X



鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 3
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001名無しを整える。
垢版 |
2018/06/14(木) 06:16:59.12ID:QDZvGNkZ
前スレ:鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 2
0231名無しを整える。
垢版 |
2018/08/28(火) 03:21:55.26ID:dnM4kBZG
たびたび失礼します。
三つのグナの教えをみて感じたのですが、
これらの心のどの状況も苦を生むようにできているように思えるのです。
性格とはこれらの組み合わせにすぎないと説いた人もいます。
どの状況にも囚われないことが大事なのでしょうか。
自身に強くある性質がこれだと感じた場合、
それと真逆のことをすべきなのでしょうか。
0232名無しを整える。
垢版 |
2018/08/28(火) 03:24:44.12ID:r8vQoVVv
たびたび失礼します。
三つのグナの教えをみて感じたのですが、
これらの心のどの状況も苦を生むようにできているように思えるのです。
性格とはこれらの組み合わせにすぎないと説いた人もいます。
どの状況にも囚われないことが大事なのでしょうか。
自身に強くある性質がこれだと感じた場合、
それと真逆のことをすべきなのでしょうか。
0233名無しを整える。
垢版 |
2018/08/28(火) 03:24:59.48ID:72K+Amuy
たびたび失礼します。
三つのグナの教えをみて感じたのですが、
これらの心のどの状況も苦を生むようにできているように思えるのです。
性格とはこれらの組み合わせにすぎないと説いた人もいます。
どの状況にも囚われないことが大事なのでしょうか。
自身に強くある性質がこれだと感じた場合、
それと真逆のことをすべきなのでしょうか。
0234名無しを整える。
垢版 |
2018/08/28(火) 06:47:03.72ID:GfP00RWq
>>227
バガヴァッド・ギーター 第二章(つづき)

「彼が殺すと思う者、彼が滅びると思う者、
どちらも、私という者を、理解できていない。
真我は殺しもしないし、真我は殺されもしない。」
「彼は、決して生まれず、決して死なない。
彼は、不生であり、常住であり、不滅であり、
自我は殺められようとも、真我は危められない。」
「さながら、人々が、服を着替えるように、
魂は、古い体を捨てて、新しい体に着替える。
服を破った処で、彼を殺せたと言えるだろうか。」
「如何なる物も、彼を危めることは出来ず、
如何なる者も、真我を殺めることは出来ない。
真我は、不動であり、堅固であり、永遠である。」
「彼が、死なないと考えて、嘆くにしても、
彼が、死んでしまうと考えて、歎くにしても、
彼が嘆くことはない、彼は現れないものである。」
「生が生まれると、必ず、死が埋れている。
生れれば死んでしまい、死ねば生れてしまう。
避けられないことに、君は、嘆くべきではない。」
「無いものが、現われてから、消えていく。
あらゆる現れは、無から始まり、無に終わる。
どうして、この事実を、悲しむ必要があろうか。」
「ある者は、この事実を、見て驚くだろう。
又、ある者は、この真実を、聞き愕くだろう。
それでも、彼を見とめる者は、何処にも居ない。」
「一切の者の身体に宿っている、この魂は、
永遠不滅であり、殺すことなど不可能である。
だから、君は、このことを、嘆くべきではない。」
「クシャトリア、武人の義務から考えても、
真理を護る戦いより、優れるものがあろうか。
武人として、聖戦に挑めれば、冥利に尽きよう。」
「戦えば、天国の使者が、君を出迎えよう。
逃げるなら、義務を果せず、武人の名が廃る。
戦士が汚名を残す屈辱は、戦死よりも耐え難い。」
「君が逃げるなら、今まで称えていた者も、
卑怯者や、臆病者と、君を蔑むようになろう。
況や敵をや、これに勝る恥辱が、何処にあろう。」
「君が戦死すれば、天上で極楽を味わうし、
君が戦勝すれば、地上で栄華を味わうだろう。
アルジュナよ、立ち上がれ、戦う、決心をせよ。」
「幸か不幸か、損か得か、勝つか負けるか、
考えることなく、我を忘れ、戦うべきである。
そうすれば、決して、君は罪を負うことがない。」

(´・(ェ)・`)
(つづく)
0235名無しを整える。
垢版 |
2018/08/28(火) 06:48:15.97ID:GfP00RWq
>>230
おー!
マハラジさんおすすめでありましたか!
ありがとうであります。
(´・(ェ)・`)つ
0236名無しを整える。
垢版 |
2018/08/28(火) 22:31:56.93ID:erFeNzUj
格義仏教的な理解では、佛教の理解なんて一生無理だなw
0237鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/08/28(火) 22:51:02.81ID:sxGBTmzC
>>229 そうじゃ、お釈迦様は産まれによるカーストの区別には反対であったがのう。
 それぞれの義務を果たすものがその職に在るものなのじゃ。
 修業するものがバラモンであり、商いをする者が商人なのじゃ。

>>233 三つのグナはどれも執着すれば苦になるじゃろう。
 しかし、サットヴァは知覚するものであり、苦を厭離できる性質のものでもあるのじゃ。
 よく使えば苦を厭離できるのじゃ。
 執着せずに使うとよいのじゃ。
0238名無しを整える。
垢版 |
2018/08/28(火) 23:49:47.78ID:GfP00RWq
グナについて復習

>2.15 得たものを失うことへの恐怖と懸念、結果として心の中に残り新たな切望をひき起こす印象、心を支配する三グナの絶えざる相克、これらに鑑みるとき、識別ある者にとっては実にあらゆるものが苦である。

>サットヴァとは気づくこと、認識することなのじゃ。
ラジャスとは活動なのじゃ。
タマスとは惰性なのじゃ。

>グナとはサットヴァ、ラジャス、タマスの三つの心の性質なのじゃ。
客体が同一でも認識が異なるのはその性質の優位に違いがあるからというのじゃ。
同じものを観てもサットヴァが優位ならば智慧を持って見られるのじゃ。
ラジャスが優位ならば活動的なものとしてみるのじゃ。
タマスが優位ならば怠惰なものとしてみるのじゃ。

専門用語に慣れなければなりますまい。
(´・(ェ)・`)つ
0239名無しを整える。
垢版 |
2018/08/29(水) 06:44:01.97ID:AklDBYN/
>>234
2バガヴァッド・ギーター 第二章(つづき)

「以上は、理論に於ける、知性の話をした。
以下は、実践に於ける、知性の話しをしよう。
知性を磨き上げれば、君は行為の束縛を離れる。」

「知性は、多くのものに、分けようとして、
真の知性は、一つのものに、集めようとする。
その念の力を、真我に集めて、人々は解脱する。」

「この実践には、無駄もなく、後退もなく、
それゆえ、この道を、少しだけ進むだけでも、
大いなる輪廻の恐怖が、減っていくことになる。」

「愚か者は、ヴェーダの華麗な詩句に酔い、
感覚の満足と、贅沢な生活に、心を奪われる。
様々な儀式を執り行い、天界に至ることを望む。」

「財宝の蓄積や、感覚の快楽に捕らわれて、
その追求のために、彷徨い続ける人の心には、
真理を愛して、神理に仕える、思いは生じない。」

「ヴェーダでは、善性と暗性と動性を説く。
アルジュナよ、いつも、善性を拠り所として、
執着を離れ、相対を脱却して、自己を統御せよ。」

「至る所に水が溢れる時、井戸は要らない。
同様に、真理を悟った者に、経典は要らない。
ヴェーダに溺れる者には、ヴェーダが未だ要る。」

「カルマとは、行為であり、結果ではない。
よって、行為の結果を、行為の動機とするな。
また、何もしないことに、囚われてはならない。」

「アルジュナよ、カルマを忠実に遂行せよ。
成否に捕らわれる、あらゆる余念を放棄せよ。
こうした、心の静寂を、ヨーガと呼ぶのである。」

「奉仕の精神で、行為の果報を期待しない。
一切の結果を、真我に委ねて、義務を果たせ。
報酬を期待するのは、雇われている人間である。」

「全智者に対して、自らを奉げた奉仕者は、
この世に於いて、自我を越えて善悪を離れる。
アルジュナよ、これこそが、行為の秘訣である。」
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0240鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/08/29(水) 22:28:46.15ID:JfRxzFkJ
>>238 そうじゃ、次の文もグナを説いているのじゃ。

「ヴェーダでは、善性と暗性と動性を説く」
 善性とはサットヴァのことなのじゃ。
 暗性がタマスであり、動性がラジャスなのじゃ。
 「アルジュナよ、いつも、善性を拠り所として、
執着を離れ、相対を脱却して、自己を統御せよ。」
というのがサットヴァによって観察し、執着を離れ、相対的な観念を脱却して自己を統御せよというのじゃ。
 
0241名無しを整える。
垢版 |
2018/08/30(木) 14:45:09.19ID:7b8NO5lq
>>239
バガヴァッド・ギーター 第二章(つづき)

