>>251 そうじゃ、それがアートマンの法であり、道なのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>253 違うのじゃ。
 それはないのじゃ。
 アートマンはそもそも存在しないのじゃ。
 上に書いたようにそのような認識できないものがあるとしたほうが修業の目標になり、やり易いから説かれたのじゃ。
 そしてそれは正しい説き方なのじゃ。
 何か修業の途中で認識できるものがあればそれは幻影と言えるからのう。
   
 唯識論が概ね正しいのじゃ。
 記憶に依存した認識である阿頼耶識が消えれば本来の認識が現れるのじゃ。
 主体も客体も無く認識するのが本来の認識なのじゃ。
 それを9識というとものいるが、言葉で説かないほうが正しいとする者も居るから知られないのじゃ。
 どちらも正しいのじゃ。

>>255>>256 クリシュナが説いたのは、本来カルマヨーガであるが、ここではそれとともにアートマンの法やブラフマンも説いているのじゃ。
 ギーターが読むべきものとされているのはそのようにヴェーダの法を遍く解説しているところじゃろう。
 仏教で言えば法華経のようなものじゃ。
 重要な法を物語りに託してそれぞれ説いているものなのじゃ。
 ここまでは百科事典的なものといえるのじゃ。
 後に更に詳しく解説が為されるのじゃろう。