける気持ちを鎮める。
目の前の棚に意識を移す。 絵里「あ、これ食べたことある?好きなの」
真姫「何?これ。ウエハース?ええと、チョコレート菓子、ね」
絵里「いちご味もまろやかでおすすめよ」
真姫「安」
絵里「駄菓子だからね」 真姫「へぇ…。絵里が使ってるチョコレートって、どうしてるわけ?取り寄せてるの?」
絵里「ええ。でもこうしてたまにスーパーとかに行って、気になる商品を探したりするの。それでチョコプリン作ってみたりね」
真姫「ふうん。研究してるんだ」
絵里「好きでやってることだから、好奇心とか向上心とか研究に必要な意欲には困らないわね」
真姫「そっか」
真姫は、どこか遠くを見た気がした。 それからしばらく、服やら雑貨やら物色していたら、太陽は落ちていた。
外が暗い。雨も降っているらしい。
ほんとこの季節は嫌い嫌いよ嫌になっちゃう。 自動ドアをくぐり、折り畳み傘を開きながら伸びをした。
絵里「んくー、歩き疲れたー!」
真姫「映画から基本立ちっぱなしだったし、絵里は普段座ってばっかだし」
絵里「足の疲れはアルバイト君の成長の証ね。姉さん嬉しいわ」
真姫「調子のいいことを…」
絵里「何よお、真姫が教えて教えてって言うから教えて任せてるんじゃない」
真姫「分かってる。冗談」 並んで歩く、駅までの道のり。
今日はおしまいか、なんて実感する。
物足りないような感情が、言葉になる。
絵里「夕飯、作るの面倒ね、遊び疲れたあとだと」
真姫「同感」 乗り気かな。
横目で様子を伺うようにその表情を見る。
私だって、真姫のことからかっていながら全然素直じゃない。
真姫と視線がぶつかった。
真姫「どこかで、食べてく?」
絵里「そうね」 それも悪くないんだけど、私は他の提案がしたい。
絵里「私の家来ない?」
真姫「家?」
絵里「ええ、まあいつものchoCOだけど。どこかでお弁当でも買って、一緒に二期見ましょうよ」
狭い部屋だけど、音響には若干こだわってるの。
なんて言い訳は、お嬢様の真姫には通用するはずもない。
ただ、このまま別れるのが、なんか物足りなくて。
誰かと遊ぶなんて久しぶりだったから。 一瞬だけ、真姫は嬉しそうな顔をした。
真姫「…」
絵里「あ、ごめん…予定あるわよね。考えなしに誘ってしまったわ」
黙った真姫に、反射的に謝ってしまう。
しかし、一瞬見せた笑顔は何だったんだろうか。
真姫「…ううん。長居しちゃうと、家がうるさいの」
絵里「…ごめんなさい、自分勝手なこと言っちゃぅて」
真姫「何を謝っているのよ、こっちのセリフでしょ」
くるくる。 煽りレスと擁護レス、昨日だけで結構がんばったから誉めてもいいよ 真姫「だから今度、お寿司。連れて行くから」
くるくるくるくる。
ニヤってなる。
口角が持ち上がるのを抑えきれない。
絵里「ねえ」
真姫「何よ」 絵里「手繋いでいい?」
真姫「…はぁ!?きっも!ちょっと触んないで!」
絵里「傷付くわ。友情の証じゃないの。ほらほら」
真姫「この年になって手を繋ぐとか常識的に考えて非常識!」
絵里「セーフセーフ。ほら、真姫ツンデレだし」
真姫「意味わかんない!」
──
── あれから、一駅先に降りた真姫と別れ、私はchoCO(chocolate coffee)最寄りのコンビニで幕の内弁当を買って、それを橋でつつきながら一人一期から見直していた。
一期も終盤に差しかかり、このまま二期に入るか、眠るかの究極の選択に悩んでいたところ、スマホの通知音が鳴った。
真姫からだ。
「今日は一日楽しかった。ありがとう。お寿司の約束忘れないでよね。また明日。おやすみ」
なんだかぶっきらぼうに細切れになってる文章に笑った。
鍵をかけて、スクリーンショットを撮って、寝た。
──
── 真姫が来てから二週間が経とうとしていた。
真姫は全メニューのレシピを制覇するだけでは飽き足らず、新メニューの開発に取り組んでいた。
絵里「真姫えもーん、お腹が空いて力がでない」(←意味不明)
真姫「絵里太君、新しいメニューだよ、テレレレッテレー、チョコドーナツ」(←乗ってくれた)
真姫「て何やらせるのよ!」
安定のノリツッコミ。
この巻毛、ノリノリである。 絵里「ええ。おいしいけど、やや揚げすぎじゃない?固さと油がくどいわ」
真姫「これでも遅いか…ううむ」
