鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 3
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>>534
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経
四 心の中味のサティパッターナ
4. 七つの悟りの要因 (気づき、探求心、努力、歓喜、平静、精神統一、平安)
心の中味が存在する原因 と、実際に心の中味が出現するのを、いつも感じて生きるのです。
心の中味が存在する原因と、心の中味が実際に消滅するのを、いつも感じて生きるのです。
心の中味が実際に出現し、実際に消滅するのを、 原因 とともに、いつも感じて生きるのです。
つまり、魂でもなく、自分でもなく、わたしでもなく、心の中味のみが存在するという事実を、はっきりと自覚するのです。
この自覚が、洞察や気づきを着実にもたらすのです。
修行者は、渇望や 間違ったものの見方 から距離を置き、世の中の何ものにも執着しないで生きるのです。
これが七つの悟りの要因は七つの悟りの要因にすぎないといつも感じる方法なのです。
(七つの悟りの要因 了)
(´・(ェ)・`)つ >>535
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経
四 心の中味のサティパッターナ
5. 四つの真理 (四聖諦 : 苦、集、滅、道)
修行者は、四つの真理は四つの真理にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない、といつも感じて生きるのです。
では、どうすれば、四つの真理は四つの真理にすぎないと、いつも感じて生きることができるでしょう。
「これが苦だ」 と、苦を実際に自覚します。 (苦の真理)
「これが苦の原因だ」 と、苦の原因を実際に自覚します。 (苦の原因の真理)
「これが苦の消滅だ」 と、苦の消滅を実際に自覚します。 (苦の消滅の真理)
「これが苦の消滅への道だ」 と、苦の消滅への道を実際に自覚します。 (苦の消滅への道の真理 )
(四つの真理 了)
(´・(ェ)・`)つ >>536
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経
四 心の中味のサティパッターナ
5. 四つの真理 (四聖諦)
a. 苦の真理
苦の真理 とは何でしょう。
生まれることは苦です。
老いることも苦です。
死ぬことも苦です。
悲しみ、嘆き、肉体的苦痛、精神的苦痛、苦悩、これらも苦です。
嫌な人や嫌なことに遭遇しなければならないことも苦です。
愛する人々や好ましい物事と離れなければならないことも苦です。
得られないことを望むことも苦です。
つまり、執着を生む五つの集合体は、苦なのです。
誕生とは何でしょう。
ある種の中のある生き物として、誕生すること、生まれること、発生、受胎、存在の誕生、集合体の出現、感覚器官と認識領域を持つこと、これが誕生と呼ばれていることです。
(´・(ェ)・`)
(つづく) >>537
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経
四 心の中味のサティパッターナ
5. 四つの真理 (四聖諦)
a. 苦の真理(つづき)
老いとは何でしょう。
ある種の中のある生き物として、歳をとること、身体が衰えること、歯がなくなること、髪の毛が白くなること、皮膚がしわだらけになること、気力が失われ、感覚器官と認識領域が消耗していくこと、これが老
いと呼れていることです。
死とは何でしょう。
ある種の中のある生き物として、旅立ち消えること、破壊、消滅、死亡、寿命の終了、集合体の崩壊、肉体の破壊、肉体的生命力が破壊すること、これが死と呼ばれていることです。
悲しみとは何でしょう。
悲しむこと、悲しむ行為、心が悲しんでいる状態、内面的悲しみ、肉親や所有物の喪失による悲痛な内面的悲しみ、人が経験するさまざまな苦痛の状態、これが悲しみと呼ばれていることです。
嘆きとは何でしょう。
泣き叫び嘆くこと、泣き叫び嘆く行為、肉親の死や所有物の喪失により泣き叫び嘆いている状態、人が経験するさまざまな苦痛の状態、これが嘆きと呼ばれていることです。
(´・(ェ)・`)
(つづく) >>538
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経
四 心の中味のサティパッターナ
5. 四つの真理 (四聖諦)(つづき)
b. 苦の原因の真理
苦の原因の真理とは何でしょう。
それは渇望こそが、新たな転生を生むということです。
渇望は、たまたま生じたさまざまな個体の中、肉体的快楽の中に、大きな喜びを見つけ、味わい、我が物にします。
それは、肉体的快楽を求める渇望であり、よりよい生を求める渇望であり、解脱を求める渇望です。
そこには歓喜と執着が伴います。
この渇望が生じる時、どこで生じるのでしょう。
この渇望が定着する時、どこに定着するのでしょう。
この渇望が生じて定着する時には、喜び楽しむこの世の特性の中に生じて定着するのです。
(´・(ェ)・`)
(つづく) >>539
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経
四 心の中味のサティパッターナ
5. 四つの真理 (四聖諦)
b. 苦の原因の真理(つづき)
喜び楽しむこの世の特性とは何でしょう。
この世では、視覚は、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が生じる時には、視覚の中に生じるのです。
この渇望が定着する時には、視覚の中に定着するのです。
この世では、聴覚は、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が生じる時には、聴覚の中に生じるのです。
この渇望が定着する時には、聴覚の中に定着するのです。
この世では、嗅覚は、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が生じる時には、嗅覚の中に生じるのです。
この渇望が定着する時には、嗅覚の中に定着するのです。
この世では、味覚は、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が生じる時には、味覚の中に生じるのです。
この渇望が定着する時には、味覚の中に定着するのです。
この世では、体性感覚は、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が生じる時には、体性感覚の中に生じるのです。
この渇望が定着する時には、体性感覚の中に定着するのです。
この世では、心は、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が生じる時には、心の中に生じるのです。
この渇望が定着する時には、心の中に定着するのです。
(´・(ェ)・`)
(つづく) >>540
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経
四 心の中味のサティパッターナ
5. 四つの真理 (四聖諦)
b. 苦の原因の真理(つづき)
この世では、光景は、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が生じる時には、光景の中に生じるのです。
この渇望が定着する時には、光景の中に定着するのです。
この世では、音は、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が生じる時には、音の中に生じるのです。
この渇望が定着する時には、音の中に定着するのです。
この世では、匂いは、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が生じる時には、匂いの中に生じるのです。
この渇望が定着する時には、匂いの中に定着するのです。
この世では、味は、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が生じる時には、味の中に生じるのです。
この渇望が定着する時には、味の中に定着するのです。
この世では、感触を生むものは、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が生じる時には、感触を生むものの中に生じるのです。
この渇望が定着する時には、感触を生むものの中に定着するのです。
この世では、心の中味は、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が生じる時には、心の中味の中に生じるのです。
この渇望が定着する時には、心の中味の中に定着するのです。
(´・(ェ)・`)
(つづく) >>541
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 (大念処経) 又は 四念住 (四念処)
四 心の中味のサティパッターナ
5. 四つの真理 (四聖諦)
c. 苦の消滅の真理
苦の消滅 の真理とは何でしょう。
それはこの渇望の完全な停止と消滅です。放棄と廃棄です。渇望からの自由と分離です。
この渇望が放棄される時には、どこで放棄されるのでしょう。この渇望が止む時には、どこで止むのでしょう。
この渇望が放棄され、止む時には、喜び楽しむこの世の特性の中で放棄され、止むのです。
喜び楽しむこの世の特性とは何でしょう。
この世では、視覚は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、視覚の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、視覚の中で止むのです。
(´・(ェ)・`)つ >>542
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 (大念処経) 又は 四念住 (四念処)
四 心の中味のサティパッターナ
5. 四つの真理 (四聖諦)
c. 苦の消滅の真理 (つづき)
この世では、聴覚は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、聴覚の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、聴覚の中で止むのです。
