【覚醒】 今に意識を統一すること 【マインドフルネス】
マインドフルネス瞑想は効果がないという意見も少なからずある
効果があるとする論文もプラシーボ効果を排除できていないという指摘がある
そもそも最近流行しているマインドフルネス瞑想のやり方は不十分という話もある
「今この瞬間に判断せずに集中する」というのは最初の段階であってその先があるらしい
だが宗教板によれば、正しい指導の下でマインドフルネス瞑想をやっても、禅定に入る人はかなり少ないという
となると、マインドフルネス瞑想は、自己啓発としてはあまり役に立たないのではないか
脳を休めたいなら昼寝した方が早いかもしれん 経験が無かったり浅かったり、三昧やゾーンに入る経験がないから分からない。
そういう人は黙ってればいいものを、自分が経験がないからって、
安易に否定するような意見を書き込む。
こういうのがスレの進行状、一番邪魔なんだよね
経験じゃなくて、頭で考えちゃってる。
マインドフルネスが論理的にわかるわけないし、分からないからこそ
論理的に否定しちゃう
そういう人は分かってる人から見ると非常に低レベルに見えるんだけど、
そういう人ほど、人を見下してくるんだよな。
こういう輩は厄介だよ だいたい、低レベルな人ほど、意図的に思考を停止させる行をすることが、
無我になるための行だと勘違いしてる
こういう人はこのスレのレベル外の人だから、
ここに書き込む資格がない
基本がわかっていない。
まず、真のマインドフルネスにとって、有思考であろうが無思考であろうが関係ない。
肝心なのは、それに捉われないこと
低レベルな人は「不動心」という言葉を勘違いしてるからよく分かる。
低レベルな人は、不動心というのを、何があっても心が動かない、思考が動かないと思ってる
真実の「不動心」というのは、ありのままにおいて一切の捉われが動かない、働かない。
ヴィパッサナーが「あるがままを観察する」と言ってるのを、よくよく留意しないといけない
ここが一番肝心なところで、低レベルな人は意図的に結果を引き寄せようと、
常に我の力みが生じてる
瞑想中に、集中しよう集中しようと、力んでる
その力みの結果、いったん良い境地と思われるような状態になるかもしれない。
だけどそれが、自己暗示の類とほとんど変わらない
この勘違いは真のマインドフルネスと180度方向性が違うので、そういう人はこういう
ハイレベルなスレに書き込まない方がいい。 不動心は昼寝では身に付かんかもしらんね
ちなみに、仏教ではもっと高尚なところを目指すんだろうが、
自己啓発としてのマインドフルネスは、
ストレスの軽減と感情のコントロールができればいいのではと思う
それでも普通の人には簡単ではないと思うが マインドフルネスを仕事に応用する観点からひと言
よく知られているように、マインドフルネスはパーリ語のsatiに当てられた英訳で、
中国や日本では昔から「念」の漢字が当てられてきました
「マインドフルネスな仕事」は「念入りな仕事」「丹念な仕事」と言い換えてもかまいません
「念入り」「丹念」を辞書で調べると「細かいところまで注意を払うこと」「心を込めて丁寧に行うこと」といった意味が出てきます
仏典に出てくるsatiの意味は「(煩悩に巻き込まれないように)注意すること・心を保つこと」です
ここ20年で広まった「気づき」という訳は、キャッチーですが、このへんのニュアンスが見えにくい
逆に言えば、マインドフルネスに絡めて「気づきのある仕事」という言葉が出てきたら、
それは「発見の多い仕事」という意味ではなく「注意深い(丁寧な)仕事」の意味でなければなりません
「注意深ければぼーっとしてるより発見が多いだろ」ということも言えるでしょうが、発見自体は必須ではありません 「気づきのある」を「見落としのない」と捉える場合は問題ないでしょう 仕事でやらなければならない事に関してどうしたらいいのか一日中考えてしまっています
毎朝最低10分は座ってマインドフルネスの時間を取ってはいるのですが、考え事にはまりきって途中で諦めてしまう
この状態を変えたくてマインドフルに戻りたくてここに来ました 集中する気がない
とサティを入れてみてはいかがですか?