絵里「とはいえ、普通にメニュー化できる完成度よ。美味しいもの」
真姫「そう?」
優秀な部下を持てて私はうれしい。
真姫一人に丸投げして二階にチョコパフェ貢がせて私はアニメ見ながらごろごろする日もそう遠くはなさそうだ。 絵里「ええ。あと、もうひと工夫あるといいかも。ちょっとシンプル過ぎるから、バニラエッセンスとか使って見たらいいんじゃない?」
真姫「なるほど。確かに合いそう」
絵里「ちょっと待ってね」
棚をごそごそやりはじめると、ドアベルが鳴った。
開いたドアを見て、あら、と声が漏れた。 絵里「いらっしゃい」
真姫「いらっしゃいま」
「絵里ちゃん久しぶりーん?」
真姫「…花陽?」
「真姫、ちゃん?」
絵里「ああ、そうだった、言ってなかったかしら」 真姫「花陽?!」
花陽「ま、真姫ちゃんがどうしてここに?!」
絵里「時々花陽は昼過ぎにここへ来てくれるの。真姫は2週間ほど前からここでバイトしてるのよ」
花陽「真姫ちゃんが絵里ちゃんの元でバイト!あ、アイドル再結成です!」
真姫「絵里ー!そんなこと一言も聞いてないんだけど!再結成じゃないわよ?どうして花陽がたまに来るって教えてくれなかったのよ!」
絵里「ど、どうしてもなにも何も聞かれなかったし答える義理は」 真姫「ああこの絵里ポンコツだー!」
花陽「もしも元μ'sの二人がここで働いていることが世間に知られればちょっとしたスクープだよ!」
絵里「くれぐれも口外しないで頂戴。ポンコツって何よエセチョコドーナツ」
二人とも落ち着いてー。 ──
──
花陽「白米スムージーチョコ味ください」
絵里「かしこまり」
言うなりミキサーやら器具を用意し始めた。
レアだから作り方が気になるけど今は目の前に座る花陽の事のほうが気になる。 真姫「どうしてここに?」
花陽「お散歩がてらかな」
真姫「…そうじゃなくて」
花陽「…ううん、はじめはここに絵里ちゃんがいると知って来たわけじゃないんだよ」 真姫「こんな目立たない店に来たら奇跡的に絵里がいたってこと?」
いけない。問い詰めるような口調になってしまった。
だが私のことをよく知っている花陽は気にする素振りは見せない。
どころか、頬を赤らめて左右の人差し指をつんつんしだした。
花陽「というより…白米スムージーがここで食べられるって噂を聞きつけて、はじめはここに来たんだ」
真姫「はぁ、なるほど」 白米スムージー。
聞き覚えがあると思っていたが、思い出した。
出店してたじゃない。
花陽「そう。まさかμ'sの誰かが作ってるとは思ってなかったけど、いたのは絵里ちゃんで。当てずっぽうの奇跡的な偶然って訳じゃないんだよ」
真姫「なるほどね。で、絵里に会いにくるためにもここに時々通ってると」
花陽「うん」 真姫「他の誰かは?」
花陽「μ'sの誰か?知らないと思うよ。絵里ちゃんに秘密にして、って言われてるし」
真姫「ふうん。どうして秘密にするように言われてるの?」
花陽「…さあ。花陽も知らない。けど…その…」 絵里「真姫ー、ブラックでいい?」
話を遮るような絵里の声。
真姫「…うん、よろしく」
あの耳ダンボ、しっかり聞いてるらしい。
まあ、本人のいないところでする会話の内容としては褒められたものじゃない。 ブラック、ホットチョコをカップに入れて、ミキサーをかけた白米の甘い液体をチョコソースで側面にリボンのあしらわれたカップに注ぐ。
二人の元に三人分のドリンク、それからささやかなチョコレート菓子の盛られた小皿を運ぶ。
ちなみに白米スムージーはドリンクにしてはかなり重い。普通に一食分いけちゃう。
絵里「只今お持ちしましたー」
花陽「ありがとう絵里ちゃん」
真姫「ん」
真姫はコーヒーを一口口にすると、またすぐに口を開く。
真姫「介護?」
花陽はまだ真姫の質問攻めにあっているらしい。 花陽「老人ホームで、人のお世話をしてるんだ」
真姫「対お年寄りだと、眼鏡のほうがいいの?」
ああ、その話ね。
眼鏡姿に戻った花陽を見れば、誰でも疑問を浮かべるだろう。
懐かしい黒縁の眼鏡を外して、眼鏡拭きで拭きながら、花陽は語った。 簡単に纏めると、花陽の場合、眼鏡をしている場合の方が老人に受けがいい、ということだ。
前に立って引っ張ることより、心のそばに寄り添って、支えてあげることを望んでいる人はきっと多い。