この世では、嗅覚は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、嗅覚の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、嗅覚の中で止むのです。
この世では、味覚は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、味覚の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、味覚の中で止むのです。
この世では、体性感覚は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、体性感覚の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、体性感覚の中で止むのです。
この世では、心は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、心の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、心の中で止むのです。
(´・(ェ)・`)つ こんばんは、諸くま君。
予想ではとっくにDAT落ちしているはずだったのでありますが、幸いなことに続いております。
ちょぴっと、ネット的わけありで、講読会の進行が滞っております。
復旧次第、再会致しますので、
それまでの間、ご歓談ください。
(´・(∀)・`)つ >>543
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 (大念処経) 又は 四念住 (四念処)
四 心の中味のサティパッターナ
5. 四つの真理 (四聖諦)
c. 苦の消滅の真理(つづき)
この世では、光景は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、光景の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、光景の中で止むのです。
この世では、音は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、音の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、音の中で止むのです。
この世では、匂いは、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、匂いの中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、匂いの中で止むのです。
この世では、味は、喜び楽しむという特性を持っています。この渇望が放棄される時には、味の中で放棄されるのです。この渇望が止む時には、味の中で止むのです。
(´・(ェ)・`)
(つづく) >>545
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 (大念処経) 又は 四念住 (四念処)
四 心の中味のサティパッターナ
5. 四つの真理 (四聖諦)
c. 苦の消滅の真理(つづき)
この世では、感触を生むものについての一次思考は喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が放棄される時には、感触を生むものについての一次思考の中で放棄されるのです。
この渇望が止む時には、感触を生むものについての一次思考の中で止むのです。
この世では、心の中味についての一次思考は、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が放棄される時には、心の中味についての一次思考の中で放棄されるのです。
この渇望が止む時には、心の中味についての一次思考の中で止むのです。
(´・(ェ)・`)
(つづく) >>546
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 (大念処経) 又は 四念住 (四念処)
四 心の中味のサティパッターナ
5. 四つの真理 (四聖諦)
c. 苦の消滅の真理
この世では、光景についての二次思考は、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が放棄される時には、光景についての二次思考の中で放棄されるのです。
この渇望が止む時には、光景についての二次思考の中で止むのです。
この世では、音についての二次思考は、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が放棄される時には、音についての二次思考の中で放棄されるのです。
この渇望が止む時には、音についての二次思考の中で止むのです。
(´・(ェ)・`)
(つづく) >>547
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 (大念処経) 又は 四念住 (四念処)
四 心の中味のサティパッターナ
5. 四つの真理 (四聖諦)
c. 苦の消滅の真理
この世では、匂いについての二次思考は、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が放棄される時には、匂いについての二次思考の中で放棄されるのです。
この渇望が止む時には、匂いについての二次思考の中で止むのです。
この世では、味についての二次思考は、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が放棄される時には、味についての二次思考の中で放棄されるのです。
この渇望が止む時には、味についての二次思考の中で止むのです。
この世では、感触を生むものについての二次思考は、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が放棄される時には、感触を生むものについての二次思考の中で放棄されるのです。
この渇望が止む時には、感触を生むものについての二次思考の中で止むのです。
この世では、心の中味についての二次思考は、喜び楽しむという特性を持っています。
この渇望が放棄される時には、心の中味についての二次思考の中で放棄されるのです。
この渇望が止む時には、心の中味についての二次思考の中で止むのです。
これが苦の消滅の真理と呼ばれていることです。
(苦の消滅の真理 了)
(´・(ェ)・`)つ >>548
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 (大念処経) 又は 四念住 (四念処)
四 心の中味のサティパッターナ
5. 四つの真理 (四聖諦)
d. 苦の消滅への道の真理
苦の消滅への道の真理とは何でしょう。
それは八正道のことです。
つまり、正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定のことです。
では、 正見 (Samma-ditthi: Right View or Understanding) とは何でしょう。
苦の理解、苦の原因の理解、苦の消滅の理解、苦の消滅への道の理解、これを正見と呼びます。
では、 正思惟 (Samma-sankappa: Right Thought) と何でしょう。
肉欲からの解放へと導く思考、悪意のない思考、残虐さのない思考、これを正思惟と呼びます。
(´・(ェ)・`)つ >>549
こんにちは、諸くま君。
修行ははかどってるでありましょうか?
本日も張り切って参りましょう!
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 (大念処経) 又は 四念住 (四念処)
四 心の中味のサティパッターナ
5. 四つの真理 (四聖諦)
d. 苦の消滅への道の真理 (つづき)
では、 正語 (Samma-vaca: Right Speech) とは何でしょう。
嘘、 陰口 、悪口、 うわさ話や無駄口 、これらを控えること、これを正語と呼びます。
では、正業 (Samma-kammanta: Right Action) とは何でしょう。
生き物を殺さない 、 盗みをしない 、みだりに 淫欲 にふけらない、これを正業と呼びます。
では、正命 (Samma-ajiva: Right Livelihood) とは何でしょう。
間違った手段で生計 を立てずに、正しい手段で生計を立てて生きていきます。これを正命と呼びます。
(´・(ェ)・`)
(つづく) >>550
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 (大念処経) 又は 四念住 (四念処)
四 心の中味のサティパッターナ
5. 四つの真理 (四聖諦)
d. 苦の消滅への道の真理 (つづき)
では、正精進 (Samma-vdyama: Right Effort)とは何でしょう。
まだ心に生じていない悪意や不健全な状態が生じないように、意欲を持ち、努力し、気力を奮い、心を傾け、熱心に取り組みます。
心に生じた悪意や不健全な状態は放棄しようと、意欲を持ち、努力し、気力を奮い、心を傾け、熱心に取り組みます。
まだ心に生じていない健全な状態が生じるように、意欲を持ち、努力し、気力を奮い、心を傾け、熱心に取り組みます。
心に生じた健全な状態は維持し、その健全な状態が消えずに、広がり、大きく成長し、完全なものになるように、意欲を持ち、努力し、気力を奮い、心を傾け、熱心に取り組みます。
これを正精進と呼びます。
(´・(ェ)・`)
(つづく) >>551
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 (大念処経) 又は 四念住 (四念処)
四 心の中味のサティパッターナ
5. 四つの真理 (四聖諦)
d. 苦の消滅への道の真理 (つづき)
では、正念 (Samma-sati: Right Mindfulness)とは何でしょう。
身体は身体にすぎない と怠ることなく、きちんと理解し、心に留めます。そのようにいつも感じて生き、この世での強欲や憂いを遠ざけるのです。
