>>2
> 非個人性(アヴィヤクタ)は関係性のなかでの幸福のために個人性(ヴィヤ
 クタ)となる。
> 生のなかで、個人性は非個人性のなかに溶け去る。
>これらすべての観念は目覚めの状態に属するのだ。
↑これは、どういう意味でありましょうか?
>>5
> 視界のかすんだ人は、あなたがいかに彼に見るように促しても樹の枝の上に
 いるオウムを見ないだろう。
 よくても、あなたの示す指を見るくらいだろう。
 まずあなたの視界を清めることだ。
 じっと見つめることよりも、どう見るかを学びなさい。
 そうすればあなたはオウムを見るだろう。
↑これは、視界のかすんでいるひとは放っておいて、自分の視界を清めなさいと言うことでありましょうか?

(´・(ェ)・`)つ