特に体や心が弱っている人には親身に寄り添ってあげないと、そのバランスを崩してしまう。
手を引っ張らずに、並んで歩くイメージで接する。
そのためには、眼鏡を付けた、ちょっと自信無さげなイメージのほうがちょうどいいらしい。
眼鏡を付けていると、心優しそうに見える、と言われて大人気なんだと。 真姫「どうやってそのことに気付いたの?」
花陽「単純に、花陽が仕事に不慣れなとき、寝坊しちゃってね。とりあえず寝室に置いてある眼鏡だけでも、っと思って、眼鏡で職場に行ったんだ」
真姫「それで、好印象だったの?」
花陽「うん、そうかもしれないし、どうだろ。私結局遅刻しちゃったの。まだその頃、気持ちばかりが突っ走ってて、何度もミスしてて、そこに遅刻で、相当落ち込んでたの」 落ち込んで花陽には向いていないのかとも考えた。
でも、そんな花陽を、多くの老人が心配をしてくれた。
とある方が「マイペースでいいんだよ」と励ましてくれて、涙が滲むほど嬉しかったんだそうだ。
真姫「立場が逆転してるんじゃないの」
花陽「恥ずかしい限りです」 その方に、眼鏡がよく似合うねって言われた。
そうしたら、今までの焦ってた自分が、滑稽で、バカみたいで、みっともなくて、ダサくて格好悪く見えた。
真姫「…格好悪くなんてない」
花陽「そうかな」
真姫「そうよ。そうじゃない。それは、自分なりに努力して、失敗して、それでも努力し続けた証じゃない。それを格好悪いなんて」
花陽「そうかもね」 花陽は、今までの私達の知ることのないような、どこか脆く儚い笑みを見せた。
それが彼女の成長であるのなら、その眼鏡を外すことはないのだろう。
花陽「でもね、これが私の見つけた一番のやり方なんだ」
眼鏡をつけて大人しくそばにいてあげることが、今の私のやり方なんだ、と。
それは、これ以上の上を望まない、今に留まることを心に決めている言葉のように思えた。 他人から見ればそれはやはり、単純に、眼鏡を付けたほうがなんか受けがいいから、やる気が出るから、程度の話にしか聞こえない。
逆になにいってんだこいつと馬鹿にするかもしれない。
多分、本心なんて本人以外到底理解できない。
だけど、彼女は確信している。
それなら、押してあげるしかない。
彼女自信が決めた正解なら、それ以外に答えはない。
理解できなくても、寄り添えなかったとしても、応援してあげることもまた、優しさなのではないだろうか。 真姫「…」
花陽が白米スムージーを吸った。
音をたてる。残りが少ない合図だ。
飲むの早い。 花陽「真姫ちゃんは、さ」
真姫「…何?」
花陽「支えられたい?引っ張られたい?」
真姫「……」
花陽「さて」
花陽は急に立ち上がる。
花陽「絵里ちゃんの顔どころか、真姫ちゃんの顔まで拝めて、花陽は満足です。ごちそうさま」
真姫「あ、ちょっと」 花陽「ばいばい。また来るね」
ちょっといたずらっぽい笑みを浮かべて、手を振りながら出ていった。
ちゃっかりテーブルの上に三人分の代金置いていってるし。
何が眼鏡だ自信ないだ。
真姫「…」
真姫は呆然と花陽の出ていったドアを見つめていた。
花陽のスムージーに対して、ブラックは一口しか飲まれていなかった。
──
── 三人とも過去になんかありそうな雰囲気…
続きが気になります パイオツカイデーなパツキン美人がやってる店がガラガラとかいう謎 >>178
店構えに一見さんお断りな雰囲気が出てると予想 特にSSの感想はない
と書くと慌てて誰かが擁護しにくる
↓ 雰囲気が良くて、世界観に引き込まれました。今後の展開も凄く気になります! >>180
年配の常連さんにタメ口接客なのはらしくて良いなぁと思った 10日くらい後。
あれから真姫は予定がどうたらこうたらで、何日か休んでいる。
出勤しても開店から閉店までフルで出勤しないこともあった。
けど今日はフルらしい。
暇なあまりテーブルの一つを占領してババ抜きを嗜んでいる。 真姫「またババ…」
絵里「ほらほら、このエリーチカにその6をよこしなさい」
真姫「…さあどっちだ」
絵里「…こっち!」
真姫「…ガーン」
絵里「ふっふっふ」 真姫「…ちょっと運ゲーで四連敗とかどんな確率?このババ折り目とか付けてない?」
絵里「醜い抵抗はよしなさい真姫ー」
真姫「…むむむ」
絵里「己の運のなさを悔むのね」
真姫「…むー」
絵里「おーほっほっほ」
……。
