鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 3
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一休さんのお母さんの遺書とされている手紙である。
一休和尚(くま注:漢字は旧字をPCで直でる字に変えた。*修業→修行 以外は、ほぼ原文の通り。)
大屋徳城先生 (大正2年)
『 第三回 梅の宿
・・・・・・・・
一休さんのまだ修行中のことであらうと思はれまするが、此のお母さんから一休さんへ贈られた手紙があり
ます。其の手紙を読んでみますると、どれ程えらかつた人であるかといふことが、すぐ分かるのであります。
其の手紙にはかように書いてあります。
我ら娑婆の縁つき無為の都におもむき候。御身よき出家に成り給ひ、
佛性の見をみがき、其まなこより、我ら地獄に落るか、落ちざるか、
不断添ふか、添はざるかを見玉ふべし。釈迦、達磨をも奴となし玉ふ
程の人に成給ひ候はゞ、俗にても不苦候。佛四十余年説法し玉ひつゐ
に一字不説とのた玉ひし上は、我と見、我と悟るがかんやうに候。
何事も莫妄想、あなかしこ。
九月上旬 不生不死の身
(千菊丸殿へ=一休さんへ)
かへすかへすも、方便の説をのみ守る人は、くそ虫と同じ事に候、
八萬の諸聖教をよみても、佛性の見をみかゝずんば、此の文ほどの
ことも解しかたかるべし。
これとても仮初ならぬ分れては
かたみともみよ水茎のあと
「我ら娑婆の縁つき無為の都におもむき候。」とかいてありますから、お母さんが今はのときに書いて、一
休さんに贈られたもので、いはゞ、遺言の手紙であります、其の中にかいてあることは、えらい見識の高い
ことでありまして、中々世の常の女のいふやうなことではありません。つまり、坐禪して、智恵の光を磨い
て、あつぱれの大宗師となり、お釈迦様も、達磨様も、自分の下部や、弟子位にするやうな大見識で修行を
して下さい。方便のためにお釈迦様がお説きになされたところにへばりついて本統の佛のみ教をも知らぬや
うなことでは役に立たぬ。八萬四千の御聖教は月を指す指のやうなものであるから、其の指たる御聖教の文
句に迷ふて、御聖教の本統の御心を知らぬようなことでは、誠にいひがひないことである。大に奮発して、
修行を心がけて下さい。わたしは只今此の世をたちて、未來へ赴くのでありまするが、わたしが、迷ふか、
迷はぬか。よくよく佛性をみがいた眼で眺めて下さい。わたしは不生不死と申して、二度と再び生まれも死
にもせぬ涅槃の道理を悟つたみであるぞよ。何よりも、人にたよらず。方便にとりつかず。我れと我が眼を
開き、我が心を磨いて、眞の佛道修行をなし給はれよ。これが、今はのときに申してをくかたみであるとい
ふ意味であります。』
「真面目な人」へ
此の世に生を受けて、今の君のままで時を過ごすのは残念でありましょう。
心を鎮めるのである。
君の怒り、苛立ち、焦燥は、自分に向けられたものでありましょう。
自分を知ろうとしなければ、君は一生、今のままでありますよ。
君は世界中どこにでもいる、粘着あらし君の中の一人なのである。
自分の毎日の憐れな書き込み全てを、寝る前に読み返してみるのである。
真面目な人に示す「あいうえお」歌留多を何度も読み返してみるのである。
其の上で、>>754 >>861を読んでみるのである。
∧_∧
(´・(ェ)・`)
(○) (ヽ∩∩ノ),、
ヽ|〃,,, “““ ““ ““ >>962
108
虚堂和尚三轉語 1/3
己眼未明底 こがんいまだ明らかならざるてい、
因甚将虚空作布袴着 なにによってかこくうをもってふことなしてつく
畫餅冷腸飢未盈 がびょうれいちょううえいまだみたず
娘生巳眼見如盲 にょうじょうのこがん見てもうのごとし