感覚は感覚にすぎない と怠ることなく、きちんと理解し、心に留めます。そのようにいつも感じて生き、この世での強欲や憂いを遠ざけるのです。
心は心にすぎない と怠ることなく、きちんと理解し、心に留めます。そのようにいつも感じて生き、この世での強欲や憂いを遠ざけるのです。
心の中味は心の中味にすぎない と怠ることなく、きちんと理解し、心に留めます。そのようにいつも感じて生き、この世での強欲や憂いを遠ざけるのです。
これを正念と呼びます。
(´・(ェ)・`)
(つづく) >>552
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 (大念処経) 又は 四念住 (四念処)
四 心の中味のサティパッターナ
5. 四つの真理 (四聖諦)
d. 苦の消滅への道の真理 (つづき)
では、正定 (Samma-samadhi: Right Concentration) とは何でしょう。
肉欲や不健全さを克服した修行者は、 一次思考と二次思考 とを持つ第一の 禅定 に到達し、そこにとどまります。
そこには (五つの) 障害から離れていることで生じる歓喜と安楽があります。
一次思考と二次思考が弱まるにつれて、第二の 禅定 に到達し、そこにとどまります。
そこには内なる平静と、一点となった心があります。
一次思考と二次思考がなく、集中から生まれた歓喜と安楽があります。
歓喜がなくなると、気づきと正しい理解をともなった平安にとどまり、心身の中に満ち溢れた安楽を経験します。
修行者は、第三の 禅定 に到達し、そこにとどまります。
ここに到達した者は、平安と気づきを得て、安楽にとどまる者として聖者たちに称賛されます。
安楽と苦悩から離れることで、快楽と苦痛は消滅しているので、第四の 禅定 に到達し、そこにとどまります。平安が生む純粋な気づきの状態です。
これを正定と呼びます。
これが苦の消滅への道の真理と呼ばれていることです。
(´・(ェ)・`)つ きえた>>553
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 (大念処経) 又は 四念住 (四念処)
四 心の中味のサティパッターナ
5. 四つの真理 (四聖諦)
d. 苦の消滅への道の真理 (つづき)
このように、自分にとって心の中味は心の中味にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない、といつも感じて生きるのです。
他人にとっても 心の中味は心の中味にすぎない、といつも感じて生きるのです。
自分にとっても他人にとっても 、心の中味は心の中味にすぎない、といつも感じて生きるのです。
心の中味が存在する原因と、実際に心の中味が出現するのを、いつも感じて生きるのです。
心の中味が存在する原因と、心の中味が実際に消滅するのを、いつも感じて生きるのです。
心の中味が実際に出現し、実際に消滅するのを、 原因 とともに、いつも感じて生きるのです。
つまり、魂でもなく、自分でもなく、わたしでもなく、心の中味のみが存在するという事実を、はっきりと自覚するのです。
この自覚が、洞察や気づきを着実にもたらすのです。
修行者は、渇望や 間違ったものの見方 から距離を置き、世の中の何ものにも執着しないで生きるのです。
これが四つの真理は四つの真理にすぎないと、いつも感じて生きる方法なのです。
(苦の消滅への道の真理 了)
(´・(ェ)・`)つ >>554
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 (大念処経)
サティパッターナの成果( 阿羅漢 になるか 阿那含 になるか)
誰もがこの四つのサティパッターナを、七年間このように修行すれば、自分の中にふたつの成果のうちのひとつが実を結びます。
そのままで、阿羅漢の段階に到達するのです。執着心がまだ残っていれば、阿那含のような状態に到達します。
七年は無理でも、誰もがこの四つのサティパッターナを、六年、五年、四年、三年、二年、一年…。
一年は無理でも、誰もがこの四つのサティパッターナを、七か月、このように修行すれば、自分の中にふたつの成果のうちのひとつが実を結びます。
そのままで、阿羅漢の段階に到達するのです。執着心がまだ残っていれば、阿那含のような状態に到達します。
(´・(ェ)・`)つ >>555
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 (大念処経)
七か月は無理でも、誰もがこの四つのサティパッターナを、六か月、五か月、四か月、三か月、二か月、ひと月、半月…。
半月は無理でも、誰もがこの四つのサティパッターナを、七日間、このように修行すれば、自分の中にふたつの成果のうちのひとつが実を結びます。
そのままで、阿羅漢の段階に到達するのです。執着心がまだ残っていれば、阿那含のような状態に到達するのです。
わたしが最初に言った 「 たった一本の道があります。
その道とは、生きているものを清らかにする道です。
悲しみや嘆きを乗り越える道です。
肉体的苦痛や精神的苦痛を 終わらせる 道です。
正しい道 を見つけ、 ニルヴァーナ を実現する道です。
そのたった一本の道とは、四つの サティパッターナ です 」 というのは、このことです。
以上が尊者の説かれたことです。修
行者たちは喜び、尊者の言葉をありがたく思いました。
Sadhu! Sadhu! Sadhu!
(´・(ェ)・`)
(おわり) こんばんは、諸くま君。
サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 (大念処経)
何故かDAT落ちせず、最終回をむかえることができました。
スレまだ、大丈夫そうなので、
図書選定次第講読会再開するであります。
(´・(ェ)・`)つ 他者に対し慈悲心を持ち、慈悲に基づく行いを実践するには。 >>558
他者とは己の中にある他者であり、他者そのものではないのでありましょう。
他者に対して何かをすることは、己に対してすることなのでありましょう。
(´・(ェ)・`)つ >>559
で、ありますから、己に対してするようにすればよいのでありましょう。
(´・(ェ)・`)つ 仏教の人たちは、唯物論についてはどのようにお考えですか? >>561
> 仏教の人たちは、唯物論についてはどのようにお考えですか? 』
あなたの言う唯物論とは、どういうものなのですか、そこをお聞きしたいですね。 鬼和尚さん。あなたはこのスレでは
「神への帰依によってもサマーディは達成されるのじゃ。
勿論その神に対して元から強い信仰がなければならないがのう。」
と言っているのに、
人生相談のスレでは「神などおらんのじゃ。」と答えていました。
どちらの答えが正しいのですか?
結局あなたは5ちゃんにしか居場所のない、ブッダぶりたいだけの俗物なのですね?
見損ないました。本当に見損ないました。
一瞬でもあなたを本物かもと思ってしまった自分がくやしいです。 スレタイと異なるでりありますが、
ここには鬼和尚はもう来てないでありますよ。
「くまと一緒に講読会」を不定期でありますが、再開するであります。
連載文章を読んだ上での自由な感想、意見表明を求めるのである。
1ブッダ 神々との対話 中村元著
より抜粋
第T篇 第一章 葦
第五節 どれだけを断つべき?
一. 傍らに立って、その神は、尊師のもとで、この詩句をとなえた。
「どれだけを断つべきか?
その上にどれだけを修めるべきか?
どれだけの束縛を超えたならば、修行僧は(激流を渡った者)と呼ばれるのであるか?」
二.[尊師は答えた]
「五つ[の下位の束縛]を断て。
五つ[の上位の束縛]を捨てよ。
さらに五つ[のすぐれたはたらき]を修めよ。
五つの執著を超えた修行僧は、[激流を渡った者]と呼ばれる。」
解説
第五節 : 『雑阿含経』三十六巻(1002)(大正蔵、二巻262頁下)
五つの下位の束縛 : 五下分結をいう。 俗界に属する五つの煩悩。
「結」は束縛のことで、煩悩の異名。
「下分」は欲界のこと。
三界のうち最下の欲界(感覚で知ることができる下界)に衆生を結びつけ、
束縛している五種の煩悩『貪・瞋恚・有身見・戒禁取見・疑』。
この「五下分結」のあるかぎり、衆生は欲界に生をうけ、これらを断滅すると
、欲界に帰らぬ「不還果」を得る、と言うのが説一切有部などの伝統的見解で
ある。
五つの上位の束縛 : 五上分結をいう。
上方(色界と無色界)に結びつける五つの煩悩。
三界のうち、上二界である色界と無色界とに衆生を結びつける五種の煩悩『
色界の貪・無色界の貪・掉挙(じょうこ)・慢・無明』。
衆生を色界と無色界とに結びつけて解脱させない煩悩であるから、上分結と名
づける。
これを断ずると阿羅漢果を得るというのが説一切有部の伝統的解釈であった。
五つの執著 : 貪り・怒り・迷妄・高慢・邪な見解。 これらは執着を起こ
させるもとであるから「五著」という。
(´・(ェ)・`)つ 鬼和尚自体が、統失で自分を覚者と妄想してる頭のおかしい奴だからな。
挙句の果てに自演してランク付けとかよくやって、自分を頂点に立て、仕舞いには宗教板から事実上の追放状態。
それで、仏教を知らない方を相手に方々の相談板で仏教僧を装い虚栄心を満たしていたが、それが宗教板の住人に見つかってインチキを指摘されてどんどん人離れ。
んでもって、自作自演・自問自答・自画自賛の繰り返し。
まさに現在進行中なわけだ。 >>565
ブッダ 神々との対話 中村元著
より抜粋
第二章 歓喜の園
第二節 歓ぶ
一. 傍らに立って、かの神は、尊師のもとで、この詩句をとなえた。
「子ある者は子について喜び、また牛のある者は牛について喜ぶ。
執着するよりどころによって、人間に喜びが起こる。
執着するよりどころのない人は、実に喜ぶことがない。」
二.[尊師いわく___]
「子あるものは子について憂い、また牛のある者は牛について憂う。
執着するよりどころによって人間に憂いが起こる。
実に、執着するよりどころのない人は、憂うることがない。」
第三節 子ほど可愛いものはない
一. 傍らに立って、かの神は、尊師のもとで、この詩句をとなえた。
「子ほど可愛いものは存在しない。 牛に等しい財は存在しない。
太陽に等しい光輝は存在しない。 海は最上の湖である。」
二.[尊師いわく___]
「自己ほど可愛いものは存在しない。 穀物に等しい財は存在しない。
智慧に等しい光輝は存在しない。 雨雲は最上の湖である。」
第七節 なしがたいこと (亀】
一.神いわく___
「人は、どれだけの日時にわたって修行者の行いを行うべきであろうか?