虚しく狭い部屋に高笑いが響いた。
うわーなんか恥ずかしい。 真姫は、つまらなそうに上半身を伸ばしてから机に腕を投げてうつ伏せになると、ぽつり、とつぶやいた。
真姫「ここ、儲かってるの?」 直接的な聞き方だ。
誰が見てもここが赤字であることは予想できる。
ならば、お金はどこにあるのか。
誰もが知る私の過去だ。
choCOをとりまくお金の話を口にするということは、私の過去について聞いているに他ならない。
褒められたものではないその過去と今に、私自身、目を逸らして生きている。
彼女は、どういう考えで、今まで避けてきたそれに触れようとしているのだろうか。 絵里「いいえ。見ての通りの大赤字。お客さんの数に比べて電気代はかかるし生ものは期限切れで大量にロスになるし出血多量で死にそうよ」
真姫「じゃあどうして、出血多量のまま続けるの?」
それは、現実から逃げて、残った金を浪費して、現状に甘えてるだけじゃないのかと、言外にうったえている気がした。
もっと純粋に質問しているのかも知れないし、咎めているのかも分からない。 何も気にしていない風に、私は答える。
絵里「そうね。それはここが寛げる空間だから、かな。チョコに囲まれて、ちょっと古めかしいインテリアに囲まれて、甘い香りに包まれたここが好きだからよ」
真姫「…」
これは単なる現実逃避だ。
世間と隔離して、私が主人公になって、趣味のチョコにかこまれて数少ない人たちとちょっと触れ合うだけの引きこもり。
先には「死」が待っている。
老い死ぬのが先か、あるいは金が尽きるのが先か、はたまた精神がいかれるのが先か。 真姫「…それで、絵里は満足なの?」
未来を切り捨てた選択、と言っても過言じゃない。
けれど、私は未来のない「現状」に満足している。
正確には、満足というよりは諦観だろう。
人混みは私には合わない。
絵里「?よくわからないけど、私はこのお店に満足しているわ。前にも言ったけど、お客を増やして忙しくしたいとは思わないし、自分なりに工夫を重ねてつくった店だもの」 真姫は、うつ伏せのままでもごもごとつぶやく。
真姫「…初めて、ここでバイトした」
絵里「雨の日のずぶ濡れの真姫ちゃんね」
真姫「じゃなくて。バイト。ここが初めてなの」
絵里「ええ」 真姫「コンビニとかファミレスとか、ありきたりなところだけど、見たり、場所によっては面接も受けたりした」
絵里「ええ」
真姫「……なんかさ、知らない人の輪に入って行くのがさ、嫌になった」
絵里「…」 真姫「…はははっ、なにこれ、幼稚園児じゃない」
絵里「…」
真姫「親の言うこと聞くのが嫌で、逃げて、医者も全部投げ出してんっ」
顔を上げて自虐に走りだす真姫にだまりんしゃい!と言わんばかりに白米スムージーチョコ味のストローを突き刺す。
自分を攻めなさるな。 真姫「……」
絵里「ネガティブ暴走させてもいいことないゾ」
真姫「…あんまり美味しくない」
絵里「ひどいチカ」
真姫「…」
絵里「…」
真姫「…はあ」 バタンと音を立ててうつ伏せになった。
真姫「働くってなんだろ」
絵里「さあね」
真姫「なんのために働くんだろ」
絵里「そりゃ、人によりけりじゃない?一人ひとり違って当たり前よ」
真姫「うーん」
ドアベルが鳴るまでの間、気の抜けた空気を二人で過ごした。
──
── 4日くらい後。
ちょっとしたトラブルが発生した。
いや、トラブルというには、トラブってないし、ハプニング?というにはびっくり感が足りないし…。
まあ、ちょっと心配になる案件が発生した。 最近出勤時間が少ない真姫ちゃんだけど、休みとか遅刻の連絡を欠かすことはなく、必ず連絡してくれていたの。
今日は、10時半を過ぎても連絡がない。
寝坊だといいんだけど。
頭に入ってこないテレビの前に頬杖を付いて座っていると、チリンという音がした。
はっとドアに注目する。 絵里「あ、いらっしゃい」
「どうもね」
…トキさんだ。
別にがっかりしたわけではない。ささっといつものを準備する。 絵里「まいどとうもー」
「おや、今日は真姫ちゃんはお休みかい?」
絵里「ああ、あれ多分寝坊してるのよ」
「そうかい。はっはっは」
トキさんは、いつもより10分くらい長く残った。
「心配だねえ」
絵里「ああ、私、連絡してみるわ」 トキさんを見送ったあと、2,3度電話をかけてみたものの、反応はなかった。