寒堂一夜思衣意 かんどういちやころもを思ふ意
羅綺千重暗現成 らきせんじゅうあんにげんじょう
くま訳(観念的理解へのこだわり)
いまだに見性できないでいる者は、なぜ虚空を衣服にしようとしているのか。
絵に描いた餅ちでは、わびしかろう、いまだ飢えを満たせまい。
少女が見性者を見ても見分けがつかない様なものである。
寒いお堂で一夜を過ごすときに衣のことを考えるようなものである。
美しい薄絹の衣(美辞麗句)をいくら重ねても闇が深まるばかりである。
*虚堂智愚:1185―1269南浦紹明 (大応国師) は虚堂の法脈を受けた臨済禅を日本に伝えた。
*転語:迷いを転じて悟りに至らしめる言葉
109
虚堂和尚三轉語 2/3
劃地爲牢底因甚 透者箇不過 地に画して牢と為す底、 なにによってかしゃこをとほり過ぎざる
何事春遊興未窮 何事ぞ いまだきわまらず
人心尤是客盃弓 じんしんはもっともこれかくはいのきゅう
天堂成就地獄滅 成就し地獄滅す
日永落花飛絮中 日は永しらっかひじょのうち
くま訳(錯覚)
地面を区切って牢としている、何でそこを通りすぎないのだ。
のどかな(言葉の)お遊びにいまだ飽き足らない
人の心は、盃に写る弓の影を見て、蛇だと錯覚したりする。
極楽浄土へ行けば、地獄は滅する
いつまでも、花が落ち、風に舞う綿毛のようであることだ。
*飛絮漂花(ひじょ):遊女などに身を落とすこと、女性がつらい境遇で、見込みもないまま苦労すること。
(´・(ェ)・`)
(つづく) >>972
110
虚堂和尚三轉語 3/3
入海筭沙底 かいに入りていさごをかぞふるてい、
因甚針鋒頭上翹足 なにによってかしんぼうとうじょうに足をつまだつ
撒土筭沙深立功 どをさっしいさごをかぞへて深く功を立つ
針鋒翹脚現神通 針ぼうに足をつまだて神通を現す
山僧者裏無能漢 山ぞうがしゃり無能の
東海兒孫天澤風 のじそんてんたくの
くま訳
海に入り、砂を数えている。何で針の先に爪先立ちするようなことをやるのだ。
土を撒き散らし、砂を数えて、大手柄をたてたつもりでいる。
針の飢えにつま先立ちして、神通力を見せる。
山僧者裏(修験道の行者)は無能であるため、
東海の子孫である臨済宗は、本来の目的以上の役割を託されてしまった。
*東海児孫:通常、大応国師南浦紹明をあらわす(83の詩 参)
*澤風大過:易の64の卦。力量以上に背負った非常時で、家の棟がたわみ家が傾くような大変な時を表す。
(参*円楽寺:修験道の開祖、役行者が701年に開いたと伝えられる真言宗智山派の寺院)
(´・(ェ)・`)つ >>970 ありがとうなのじゃ。実践あるのみなのぢゃ。 >>973 くだらないのう。精神病院に行くが良いのぢゃ。 本物かどうかわからんが母上はかなり偉いものじゃな。
方便と悟りをよく弁えているのじゃ。
今の僧でさえ区別がつかないものばかりであるのにのう。
えらいことじゃ。 >>977
うむ。
「釈迦、達磨をも奴となし」という一節は無門関 第45則を引用してるらしいであります。
一休さんが書いたものとの説もあるようであります、
いずれにしても、一休さんはすごいであります。
此のスレが終わったら、どこかで、一休さん講読会を続けるでありますが、その際は、仮名法語等も
取り上げる予定であります。
(´(ェ)`)b >>978 糞スレは早くやめるのが仏教なのじゃ。
もうこのシリーズはやめなのじゃ。 .
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/ .人
/ (__) パカ
/ ∩(____) やぁ!
/ .|( ・∀・)_
// | ヽ/ 糞スレ終わりだねw
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