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▲日帝による民族精気蹂躙の現場である高揚西三陵(ソサムヌン)内「胎室(テシル)」

日帝による民族精気蹂躙の現場である京畿道(キョンギド)高陽市(コヤンシ)徳陽区(トギャング)元堂洞(ウォンダンドン)西三陵(ソサムヌン)(史跡第200号)内胎室(テシル)。
王族の胎(テ:胎盤とへその緒の総称、えな)を壷に入れて保管した埋葬地だった所だ。ここには朝鮮時代の王の胎室碑22位と王子、王女の胎室碑32位が両側に立ち並んでいる。胎室碑には主人公と建設時期、本来の位置などが記録されている。

キム・トクファン(60)西三陵胎室研究所所長は「全国各地の名山に造成された胎室は朝鮮王室で管理を任命、厳格に保管してきたが1928年、朝鮮総督府が民族精気抹殺のためにこちらに集めて洋式共同墓地のように作って毀損した」と話した。

当時の朝鮮総督府は「胎室が破壊される恐れがある」という名分を前に出して散って保管されていた王と王孫の胎室54位を掘りおこしてこちらに移し西三陵胎室を作ったとキム所長は説明した。

日帝は当時、花崗岩の材質の缶で胎壷を保管し、私たちの伝統的造成方式の胎函を暴いてセメント函に変え、胎室周辺に日の字型で堀を作って民族精気を抹殺しようとした。

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▲西三陵胎室の中央ブロックが撤去される前の姿。日の字形のブロック塀は日帝を象徴するという。[写真:西三陵胎室研究所]

その上1996年、文化財研究所が鉄製の塀をなくすなど倭色が濃厚な胎室を整備したが、まだ胎室の規模や内部施設などは正確に明らかになっていない。当時、発掘された胎壷などは現在の国立博物館に保管されている。

キム所長は「朝鮮末期まで全国130カ所余りに胎室があったが、元の状態で保存された胎室は現在の全国10カ所余り程度」として「長期的には国家次元で胎室に対する歴史的考証を経て胎室を本来造成されたところに復元しなければならない」と話した。

西三陵は代表的な朝鮮王陵の一つだ。陵周囲のあちこちには「赤松」が群落を成している。世界文化遺産にふさわしい広大な芝の丘陵地の上に位置した王陵の姿は威厳が感じられる。

チョン・イクチン記者

ソース:中央日報] (韓国語) 日帝民族の精気じゅうりん現場、高揚西三陵(ソサムヌン)「胎室」をご存知ですか
https://news.joins.com/article/22884189
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