メッセージにも既読の文字はつかない。
なんだか心配になってしまって、15時きっかりに店を閉めると着替えて財布と携帯だけ持って傘をさして出た。 以前真姫が降りていた駅から察するに、まだあの病院の敷地と連結された屋敷みたいなところに住んでいるんだろう。
そう思いたい。
けれど、屋敷を目前にして、私は気付く。
以前から真姫は、医者を押し付ける親に反抗的だった。
そういったものが原因で、今真姫が、アルバイト等に逃げているのだとしたら。
本来真姫が通っているはずの大学院やら何やらに通わずに一日アルバイトをしている理由が家族絡みのことであるとしたら。 いやそうでなくても、元μ'sの私はこころよく思われていないのではないか。
ましてやアルバイト先の店長だ。そこまて知られているとは思わないけど、私が下手なことをすることで真姫の自由を奪うのはなんとしても避けたい。
元音ノ木坂アイドル研究部の私が真姫が反抗しているこのタイミングで家族に顔を見せれば、変に勘繰られることは間違いないだろう。 私は、なるべく傘で顔を隠して、門から少しだけ離れた電柱のそばで、携帯を握りしめて2時間ほど待った。
真姫らしい姿はこれっぽっちも見えなかった。
もう2時間、ぐるぐると最寄り駅と呼べそうな範囲を歩き回ったけど、姿はなかった。
寒いしへとへとだったから諦めて家に帰った。
そして20時過ぎ。 「心配かけてたらごめん。急用で休む連絡出来なかった。明日は行くから」
一通のメッセージで、心が休まるのを感じた。
鍵かけてスクショして寝ようかと思ったけど、もうひと仕事。
明日の準備しなくちゃ。
フラフラする体に鞭を打ちながら仕事を終えて寝た。
──
── チリンチリン。
あ、元気そうだ。
絵里「おはよう」
真姫「おはよ。…その」
絵里「んー?」
真姫「昨日は、ごめん。心配かけて」
絵里「全然平気よ。元気そうなんだもん」
真姫「うん」 真姫は木でできた区切りみたいなドアをキィと開けて二階にとてとてと上がっていく。
安心したら眠くなっちゃった。
……。
真姫「絵里」
絵里「…真姫、あれどうしたの?」
いつの間に。 真姫「どうしたのじゃないわ。寝ぼけてるの?疲れてるの?」
絵里「んん、ちょっと眠いだけよ。おやすみ」
今度はうたたねする感じじゃなくてカウンターにうつ伏せになって完全に眠る体制に入る。
真姫「…絵里」
真姫が無理矢理上体を起こしてくる。 絵里「何よぉ、眠たいのに」
真姫の顔が近付いた。
おでこをぴたっとされた。
風邪?ひいてないひいてない。
真姫「絵里、立てる?」
絵里「ほえ?」
立つ?どこいくの? 真姫「…もう、こんなフラフラな状態で。ほら、肩持って」
どこ行くんだっけ?
なんか意識が薄くて、気がついた時には、見慣れた天井を見上げていた。
私、熱出してるんだ。
昨日濡れたからかな。
日頃の疲れが出たのかも。
真姫ちゃん任せで働いてないけど。
…今日のお店は?私も降りないと。 真姫「こら、なに起き上がってんのよ。眠いんでしょ?眠りなさい」
絵里「仕事は?」
真姫「そんな状態で仕事してお客様に移したら店壊されるわよ」
絵里「でも…」
真姫「でももくそもない。店はとりあえず私ができることやっておくから、大人しく寝てること。返事は?」
絵里「はいぃ」
真姫「よろしい」 絵里「あ、真姫」
真姫「ん?何?」
絵里「行くの?」
真姫「え?」
絵里「さびしいよ」
真姫「…は?」
絵里「…一人は、さびしいよ」 真姫「…」
絵里「真姫い」
真姫「…何、こいつ」
枕元まで来て正座で私の顔を見下ろしていた。
側に来てくれたのを嬉しく感じた記憶を最後に、私は眠りについた。 時間は覚えていないが、まだ日が低くない時間帯。
顔をあたたかいおしぼりで優しく撫でられている感触で目をさました。
絵里「…真姫?」
天井を背景に、巻毛を垂らした真姫の顔がある。 真姫「おはよ。目、覚めたんなら飲んで。汗かいてるから」
絵里「ええ」
寝た体勢のまま、カップを手渡される。
肘だけで上体を微妙に起こして、コップに口を付ける。
ホットチョコレートじゃなくて、この味はポカリだ。 真姫「おかわりは?」
絵里「いらないわ」
真姫「何かある?トイレ行きたいとか頭痛いとか気持ち悪いとか」
絵里「平気」
真姫「そ」
