謹んで長く修行をしている人に申す
坊主は淫らな行為をするのである。
堂々とした態度で穏やかに人にせまるが、実は貧弱なのである。
古則公案を習得するのは家業である。
愧ずべきは、その知識を振りかざして、妄りに慢心長ずることである。

自分の糞が臭いことに、気づくことは少ない。
他人の欠点に気づいたら、それは我が身を映す鏡であると明らかにとらえろ。

一休の言う通りじゃな。
今の臨済宗の坊主がセクハラをすることさえ見通していたのじゃな。
昔から続いていた伝統とはセクハラ禅なのじゃな。