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『I AM THAT 私は在る』
【33 すべてはひとりでに起こる】(つづき)

 質問者 今ここで私が尋ねているのは事実です。「私は身体だ」という感覚
 はいつ起こるのでしょう? 誕生時に起こるのでしょうか? ある
 いは今朝起こったのでしょうか?
 マハラジ
 今だ。
 質問者 しかし、昨日もそれがあったのを私は覚えていますよ!
 マハラジ
 昨日の記憶も今にしかない。
 質問者 しかし、確かに私は時間のなかに存在しています。私には過去と未
 来があります。
 マハラジ
 あなたがそう想像するだけだ、今。
 質問者 はじまりがあったはずです。
 マハラジ
 今がある。
 質問者 では、終わりは?
 マハラジ
 はじまりのないところに終わりはない。
 質問者 しかし、私は自分の質問を意識しています。
 マハラジ
 偽りの質問には答えられない。
 それはただ偽りとして見られるだけだ。
 質問者 私にとってそれは実在です。
 マハラジ
 あなたにとって、いつそれが実在として現れたのか。
 今だ。
 質問者 ええ。それは私にとって、まったく実在です、今。
 マハラジ
 あなたの質問のどこが実在なのだろうか?
 それはマインドの状態だ。
 どんなマインドの状態も、マインドと同様実在ではありえない。
 マインドは実在だろうか?
 それはそれぞれが一時的な状態の集まりにすぎない。
 一時的状態の連続をどうして実在として考えられるだろうか?
 質問者 糸に通した数珠玉のように、出来事は出来事の後に続いていきます。
 永遠に。
 マハラジ
 それらはみな、「私は身体だ」という基本的観念の糸に連なっているのだ。
 しかし、これもまた精神的状態で永続せず、ほかのすべての状態のように来
 ては去っていく。
 「身体―精神」の存在という幻想がそこにあるのは、ただ、よく調査しなか
 ったからだ。
 未調査という糸にすべてのマインドの状態は連なっている。
 それは暗室の暗闇のようなものだ。
 一見、それはそこにあるように見える。。
 だが、ひとたび扉が開かれたら、暗闇はどこへ行くだろうか?
 どこへも行きはしない。
 なぜなら、それはそこにはなかったのだ。
 すべてのマインドの状態、すべての名前と形のある存在は、未探求と未調査、
 想像と軽信のなかにその根を下ろしている。
 「私は在る」と言うことは正しいが、「私はこれだ、私はあれだ」と言うこ
 とは、探求せず、確かめずにいたこと、精神的弱さ、無関心の現れだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)