…あれ、そうだ、choCOは。
真姫「下なら安心して。スキルが必要とか言って教えてくれなかったメニューもバッチリ作ってやったわ」
絵里「あら」
なんか、面倒見られてるなあ。 絵里「ありがと、真姫」
真姫「ま、まあ、当然でしょ」
絵里「昨日とか、すごく心配したのに、かえって心配かけちゃって」
真姫「お互い様、ほんと」 絵里「だから真姫も、無理して心配せずに、おだやかに…あれ」
真姫「何言ってるのよ。もう。おやすみ」
絵里「ああ、うん」
何だったかな。
頭が回らない。
絵里「おやすみ」 ──
──
もう19時をまわっていた。
ようやく半分終わったか終わってないかという進捗具合にも関わらず開始から2時間が経過していた。
普段なら見ることも知ることもない仕事である、絵里のいう仕込みだ。
ここまで弱音を吐かずに頑張ったけど、これ以上の内容は、私には複雑過ぎる。
絵里には悪いけど、これ以上は手を出すべきじゃない。 失敗すればキッチンが爆発したり髪の毛ボンバーしたりする。
しないけど、このノートに書き込まれている表現が直感的過ぎて、まるで理解できない。
音楽でもなんでもそうだけど、直感で理解するというのは、相当に理解を深めた人だけがなせる業。
試しにつくって、ストックに混ぜてこの店の腕を汚すのは嫌だし、中には継ぎ足しのものもあるから、触れないのがベター。
美味しさの、見えない部分の努力の一片がここにあるのだろう。
私の知らない努力の上で、ここの味は成り立っているんだ。 眠っているといけないなら、なるべく音を立てずに階段をのぼる。
タオルと、ひえピタ、飲み物、ノート、白米スムージーチョコ味を持っていく。 ノートを朝あったリビングの机の上に戻した。
普段着替えに来るときはテレビのリモコンしか置いてないから、昨日から体調が優れなくて、その中この時間のかかる仕込みをバカ正直にこなした後疲れてノートを放り投げたんだろう。
あれ、絵里って毎日ノート見て確認してるの?
何作るときももう慣れててレシピ見ずに作ってるからイメージが沸かない。
意外。 リビングを出て、絵里の寝る寝室に入る。
すーすーとおだやかな寝息を立てて心地良さそうに眠る絵里がいて、胸が軽くなった。
今度は起こさないように優しくタオルで汗を拭ってやって、おでこを失礼。
もう熱のほうは大丈夫そう。 膝を床について一息吐くと、雲から差し込む月明かりを反射する絵里の寝顔が大人びて見えた。
客超少なくて基本テレビ見ながらホットチョコレート飲んでるだけだけに見えるけど。
店を作るために、必死で考えて、努力して、居場所をつくりあげてる。
それは、逃げじゃない。
立派な選択だし、「立ち止まりたい」意思があるなら、それは前を向いている限り前進って呼ばれるべき。
私みたいに、何もかもが嫌になって、なんの努力もせずに、自分の殻に閉じこもることもせずに、右往左往する。
この怠惰こそが逃げよ。
絵里も、花陽も、頑張ってる。
私も、頑張らないと。 絵里「…」
真姫「…」
朝の会話が、フラッシュバックする。
絵里『さびしいよ』
絵里『…一人は、さびしいよ』
真姫「…」
絵里の頬杖ばっかりついてる頬をつんつんと突いてみた。
絵里もまた子供なのだろうか。
私は、甘やかして欲しいのだろうか。 怖い夢を見た。
ひとりぼっちの夢。
幼稚園くらいの幼い私たちは、初めは9人で楽しく遊んでいるんだけど、ひとり、ひとりと音もなく姿を消していって。
だんだん、暗くなっていって。
私と真姫だけになった。
「あなた、キライ」
そう言って、どこか、一点の光に向かって走っていってしまう。
私はいくら追いかけても振り向いてすらくれなくて、真っ暗で何も見えなくて、転んで、そのまま闇に飲み込まれて、永遠にまわり続けて、怖くて、怖くて、悲しくて、悲しくて、
絵里「…っ」
天井。 月明かりと豆電が救いだった。
ああ、もうすっかり夜らしい。
目をこすりながら体を起こすと、白米スムージーの容器が目についた。
ああ、真姫。
「無理はしないこと」
小さなメモ用紙に、自然と笑みが溢れた。
──
── 3日後。
体調は万全。
ここ3日フルで入った真姫。
掃き掃除も終わらせていざ帰らんとする頃。
なんの前触れもなくその時を知らせた。 真姫「絵里」
絵里「何かしら」
真姫「アルバイト、もうやめる」