悲しみに沈む彼に、クリシュナは、こう言った。

「仏性が、真理である、神と合一した者は、
行為の結果を捨てて、生と死の束縛を離れる。
そして、苦楽を越えた、憂い無き境地に達する。」

「仏性が現れて、迷妄の闇から抜け出すと、
過去に捕えたこと、未来に捉えるだろうこと。
すべてに超然として、心が囚われることがない。」

「君の心が、ヴェーダの詩句に惑わされず、
すべてを平等に捉える、自己の本性を悟ると、
三昧により、不動となり、神の意識に到達する。」

アルジュナは、クリシュナに、このように問う。

「クリシュナよ、真我に没入した者の意識、
智慧を具足した者の心とは、如何なるものか。
彼は、如何に語り、如何に座り、如何に歩むか。」

クリシュナは、アルジュナに、このように説く。

「アルジュナよ、感覚の欲望を悉く離れて、
自己の本性に満足し、超然として泰然とする。
純粋なる意識に、目覚めた者、彼を賢者と呼ぶ。」

「逆境に於いても、心が乱れることがなく、
順境に在っても、心が思い上がることがない。
貪瞋痴を越え、不動となる者、彼を聖者と呼ぶ。」

「好きなものを見ても、囚われることなく、、
嫌いなものを見ても、捕らわれることがない。
好き嫌いの感情を超越した者、彼を覚者と呼ぶ。」

「あたかも、亀が手足を甲羅に収める様に、
眼耳鼻舌身の対象から、感覚を引き払う者は、
完全なる智慧、プラジュニャーを得たと言える。」

「たとえ、禁欲を為して、快楽を離れても、
過去に味わった快楽は、記憶として残される。
それは、より良い物を味わい、越えるしかない。」

(´・(ェ)・`)
(つづく)
0242鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/08/30(木) 22:51:44.79ID:x9XxRpd1
行為の結果を期待せずに行うのがカルマヨーガなのじゃ。
難しいことでは在るがのう。
それが出来れば修業にも成果を気にせず打ち込めるのじゃ。
精進すれば純粋な意識にも到達するのじゃ。
0243名無しを整える。
垢版 |
2018/08/30(木) 23:32:21.49ID:7b8NO5lq
>>242
うむ。
不思議なことは、まるっきり予期してないときにしか起こらないのであります。
して、起こっても、気のせいかなと思っている短期間に、繰り返し起こるのである。
で、よし!と思って、再現性を期待すると、テコでも起こらないのである。
不思議であります。
(´・(ェ)・`)つ
0244名無しを整える。
垢版 |
2018/08/31(金) 06:53:17.77ID:7R1dixOW
>>239
2バガヴァッド・ギーター 第二章
悲しみに沈む彼に、クリシュナは、こう言った。

「仏性が、真理である、神と合一した者は、
行為の結果を捨てて、生と死の束縛を離れる。
そして、苦楽を越えた、憂い無き境地に達する。」

「仏性が現れて、迷妄の闇から抜け出すと、
過去に捕えたこと、未来に捉えるだろうこと。
すべてに超然として、心が囚われることがない。」

「君の心が、ヴェーダの詩句に惑わされず、
すべてを平等に捉える、自己の本性を悟ると、
三昧により、不動となり、神の意識に到達する。」

アルジュナは、クリシュナに、このように問う。

「クリシュナよ、真我に没入した者の意識、
智慧を具足した者の心とは、如何なるものか。
彼は、如何に語り、如何に座り、如何に歩むか。」

クリシュナは、アルジュナに、このように説く。

「アルジュナよ、感覚の欲望を悉く離れて、
自己の本性に満足し、超然として泰然とする。
純粋なる意識に、目覚めた者、彼を賢者と呼ぶ。」

「逆境に於いても、心が乱れることがなく、
順境に在っても、心が思い上がることがない。
貪瞋痴を越え、不動となる者、彼を聖者と呼ぶ。」

「好きなものを見ても、囚われることなく、、
嫌いなものを見ても、捕らわれることがない。
好き嫌いの感情を超越した者、彼を覚者と呼ぶ。」

「あたかも、亀が手足を甲羅に収める様に、
眼耳鼻舌身の対象から、感覚を引き払う者は、
完全なる智慧、プラジュニャーを得たと言える。」

「たとえ、禁欲を為して、快楽を離れても、
過去に味わった快楽は、記憶として残される。
それは、より良い物を味わい、越えるしかない。」

(´・(ェ)・`)
(つづく)
0245名無しを整える。
垢版 |
2018/08/31(金) 18:39:10.56ID:wIEFquqL
鬼和尚、サットヴァ=阿頼耶識=観察する能力なんですか?
0246鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/08/31(金) 22:28:46.63ID:uKc3ARP0
>>243 期待すると記憶による観念を見ようとしてしまうからなのじゃ。
 何の計らいも捨ててただひたすら集中するとよいのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>245 サットヴァは心の性質であるから阿頼耶識ではないのじゃ。
 ものごとを認知する性質なのじゃ。
 阿頼耶識がもつ性質の一つとはいえるじゃろう。
 それをうまく使えばよいのじゃ。
 
0247名無しを整える。
垢版 |
2018/09/01(土) 08:14:59.07ID:7ScrrC5V
>>246
>何の計らいも捨て
と言うことの意味が、よくわかったであります。ありがとうであります!

> サットヴァは心の性質であるから阿頼耶識ではない。
(阿頼耶識)ものごとを認知する性質
(サットヴァは)阿頼耶識がもつ性質の一つ
 
で、ありますか?
(´・(ェ)・`)つ
0248名無しを整える。
垢版 |
2018/09/01(土) 08:24:59.20ID:7ScrrC5V
>>244
バガヴァッド・ギーター 第二章(つづき)

「アルジュナよ、感覚の欲求は強く激しく、
行を修めた者の心さえ、力ずくで揺るがせる。
不動の真我に、心を合わせる者は、智者である。」

「対象を見たり、対象を思ったりする事で、
人は、その対象に、愛着を感じるようになる。
愛着から欲望が生じて、欲望から嫌悪が生じる。」

「嫌悪から妄想が生じ、妄想で記憶が乱れ、
今までの教訓を忘れ、仏性が曇らされていく。
その結果、人々は、物質次元、現象界に落ちる。」

「解脱の道を歩んで、感覚を統御する者は、
真我の恩寵により、愛着と嫌悪から出離する。
現象界の、三重苦が消滅して、知性が安定する。」

「知性が、真我に回帰しようとしない限り、
感情も治められないし、仏性も修められない。
平安の境地に臨めないと、真の幸福も望めない。」

「あたかも、舟が風に吹き流されるように、
たった、一つの感覚でも、心を奪われたなら、
たちまち、人の仏性は、吹き飛ばされてしまう。」

「クンティーの息子である、アルジュナよ。
諸々の感覚の対象から、完全に撤退した者や、
完全に超越した者は、完全に覚醒したと言える。」

「愚者に夜であろうと、賢者には昼である。
愚者には昼であろうとも、賢者には夜である。
賢者は、他の生物とは、異なる見方をしている。」

「さながら、無数の川が流れ込んでいても、
海は泰然としていて、常に不動であるように、
他の欲が流れ込んでも、賢者は平然としている。」

「物欲や肉欲、すべての欲望を放棄した者、
支配欲や所有欲、あらゆる願望を出離した者、
このような人だけが、真実の平安に至るだろう。」

「これが、ブラフマンに到達する道である。
ここに到達した者は、一切の迷妄が消滅する。
臨終に際して、ここに至れば、光明に没入する。」
(´・(ェ)・`)
(おわり)
0249名無しを整える。
垢版 |
2018/09/01(土) 21:22:01.57ID:TS1gimP6
「アルジュナよ、感覚の欲求は強く激しく、
行を修めた者の心さえ、力ずくで揺るがせる。
不動の真我に、心を合わせる者は、智者である。」

真我に心を合わせるとは、無に集中するということでしょうか?
0250鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/09/01(土) 23:22:53.42ID:Bwkvh45C
>>247 サットヴァはものごとを認知する性質なのじゃ。
 サットヴァは阿頼耶識のもつ性質の一つと言えるのじゃ。
 そのように理解すると善いのじゃ。

>>249 真我とはそれ自体は認識できない認識の主体なのじゃ。
 ただ見るだけのものなのじゃ。
 見る意識そのものなのじゃ。
 何かを見ても心にそれに対する好悪や愛着が無ければ真我に心を合わせたといえるのじゃ。
 ただ見たものごとを見たものだけであると認識するのじゃ。
 サマーディ、忘我、無我の認知なのじゃ。
0251名無しを整える。
垢版 |
2018/09/02(日) 08:29:39.98ID:uuWWb54e
>>250
鬼和尚、ありがとうであります。
> 真我とはそれ自体は認識できない認識の主体。

そのような主体があった方が、無我にたどり着く道のイメージを持ちやすくなる気がするであります。
(´・(ェ)・`)つ
0252名無しを整える。
垢版 |
2018/09/02(日) 08:43:05.79ID:uuWWb54e
バガヴァッド・ギーター 第三章

アルジュナは、クリシュナに、このように問う。
「クリシュナよ、果報を求める行為よりも、
知性を磨く行為の方が、優れているのならば、
どうして、わたしに、戦えと言われるのですか。」
「あなたが、曖昧な言い方をしているため、
わたしの心は、迷いを越えることが出来ない。
私にとって、最善の道は何か、明言して下さい。」
クリシュナは、アルジュナに、このように説く。
「この世で、真理を悟る道は、二つがある。
ヨーギーには、実践者の道、行為の道があり、
サーンキャには、理論家の道、哲学の道がある。」
「たとえ、作為を恐れて、行為を避けても、
すでに犯した罪からは、逃れられる事はない。
この世を捨てたとしても、越えられる事はない。
「好もうが、好むまいが、人というものは、
プラクリティのグナによる、カルマによって、
唯の一瞬たりとも、活動しないでは居られない。」
「体が動かなくても、心が動いているのは、
自らを欺く行為であり、彼は偽善者に等しい。
体が動いても心は動じず、これが放棄者である。」
「何もしないこと、無作為に徹するよりも、
何も囚われないこと、無頓着に徹するべきだ。
行為をしなければ、肉体さえ維持できなくなる。」
「アルジュナよ、真我のために、活動せよ。
さもなければ、行為に縁って、行為が導かれ、
この、現象界に縛り付ける、輪廻の原因となる。」
「はじめに、創造主は、万物を創造されて、
それぞれ、カルマを与え、このように言った。
行為を奉げなさい、願望は適えられるだろうと。」
「人々から供養を受けて、神々は満足して、
神々から加護を享けて、人々は安心している。
神に報いられ、神に酬いない者は、盗賊である。」
「自らが食べる物を、自ずから食べる前に、
神に対して奉げる者は、すべての罪を免れる。
味を貪り食べる者は、罪を食べるようなものだ。」
「すべての生物は、穀物により生きている。
すべての穀物は、恵みの雨により生きている。
天からの雨は、義務の遂行によって降って来る。」
「カルマは、ブラフマンから発されていて、
ブラフマンは、永遠普遍の至高の存在である。
だからこそ、カルマに不滅の存在が関って来る。」
「アルジュナよ、こうして、行為の車輪を、
すなわち、チャクラを、回転し続けない者は、
感官の快楽を貪り続けて、空しい人生を過ごす。」
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0253名無しを整える。
垢版 |
2018/09/02(日) 13:48:07.23ID:RMgKZVR3
>>250
>真我とはそれ自体は認識できない認識の主体なのじゃ。

「それ自体は認識できない認識の主体」とは「私は在る」とか観照者と呼ばれているものですか?

鬼和尚さまが悟るとは認識を滅することだとおっしゃているのは、その「それ自体は認識できない認識の主体」が消えることですか?

だとしたら涅槃においては何も認識のようなものはないということでしょうか、あるいは別の認識があるのでしょうか

涅槃は知覚の対象にならないとか認識できないというような説明を見かけますが、認識できないものの存在が語られるのがよくわかりません

主客未分であるとき「それ自体は認識できない認識の主体」があり、主体は主客なき主体のまま在るのはわかりますが、
その先において主体と認識はどうなるのでしょうか
0254仏教の超初心者
垢版 |
2018/09/02(日) 14:04:08.27ID:TZoMLoVJ
先ず、

1.ここで鬼和尚と名乗っている者は、仏教僧ではないのに僧侶を騙る紛い物であること。
2.仏教とスレタイにはあるが、実際の内容は不二一元論であること。


本来、ヴェーダでは「真我(アートマン)とは何々であると定義できないもの」とされているので、「それ自体は認識できない認識の主体」とも定義され得ない。
本来、仏教では常・一・主・宰なる我という本体認めておらず、延いては「それ自体は認識できない認識の主体」等という、確認できないもの等形而上学上の問題については無記としている。


簡単に云うと、無認識であったことを後から認識するだけの事(無認識の認識)に他ならない。
0255名無しを整える。
垢版 |
2018/09/02(日) 19:59:44.95ID:SyRfW1bo
鬼和尚、ギーター2章のまとめをお願いします。
0257鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/09/02(日) 23:44:13.29ID:e77ganDF
>>251 そうじゃ、それがアートマンの法であり、道なのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

>>253 違うのじゃ。
 それはないのじゃ。
 アートマンはそもそも存在しないのじゃ。
 上に書いたようにそのような認識できないものがあるとしたほうが修業の目標になり、やり易いから説かれたのじゃ。
 そしてそれは正しい説き方なのじゃ。
 何か修業の途中で認識できるものがあればそれは幻影と言えるからのう。
   
 唯識論が概ね正しいのじゃ。
 記憶に依存した認識である阿頼耶識が消えれば本来の認識が現れるのじゃ。
 主体も客体も無く認識するのが本来の認識なのじゃ。
 それを9識というとものいるが、言葉で説かないほうが正しいとする者も居るから知られないのじゃ。
 どちらも正しいのじゃ。

>>255>>256 クリシュナが説いたのは、本来カルマヨーガであるが、ここではそれとともにアートマンの法やブラフマンも説いているのじゃ。
 ギーターが読むべきものとされているのはそのようにヴェーダの法を遍く解説しているところじゃろう。
 仏教で言えば法華経のようなものじゃ。
 重要な法を物語りに託してそれぞれ説いているものなのじゃ。
 ここまでは百科事典的なものといえるのじゃ。
 後に更に詳しく解説が為されるのじゃろう。
 
0258名無しを整える。
垢版 |
2018/09/02(日) 23:57:07.13ID:uuWWb54e
>>257
鬼和尚、いつもありがとうであります。  マハラジ、ギーターの二本立てになり、ご苦労をお掛け致しますが、よろしくお願いするであります。
どちらも、これから先が、ワクワクくまくまであります。
(´・(ェ)・`)つ
0259名無しを整える。
垢版 |
2018/09/03(月) 02:22:26.74ID:EO663O/v
>>258
別スレもあるんですか?
よかったらurl教えてください
0260名無しを整える。
垢版 |
2018/09/03(月) 02:34:32.26ID:EO663O/v
みつかりましたw
0261名無しを整える。
垢版 |
2018/09/03(月) 06:30:22.73ID:37cC01Vs
>>252
バガヴァッド・ギーター 第三章(つづき)

「一方で、自らの中に、アートマンを認め、
歓喜を帯び、満足を得て、安住している者に、
もはや、果たすべき業、義務は存在していない。」

「彼は、行為することで、得るものも無く、
また、行為をしないことで、失うものも無い。
そして、他の如何なる者にも、頼ることが無い。」

「よって、行為の結果に囚われることなく、
果すべき義務として、淡々と天命を遂行せよ。
そうしなければ、魂は、真我に回帰が出来ない。」

「例えば、ジャナカ王などが、挙げられる。
彼らは、義務の遂行により、覚醒に到達した。
君も、人々の手本となるべく、為すべきを為せ。」

「何事に於いても、偉人が行なったことを、
一般の人々は、同じように真似るものである。
指導者が範を示せば、彼に、全世界の人が倣う。」

「わたしは真我であり、この三界に於いて、
課せられていることなど、何一つとしてない。
それでいながら、なお、私は活動し続けている。」

「というのも、もし、私が活動しなければ、
誰もが私に倣って、活動しなくなってしまう。
私が活動しなければ、直ちに全世界が消滅する。」

「愚か者は、果報を求めて、活動をするが、
賢い者は、果報を求めないで、活動している。
その活動は、世の人を、正しく導くことである。」

「果報を求めない、賢者が活動しないとき、
果報を求めてしまう、愚者が混乱してしまう。
賢者は無償で活動して、奉仕の精神を倣わせる。」

「アルジュナよ、自我に囚われている者は、
サットヴァ、ラジャス、タマスの動きを見て、
自分が為している、働いていると考えてしまう。」

「しかし、一方、自我に捕らわれない者は、
自分の行為は、三つのグナの作用と見とめて、
決して、自分の行為に、捕らわれることがない。」

「アルジュナよ、三つのグナに惑わされて、
迷わされた人々は、現象界の活動に捕われる。
この姿は、囚われると見えず、越えると見える。」

「囚われた者に、不安を与えてはならない。
アルジュナよ、すべての行為を真我に任せて、
自らの行為と捕らえることなく、勇ましく戦え。」
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0262名無しを整える。
垢版 |
2018/09/03(月) 17:54:33.10ID:EO663O/v
マハラジやギーターの言う「真我」は鬼和尚の「意識」と同じものではないんですか?

マハラジ  何ひとつ私によっては為されない。
すべてはただ起こるのだ。
私は期待しないし、計画も立てない。
ただ出来事が起こるのを見るだけだ。
それらが非現実だと知りながら――。

質問者 真我を実現した最初の瞬間から、あなたはつねにこのようだったのでしょうか?

マハラジ  いつものように三つの状態は交替する。
そこには目覚め、眠り、そしてまた目覚めがあるが、私には起こらない。
それらはただ起こる。
私には何も起こらないのだ。
そこには不変不動、難攻不落の岩のように動じない何か、ひと塊の純粋な存在―意識―至福がある。
私はつねにそのなかに在る。
いかなる苦痛も、いかなる災難も、何も私をそこから引き出すことはできないのだ。

質問者 それでも、あなたは意識しています!

マハラジ  そうとも言えるし、またそうでないとも言える。
そこには深く、広大無辺な、揺るぎない平和がある。
できごとは記憶のなかに記録されるが、それらには何の重要性もない。
私はほとんど気がつかないほどだ。

質問者 もし私があなたを正しく理解したとすると、修練によって培うことではこの状態はやってきません。

マハラジ  やってくるということはない。
それはつねにそうだったのだ。
発見はあった。そして、それは突然のものだった。
誕生とともにあなたが世界を突然発見したように、私は突然、真我の存在を発見したのだ。

質問者 それは雲がかかっていて、あなたのサーダナ(修練)が霧を晴らしたのでしょうか?
あなたの状態は永久なものでしょうか、断続的なものでしょうか?

マハラジ  絶対的に揺るぎのないものだ。
私が何をするにせよ、それは岩のように不動なのだ。
ひとたび実在に目覚めたならば、あなたは実在のなかにとどまる。
子供は子宮のなかに戻りはしない!
それはシンプルな状態だ。
極小よりもさらに小さく、極大よりもさらに大きい。
それは自明であるにもかかわらず、描写を超えた彼方に在る。
0263253
垢版 |
2018/09/03(月) 18:44:03.54ID:mgR0mCrc
>>257
そうですか。

上座部仏教で言われている心、心所、色(物質)、涅槃の4つがあるという見方は妥当ですか?

妥当だとした場合、「私は在る」「観照者」「無我の境地」「九識」はどこに対応するものでしょうか?

心=「私は在る」「観照者」「無我の境地」
心所
色(物質)
涅槃=「九識」

でしょうか?

心と完全に厭離することで本来の認識(九識)があらわれそれが悟りであるということでしょうか
0264鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/09/03(月) 22:13:46.77ID:4d+sWj3y
>>262 真我は意識ではないのじゃ。
 それは悟りを得るための法なのじゃ。
 真我を実現して意識にたどり着くと言えるのじゃ。
 アートマンは月を示す指のようなものじゃ。
 
>>263 それらも修業の為に作られた観念なのじゃ。
 囚われてはいかんのじゃ。
 何も対応しないのじゃ。
 
 心というならばそれは唯識ではマナ識とかになるのじゃ。
 阿頼耶識を厭離できれば悟りなのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。
0265名無しを整える。
垢版 |
2018/09/03(月) 22:40:03.65ID:EO663O/v
>>264
>>262のマハラジ「私は突然、真我の存在を発見したのだ。 」
この部分はどう解釈すればよいのでしょうか?
0266仏教の超初心者
垢版 |
2018/09/03(月) 22:59:07.20ID:maWmGmHR
>>263
私は唯識に若干親しいので、その視座から五位で分析する場合は、以下に該当しませんでしょうか?