もしくは、生活習慣、食習慣、運動の有無、ストレス環境にあるなど、身の回りを見直してみるのもありかもしれません。 「この瞬間に意識を向け、評価せずにただ観ること」
「観る」というのは、見たり聞いたりするだけでなく、自分の動きを味わうようなことも含まれる。
自分の内面を観ても仕事にうまく取り組めないときは、仕事そのものに「気づき」を入れてみるのはどうでしょう。
例えば、10分だけ目の前の作業をじっくりゆっくり味わうようにやってみたり。 >>118
「集中できない」「仕事の事を考えてる」「職場の誰々さんが何々と言った事について考えて止まらない」「お腹が空いている」「右腕が痒いと感じている」
などなど、手当たり次第に自分が何を考えているかを実況する事に集中し、その状態を7分は続けられました。
10分の予定のうち、あとの3分は溺れてしまいましたが、7分集中できたのはかなり久しぶりで満足感がありました。
このやり方をもっと長くできるようにしたいです。
サティのアドバイスありがとうございました! 全てはこのままでいいんだ〜、ってのが、真のマインドフルネスなの
完全なマインドフルネスとは、真にありのままになった状態のこと
たとえば、何かに集中しようとしてる時に、イライラしてきたり、集中が浅くなったり、
散漫になってくると、あ〜、マインドフルネスに失敗した、と思うでしょ?
これはね、ありのままを受け入れられていない状態なの。
たとえば自分にとってネガティブな行動をとってしまった時に、あ〜、なんて自分は情けないんだ、ダメなんだ、
っていうのも、ありのままを受け入れられていない・・・ マインドフルネスじゃない状態と言える
マインドフルネスとは、「今ここ」にあることでしょ?
それは言い換えると、「ありのままの自分をそのまま受け入れる」 ということ
それが受け入れられないということは、「今の自分の否定」、ということになるよね
「今」っていうのはどんな時も「今」だよね?
イライラしてても、それが「今」だよ
そこに集中するとか、意識を置くとかじゃなくて、「受け入れる」ということだよ
これが真のマインドフルネス >>121
「受け入れる」というと肯定しているような印象があるけどそれって価値判断にならないの? >>122
素晴らしい
そういう突っ込みはいいね
受け入れるってのは、自分がそうでないものを無理やり
受け入れるってイメージがあるでしょ
それは非常に出来がたいし、出来たように見えてもいずれは破綻する
やってる最終もどこかに苦を感じてる
それはやっぱり受け入れる対象によるんだよね
今自分にないものを受け入れようとするか、今、まさにそこにあるものを
受け入れようとするか・・
後者は別の言い方をすれば、「許し(認める)」ということだよね
前者は逆に、「許さない(認められない)」ということ
たとえばネガティブな行為をして、あ〜、なんて自分はバカだったんだ、こんなことをして、
というのは、「今」を認められてない状態
「今」の拒絶だよね
反対に、こんな失敗してもいいんだよ、と、今の自分の失敗を認められたら、
それは「今」を許すということで、今のありのままに対して何の価値判断もはさまないということで、
マインドフルネスということになるんだよ
完全に今を認められたら(許せたら)、完全なマインドフルネスが達成されていると言える 「失敗してもいいんだよ」だと肯定の価値判断になってるのでは 許さない、認めない、という心理状態であっても、
そこでイライラしたり、モヤモヤしたりする感情をただ観察するのがマインドフルネスだと思うけど、
その結果>>123のような心境に落ち着くということはあるかもしれんね 基本的に観察はやらないといけないということだと思うんだよ。
ただ、その観察に、どれだけ価値判断が関与してるか、してないか、ってことだと思う。
>>124
それを意図的にやっちゃったらそうなるよね。
意図的にそういう風に思おうとか。
だから、それは結果論的とか、自然にそうなってて、確認作業的というか、
そういうことだと思う。
或る時、ネガティブなことが起こってマインドフルネスが上手く行かないと感じた。
だけど、いや、そういういや、このままでいいと言ってたな、って、自分をなんとなく許せたとする。
そうすると、今ありのままに抵抗が無くなるわけだよね。
すると、すーっと、その今を、抵抗せずに、ありのままに観察している自分がいる。
ネガティブをそのまま観察するというのがミソだよね。
普通は反射的にポジティブになろうとするでしょ。
良い心境になろうとする。
ネガティブな心境を否定するわけだ。
だからヴィパッサナーにならないわけだよ。
>>125
そのネガティブなありのままと、観察の間に、ポジティブなものを得ようとする
欲を挟まないということが大切だろうね。
そのままってのは普通に見ればいいわけだよね。
特段、何かテクニックのいるようなことじゃなくて、技巧を凝らすようなことじゃない。
みんなが考えてるよりもっと簡単で、単純なことなんだよ。
だけど、ポジティブを得ようとすると、そこに色んなものを挟んできちゃう。 「"ただ" 見よう」とか、「"ありのまま" に見よう」とかいう風に、
「ただ」とか「ありのまま」を増幅しちゃうんだよ。
力が入っちゃう。
なぜ力が入るかというと、ポジティブを求める気持ちが強いからだよね。
それはそれで反射的なものだから、すぐには治せない。
だから、基本はそういう力みはいらないんだってことで、上手く行かないときは上手く行かないことにあまり拘らずに、
力みが働いちゃってもいいから、少しづつ、観察というのは今このままでいいんだ、何も付け加えるものはないんだ、
っていうことを掴んでいけばいいんじゃないかな。
イライラしても、力みが入っても、上手くやろうと何かを加えない。
そのままでいいんだよ、
そのまま観察すれば。 マインドフルネス関連の本で何かおすすめってありますか?