絵里「…急じゃない」
真姫「だって、タイミングがわからなかったし」
結構衝撃的だった。
悟られるのが格好悪い気がしてつい平然を装ったけど。 絵里「やりたいこと、出来た?」
真姫「医者。やっぱり医者目指す」
絵里「…そっか」
真姫「…その、絵里のお陰でもあるんだから」
絵里「あら、私何かしたかしら」 真姫「まあ、いろいろアドバイスくれたし、絵里も裏では、ってそんなのはどうでも良いの」
絵里「えー」
真姫「感謝してるってこと!だから、困ったこととかあったら、何でも言いなさい。ちょっとした臓器くらいなら、無料で提供しちゃうんだから」
絵里「金額が桁違い…」
真姫「給料いらないって言ってるのに振り込むし。半分はだらだらしてただけだから結構情けないの」
絵里「私の相手代ね、あえて言うなら」
真姫「…」
むっと膨れる真姫。 絵里「どうしたのよ」
真姫「…お金貰わなくたって相手するし」
絵里「…」
真姫「べ、別に友達とかそんなクサいんじゃなくて絵里が哀れだからそれくらい仕方なくしてあげるってだけなんだから!」
絵里「…」
真姫「何か言ってよこのニヤニヤヘンタイ!」 絵里「…臓器はいらないけど、そのかわり、一つお願い」
真姫「何よ」
絵里「たまにでいいから、ここに遊びに来てほしい」
真姫「…スプラッターの癖に生意気」
けれど真姫は、無邪気な笑顔を見せた。
真姫「仕方がないから、たまに遊びに来てあげるわ」
──
── 翌日らへん。
「真姫ちゃんはまたお寝坊かい?」
絵里「ううん、昨日やめちゃったんだ」
「あらまあ」
絵里「やりたいことが見つかったんだって」
「そうかい。さびしくなるねえ」
絵里「そうね」
「あの真姫ちゃんのつんでれの芸は、中々楽しかったんだよ」
絵里「うん。でも、アルバイトなんだし、移り変わっていくのは、仕方のないことなのよ」 真姫がいなくなって2,3日は、物静かで寂しいな、それだけの感覚だった。
5日、10日と、時間が過ぎるに連れて、心の穴が大きくなっていった。
リビングを開けると、一寸違わぬ場所に、私の予備の服が掛かっている。
結局新調することなく真姫用になっていたお揃いの制服。
つい癖で洗濯して掛けて、そのまま。
ゆらゆらと、夏の始まりの風に揺らされて、揺れ動いていた。
つまらなそうに。
ゆらゆら、ゆらゆら。 ぼーっと立ち尽くしていると、あの雨の中4時間くらい歩いて風邪をひいた記憶が蘇ってきた。
家に帰ってきて、よくやったわ、新メニュー開発。
チョコレートフォンデュ。
結局忘れててまだ未完成だけど。
プチトマトぶち込んでやろうとか考えてたんだったっけ。
意地でも美味しく作って驚かせてやるぞーって。
なつかしいな。ついこの前なのに。
どんだけさびしがりなんだろう、私。
──
── 真姫がいなくなってから多分2週間くらい経過したある日。
絵里「思ってた以上に白けちゃってね」
花陽「それだけ楽しかったってことなんだよ」
絵里「そうなのかしら」 花陽「うん。それで、真姫ちゃんとは連絡とってないの?」
絵里「とってるわよ。今は、学校の方取り戻すので精一杯みたい。お父さんにも厳しく監視されてるらしいし」
花陽「気の毒だけどなんの助けもできないのがなあ」
絵里「その道に自分から戻っていった真姫は、とても強いと思う。私には到底無理だわ」
花陽「真姫ちゃんは、絵里ちゃんあってこそ、その強さを持てたんじゃないかな」
絵里「私?何もしてないけど。いや本当に。仕事最終的に丸投げしてたわ」
花陽「へえ?」 絵里「何よ、それ」
花陽「別に」
絵里「…私は、見本として失格だから、力になんてなれないと思うの」
花陽「…過去のこと?」
絵里「ええ。それもそう。それに最近は、こんなことしてるけれど、結局のところ、8人が遊びに来る憩いの場になることを望んでるんじゃないかと思うの」 絢瀬絵里は、スクールアイドルμ'sの一員として、一躍有名になって、自分で言うのも何だけど、この見てくれの良さから、結構モデルとかテレビ出演をさせていただいた。
ずっと浮かれ気分で、特に消極的な感情を持つことなく、楽しんでた。
でも、ある時気付いた。いや思い出したんだろう。
上にはいくらだって上がいる。
時間が経つほどに影は薄くなる。
年齢を重ねるごとに若い人が前に立つ。
