ドストエフスキーは穴を掘って埋める仕事を延々とさせれば人間の精神を破壊できると言った。
これはそのままの意味でもそうだがもっと違った意味がある。

本質への知覚力が高まれば今やっていることが完全に無意味、或いはほぼ無意味であることに気づいてしまう事が増えるだろう。
気づいてしまったならば、その仕事は穴を掘って埋めることと≒になってしまい、精神が破壊される。
つまり気づいてしまってはいけないのだ。今やっている仕事は意味があると錯覚する能力が高ければより社会適応は高いのだ。
もし全ての仕事が穴を掘って埋めることと変わらないと感じてしまったならば、もはやあらゆる仕事は出来ないだろう。

知ってしまう事に救いが無いという事はクトゥルフ神話でもテーマである。
探索者は正解を追い求め、知り、終わる。ご褒美は無い。
現在の人間はより知ること、知ろうとすることは絶対的善であると考えている、しかし本当にそうだろうか?