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バガヴァッド・ギーター 第十八章(つづき)

「プラクリティである、三つのグナにより、
人々が好む知性について、三つの種類がある。
知性、決意、幸福について、同じことが言える。」

「サットヴァの人が愛する、知性とは何か。
束縛するものと解放するもの、活動と非活動、
勧戒と禁戒、美徳と不徳を分別するものである。」

「ラジャスの人々が愛する、知性とは何か。
束縛するものと解放するもの、活動と非活動、
勧戒と禁戒、美徳と不徳を分別しない事である。」

「タマスの人が愛している、知性とは何か。
束縛するものと解放するもの、活動と非活動、
勧戒と禁戒、美徳と不徳を取り違える事である。」

「サットヴァの人が愛する、決意とは何か。
ヨーガの修行することで、精神が不動となり、
マナスとプラーナと感覚を、支配する事である。」

「ラジャスの人々が愛する、決意とは何か。
世間に於いても、修行に於いても、ひたすら、
名誉と利欲を得ようと、努力し続ける事である。」

「タマスの人が愛している、決意とは何か。
恐れること、嘆くこと、悲しむこと、愚かさ、
これらを愛して、抜け出そうとしない事である。」

「サットヴァの人が愛する、幸福とは何か。
始めは毒薬のようで、後で甘露のようになる。
覚醒の道を進むことで、清純に至ることである。」

「ラジャスの人々が愛する、幸福とは何か。
始めは甘露のようで、後で毒薬のようになる。
感覚の味を得ることで、錯覚を喜ぶことである。」

「タマスの人が愛している、幸福とは何か。
始めが幻想のようで、後も妄想のようである。
真我を覆い隠すことで、幻影を見ることである。」

(´・(ェ)・`)
(つづく)