そんな当たり前を、あのバレエで思い知った当たり前を思い出した。 そしてまた、そんな当たり前を受け入れられない自分が嫌になった。
そうしたら、自分の何もかもが信じられなくなって。
μ'sの名の力を借りて、楽して稼いだ自分の生き方は間違いだと気付いて。
背負いきれない借金を負ってしまったと確信して。 花陽「いてもたってもいられなくなって姿を消したんだね」
絵里「ええ。姿を消したように知らせてほしいって頼んで辞めただけだけどね。お金払って」
それからしばらくニートして、精神が悲鳴をあげたから、ここを建てた。 絵里「どうしてわざわざ店を開いたのかって言うと、私のささやかな憧れでもあったの。人混みは嫌だから、世間と離れたこじんまりした、穴場的な小洒落たカフェ」
花陽「いいよね。カフェ。おしゃれで素敵だもん」
絵里「それから、人との関わりが、少しは欲しかったのよ。いくら世間が合わないと言っても精神が病んじゃう」
今になって思えば、来る人来る人に知った顔がないかばかり気にしていた。
それは知られるのを怯えて無意識にしている行為のようで、知ってもらえるのを待っていたからこそあらわれた行為かもしれない。
ずっと一人は嫌だと、心はとっくに悲鳴を上げていた。
いつか、奇跡が起きて、μ'sの誰かが知ってくれるんじゃないか。
きっとそんなことばかり考えてドアベルが鳴るのを待っていたのだ。 花陽「絵里ちゃんは、自分のことをそう考えたんだ」
絵里「ええ」
花陽「その結論が出せたのって、間接的には、真姫ちゃんのおかげだよね」
絵里「まあ、そうかしら」
花陽「そういうことなんじゃないかな」
押しかけるようにアルバイトしに来て、逃げるようにやめていった真姫。
一ヶ月足らずの間ここで働いて、私にもたらした影響。
それは何だろう。 花陽「絵里ちゃんは、甘いのと苦いの、どっちが好き?」
絵里「急ね。言わずもがな甘いのだけど」
甘い香りが漂うchoCOの中。
今日もカップにはホットチョコレートが注がれている。
花陽「ならさ、絵里ちゃんはそのやり方でいいんじゃないかな。みんな違ってみんないいんだから」
ね?と花陽はウィンクをかました。
──
── ──
──
チリンチリン。
絵里「いらっしゃい」
「ん」
カウンターの椅子から腰をあげてカップを用意する。
ピ、とボタンをワンプッシュ。
機械が豆を挽いて作ってくれるのを待つ、数十秒。
その間にもう一つカップを用意して、私の大好物のあれをホットポットから注ぐ。
こっちは注ぐだけだから超簡単。
豆が挽き終わるブザー音と同時に、2つのカップをいつものテーブルへと運んだ。 絵里「只今」
「ただいま」
絵里「おかえり」
「…ふっ」
絵里「自分で振っといて笑ってるじゃない」
「あんまり間なく繋ぐもんだからおかしかったのよ」
絵里「ねえ」
「何?」
絵里「新しいところ、見つかった?」
「見つけた。あそこのステーキ、絶品だから」
──fin── 周囲から逃げる事を選んだふたりが再会して、お互いに刺激を受けて現状に対しての答えを出す
全体の雰囲気とそんな流れが綺麗でとても良かった
お姉さんぶってたりおちゃらけて見せたり、相手の心に踏み込みすぎないように内心色々考えてても、結局は一番子供っぽくて寂しがりやなままの絵里ちゃんがとても可愛かったなぁ
素敵なお話読ませてくれてありがとう
お疲れ様でした 乙
最近頭おかしいSS多かったからこういうのがちょうど良い 疲れたときに読みたい内容だな
最後までいい雰囲気だったわ、乙 乙
この絵里と出てこなかったキャラとの関係も気になるな 偶然再開したえりまきがお互いに見つめ直すきっかけになるっていいね
SSの雰囲気もだけどきっちり書き上げて流してくれるのもすごい嬉しかった
乙 素敵な魔女に出会ってしまった。
過去作とかないのかな…? 乙ハラショー
このssのえりまきのやりとりほんと好き μ'sの名前で稼いだ金で商売っ気のない喫茶店経営と書くと何だかな
のぞにこや2年生達からはどう思われてるのやら だから他のメンバーと合わないようにしてるんじゃない? >>242
μ'sというかけがえのない時を過ごしたエリチにこんなこと言わせないで欲しい。
μ'sはただの過去の栄光だったのか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています