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33の2『I AM THAT 私は在る』
【33 すべてはひとりでに起こる】(つづき)

 質問者 「私は身体だ」と考えることはマインドの欠点だと、私は言われま
 した。
 マハラジ
 なぜそんなふうに言うのかね?
 そのような表現は問題を生むだけだ。
 真我がすべての源でありすべてなのだ。
 それが最終目的地だ。
 それ以外には何もない。
 質問者 身体の観念が強迫観念になれば、それは過ちなのでしょうか?
 マハラジ
 身体の観念は何も間違いではない。
 「私は身体だ」という観念さえ間違いではない。
 ただ自己をひとつの身体に限定することが過ちなのだ。
 実際には、すべての存在、すべての形態は私自身のもの、私の意識のなかに
 ある。
 私は何か、と言うことはできない。
 なぜなら言葉は何が私ではないか、しか描写できないからだ。
 私は在る。
 そして、私が在るゆえにすべては在る。
 私は意識を超えている。
 それゆえ、私とは何かを意識のなかで表すことはできないのだ。
 それでも、私は在る。
 「私は誰か?」という質問に答えはない。
 いかなる体験もそれに答えることはできない。
 なぜなら、真我は体験を超えているからだ。
 質問者 しかし、それでも「私は誰か?」という質問は役に立つはずです。
 マハラジ
 その答えは意識内にはない。
 それゆえ、意識を超えていくことを助けるのだ。
 質問者 私はここに在ります。この瞬間に。そのなかの何が実在で、何がそ
 うではないのでしょうか? さあ、どうか私の質問が間違っている
 とは言わないでください。質問を疑問視することでは、どこにも到
 達しません。
 マハラジ
 あなたの質問は何も間違ってはいない。
 不必要なだけだ。
 あなたは「今ここに私は在る」と言った。
 そこで止まりなさい。
 これが実在だ。
 事実を質問にすり替えてはいけない。
 そこにあなたの過ちがあるのだ。
 あなたは知ることでも、知らないことでもなく、マインドでも物質でもない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)