瞑想をやり始めて1週間たつんだけど、やっぱりどうしても色んな思考が頭の中を右から左へ流れてきちゃって、自分の呼吸とチャクラに集中するので精一杯で……
頭がぽやーんとしてその後寝つきが良くなってるから瞑想としては多分成功しかけてるのかなぁと思うんですけど……
あと瞑想以外にもマインドフルネスのいい方法があるとしたら是非知りたいなぁって思って
画面上だとどうしても目が滑っちゃって情報があまり頭に入ってこないので、出来れば電子書籍やサイトじゃなく紙の本の情報をオナシャス…… マインドフルネスというのは葛藤が無いのが正解なんですよね、本当は。
葛藤というのは、目指しているものと、現状との、相違があるということです。
つまり、悪い状態を排除して、良い状態にしようとしてる。
こういうのは真のマインドフルネスからすれば、真逆の方向性です。
ここのところの理が分からないと、どんなマインドフルネスをやったとしても
上手くいきません。
瞑想した、スッキリした、上手く行った
瞑想した、イライラした、上手く行かなかった
上手く行かなかったから、上手く行かせようとガンバルわけですよね。
それで一時は上手く行くかもしれないが、またそれが崩れる時が来る。
良し悪しの壁に挟まれて、頭を交互にぶつけながら、歩いているようなもんです。
こういう理が分かったうえでマインドフルネスの行に入らないと、葛藤が大きくなって、最期は葛藤を繰り返しながら中途挫折するか、
悪い心境を無理やりねじ伏せて、良い心境になった気分を作り上げて、魔境に入っていくことにもなりかねません。
ただおそらく、チャクラなどのオカルティックな部分も求めていると思うので、そういう方向性なら
今話した内容は、あなたにとって全く無意味なものに感じるでしょう。
もしも今話した内容に少しでも興味があれば、まずはエックハルトトールの「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」を
読んでみてください。 生栗を一心不乱で50個剥いた!!
マインドフルネス出来た 生栗を剥かなくても
一心不乱になれるのが
マインドフルネス
まあ呼吸に一心不乱なのですがね
妄念がわいたら息を吐く
そのとき前頭葉が痺れ、妄念は溶けていく
これ自我の溶解です
慣れると、自我のわく瞬間と同時に溶解が起きる
いままたエゴが死んだかな、と気付く
気付きとは結果として知るものなのです 以前は、トラウマ、嫌な出来事、
罵りの言葉がフラッシュバックしてイライライライラしたり、
逆に流行のJpopが四六時中頭の中で再生されて
ウキウキウキウキしてました
でもこんなものに人生左右されてはダメですね
煩悩、幻想、夢、妄想のごとくなり、です
今ではどうでもいい妄想は脳内で溶解させてしまうことができます
本当に考えたいテーマだけ考えて、いらなくなったら
頭から削除できます
何も考えないときは、静かなものです 呼吸に一心不乱
妄念がわいたら息を吐く
そのとき前頭葉が痺れ、妄念は溶けていく
これ自我の溶解
慣れると、自我のわく瞬間と同時に溶解が起きる
いままたエゴが死んだ、と気付く
気付きとは結果として知るもの、これ行 imakokoの丹羽順子さん、あの人マスク全くせずにほっつき歩いて、配慮に欠けるノーマスクを視聴者さんに指摘されても完全無視。
挙げ句の果て、コロナ罹患。しかもコロナ後遺症に苦しんでおられる…
自業自得すぎて笑えてくるレベル…なに考えてるんだろ。ほんと浅はかな人。