>>341 そうじゃ、善かったのじゃ。
 正しい知識は修業を実践する時に継続する道標となるものじゃ。
 自分が何か間違っているのではないかと疑心暗鬼になれば迷いも出て、修業を辞めてしまうこともあるからのう。
 更に精進あるのみなのじゃ。

>>343 なにやら可哀想になってきたのう。
 一切反論しないということは自分が何か物凄い見当違いをしていたことには気づいたのじゃな。
 要するに唯識とは認識されたものが全てであるから、認識できないものとは存在しないということになるということだけじゃ。
 唯識の要旨を知っていれば直ぐにわかることじゃ。

 阿頼耶識などは全く関係ないのじゃ。
 唯識であるから何か阿頼耶識のことを書いているのであろうとか、てきとうに見当をつけていてはいかんのじゃ。
 上の如くおぬしに佛教の知識や体験がないことはもはやみんな知っているからそのようにはったりを書かないで善いのじゃ。
 
>>349 そうじゃ、もはや何の期待も無く法を説くのじゃ。
 真摯に道を求める者の道標になるだけなのじゃ。
 愚かな者にも慈悲によって教えを説くのじゃ。