>>641
21
看森美人午睡

一代風流之美人 
艶歌清宴曲尤新 
口吟腸断花顔顰 
天宝海棠森樹春

一代風流の美人 
艶歌清宴曲尤(もっとも)も新たなり 
新吟腸は断つ花顔の靨 
天宝の海棠(かいどう)森樹の春

・くま訳
森よ!美人の午睡する姿を看ながら詠む
一代風流の美人。君のことだよ。
艶のある清らかな歌声は、なによりも若返らせてくれる。
君の歌声を聴くたびに、胸が張り裂けそうだ。ほころぶ笑顔、たまに見せる影。
海棠と讃えられた楊貴妃よりも美しい天の宝だ。花曇りする春の森のように美しい。

森さんのことを詠んだ詩は他にもたくさんあるのであるが、
>>620 の 13 のしの前に二首あるのである。

22
吸美人淫水
密啓自慙私語盟
風流吟罷約三生
生身堕在畜生道
絶勝潙山戴角情
美人の婬水を吸う
蜜に啓し自ら慚(は)ず、私語の盟、
風流、吟じ罷(や)んで、三生を約す。
生身堕在す、畜生道、潙山戴角(いさんたいかく)の情を超越す。

・蜩c聖山訳
他人に言わない内緒の話    
歌の生涯 三世の誓
素肌まさぐる けもの道
あっぱれ潙山のコッテ牛   

*潙山戴角情・唐代の禅僧、潙山が死ぬときに、どこへ行くかと聞かれたことに答えて、角を生やした(戴角)雄の水牛(牛水牯)に生れ変わる=死んでも説法を続けると言ったと言う故事。

23
杜牧磊苴是我徒
狂雲邪法甚難扶(たすけがたし)
為人軽賤滅罪業(きょうせん)
外道波旬幾失途(はじゅん)

・くま訳
私の詩は、晩唐の詩人、杜牧はの作風、磊苴(らいしょ=わいせつ、なこと)に、倣ったのである。
私の邪法は、極めて救いようが無い。(あるいは難しい)
軽率で愚かな人となり、罪業を滅しようとするのであるが、
異端の悪魔は幾度も道に迷わせるのである。

22の詩は、もはやエロじいちゃん心臓とまらないかいと心配になる勢いであるが、
これらの詩の後で、「臨済児孫不識禅」>>620 と詠んでるのである。
すごいのである。

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