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『I AM THAT 私は在る』
【33 すべてはひとりでに起こる】

 質問者 ふたたび助けを要している人の話に戻りますが、彼があなたのもと
 に来たとします。
 マハラジ
 もし彼が来るなら、助けを得るのは確実だ。
 なぜなら彼は助けを得る宿命で来たからだ。
 何も空想的なことではない。
 ある人を助けて、別の人を拒むということは、私にはできない。
 皆が救われる。
 それが法則だ。
 ただ必要によって助けの形が異なるだけだ。
 質問者 なぜ彼はアドバイスを得るためにここに来なければならなかったの
 でしょうか? 彼は自分の内面からそれを得ることはできないので
 しょうか?
 マハラジ
 彼はそれを聞かないだろう。
 彼のマインドは外側に向かっているからだ。
 だが、すべての体験はマインドのなかに在る。
 彼が私のもとに来て助けを得ることも、すべて彼のなかに在る。
 彼自身の内側に答えを見つけるかわりに外側からの答えを想像したのだ。
 私にとっては、私はなく、人もなく、与えるということもない。
 すべてはマインドのなかの光のきらめきにすぎない。
 私は永遠の平和と沈黙だ。
 そのなかには何も現れない。
 なぜなら、現れるものはすべて消え去るからだ。
 誰も助けを求めず、誰も助けを差しだしてはいない。
 誰も救われてはいない。
 それらはすべて意識のなかの現れにすぎないのだ。
 質問者 それでも救う力はそこにあります。誰か、あるいは何かがその力を
 表しています。神、真我、宇宙的心、名前は何であれ。名前はとも
 かく、事実が重要です。
 マハラジ
 これは「身体―精神」の見地だ。
 純粋なマインドはものごとをあるがままに意識のなかの泡としてみる。
 その泡は現れては消え、それ自体実在を持たずにふたたび現れる。
 それらに何の特定の原因を帰することもできない。
 それぞれがすべての原因であり、すべてに影響を与えているからだ。
 それぞれの泡が身体であり、それらすべての身体は私のものだ。
 質問者 あなたにはすべてを正しく行う力があると言われるのですか?
 マハラジ
 私から離れた力というものはない。
 それは私のなかに本来固有のものなのだ。
 創造力とも言えよう。
 ひと塊(かたまり)の金から多くの装飾品をつくり出すことができ、それぞ
 れがみな金として残る。
 同様に、私が何の役で現れ、どんな演技をしようとも、私は私として残る。
 「私は在る」は不動で、揺るがず、依存しない。
 あなたが宇宙、自然と呼ぶものは私の自発的創造性だ。
 何であれ、起こることは起こる。
 だが、すべては喜びのなかに終わるのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)