___もしも自分の心を制御することができないならば。
修行者の行いは、知能の鈍い人間のなしがたく忍びがたいことである。
[もしもそうしないならば]一歩一歩ごとに心が沈んでしまって、諸々の[乱れた]
思いのままになってしまうであろう。」
二.尊師いわく___
「亀が諸々の肢体[首と四肢と尾と]を自分の甲羅のなかにひっこめるように、
修行僧は、自分の粗雑な思考をおさめとり、何ものにも依存することなく、他
人を悩ますことなく、束縛の覆いを完くときほぐして、なんびとをも謗るな。」
第八節 恥
一.神いわく___
「みずから恥じて自己を制し、駿馬が鞭を受ける要がないように、世の非難を
受ける要のない人が、この世に誰かいるであろうか。」
二.尊師いわく___
「恥を知って制する人は少ない。かれらはつねに気をつけて行い、苦しみの終
滅に到達して、逆境にあっても平静に行う。」
(´・(ェ)・`)つ 先日の出来事
駅に到着するとき、ホームを「どけ!どけ!」と叫びながら走る男の姿が見えたのである。
電車が止まると、くまが立っていた車輛の扉のところの乗車位地の最前列に割り込んですくっと止まったのである。
目はおよぎ、泡を吹いてるのである。
その体の大きな男は、優先席に座っていた人に「どいてください」と言うなり腕をつかんでどかせて座り、回りでスマホをいじっている人たちに、
「ここは携帯禁止です。やめてください!やめてください!」と叫び、つめよひだしたのである。
(´・(ェ)・`)つ >>568
現象を追うのをやめなさい。
現象を分析するのもやめなさい。
そよ風は空に跡を残さない。
もし私たちが何の印象も足跡も心に残さずに生きることができるなら、全く何の問題もないのだ。
あなたがたは心の中に、
「私はこういうものを見て、ああ思った。このように考えた」
などといった想いをためこむ。
それらの印象が、何度も何度もあなたをこの世界という現象に巻きこむのだ。
ただ静かに立って、座って、歩いていなさい、全てはうまくいく。 壁に画かれた生き物に感覚がないように、世のあらゆる人々も幻のようなものであると見なければいけない。
このように見るのが正しい考えであり、これと異なるのを分別の考えというのである。 異なる信仰を侮ってはいけない。
神(ブラフマン)は、人間のそれぞれの段階や傾向、人間の要請にによって姿を変えるのだから。
自分の道だけが正しくて、他の人々の道は誤りだらけだ、などど決して思うな。
同じ水でありながら、水はさまざまに呼ばれる。
ウォーター、ヴァーリー、アクア、パニ・・・
そのように永遠の実在・知識は、
ある人からは神、ある人からはアッラー、ある人からは仏、ある人からはブラフマンと呼ばれる。
ラーマクリシュナ 君は夜空に星々を見る。しかしその時、太陽は昇っていない。だからと言って君は、昼間は空に星がないのだ、ということは出来まい。
君が君の盲目の内にありながら神を発見できない時、神がないということは出来ない。
人は心の強烈な渇仰とともに、神を求めて泣かねばならぬ。心は他の目的からすべて引き上げられて集中されねばならぬ。
そして、神の上に排他的に凝集されねばならぬ。神はヴェーダの中にも、他のすべての聖典の中にも居はしない。
ラーマクリシュナ
君の心からの神への希求以外に、何ものも君を神へと連れて行きはしない。人は激烈な崇拝をもって神に祈らねばならぬ。神はなまやさしくは実現されない。 >>572
うむ。
求めなければ、得られないのでありますね。
常に求めつづけるのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ かつてのたくましかった肉体はどこへやら、まだ三十の半ばだというのに、老人のようにすっかり衰弱し、骨と皮のみになって、死を待つ者の姿がそこにあった。
ゆるやかに流れるネランジャラ河は、衰弱した肉体を清め、すすいでくれた。
腰までつかって水面を覗くと、そこに映った自分の顔は、まるで他人みたいであった。
六年前も今も、心には何の変化もないのに、肉体の方は全然別人だった。
しばらく牧草の砂地に腰をおろしていると、女の歌声が風に乗ってきこえてきた。
弦の音は、強く締めれば糸は切れ
弦の音は、弱くては音色が悪い
弦の音は、中ほどに締めて音色がよい
調子合わせて踊ろよ踊れ
みんな輪になり踊ろよ踊れ
若く澄んだ女の美声は、ゴータマの心をゆり動かした。
「弦の音は、中ほどに締めれば音色がよい」
もう一度、歌の文句を心のなかで反復した。
今迄求めてきた謎が、この歌声によって天啓のように氷解するのだった。 ゴータマは、スジャータに礼をいうと、五人の修行者達のところに行き、彼女からもらった牛乳を口にした。
「あなたは修行をやめたのですか、修行者は生臭いものを口にしてはいけないはずです。」
ゴータマは五人の顔を眺め、
「このまま肉体行を続けていては、悟らないうちに肉体が滅んでしまう。
私は骨と皮になったこの肉体を作り直そうと決心したのだ。」
ときっぱり言った。
五人は何やら相談していたが、代表格のコースタニヤが言い放った。
「今までは弟子としてあなたをお守りしてきたが、もう王子でも師でもない。
あなたの自由にしなさい。」
修行はもともと一人である。
悟りも自分が悟るので、友ではない。
ゴータマは森に帰って、ビパラの大木を見つけると、悟るまでは、決してここから動くまいと思うのだった。 ふと瞑想中に心がゆれ動いた。
すると耳元に女の声がきこえてきた。
「シッタルターさま、私でございます。」
思わず、ゴータマは眼を見開いた。暗闇のなかに、ヤショダラの姿があるではないか。
男を求める女のあやしい姿がそこに映っている。
体をくねらせ、春を売ろうとする女に変っていた。
(悪魔だ)
そう思った瞬間に、女の姿は消え、ゴータマの体は梵天の光りに覆われていた。
悪魔とは、人間の体に巣をつくる回虫のようなものである。
悪魔に魅入られると、人は正常心を失ない、やたらと闘争心がつのってくる。
そして、自分に敵対するものは情け容赦もなく、これを倒さずには済まなくなってくる。
弱者をあざわらい、人の不幸に冷然としていられる。 人の不幸や悲しみを喜ぶ者はない。
だが、自分と競争相手にあるとか、頭を四六時中押さえつけている人が、たまたま何かがあると、
(ざまあみろ)
という心を持たない人は少ないであろう。
悪魔はそうした、人の不幸を喜ぶ人の心を支配するのである。
人の不幸を喜ぶ程度が強くなるにしたがって、身体が重くなり、環境が不調和になる。
人間社会が混乱し、人の心が荒んでくると悪魔となってあの世へ帰った人霊達が、現象世界の人々の不調和な心によって引き寄せられ、一層悪事を働くようになるのである。
ゴータマは、自分の心の隅に、まだそのような想念の残骸があったことに気づき、そうした悪魔の誘惑に負けてはならぬと心を引き締めるのであった。 肉体には肉体の役割がある。
その役割をなおざりにしてまで、なお悟りがあるとするのは明らかに邪道であり、観念の遊戯にすぎない。
悟りという心の問題は、健康な肉体と健全な心にある。
病弱で意識が不明瞭な者にどうして、仏の心を自覚させることが出来よう。
食べるものも食べず、摂るものも摂らず、肉体をどんなに苦しめてみても、心は安らかにならない。
肉体を苦しめる苦行によって悟ることが出来るのなら、過去に苦行をした人たちの中から悟った人が出ていてもよいわけであるが、誰も出ていない。
「生まれて来なければ、このような苦しみを受けずにすむものを、」と考えるが、
生れてきた以上は人間には何らかの目的と意味があるはずである。 いかなる者も、いつかは年をとり、病気をし死んでゆく。
何人も死から逃れることはできない。
死ぬ時は地位も名誉も、財産も、全てこの地に置いて行かなければならない。
それは皆分かっているのに、それでも欲望の火は消えぬ。
五官を通して知る現象世界は無常である。
無常と知りながらも、欲望をつのらせて無常なるものに執着している。
所詮、人生は苦しみの連続なのか、苦しみのない人生があるとすれば、それは現実との妥協か、逃避か、自己満足ではないのか。
苦しみのくり返しは、人間にとって最大の不幸である。 苦しみの原因は心が間題なのだ。
思うこと考えることの心の作用が、諸々の苦しみ悩みを生み出している。
勝ち負けの輪廻は、その渦中からぬけ出さないかぎり永遠に続く。
苦しみの輪廻は、その苦しみの中に想いが留まる限り、果てしなく続いてゆく。
中道にそった調和を志さない間は、真の幸せをつかむことはできない。
己れという我の立場に固執していては、正しさを求めることができない。
現れた現象の奥には、必ずその現象を映し出す原因があるはずである。
自分に直接関係のある問題が派生した場合は、まず自分自身の心の姿を見ることが大事だ。 各人の心は鏡である。
その想念という鏡を絶えず掃除しておくことだ。
掃除するということは反省するということである。
反省は光明の仏の世界に住するかけ橋である。
ねたみ、怒り、そしり、そうして諸々の執着から離れるには、過去の反省をおいて他にない。
心、言葉、行いの反省を重ねることによって心と肉体の調和が生れ、進んでは己の心と仏の心との合一がはかられる。
反省をせずして心を空にすると、魔や憑依霊に支配される。
人間生活にとって祈りのない生活は考えられない。
正しい調和の生活に向って努めている時の願いごと、祈りは、その人にふさわしいものである限り必ず叶えられる。
しかし我欲を満たす事だけを祈ってはならない。 悟りへの重要な過程は、心の内面に対する反省であり、ものの見方、考え方、捉え方、そしてそれに基づく言葉と行動が、果たして正しいものであるかどうかを、内省することがキメ手になるのである。
過去のことに執着を持つと、これからの行動が束縛され、本来の自由性がそこなわれる。
悪かったことを悪かったと認めても、それに囚われると暗い想念を創り出してしまう。
この点も中道の心が大事である。
反省の功徳は、反省した後の「実践」にかかっている。
その実践の功徳は心身の調和という姿で顕われてくる。 ゴータマは三歳の時から、ウパニシャッドやヴェーダを教えられた。
それは知的に体系づけられていたが、教える学者達の生活は乱れていた。
ブフラマンやインドラの神に祭壇をつくって祈りさえすれば、心はどうしなくても救われると思っている。
また一般の信者が直接神に祈っても救われない、必ずバラモンの司祭という代理を立てて祈らないと、神さまは救って下さらないという。
そうして心の奥底に潜む心の原因については、全く手を染めようとはしなかった。
アポロキテー・シュパラー(観自在の境地)に至るには、心と行いという実践しか残されていない。
真実の悟りを希求するならば、その前にまず心の曇りを払いのけることであった。 求道
解脱は疑問から出発する。
疑問を持たない求道などあり得ない。
疑問は探求心を育て、探究心はやがて解答を得て理解されてくる。
普通は中道という修行の尺度を知らないために、求道の方向を見誤ってしまう場合が非常に多い。
しかし八正道という尺度が発見された以上は、疑問は安易に理解されてゆく。
間題は、その中道の尺度を使って、自分自身がどこまで「厳格」に、「公平」に、自分の心を見つめる事が出来るかである。
自分の心で、自分の心の影をどこまで洗い出せるかにかかっている。
心に影が潜む間は、生老病死の執着は決して断てないのだ。 京都の浄土真宗西本願寺派の僧侶住職の後継が多く在籍している龍谷大学文学部真宗学科の偏差値は35。
浄土真宗の坊主はバカ集団。 馬鹿鬼がまた瞬殺されてるぞwwww
もういい加減にもう引退しろよwwww
ゴミ屑にもならねーだろ、馬鹿鬼はw
131 自分:通りすがりの神田川[sage] 投稿日:2019/11/26(火) 21:08:56.20 ID:A40EdWap [1/2]
>>128
wwwwwwwww
思い切り吹いたwww
お前は佛教の基本さえ知らないから、例えば小空経にて説かれている空観の実践方法さえも知らんのだろw
1.Aについての 想念を心に思わないため にBを観ずる
2.Bについての 想念を心に思わないため にCを観ずる
3.Cについての 想念を心に思わないため にDを観ずる
4.・・・・・
このような方法で
色の想念→空無辺処→識無辺処→無所有処→非相非非想処→観としての無相心三昧→無相心三昧
と想念を空じていくんだよw
その様に空観を実践していくことにより、世界が非有・非無(中道)という智慧が開発されるんだよ。
知識も体験も程度が低いのに知ったかぶりするなw ,, -──- 、._
.-"´ \.
:/ _ノ ヽ、_ ヽ.: 空を念ずるだってwwww
:/ o゚((●)) ((●))゚oヽ:
:| (__人__) |: なにそれ?????
:l ) ( l:
:` 、 `ー' /: 常に気をつけて、世界を空であると観ぜよ ってお経に書いてあるじゃんwww
:, -‐ (_). /
:l_j_j_j と)丶─‐┬.''´ お前馬鹿過ぎwww
:ヽ :i |:
:/ :⊂ノ|: 右と左の真ん中が中道だけど。
真ん中に至った地点は新たな右か左なのでそこからさらに新たな真ん中に至らねばならず。 ここは社会で疎外されてる奴が覚者と語り、耳目や尊崇を集めたい一心で自作自演・自問自答・自画自賛を繰り返えしてるペテン師のスレです。
最初の頃は騙された方もいますが、宗教板でそのインチキを暴かれてからは徐々に住人も減り、今は自作自演・自問自答・自画自賛を繰り返しなんとかカモを釣ろうと必死になってます。
どうかどうか、騙されない様に注意して下さい! _| ̄|_| ̄| | ̄|_| ̄|__| ̄|_| ̄| | ̄|_| ̄|_| ̄|
|_ _|| | ̄ | | | | ̄ | |  ̄|
r┘└へ| |二コ ┌'| |二コ ┌| |二コ ┌'| |二コ ┌┘
〈 〈] ゚,、〈| | o ヽ| | o ヽ| | o ヽ| | o └「 ̄\
ヽ-ヘ_>ノ_ノ|_|、_ハ/|_|、_八ノ|_|、_ハ/|_|、_ハ/`⊇.ノ
馬鹿じゃねーの?
頭悪そうwwww
心療内科逝けよwwwww
生きてて楽しい?
知育障害?
恥ずかしーwww
まじキモ―! ,, -──- 、._ 智慧の声が聞こえた?
.-"´ \.
:/ _ノ ヽ、_ ヽ.: 偽僧侶の統失ナマポおじさんwww
:/ o゚((●)) ((●))゚oヽ:
:| (__人__) |: お薬飲んでるか??
:l ) ( l:
:` 、 `ー' /: 仏教向いてないよ、お前w
:, -‐ (_). /
:l_j_j_j と)丶─‐┬.''´ キチガイだろwwww
:ヽ :i |:
:/ :⊂ノ|: wwwwwwwwwwwwwwwwwwww ,, -──- 、._
.-"´ \. 今 日 も ま た 宗 教 板 か ら 逃 亡 し て や ん の w w w
:/ _ノ ヽ、_ ヽ.:
:/ o゚((●)) ((●))゚oヽ: 宗 教 板 の 笑 い 者 w w w
:| (__人__) |:
:l ) ( l: 嘘 つ き は 消 え て く れ よ w w w
:` 、 `ー' /:
:, -‐ (_). / 偽 僧 侶 で 自 称 覚 者 の 統 失 ナ マ ポ お じ さ ん w w w
:l_j_j_j と)丶─‐┬.''´
:ヽ :i |:
:/ :⊂ノ|: ,, -──- 、._
.-"´ \. 今 日 も ま た 宗 教 板 か ら 逃 亡 し て や ん の w w w
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:l ) ( l: 嘘 つ き は 消 え て く れ よ w w w
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馬鹿じゃねーの?
頭悪そうwwww
心療内科逝けよwwwww
生きてて楽しい?
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恥ずかしーwww
まじキモ―! ,, -──- 、._ 智慧の声が聞こえた?
.-"´ \.
:/ _ノ ヽ、_ ヽ.: 偽僧侶の統失ナマポおじさんwww
:/ o゚((●)) ((●))゚oヽ:
:| (__人__) |: お薬飲んでるか??
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:` 、 `ー' /: 仏教向いてないよ、お前w
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:l_j_j_j と)丶─‐┬.''´ キチガイだろwwww
:ヽ :i |:
:/ :⊂ノ|: wwwwwwwwwwwwwwwwwwww 講読会、再開である。(´・(ェ)・`)つ
一休さんの詩がネットで248首集まったので、毎日一首づつ載せるのである。
掲載する詩についての意見を期待するのである。
尚、サイトによって表記が異なる詩や、本当に一休の詩か分からぬものもあるのである。
鬼和尚にも、感想をいただけたらうれしいのである。
あいうえお順である。
1
秋風一夜百千年 『狂雲集』 「あきふうひとやばくせんどし」「しゅうふういちや ひゃくせんねん」「あきかぜひとよ ももちとせ」 .
.
,,-‐----‐、 , -'"` ̄ ̄"`''-,__, --‐‐-..,
/ 、゙ヽ、 ‐-'´ ヽ‐- / / ヽ 鬼 和 尚 ?
,/´ .., ヽ,,l_)' zェェェァ' ;rfァt ヽ ,ト/ / ヽ
/ ヽ,r' ,l′ _,,, . __,, ,l゙.-〈__r,'、 ヽ_ そ ん な 人 誰 も 知 り ま せ ん け ど ?
_.l ヽ」 ,l .イてソ` l イにj`,/ ゙‐ヽ、_,, /l
,l l| −'´ll ,l rソi" ヽ じ'' f゙l .,//゙l //\ そ う い う 偽 坊 主 は お 断 り で すw w w
l`l| l|ヽ v'⌒ヽ .,ノ j/ |l // }
l \ l| ,l l_U> r‐--‐ァ ,l |,l // l 警 察 を 呼 ん で く だ さ い ねw
/ '\ l|`l ゝ_,´ ゙ヽ__r′ .,.' ___l ヽ // |
,l '\ l| .lヽ__lL..,,, __ ,, _イ___./ | ∨/ ,}
| ヽl | ,| .ヽ \ //ヽ ,| ,l
| l ,l ヽ \// l \ / >>596
一休さん、老いて、愛しいひとと共にある愛おしい時間について詠んだ詩だそうである。
くまの好みの読み方は、しゅんぷういちや・・なので、あいうえお順で1番目になるのは
今日の詩かもしれぬのである。
2
朝露は きえのこりても ありぬべし たれかこの世に のこり はつべき 『水鏡』
この詩は伊勢物語で女が男の冷淡さを詰った詩のようでありますが、『朝露』を命の儚さ
の喩えととれば、いかにも一休さんが詠みそうではありますね。
(´・(ェ)・`)つ .
,,-‐----‐、 , -'"` ̄ ̄"`''-,__, --‐‐-..,
/ 、゙ヽ、 ‐-'´ ヽ‐- / / ヽ 鬼 和 尚 ?
,/´ .., ヽ,,l_)' zェェェァ' ;rfァt ヽ ,ト/ / ヽ
/ ヽ,r' ,l′ _,,, . __,, ,l゙.-〈__r,'、 ヽ_ そ ん な 人 誰 も 知 り ま せ ん け ど ?
_.l ヽ」 ,l .イてソ` l イにj`,/ ゙‐ヽ、_,, /l
,l l| −'´ll ,l rソi" ヽ じ'' f゙l .,//゙l //\ そ う い う 偽 坊 主 は お 断 り で すw w w
l`l| l|ヽ v'⌒ヽ .,ノ j/ |l // }
l \ l| ,l l_U> r‐--‐ァ ,l |,l // l 警 察 を 呼 ん で く だ さ い ねw
/ '\ l|`l ゝ_,´ ゙ヽ__r′ .,.' ___l ヽ // |
,l '\ l| .lヽ__lL..,,, __ ,, _イ___./ | ∨/ ,}
| ヽl | ,| .ヽ \ //ヽ ,| ,l
| l ,l ヽ \// l \ / >>599
3
悪しくともただ一筋に捨つるなよ 渋柿を見よ甘干となる 『一休蜷川狂歌問答』
新右衛門さんと、どんな掛け合いがあったのでありましょうかね。気になるところであります。
(´・(ェ)・`)つ .
,,-‐----‐、 , -'"` ̄ ̄"`''-,__, --‐‐-..,
/ 、゙ヽ、 ‐-'´ ヽ‐- / / ヽ 鬼 和 尚 ?
,/´ .., ヽ,,l_)' zェェェァ' ;rfァt ヽ ,ト/ / ヽ
/ ヽ,r' ,l′ _,,, . __,, ,l゙.-〈__r,'、 ヽ_ そ ん な 人 誰 も 知 り ま せ ん け ど ?
_.l ヽ」 ,l .イてソ` l イにj`,/ ゙‐ヽ、_,, /l
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l`l| l|ヽ v'⌒ヽ .,ノ j/ |l // }
l \ l| ,l l_U> r‐--‐ァ ,l |,l // l 警 察 を 呼 ん で く だ さ い ねw
/ '\ l|`l ゝ_,´ ゙ヽ__r′ .,.' ___l ヽ // |
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| ヽl | ,| .ヽ \ //ヽ ,| ,l
| l ,l ヽ \// l \ / >>601
4
明日ありと思う心にほだされて 今日も空しく日を送りけり 一休
明日ありと 思う心の仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは 親鸞
うむ。このことを一休さんも伝えようとしてるのでありますね。
一休さんの詩のほうが凡くの心に沁みるであります。
急いで悟らねばなりますまい。
(´‐(ェ)-`)b .
,,-‐----‐、 , -'"` ̄ ̄"`''-,__, --‐‐-..,
/ 、゙ヽ、 ‐-'´ ヽ‐- / / ヽ 鬼 和 尚 ?
,/´ .., ヽ,,l_)' zェェェァ' ;rfァt ヽ ,ト/ / ヽ
/ ヽ,r' ,l′ _,,, . __,, ,l゙.-〈__r,'、 ヽ_ そ ん な 人 誰 も 知 り ま せ ん け ど ?
_.l ヽ」 ,l .イてソ` l イにj`,/ ゙‐ヽ、_,, /l
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l`l| l|ヽ v'⌒ヽ .,ノ j/ |l // }
l \ l| ,l l_U> r‐--‐ァ ,l |,l // l 警 察 を 呼 ん で く だ さ い ねw
/ '\ l|`l ゝ_,´ ゙ヽ__r′ .,.' ___l ヽ // |
,l '\ l| .lヽ__lL..,,, __ ,, _イ___./ | ∨/ ,}
| ヽl | ,| .ヽ \ //ヽ ,| ,l
| l ,l ヽ \// l \ / うむ。
よく読むと、全然違うことを言ってるようであります。
親鸞さんは。心があり、時間が有るとしているのに対して、
一休さんは、ありもしない心に縛られて、ありもしない時を過ごしてる夢を見ている自分に気づいているのでありましょう。
(´・(ェ)・`)b 程度の低いオナニー理解を嘲笑するスレは此処ですか?
恥ずかしくないの? >>603
5
阿弥陀仏悟れば即ち去此不遠 迷えば遙か西にこそあれ
瑞巖寺(臨済宗)雲居希膺禅師がの往生要歌の一節であるとの説もある。
浄土真宗のお寺さんもHP等に、一休さんの詩として紹介されているのである。
一休さんは、昔から人気者だたのである。
似た詩をもう一首
6
阿弥陀仏 みなみに在るを 知らずして 西を願うは はかなかりけり
(´・(ェ)・`)つ 程度の低いオナニー理解を嘲笑するスレは此処ですか?
恥ずかしくないの? ・このスレはほぼ多重人格性同一性障害統失創価反日趙鮮人69爺のPC5台複垢会話形式自演乙15年でお送りしております。
http://livedoor.blogimg.jp/nightwin772/imgs/1/0/10db91d6.jpg
・栄進、鬼和尚、犬山、野良、かの、麦、法進、偽和尚、エロ和尚、その他、会話しているIPは奥多摩。
鬼和尚HP(奥多摩)誘導→創価勧誘、濃厚接触目的、誰かの悟りをパクる為。
公開質問状!!:以下のお前の過去レス発言について、これを科学的、医学的に答えよ
・栄進趙鮮人69爺が自演乙15年!決定的発言はこちら!鬼和尚は神輿(偶像)!↓
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1585130033/122
師につく奴はバカ、鬼和尚?ただの神輿だバカ(´・ω・`)笑
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1585130033/133
神輿が何か書けるんか? コイツ、アホや(´・ω・`)
→つまり、神輿は俺の自演!書いてるのは俺!!とドヤしているわけだよな?誰かの悟りをパクって創価勧誘濃厚接触目的。
・栄進が「統合失調症」「創価学会員」「鬼和尚IDを覚者として人気復活」をレスまとめ
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1585579296/737
→全てお前自身の過去レスだ。要するに鬼HP誘導→創価勧誘濃厚接触性暴力妄想目的だな??誰かの悟りをパクる為自演15年www
→ここまで自演バレを晒されても、平気で複垢会話形式自演を続けるお前の病名、障害名を答えろ!
ガチ基地趙家
家族で会話自演15年。鬼和尚HP誘導、創価勧誘。ああ、だから会話しているIPが全部奥多摩なんだ(笑)
http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/94/0000402894/99/imge45e018bzik5zj.jpeg
前列中央-鬼和尚 前列←野良 後列→栄進 後列←犬山 鬼和尚HP誘導創価勧誘濃厚接触目的
釈迦曰く、悪い人とは付き合うな。
趙鮮人創価はスレチ 創価板へ
【創価】悟りを開いた人のスレ502【天光寺】
http://egg.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1588455799/l50 ・多重人格、統合失調症・
会話形式独り言をするのが特徴 自分の妄想と一日中会話し続ける
・演技性パーソナリティ障害 ・
(発達障害・統失と併発。毒親からの遺伝と虐待が現因)
演技性人格障害は、演劇的あるいは性的誘惑 による言動によって、自己に過剰に注目を引こうとする行動様式のために、
社会生活対人関係が不安定になるといった機能的な障害を伴った状態である。 過剰に誇張された感情表出も特徴である。
また虚言を行う傾向もある。友人に過剰に関心を要求したり、性的に挑発的な言動が周囲の人たちと合わないといった理由で、
対人関係社会生活が上手くゆかない。過激なものを渇望しており、日常は退屈と感じる傾向もある。
「 虐待や両親からの愛情を受けずに育ったことが原因 」
・虚言癖 ・
(発達障害・統失と併発。毒親からの遺伝と虐待が原因)
自分を実際以上に見せるという願望にもとづき、願望による妄想を事実であるかのように語る。
多くは周囲との関係を調整できず、性犯罪や、詐欺などの犯罪を犯す。自分が注目の的でないと楽しくない。
そのために作り話をしたり、騒動を起こす。自演する。不適切なほどの誘惑的、挑発的な性的な言動があり場面を選ばない。
他者を実際以上に親密とみなし、知人をかけがえのない親友のように言ったり、会っただけの人を下の名前で呼んだりする。
「 虐待や両親からの愛情を受けずに育ったことが原因 」
・ADHD多弁症・
(発達障害・統失と併発。毒親からの遺伝と虐待が原因)
省いていい、さして重要ではない部位を延々と詳細に説明し質問と関係のない内容ばかりを返答し
その回答をもとに勝手に一人で盛り上がり一方的な雑談の世界へと没入し結果として、5分で終わる会話に
50分以上も付き合わせ体力と時間を浪費させる魔物
→多くの人は、(専門家、家族、友人問わず)相談に乗ろうとは思わなくなり、必然的にいつも単独での判断や
問題対応を迫られることになるので、適切な「解」を導き出すことができず、5ch、HPで、
統失妄想を独り言を複垢自演乙で垂れ流す。永遠に。
釈迦曰く、悪い人とは付き合うな。 死ね >>608
7
雨あられ 雪や氷と へだつれど おつればおなじ 谷川のみず
雨霰雪や氷と隔つらん解くれば同じ谷川の水 『水鏡』
雨あられ雪や氷をそのまゝにとかねどおなじ渓河の水 白隠
(´・(ェ)・`)つ .
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ヽ-ヘ_>ノ_ノ|_|、_ハ/|_|、_八ノ|_|、_ハ/|_|、_ハ/`⊇.ノ
馬鹿じゃねーの?
頭悪そうwwww
心療内科逝けよwwwww
生きてて楽しい?
知育障害?
恥ずかしーwww
まじキモ―! ,, -──- 、._ 智慧の声が聞こえた?
.-"´ \.
:/ _ノ ヽ、_ ヽ.: 偽僧侶の統失ナマポおじさんwww
:/ o゚((●)) ((●))゚oヽ:
:| (__人__) |: お薬飲んでるか??
:l ) ( l:
:` 、 `ー' /: 仏教向いてないよ、お前w
:, -‐ (_). /
:l_j_j_j と)丶─‐┬.''´ キチガイだろwwww
:ヽ :i |:
:/ :⊂ノ|: wwwwwwwwwwwwwwwwwwww >>612
8
あら楽や虚空を家と住みなして 心にかかる造作もなし
似た詩
あら楽や 思ひは晴るる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし 大石内蔵助 辞世
(´・(ェ)・`)つ .
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馬鹿じゃねーの?
頭悪そうwwww
心療内科逝けよwwwww
生きてて楽しい?
知育障害?
恥ずかしーwww
まじキモ―! ,, -──- 、._ 智慧の声が聞こえた?
.-"´ \.
:/ _ノ ヽ、_ ヽ.: 偽僧侶の統失ナマポおじさんwww
:/ o゚((●)) ((●))゚oヽ:
:| (__人__) |: お薬飲んでるか??
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:` 、 `ー' /: 仏教向いてないよ、お前w
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:l_j_j_j と)丶─‐┬.''´ キチガイだろwwww
:ヽ :i |:
:/ :⊂ノ|: wwwwwwwwwwwwwwwwwwww >>614
9
ありと言えばありとや人のおもふらん こたへてもなき山彦の声
セットで、
10
なしといへばなしとや人のおもふらんこたへもぞする山彦の声
一休咄
(´・(ェ)・`)つ >>617
11
愛念愛思苦胸次
詩文忘却無一字
唯有悟道無道心
今日猶愁沈生死 狂雲集
拙僧はむかし愛欲に溺れて心を苦しめ
詩文も忘れきって一字も作らなかった
ただ悟りだいばかりで求道心が無かったが
今でも生死の輪廻に沈んでいるのが悲しい
誰か漢詩の正しい読みかたが分かる賢者は、おらんかね?
(´・(ェ)・`)つ 愛着の念が胸にあって苦しければ、
詩文も忘れてしまうじゃろう。
ただ悟道があって道心無ければ
今日になってもまだ生死に愁い沈むばかりじゃという意味じゃな。。
愛着の念ばかりで詩文も忘れてしまうほどならば、どんなに悟りを求めても無意味というのじゃ。
いつまでも生死の苦に愁い輪廻に沈むばかりなのじゃ。
道心が大事だというのじゃ。
道心とは悟りに必要なことがあれば自ら積極的に学び、日々実践を重ねることなのじゃ。
そのように積極的に学び実践しなければ、悟りもやってこないのじゃ。
精進あるのみなのじゃ。 >>618
12
風音気象頌兼詩
乗興邪慢吟撚髭
悪魔内外託吾筆
猛火獄中無出期
風の音や天気によって頌や詩を作り
興に悪のりして髭をひねって詩を吟ずる
悪魔ば内からも外からもワシの筆に乗り移って
猛火の地獄から脱出する時がないわい
この詩の中で、よく取り上げられるのは、
悪魔内外託吾筆 の部分なので、「あ」行に載せることにいた。
七言絶句は、四句でワンセットだそうである。なので、1番目に取り上げた詩も、
ワンセットにして再掲する。
13(1)
臨済児孫不識禅
正伝真箇瞎驢辺(かつろへん)
雲雨三生六十劫
秋風一夜百千年
臨済の子孫は禅を知らない、
本物の伝統は、この盲目のロバの庵(ワシの)にある。
情愛で結ばれ、三生を誓い、60歳になるわしの住むここにあるのだ。、
二人で過ごす夜の秋の風は10万年もつづくのだ。
理趣経 とかの実践でありますかね。
(´・(ェ)・`)つ >>619
鬼和尚、ありがとうであります。
一休さんは、本気で森女との生を喜んでいたようであります。
うらやましいのである。
観念の世界にのめりこんでいる様な詩をよみつつも、
臨済宗を正しく受け継いでいるのはワシじゃ!と言い切っているのは
流石であります。
(´・(ェ)・`)b >>620
60歳になるは間違いでありますね。
森に出逢ったのは77歳のとこでありますから。
永遠に生きる・・・みたいな意味でありますかね。
(´・(ェ)・`)つ .
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馬鹿じゃねーの?
頭悪そうwwww
心療内科逝けよwwwww
生きてて楽しい?
知育障害?
恥ずかしーwww
まじキモ―! ,, -──- 、._ 智慧の声が聞こえた?
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:/ _ノ ヽ、_ ヽ.: 偽僧侶の統失ナマポおじさんwww
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:| (__人__) |: お薬飲んでるか??
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:` 、 `ー' /: 仏教向いてないよ、お前w
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:l_j_j_j と)丶─‐┬.''´ キチガイだろwwww
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:/ :⊂ノ|: wwwwwwwwwwwwwwwwwwww >>621 どういたしまして、またおいでなさい。
>>623 この一夜が永遠じゃ、というような意味じゃな。
時間の概念がなければ刹那に永遠を観られるのじゃ。
>>620
14
悪詩題取記吾曾
儒雅風流破戒僧
吟断十年樵屋底
山林暗夜対残灯
自分のことを題にして下手な詩を詠んでみる
儒者の風雅は僧には破戒なのである。
なので、詩作を断って十年間きこり小屋に暮らし
山林の暗夜に残灯(ブッタの禅)に向って坐っているのじゃ
>>625
鬼和尚、ありがとうであります。
(´・(ェ)・`)つ .
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馬鹿じゃねーの?
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:/ :⊂ノ|: wwwwwwwwwwwwwwwwwwww 自作自演がバレバレじゃんw
386 名前:おさかなくわえた名無しさん[] 投稿日:2020/05/14(木) 14:09:45.59 ID:t8vedZ6F
鬼和尚、こちらのスレで進行中の一休の詩の解説をお願い致しまするm(__)m
鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 3
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/
625 名前:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [sage] 投稿日:2020/05/15(金) 22:57:59.41 ID:hKhIR6Oy
>>621 どういたしまして、またおいでなさい。 >>626
若いころは、下手な詩を詠んでいたが、それは破戒なので、
十年間山篭りの修行をしてから、森女に出逢ったのでありますね。
一休さんは、森女に出逢った時には大悟してたのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ .
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15
錯來領衆十年餘 あやまって衆を領ず
實悟不知多是虚 実は悟りを知らず多くは是れ嘘
及欲破除邪法輩 邪法の輩を破除せんと欲すも
夜來背發茫昵s 夜来背に發茫昵s(?)
あやまって弟子たちを指導した十余年。
実は悟りを知らず、多くは嘘であった。
邪法の輩を追い出したいが、
夜毎背中の腫れ物が広がる。
病中二首 としてもう一首あるので、
16
樂山兩粥懶殘芋 ?
昔年祖師修行苦 昔年祖師修行に苦しむ
棒喝機關作家禪 ぼうかつ機関さっかの禅
不是牢關末期句 これ牢かん末期の句にあらず
禅宗はうっかり芋粥に芋を入れ忘れたのだ。
昔から祖師たちは苦しい修行をしてきた。
厳しい組織の指導者による禪である。
しかし、これが、解脱のための最終解答ではない。
こんな訳でよいのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ ↑そのような訳でよいのじゃ。
いろいろ後悔しているようじゃ。
大徳寺で紛争などもあったようであるからのう。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています