>>40
『I AM THAT 私は在る』
【33 すべてはひとりでに起こる】

 質問者 ジニャーニ(賢者)は死ぬのでしょうか?
 マハラジ
 彼は生と死を超えている。
 私たちが避けることができない生まれ、そして死ぬということは、彼にとっ
 ては不動のなかの動、不変のなかの変化、永遠のなかの終焉(しゅうえん)
 という表現として見なされる。
 ジニャーニにとっては何も生まれず、何も死なず、何も続かず、何も変わら
 ない。
 すべては時を超えて、あるがままだということが明らかなのだ。
 質問者 あなたは、ジニャーニは超越していると言いますが、何を超えてい
 るのでしょうか? 知識を超えているのでしょうか?
 マハラジ
 知識は現れては消える。
 意識は存在のなかに立ち現れ、存在から立ち去る。
 それは日々起こる出来事であり、観察されることだ。
 私たちはみな、ときどき意識的であり、ときどきそうではない。
 私たちが意識のないとき、それは暗黒、または空白として現れる。
 だが、ジニャーニは彼自身が意識的でも無意識的でもなく、ただ純粋に気づ
 いていて、マインドの三つの状態*とその内容の観照者だと知っているのだ。
 ( *訳注 「マインドの三つの状態」:目覚め、夢見、眠りの状態。)
 質問者 この観照はいつはじまるのでしょうか?
 マハラジ
 ジニャーニにとっては、はじまりも終わりもない。
 塩が水に溶けるように、すべては純粋な存在のなかに溶けていく。
 智慧とは永遠に非実在を否定していくことだ。
 非実在を見ることが智慧なのだ。
 その彼方には表現不可能なものがある。
 質問者 私のなかには、「わたしは身体だ」という確信があります。もちろ
 ん、私は智慧から語ってはいません。しかし、自分自身を身体、
 「身体―精神」、あるいは純粋なマインドと感じる状態はいつはじ
 まるのでしょうか?
 マハラジ
 意識のはじまりに関して語ることはできない。
 時間とはじまりという観念は意識のなかに在るのだ。
 何であっても、そのはじまりに関して語るには、そこから外に足を踏みださ
 なければならない。
 そしてひとたび外に出れば、そのようなものはけっして存在していなかった
 ことがわかる。
 ただ実在だけが在り、そのなかにそれ自身として独立した存在を持つものは
 ない。
 波が海から分離することができないように、生きるものすべても存在に根づ
 いているのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)