九識 → 心法
 (ただし第九識(阿摩羅識)は、唯識学では立てず、天台・華厳系にてたてられた識で、真如を示す 立ち位置ですのでよくは存じません)

「私は在る」 → 色法(認識である場合は心所法の慧?)
「観照者」 → 心所法(慧?)
「無我の境地」 → 心不相応行法(無想定、滅尽定) or 無為法(想受滅)
0267名無しを整える。
垢版 |
2018/09/03(月) 23:17:04.91ID:mgR0mCrc
>>264
あらゆる観念に捉われないというシンプルな導きですね。
ありがとうございました。

>>266
「私は在る」というのは二サルガダッタ・マハラジがよく話しているあらゆる認識に先だつ存在最初の感覚のことです。
観照者というのは非二元などでよく語られていますが定義が人によって少し違うように思います。
無我に関しては鬼和尚さまは自己の捉われはなくなったものの存在という認識の捉われが残っている小悟の状態として話されてるように思います。

鬼和尚さまの会話をいつも見ているのでこのあたりの鬼和尚さまの定義を理解したいと思い聞きました。

自分は唯識はまだあまり理解してないのでお言葉参考にして勉強してみたいと思います。
ありがとうございました。
0268佛教の超初心者
垢版 |
2018/09/03(月) 23:58:15.76ID:oODCE29n
>>267
成る程、そうですか。

>あらゆる認識に先だつ存在最初の感覚のことです。

佛教は現象(有為)については縁起説(此縁性や相依性等)なので「ありき」論はたてませんからね。
従って、マハラジ氏の「私はある」を佛教でいう五位説に当て嵌めるのは不適切でしたね。

>観照者というのは非二元などでよく語られて

その意味においても「観照者」も非佛の様ですから、同じく佛教でいう五位説に当て嵌めるのは不適切でしたね。

>鬼和尚さまの定義を理解したいと思い聞きました。

彼は佛教僧でないのは勿論、不二一元論者です。
0269名無しを整える。
垢版 |
2018/09/04(火) 06:45:09.92ID:Xo3ipGI9
>>261
3バガヴァッド・ギーター 第三章(つづき)

「もし、真我を信じて、私の教えに従がい、
いつでも、疑うことなく、行為をするならば、
いずれ、カルマの鎖を断ち、自由に成るだろう。」

「一方、真我を疑って、私の教えに逆らい、
いつでも、従うことなく、行為をしなければ、
いずれ、カルマの淵に落ち、破滅に至るだろう。」

「たとえ、優れた者でも、天命に縛られる。
つまり、あらゆる者は、本性に従がっている。
先天の性に逆らおうとしても、徒労に過ぎない。」

「感覚の対象に対して抱く、愛着と嫌悪を、
人は、よく修めることで、よく治めるべきだ。
この善悪の観念は、真理を悟る時に障害となる。」

「完全なる、他人の義務を引き受けるより、
不全だろうと、自分の義務を果し切りなさい。
他人の道で迷うよりは、自分の道で死ぬべきだ。」

アルジュナは、クリシュナに、このように問う。

「クリシュナよ、自分の意志に反してまで、
時に人は、罪深い行為に、駆り立てられるが、
このような、無意識の力は、何の力であろうか。」

クリシュナは、アルジュナに、このように説く。

「アルジュナよ、その力は、カーマである。
カーマとは、ラジャスから生じたものであり、
この欲界に現われる、最大の敵であると心得よ。」

「煙に巻かれている炎、塵で曇らされた鏡、
それから、子宮に包まれている胎児のように、
あらゆる生物は、それぞれ、欲に覆われている。」

「欲望という天敵に、意識は汚されている。
それは、底なしの谷のように、飽きを知らず、
燃え盛る炎のように、身と心を焼き焦している。」

「欲望は、眼と耳と鼻と舌と身と意に宿る。
欲望に狂わされた心は、仏性を覆い隠すため、
正しい道が解らなくなり、我々の魂を迷わせる。」

「バラタ一族の子孫である、アルジュナよ。
何よりも先ず自らの、五感を統御することで、
理論知と実践知を損う、欲望を滅尽することだ。」

「真我が現われないと、仏性は現われない。
仏性が現われないならば、精神は洗われない。
精神のない感覚は無く、感覚のない対象も無い。」

「それゆえ、私は、仏性よりも上位と知り、
至高の支配者である、アートマンを確立して、
カーマと呼ばれている、恐るべき敵を征服せよ。」
(´・(ェ)・`)
(おわり)
0270名無しを整える。
垢版 |
2018/09/04(火) 06:48:53.36ID:Xo3ipGI9
>>269
うー。
ギーターって、戦士に対する教えと言うことで、洗脳に悪用できるのではありますまいか?
(´・(ェ)・`)つ
0271名無しを整える。
垢版 |
2018/09/04(火) 07:47:24.05ID:bMjDWu5h
どんな教えでもその危険性はありますよね。

ダンマパダ311 茅草でも、とらえ方を誤ると、手のひらを切るように、修行僧の行も、誤っておこなうと、地獄にひきずりおろす。
0272鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/09/04(火) 22:56:46.38ID:efTluV2k
>>265 悟ったということをアートマンによって現したのじゃ。
 アートマンは本来実現されず、発見されないものじゃ。
 しかし、そのように言わなければ衆生はわからないからいうのじゃ。
 悟りも得るものでも、開くものでもないが衆生の為に悟りを得たとか、開いたとかいうのじゃ。
 得るものも開くものも無い悟りもそのように語らなければならないのじゃ。
 アートマンも実現されず、発見されないがそのように語らなければわからない者のために実現したとか発見したと言うのじゃ。

>>267 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさぃ。

>>270 そうじゃ、オウムの者も実はカルマヨーガによって洗脳されていたのじゃ。
 組織の為に殺人も良いという教義であるからのう。
 気をつけなればいかんのじゃ。
0273鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/09/04(火) 22:57:05.73ID:efTluV2k
>>265 悟ったということをアートマンによって現したのじゃ。
 アートマンは本来実現されず、発見されないものじゃ。
 しかし、そのように言わなければ衆生はわからないからいうのじゃ。
 悟りも得るものでも、開くものでもないが衆生の為に悟りを得たとか、開いたとかいうのじゃ。
 得るものも開くものも無い悟りもそのように語らなければならないのじゃ。
 アートマンも実現されず、発見されないがそのように語らなければわからない者のために実現したとか発見したと言うのじゃ。

>>267 そうじゃ、実践あるのみなのじゃ。
 またおいでなさぃ。

>>270 そうじゃ、オウムの者も実はカルマヨーガによって洗脳されていたのじゃ。
 組織の為に殺人も良いという教義であるからのう。
 気をつけなればいかんのじゃ。
0274名無しを整える。
垢版 |
2018/09/05(水) 06:21:04.37ID:EhZPyKyl
成る程ねぇ。

オカルト板で始まったスレに鬼和尚のコテハンで現れてレスしているうちに、本物の仏教僧と勘違いされて、

> 452 名前:本当にあった怖い名無し [sage] :
>2007/05/12(土) 00:34:05 ID:RT7LEuIb0
> なんでいつの間にか鬼和尚が仕切ってるような
> 流れになってるんだ?

になっていったんだな。
良識あるスレの住民からは非佛の指摘も出ていたけれど、勘違いした連中の声に掻き消されて・・・


事の始まりからして鬼和尚は胡散臭かった訳だ。
0275名無しを整える。
垢版 |
2018/09/05(水) 07:22:36.18ID:wdKJobBH
>>261
バガヴァッド・ギーター 第三章(つづき)

「もし、真我を信じて、私の教えに従がい、
いつでも、疑うことなく、行為をするならば、
いずれ、カルマの鎖を断ち、自由に成るだろう。」

「一方、真我を疑って、私の教えに逆らい、
いつでも、従うことなく、行為をしなければ、
いずれ、カルマの淵に落ち、破滅に至るだろう。」

「たとえ、優れた者でも、天命に縛られる。
つまり、あらゆる者は、本性に従がっている。
先天の性に逆らおうとしても、徒労に過ぎない。」

「感覚の対象に対して抱く、愛着と嫌悪を、
人は、よく修めることで、よく治めるべきだ。
この善悪の観念は、真理を悟る時に障害となる。」

「完全なる、他人の義務を引き受けるより、
不全だろうと、自分の義務を果し切りなさい。
他人の道で迷うよりは、自分の道で死ぬべきだ。」

アルジュナは、クリシュナに、このように問う。

「クリシュナよ、自分の意志に反してまで、
時に人は、罪深い行為に、駆り立てられるが、
このような、無意識の力は、何の力であろうか。」

クリシュナは、アルジュナに、このように説く。

「アルジュナよ、その力は、カーマである。
カーマとは、ラジャスから生じたものであり、
この欲界に現われる、最大の敵であると心得よ。」

「煙に巻かれている炎、塵で曇らされた鏡、
それから、子宮に包まれている胎児のように、
あらゆる生物は、それぞれ、欲に覆われている。」

「欲望という天敵に、意識は汚されている。
それは、底なしの谷のように、飽きを知らず、
燃え盛る炎のように、身と心を焼き焦している。」

「欲望は、眼と耳と鼻と舌と身と意に宿る。
欲望に狂わされた心は、仏性を覆い隠すため、
正しい道が解らなくなり、我々の魂を迷わせる。」

「バラタ一族の子孫である、アルジュナよ。
何よりも先ず自らの、五感を統御することで、
理論知と実践知を損う、欲望を滅尽することだ。」

「真我が現われないと、仏性は現われない。
仏性が現われないならば、精神は洗われない。
精神のない感覚は無く、感覚のない対象も無い。」

「それゆえ、私は、仏性よりも上位と知り、
至高の支配者である、アートマンを確立して、
カーマと呼ばれている、恐るべき敵を征服せよ。」
(´・(ェ)・`)
(おわり)
0276名無しを整える。
垢版 |
2018/09/05(水) 19:57:59.40ID:wB3xwv9O
真我に心を合わせている時は(できているのかわかりませんが)
行為する意欲もゼロになって体の動きも止まります
カルマヨーガはその状態で行為するということですが
どうやって行為するのでしょうか?

それとカルマヨーガとは結局どうやって悟りに至るんですか?
臨終に悟るんでしょうか?
「これが、ブラフマンに到達する道である。
ここに到達した者は、一切の迷妄が消滅する。
臨終に際して、ここに至れば、光明に没入する。」
0277鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/09/05(水) 21:39:37.73ID:pTZ5b1lQ
>>276 行為に没頭してサマーディに至るのじゃ。
 よくあることじゃ。
 仕事に熟れた職人などはそのようにして名品を生み出すのじゃ。

 サマーディに至れば自我も見えて無我にもなるのじゃ。
 無我になれば認識も厭離できるのじゃ。
 
0278名無しを整える。
垢版 |
2018/09/06(木) 09:57:29.43ID:2pqiaI3x
バガヴァッド・ギーター 第四章

クリシュナは、アルジュナに、このように語る。

「この不滅のヨーガを、至上者である私は、
太陽神である、ヴィヴァスヴァットに教えた。
それから、彼が、人類の父であるマヌに伝えた。」

「こうして、ヨーガの道は、受け継がれて、
古の聖者達は、伝承の教えを守り継いで来た。
しかし、長い歳月を経て、この法統は失われた。」

「アルジュナよ、君は、私の真の信奉者だ。
だからこそ、君に、この原初のヨーガを説く。
君は、この人智を超えた、神秘を会得できよう。」
アルジュナは、クリシュナに、このように問う。

「クリシュナよ、太陽の神が現われたのは、
あなたの誕生の時より、遥かに昔のことだが、
どうして、あなたが、太陽神に授けられたのか。」

クリシュナは、アルジュナに、このように説く。

「私も、君も、何度も生まれ変わっている。
わたしは、前世のことを、全て覚えているが、
世の人々は、前生のことを、何も知らないのだ。」

「私は、生まれることも、死ぬこともなく、
万物の主にして、恒常不変たる真我であるが、
自己の本性に依存する、自己の幻影が出現する。」

「ダルマが滅びて、アダルマが栄えるとき、
私は、この現象界に、身体を現わすのである。
ダルマを伝える為なら、どんな時代にも現れる。」

「こうして、私の活動を、如実に知る者は、
この世の死に際して、魂が身体を離れた後に、
生まれ変わることなく、我が元に来るのである。」

「古より数多の人々が、全てを私に任せて、
執着と無智と憎悪を離れ、清浄となったのだ。
彼らは、熱により浄化され、私の状態に達した。」

「真我に奉げただけ、真我から与えられる。
すべてを私に任せれば、すべてが報いられる。
あらゆる人は、あらゆる道から、真我に向かう。」

「世の人々は、行為の成就と果報を求めて、
様々な神々を供養して、それらを願っている。
こうして、欲界の果報は、速やかに与えられる。」
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0279鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/09/06(木) 22:12:09.05ID:5yl/oK/1
クリシュナは自らがアートマンとして語っているのじゃ。
それもまた教えの一つではあるのじゃ。
アートマンに全てを捧げたものは全てを得るとは無我になり、悟りを得るからなのじゃ。
難しい道ではあるがのう。
0280名無しを整える。
垢版 |
2018/09/07(金) 06:35:58.54ID:Adin5zTF
>>278
バガヴァッド・ギーター 第四章(つづき)

「自然界にある、三グナとカルマに応じて、
わたしは、人間界を四つのカーストに分けた。
それでいて、わたしは、それらを超越している。」

「わたしは、如何なる行為も囚われないし、
また、真我は、如何なる果報も望んでいない。
私を悟った者も、行為や果報に縛られなくなる。」

「古来より、解脱した者は、誰であろうと、
こうして、真理を解して、行為を正していた。
よって、君も、先達に倣い、カルマを浄化せよ。」

「カルマとは何か、又、アカルマとは何か。
賢者でさえ、カルマを定義するのは、難しい。
カルマについて、今から、わたしが説明しよう。」

「アカルマは無活動、ヴィカルマは誤活動、
カルマ、つまり、活動の諸相は複雑であるが、
人は、カルマを正しく理解しなければならない。」

「カルマの中にも、アカルマを認めるもの、
アカルマの中にさえ、カルマを認めるものは、
如何に行為していても、相対を超越できている。」

「如何なる欲望も持たず、行動できる者は、
完全なる覚醒を得た者、覚者であると心得よ。
彼らは、真理の炎で、業を焼き尽した者である。」

「行為の結果について、捕らわれない者は、
カルマを作りながら、カルマに縛られないし、
自我を所有しない者は、ヴィカルマを作らない。」

「自然に得られたもので、満足を得ながら、
自他を比較して羨まず、成否に悩まない者は、
如何に活動していようと、縛られることがない。」

「現象界における、相対の利害を超越して、
自我を放棄して、無頓着に徹する者の行為は、
すべて、真我に対する供養となり、功徳となる。」

「ブラフマンの意識で、供養を行うならば、
ブラフマンの領域に、必ずや到達するだろう。

供物も、供養する者も、ブラフマン自身である。」

「種々の神々に、供養する修行者もいれば

ブラフマンに対し、供養する修行者もいよう。
音色を供える者もいれば、香を供える者もいる。」
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0281名無しを整える。
垢版 |
2018/09/08(土) 00:21:09.68ID:E499kP5R
鬼和尚、3章のまとめもお願いします。
0282名無しを整える。
垢版 |
2018/09/08(土) 10:23:28.00ID:3ig6llpk
おねがいするであります。
|∧_∧
|・(ェ)・)
|⊂ノ.
|`J
0283名無しを整える。
垢版 |
2018/09/08(土) 10:32:22.51ID:3ig6llpk
>>280
バガヴァッド・ギーター 第四章(つづき)

「ある修行者は、感官や呼吸を供物として、
また別の修行者は、信念や苦行を供物とする。
ヨーガの八段階を実践して、ヴェーダを修める。」

「三昧に入るため、調気法を実践する者は、
入息と出息を供養し、最終的に呼吸が止まる。
また、ある者は、断食を為して、呼吸を止める。」

「供物の意義を知り、供養を実践する者は、
悪業の果報を清算して、心身を浄化しながら、
無上の甘露を味わい、永遠の楽土に入っていく。」

「甘露を得る者は、ブラフマンに到達する。
アルジュナよ、この供養を実践しないならば、
すべてのカルマは、究極の処、ダルマに通じる。」

「アルジュナよ、正しい導師に倣うことだ。
導師に仕えて、法則を尋ねて、真理を修めよ。
真我に至った覚者のみ、弟子に法を授けられる。」

「真理を悟った者は、幻影に迷うことなく、
あらゆる生き物は、真我の中に存在していて、
真我である私が、所有するものであると、知る。」

「たとえ、君が、悪人の中の悪人だろうと、
この偉大な、智慧の船に乗ることが出来れば、
あらゆる不幸の大海を、渡り切ることが出来る。」

「あたかも、森を、炎が焼き尽くすように、
全てのカルマは、智慧の炎で焼き尽くされる。
アルジュナよ、智慧が浄化の源泉であると知れ。」

「ヨーガを完成して、真我を楽しめる者や、
熱烈なる信仰を持って、欲望を制御する者は、
この無上の智慧を具えて、究極の平安に達する。」

「一方、無知にして、信心が足りない者や、
神から下ろされた、聖典を疑ってしまう者は、
現世においても、来世においても、不幸である。」

「果報を求めず、淡々と天命を果たす者や、
正しい智慧により、疑念や迷妄を払った者は、
自己の本性に徹して、業に捕らわれないと知れ。」

「君の心の迷いは、君の無智が原因である。
アルジュナよ、さあ、真理の剣で無智を祓い、
ヨーガにより武装して、立ち上がり自己と戦え。」
(´・(ェ)・`)
(おわり)
0284鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/09/08(土) 22:07:56.02ID:lbdqVsKq
三章ではカルマヨーガによる義務の遂行が詳しく説かれているのじゃ。
真我の実現、或いは発見のためにと義務を遂行するのが修行者の務めであるというのじゃ。
義務の遂行を果たしてこそ覚醒もあると説かれたのじゃ。
制感によって欲から離れ、義務の遂行を果たせばいずれ、カルマの鎖を断ち、自由に成るというのじゃ。
0285名無しを整える。
垢版 |
2018/09/09(日) 08:42:11.43ID:ehf34qq9
>>284
うむ。
ここでは、戦士としての義務でありますが、日々の仕事や生活に誠実に取り組むことと受け止めれば良いのでありますね。
結果を恐れるのではなく、やるべきことをやれと言うことでありますね。

鬼和尚ありがとうであります。
(´・(ェ)・`)つ
0286名無しを整える。
垢版 |
2018/09/09(日) 08:55:16.09ID:ehf34qq9
バガヴァッド・ギーター 第五章

アルジュナは、クリシュナに、このように問う。

「先ず、あなたは、カルマを離れよと言い、
次に、あなたは、カルマを果たせと言われる。
どちらが正しいのか、ここに明言して頂きたい。」

クリシュナは、アルジュナに、このように説く。

「行為の放棄、すなわち、サンニヤーサも、
放棄という行為、すなわち、カルマヨーガも、
共に解脱に導く道だが、後者の方が優れている。」

「行為の果報に、好き嫌いを抱かない者は、
いつも、離欲と放棄を行じていると、心得よ。
彼は、あらゆる二元を越え、現象界を解脱する。」

「ヨーガの修行法、すなわち、実践の道と、
サーンキャの修行法、すなわち、理論の道を、
愚者は別の道と考えて、賢者は同じ道と考える。」

「ヨーガを行うことで、与えられる境地は、
サーンキャを学ぶことで、得ることが出来る。
一方を究める者は、双方を極めることが出来る。」

「放棄の行為、つまり、奉仕の行為をせず、
行為を放棄するだけでは、不浄のままである。
一方、ヨーガを行じるなら、ブラフマンに至る。」

「ヨーガを行じる者の心は、清らかであり、
すべての生物に対して、思いやりの心を持ち、
カルマを作っていようと、カルマに縛られない。」

「見ても、聞いても、触れても、嗅いでも、
味わっても、起きても、食べても、動いても、
覚者は、内心では、何もしていないと観ている。」

「話すときも、捨てるときも、取るときも、
五感が対象に触れていると、見とめるだけで、
覚者の心は、いつでも、超然として囚われない。」
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0287名無しを整える。
垢版 |
2018/09/09(日) 08:58:54.66ID:ehf34qq9
>>286
>行為の放棄、すなわち、サンニヤーサ、
>放棄という行為、すなわち、カルマヨーガ

>放棄の行為、つまり、奉仕の行為をせず、
行為を放棄するだけでは、不浄のままである。
一方、ヨーガを行じるなら、ブラフマンに至る。

うむ。整理して進まないと、籾殻脳が混乱するであります。
(´・(ェ)・`)つ
0288鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/09/09(日) 23:00:58.94ID:qKn0j4qW
四章ではこのヨーガの起源と理論が説かれているのじゃ。
クリシュナはアダルマ、非法が栄えた時にこの世に姿を現し、正法を説くというのじゃ。
相対性を超越し、自我も行為も無い者はブラフマンとなるのじゃ。
制感や呼吸法を行い、ヨーガを行いヴェーダを学ぶことでブラフマンに到達するというのじゃ。

>>287 そうじゃ、全てを放棄してヨーガを実践するのじゃ。
0289名無しを整える。
垢版 |
2018/09/10(月) 07:14:56.86ID:TvPMRNDo
>>286
バガヴァッド・ギーター 第五章

アルジュナは、クリシュナに、このように問う。

「執着の心を捨てて、為すべきことを為し、
その果報を、ブラフマンに供養している者は、
蓮の葉が水に濡れないよう、罪を寄せ付けない。」

「カルマヨーガを行う者は、執着を捨てて、
心身と知性を用いて、あらゆる活動を行うが、
それは、ひたすら、自らを浄化するためである。」

「ヨーガを行じれば、心から平安に達して、
ヨーガを行じなければ、絶えず不安に怯える。
これは、果報を求めるか、否かの、違いである。」

「体を持った魂が、三つのグナを支配して、
諸々の活動について、心が無頓着でいるなら、
不自然な行為が消えて、自然な感覚に安らげる。」

「この体に宿っている、真我というものは、
行為することもなく、行為させることもない。
現象界の三グナが、すべての行為を演じている。」

「善行を果たすにせよ、悪行を果すにせよ、
真我は、そのどちらにも、突き動かされない。
真我は不動であるのに、自我が苦悩してしまう。」

「真の道理によって、無明の闇を打ち破り、
真の光明を得たならば、疑問は悉く氷解する。
あたかも、太陽の下では、万物が明らかな如く。」

「心と知性を、真理に固定して不動となり、
真我に帰依して、すべてを真我に委ねたとき、
智慧によって、すべての迷妄を祓い、解脱する。」

「真理を修めた賢者は、慈愛に満ちていて、
選民も、賤民も、家畜も、犬も、牛も、象も、
差別することなく、万物を平等に観るのである。」

「すべてを平等に見て、心が安らかな者は、
すでに輪廻を越えていて、生まれ変わらない。
彼らは、ブラフマンの中に、安住し切っている。」
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0290鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/09/10(月) 23:16:03.07ID:Em9o2vUy
カルマヨーガでは行いの結果を求めずに行動することが常に協調されるのじゃ。
果報をブラフマンに捧げるとか言うのじゃ。
それがサマーディにいたる行いのヨーガなのじゃ。
そのようにして光明を得たなら万物を等しく見る平等性智がもたらされるのじゃ。
0291名無しを整える。
垢版 |
2018/09/11(火) 02:16:47.94ID:QK6+zuin
>>290
くま、瞑想とかできなくなってしまったので、せめて、意識的にあらうと思ってるのであります。カルマヨガを実践するであります。
(´・(ェ)・`)つ
0292名無しを整える。
垢版 |
2018/09/11(火) 09:03:06.10ID:QK6+zuin
>>289
バガヴァッド・ギーター 第五章(つづき)

「真理を修めることで、迷妄を越えた者は、
好いものに囚われず、悪いものに捕われない。
彼らは、二元を越えて、ブラフマンに安住する。」

「解脱した者は、外なるマーヤに捕われず、
快楽を離れて、内なるアートマンに囚われる。
ブラフマンに集中し、永遠に続く幸福を味わう。」

「仏陀は、快楽というものが続かないこと、
過ぎた後に、苦悩が訪れることを知っている。
それゆえ、このような、虚しい喜びに耽らない。」

「もし、体を捨てる前に、感覚を制御して、
欲情と憤怒を抑制することが、出来るならば、
その人は、現世においても、幸福になるだろう。」

「内なる幸福を得て、内なる歓喜を味わい、
内なる光明を見とめる、ヨーガの実践者こそ、
ブラフマンと合一をして、涅槃に達するだろう。」

「二元の善悪を超え、内なる喜びに溢れて、
全ての疑念を打ち払い、利他を実践する者は、
ブラフマンに回帰し、永遠の平安を得るだろう。」

「憎悪や物欲や肉欲、煩悩を放棄した者や、
自己の本性を知り、真我に至る精進する者は、
やがて、梵我一如の境地、一元の境地に達する。」

「外界との接触を離れて、眼を眉間に注ぎ、
鼻腔を通る、入息と出息を、均等にしながら、
心と感覚と知性を統御すれば、必ずや解脱する。」

「供養の究極の目的である、自在神であり、
生類の幸福を願っている、大慈悲神であると、
真我を、よく知る者は、シャーンティに達する。」
(´・(ェ)・`)
(おわり)
0293鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/09/11(火) 22:12:24.92ID:uYECMjhj
ここではヨーガのさまざまな技法が解説されるのじゃ。
制感、眉間への集中、呼吸法、怒りや欲の放棄等なのじゃ。
それらを実践してアートマンに至れば、この世を離れた喜びが訪れるのじゃ。
そしてブラフマンに回帰して永遠の平安に住する者となるのじゃ。
0294名無しを整える。
垢版 |
2018/09/12(水) 07:20:22.27ID:AL1AxIHK
バガヴァッド・ギーター 第六章

クリシュナは、アルジュナに、このように語る。

「行為の結果に執着せず、義務を果す者は、
たとえ、供犠を為さず、祭儀を為さなくとも、
真の出家者であり、ヨーギーである、と言える。」

「真の離欲とは、ヨーガと同じものであり、
ヨーガの目的とは、神と合一することである。
欲望を放棄しなければ、ヨーギーにはなれない。」

「ヨーガの初心者では、行為を果たすこと、
ヨーガの熟練者では、行為に囚われないこと、
これが、八段階のヨーガを修める、定法である。」
「あらゆる事物に対する、欲望を捨て去り、
あらゆる感覚に於ける、快楽を貪ることなく、
無償で行為する者は、ヨーガの完成者と言える。」

「己の心次第で、向上もして、下向もする。
人は、己の心を治めて、自らを高めるべきだ。
我が心とは、我が親友であり、我が仇敵である。」

「心を克服できれば、心は最良の友であり、
心を克服できなければ、心は最大の敵である。
友となるか、敵となるか、我が心が決めている。」

「心を克服した者は、至上の我に到達する。
彼にとっては、幸福も不幸も、寒さも暑さも、
名誉も恥辱も同じであり、真我に安らいでいる。」
「真智により、真我に満足したヨーギーは、
感覚を統御して、ブラフマンに安住している。
玉であれ石であれ、すべてを平等に認めている。」

「己に好意を持つ者と、己に悪意を持つ者。
友も敵も、善人も悪人も、そして中立の人も、
すべてを平等に捉える者は、非常に優れている。」

「ヨーギーは、心を真我に対して集中して、
人里を離れた所、森の中に独り暮らしながら、
心を常に制御して、欲望と所有を捨てるべきだ。」

「アルジュナよ、ヨーガを実修する行者は、
人里を離れた所で、クシャの草を大地に敷き、
その上に、鹿の皮と、柔らかい布を被せて座る。」
「座は、高すぎる事も、低すぎる事もなく、
神聖な場所に定めて、意識と感覚を統御する。
彼は、心を鮮明にして、精神を一点に集中する。」

「頭と体を直線に保ち、鼻の先を凝視する。
心を乱さず恐れを抱かず、梵行の戒律を守り、
意識を制御しながら、真我に専心しようとする。」

「クンティーの息子である、アルジュナよ。
こうして、身口意を統御する、ヨーギー達は、
現象界を解脱して、真我である、私に回帰する。」

(´・(ェ)・`)
(つづく)
0295鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/09/12(水) 22:46:44.11ID:WJHGbn27
第五章ではカルマヨーガの詳しい解説が説かれたのじゃ。
果報を期待せずに実践することがその要旨なのじゃ。
それによって行為は忘我の状態に導く方法となるのじゃ。
次の章では実践の方法が説かれるのじゃ。
0296名無しを整える。
垢版 |
2018/09/13(木) 02:06:14.68ID:y9SwEa1R
>鼻の先を凝視する。

これは目を寄り目な感じにして鼻の先を見るのでしょうか?
やってみたんですが、ぼやけてうまくできませんw

それとなぜ鼻の先が選ばれたのでしょうか?
眉間に集中するという話が以前出てきましたが、違いはありますか?
0297名無しを整える。
垢版 |
2018/09/13(木) 06:49:06.53ID:fKg81q0v
>>294
バガヴァッド・ギーター 第六章

「アルジュナよ、ヨーガを修めるためには、
食事が多すぎても、少なすぎてもいけないし、
睡眠が長くすぎても、短すぎてもいけないのだ。」
「食べることや、眠ることや、働くことや、
さらに、休むことや、楽しむことについても、
ヨーガを修めて、節度を保てば、苦悩が消える。」

「ヨーギーが、ヨーガを修めることにより、
物欲や肉欲を越えて、意識の動きを統御して、
真我に定住すると、ヨーガを完成したと言える。」

「風が吹かなければ、火が揺らがないよう、
心を完全に支配し得た、ヨーギー達の瞑想は、
真我に安定し切って、微動だにしないのである。」

「このように、自らの心を完全に支配した、
この無上の境地のことを、サマーディと呼ぶ。
これは、心を清め、自己の本質に安らぐことだ。」
「この素晴らしい境地に、定住するならば、
絶対の歓喜を味わい、真理を外れることなく、
彼は、絶対の幸福に達したことを、如実に知る。」

「加えて、この境地に、安定できたならば、
如何なる困難にも動じず、一切の苦悩を越え、
真実の自由である、絶対の自由を得るのである。」

「金剛の信念を以って、ヨーガを実修せよ。
一切の欲望を捨てて、全ての感覚を統御せよ。
仏性に導かれ、ひたすら、心を真我に固定せよ。」

「心というものは、頼り難くて揺らぎ易い。
何時だろうと、何処だろうと、迷走し続ける。
修行者は、心を断固として、真我の支配に置け。」
「いつでも、真我に安住する、ヨーギーは、
本当の意味で、無上の幸福を得たと言えよう。
彼の欲は静まり、罪を免れて心が安らいでいる。」

「こうして、現象界の汚染と束縛を脱して、
アートマンと合一し、揺るがないヨーギーは、
ブラフマンと交流して、絶対の歓喜に入るのだ。」

「真理を悟った者は、すべてを平等に見る。
万物に自己を見とめて、自己に万物を認める。
万物の中に真我を認めて、常に真我と共にある。」

「すべてを、自らに起こったことと考えて、
周りの苦楽を、自らの苦楽と見とめられる者、
自他を等しく見る者は、完全なヨーギーである。」
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0298鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/09/13(木) 21:47:13.81ID:7BV5C67r
>>296 ぼやけていてよいのじゃ。
 ただ集中する目標で在るだけなのじゃ。
 鼻先がいつでも目の前にあってやりやすいからなのじゃ。
 そしてサマーディにも入りやすいのじゃ。
 チベット密教のミラレパも弟子に鼻先に仏陀をイメージする行を教えたのじゃ。
 眉間に集中するのと同じなのじゃ。
0299名無しを整える。
垢版 |
2018/09/13(木) 21:56:57.82ID:fKg81q0v
>>298
鼻に集中するのは肉眼で見てやるのでありますか?
(´・(ェ)・`)つ
0300名無しを整える。
垢版 |
2018/09/14(金) 05:47:00.98ID:HiU+PL7X
「こうして、現象界の汚染と束縛を脱して、
アートマンと合一し、揺るがないヨーギーは、
ブラフマンと交流して、絶対の歓喜に入るのだ。」

ここのブラフマンとは何を指していますか?
鬼和尚の言われる「意識」でしょうか?
0301名無しを整える。
垢版 |
2018/09/14(金) 06:17:36.23ID:dGSuj86p
>>297
バガヴァッド・ギーター 第六章

アルジュナは、クリシュナに、このように問う。
「あなたは、平等の境地について説いたが、
クリシュナよ、わたしの動揺しやすい心では、
その不動の境地を見つけることは、甚だ難しい。」
「心は、絶えず揺れ動き、荒れ狂っている。
この頑迷な心を、わたしが、統御することは、
思いのままに、風を操ることより、困難である。」
クリシュナは、アルジュナに、このように説く。
「アルジュナよ、絶え間なく動いてしまう、
心を治めることは、確かに難しいことである。
しかし、それは、不断の修練により可能となる。」
「アルジュナよ、信念が揺らいでいる人が、
真の理を体得することは、極めて困難である。
しかし、努めて励むならば、必ずや達成できる。」
アルジュナは、クリシュナに、このように問う。
「初め信仰していたが、持続しなかった者、
初めこそ精進していたが、俗心に流された者、
こうした人は、その後、どんな運命を辿るのか。」
「こうして、真理の道を踏み外した人々は、
流される雲のように、消滅するしかないのか。
この問いは、あなたしか、答えられないものだ。」
クリシュナは、アルジュナに、このように説く。
「真理を悟るため、善行を積み重ねる者は、
今生でも、来世でも、破滅に至ることがない。
善業を重ねた者は、決して、悪趣には落ちない。」
「挫折した修行者は、次に天界に生まれて、
とても長い間、天における生活を楽しんだ後、
人間界に生まれ、豊かな貴族の家庭に生まれる。」
「あるいは、彼は、偉大なる智慧を有する、
優れた修行者の家に、生まれ変わる筈である。
このような出生は、人の世界において稀である。」
「アルジュナよ、このような家庭に生まれ、
彼は前世における、神聖な意識を蘇らせた後、
再び最高の目的に向けて、精進することになる。」
「前世で、聖なる意識を経験したがために、
彼は、無意識の内に、ヨーガの思想に魅かれ、
ヨーガを、学ぼうとしただけで、魂が歓喜する。」
「転生を繰り返し、修行を重ね続けながら、
あらゆる穢れを、洗い清めているヨーギーは、
この至上の目的に、最終的に帰り着くのである。」
「どの苦行者より、ヨーギーは偉大である。
いかなる知識人より、ヨーギーは偉大である。
あらゆる祭祀者よりも、ヨーギーは偉大である。」
「アルジュナよ、偉大なるヨーギーとなれ。
すべてのヨーギーの中で、最も優れた者とは、
信愛を奉げて、バクティヨーガを為す者である。」
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0302鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/09/14(金) 22:41:58.31ID:cavqIlil
>>299 そうじゃ、両目で見るのじゃ。
 あまり力を入れてみると痛くなるのじゃ。
 軽く見るぐらいにするのじゃ。

>>300 そうじゃ、意識なのじゃ。
 全てであるブラフマンと交流するので在るからのう。
 全てになるのじゃ。
0303名無しを整える。
垢版 |
2018/09/15(土) 12:14:44.57ID:nxIAO7Sl
道の半ばで挫折してしまった修行者について教えてください。
どこまでこれは本当でしょうか?
0304名無しを整える。
垢版 |
2018/09/15(土) 12:21:42.70ID:MJQD3Hwj
>>302
眉間に集中するのと同じように、目を閉じて、鼻先辺りに集中するのでもよいでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ
0305名無しを整える。
垢版 |
2018/09/15(土) 12:41:15.91ID:MJQD3Hwj
バガヴァッド・ギーター 第七章

クリシュナは、アルジュナに、このように語る。

「アルジュナよ、真我の言葉を聴きなさい。
心を真我に定めて、全力でヨーガを実修せよ。
そうすれば、必ずや、君は私を知ることになる。」

「アルジュナよ、私は、今、ここにおいて、
あらゆる理論知と、あらゆる実践知について、
残らず、君に語ろう、これ以上の教えなどない。」

「真理を求めている者は、千人の中の一人、
真我に達している者は、その千人の中の一人。
優れたヨーギーさえ、真理を悟れる者は少ない。」

「地、水、火、風、空、マナス、ブッディ、
アハンカーラ、これらの、八つの構成要素で、
真我から分離した、プラクリティは形成される。」
「プラクリティとは、物質源のことである。
真我には、物質原理の他に、精神原理がある。
それは、万物を支える、生命エネルギーである。」

「物質的な物にせよ、精神的な者にしても、
全てのものは、真我により生起するのであり、
総べてのものは、真我により消滅するのである。」

「真我より貴いものは、何一つとしてない。
あたかも、糸に通された、珠の飾りのように、
あらゆるものは、アートマンが支えているのだ。」

「真我は水の味であり、日と月と光である。
ヴェーダの真言における、聖音AUMである。
空間における音であり、人間の中の能力である。」

「真我は大地の芳香であり、火の熱である。
生きている者の命であり、タパスの炎である。
万物の種子で、知の中の知、光の中の光である。」

「真我とは、肉欲にも物欲にも囚われない、
一切から超然とした、強者の中の強者であり、
ダルマに背かないカーマ、法に従がう欲である。」

「サットヴァ、ラジャス、タマスからなる、
あらゆる現象は、すべて真我から生じている。
万物から真我は生じず、真我から万物が生じる。」

「サットヴァ、ラジャス、タマスからなる、
マーヤに覆われている、生きとし生ける者は、
高次であり、不変である、真我を認識できない。」
(´・(ェ)・`)
(つづく)
0306名無しを整える。
垢版 |
2018/09/15(土) 20:32:10.50ID:HmXvRAq+
↑ここの真我は鬼和尚の言われる「意識」ですか?

それと、6章のコメントもお願します。
0307鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/09/15(土) 22:20:48.44ID:4KuoveCP
>>303 それは本人の行いによって違うじゃろう。
 真面目に善事を積んで修業していた者にはそのような福楽も在るじゃろう。
 適当にやって悪事をしていた者はやはり地獄行きなのじゃ。
 本人次第なのじゃ。

>>304 それでもよいのじゃ。
 自分に合ったやり方でよいのじゃ。
 実践し続けることが大事なのじゃ。

>>306 違うのじゃ。
 それは修業の目標なのじゃ。
 悟りに導く方法の一つなのじゃ。
 悟って気づく境地である意識とは違うものなのじゃ。

 六章ではカルマヨーガの実際的なやり方が示されたのじゃ。
 座法から鼻先に集中する法や果報をブラフマンに委ねる精神的な法まで余すところ無く説かれたのじゃ。
 これに従って実践することができるのじゃ。
 例え道半ばで挫折しても志は無駄にはならないことも示されたのじゃ。
0308名無しを整える。
垢版 |
2018/09/16(日) 11:58:19.64ID:TNWu7b+A
>>305
バガヴァッド・ギーター 第七章

「幻影に打ち勝つことは、甚だ困難である。
しかし、全てを任せて、真我に服従する者は、
三つのグナを、容易に乗り越えることが出来る。」
「智を損っている者、悪業を為している者、
心が惑わされている者、魔性を有している者、
これら四種の人々は、決して真我の元に来ない。」
「苦を抱えている者、幸福を考えている者、
道を求めようとする者、智慧を愛している者、
これら四種の人々は、いずれ真我の元に訪れる。」
「彼らの中でも、真理の法則を良く学んで、
浄心を抱いて、真我を崇める者が最上である。
彼らが真我を愛するから、真我が彼らを愛する。」
「彼らの魂は、実に、清らかで高貴であり、
自我の根本が真我であることを、良く心得る。
彼らは皆、至高の帰趨である、真我に帰依する。」
「数多の生涯を経て、真理を悟り得た者は、
真我が、万物の中の万物、因の中の因と知る。
このような、偉大な魂の存在は、実に稀である。」
「物欲など、煩悩に歪んだ心を有する者は、
そのカルマによって、様々な神々を妄信して、
そこのダルマによって、教義や戒律に従属する。」
「どのような形でも、神を拝む気になれば、
その神に相応しいよう、彼の信仰心を固める。
それは、真我である私が、助けているのである。」
「人は、望んでいるものに、臨んでしまう。
彼は、望ましい神に、望ましい者を、望むが、
それは、真我である私が、授けているのである。」
「神々を望む者は、必ず、神々の世に行き、
真我に臨む者は、必ず、真我に帰って来れる。
知性が低い者ほど、低級な世界を望んでしまう。」
「愚か者は、現れたものしか見えないため、
隠されている、不変の真我の存在が見えない。
彼らは、真我が作り出した、幻影しか見えない。」
「わたしは、過去のことも、現在のことも、
未来のことも、知っているが、皆は知らない。
真我は皆を知っているが、皆は真我を知らない。」
「アルジュナよ、生きとし生ける者たちは、
無明の中に生まれ、欲望と憎悪により生じた、
二元の世界を、実在していると、錯覚している。」
「遠い過去の生から、今生の今に至るまで、
悪しき業を落して、清らかな生活を続けた者、
二元の迷妄を払い除けた者は、真我を礼拝する。」
「智慧ある者は、真我にこそ平安を求めて、
老や死から解脱しようと、精進し続けるのだ。
彼らは、ブラフマンを知り、アートマンを知る。」
「わたしが、すべての現象の支配者であり、
三界を通して、すべての供養の享受者である。
こう悟った者は、死に際しても私から離れない。」
(´・(ェ)・`)
(おわり)
0309名無しを整える。
垢版 |
2018/09/16(日) 12:15:48.02ID:TNWu7b+A
>>308
うーむ!第七章を読むと、
ブッタが真我を否定したと言われる意味が、分かるような気がするであります。
>「人は、望んでいるものに、臨んでしまう。
彼は、望ましい神に、望ましい者を、望むが、
それは、真我である私が、授けているのである。」
・・・彼らは、真我が作り出した、幻影しか見えない。」

神を作り出した真我(=神=クリシュナ)を否定しないと、神の序列の話しに止まり、結局神どうしの戦争になってしまうからでありましょう。
(´・(ェ)・`)つ
0310鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/09/17(月) 00:13:41.04ID:KQFyFarq
真我とアートマンがべつのもののように翻訳されているのじゃ。
そもそも真我と翻訳すべきではないのじゃ。
真の我などはないのであるからのう。
アートマンは求める者のみが見出すことが出来るのじゃ。
0311名無しを整える。
垢版 |
2018/09/17(月) 09:14:27.57ID:UbIKhoEu
>>310
>彼らは、ブラフマンを知り、アートマンを知る。

ブラフマン=アートマン=真我=「ただひ一つの意識」=「無我」でありましょうかね。
(´・(ェ)・`)つ
0312名無しを整える。
垢版 |
2018/09/17(月) 09:27:41.56ID:UbIKhoEu
バガヴァッド・ギーター 第八章

アルジュナは、クリシュナに、このように問う。

「ブラフマンとは、アートマンとは、何か。
カルマとは、現象界とは、神とは、何なのか。
クリシュナよ、どうか、私に、説明して下さい。」

クリシュナは、アルジュナに、このように説く。

「カルマは、万物を生み出す、生命であり、
ブラフマンは、永遠かつ不変の、実在であり、
アートマンとは、内なる原理たる、本性である。」

「確かに、プラクリティは、変化し続ける。
しかし、三界を含む大宇宙は、私の体であり、
生き物の、心臓に宿った真我は、私自身である。」

「誰でも、死に際して、肉体を離れるとき、
真我だけ念じる者は、真我の元に遣って来る。
アルジュナよ、これを、決して疑うべきでない。」

「誰でも、死に際して、肉体を捨てるとき、
生前に念じていたことを、死後も念じている。
そして、死後に念じる者に、来世は生まれ変る。」

「真我を観想し続け、自己の義務を果たせ。
いつでも、意識を、真我に結び付けておけば、
死に際して、必ずや、真我の元に帰れるだろう。」

「絶え間なく訓練して、至上者を観想せよ。
決して、他のものに、心を乱してはならない。
そうすれば、必ず、至上者の元を訪れるだろう。」

「全知かつ全能たる、宇宙の支配者であり、
最古にして最新である、万有の維持者である、
輝ける人格神として、私、クリシュナを念じよ。」

「ヨーガで培われた、不動の信念によって、
臨終の際、眉間に気を集めて、真我を念じる。
そうすれば、真我の元に、必ず来る事が出来る。」

(´・(ェ)・`)
(おわり)
0313名無しを整える。
垢版 |
2018/09/17(月) 09:40:21.26ID:UbIKhoEu
>>312
うーむ。
=ではないのでありますね?
>ブラフマンは、永遠かつ不変の、実在であり、
アートマンとは、内なる原理たる、本性である。

>三界を含む大宇宙は、私の体であり、
生き物の、心臓に宿った真我は、私自身である。」

・・・
三界を含む大宇宙とはブラフマンのことでありましょうか?
アートマンは原理、本性で、ブラフマンはその体で、その心臓に宿る真我はクリシュナだと言うことでありますかね?
やっぱり、= でよいように思えるであります。
(´・(ェ)・`)つ
0314名無しを整える。
垢版 |
2018/09/17(月) 18:09:08.42ID:H7qbHKkc
1 真我と訳されている部分は全てアートマンに置き換えるべきですか?

2 >>312を読むと、真我だけを念じる、真我を観相し続けるとあります。
空を乾観想するのと同じ印象を受けましたが、この2つの行に違いはありますか?

3  >アートマンとは、内なる原理たる、本性である。
この文の解説をお願いします。

3 >誰でも、死に際して、肉体を捨てるとき、
>生前に念じていたことを、死後も念じている。
>そして、死後に念じる者に、来世は生まれ変る。
これは本当でしょうか?
>ヨーガで培われた、不動の信念によって、
>臨終の際、眉間に気を集めて、真我を念じる。
>そうすれば、真我の元に、必ず来る事が出来る。
真我の元に来るとは、どのような状態でしょうか?

5 7章のコメントもお願いします。
0315鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/09/17(月) 20:00:38.21ID:KQFyFarq
>>311>>313 悟れば全ては一つと言えるのじゃ。
 そうでなければ同じではないのじゃ。
 人は内なるアートマンの追求によってブラフマンに至るのじゃ。
 アートマンは川であり、ブラフマンは海のようなものじゃ。
 人は川を通って海に入り、川と海が一つの水でできていることを知るのじゃ。
同じようにアートマンを追求して全てを捧げれば、ブラフマンに至り、全て一つと知るのじゃ。
 

>>314 1 そうじゃろう。
 混乱しているようじゃ。

2 そうじゃ、同じなのじゃ。
  認識する全てを否定して認識できないものに行き着くのじゃ。

 3 認識する全てを否定すればそれ自体は認識できない認識主体に至るのじゃ。
  それこそが人の内なる原理、本性本質であるアートマンなのじゃ。
  それは論理や文字で語るべきことではなく、実践して至ることで了解するものなのじゃ。

 4 迷信なのじゃ。
  行いの報いによって相応しいところに行くのじゃ。

  認識主体に来るのじゃ。
  ただ見るだけの意識に合一するのじゃ。
 
 5 七章ではアートマンの解説と実践が説かれたのじゃ。
  三つのグナでさえアートマンによるものなのじゃ。
  アートマンに全てを捧げることや、集中すべきことが実践なのじゃ。
  アートマンを通してブラフマンに至ることがその最終目的なのじゃ。
  
0316名無しを整える。
垢版 |
2018/09/18(火) 07:07:26.31ID:3BBrQ0qv
バガヴァッド・ギーター 第九章

クリシュナは、アルジュナに、このように語る。

「アルジュナよ、君は、私を疑うことなく、
私を信じているから、最高の秘儀を授けよう。
これを知るならば、あらゆる苦悩を解決できる。」

「これは、至上の叡智にして、無上の浄化、
神秘の中の神秘であり、ダルマの完成である。
行い易い道であり、永遠に続く歓喜の道である。」

「バラタ一族の勇者である、アルジュナよ。
この至上の道を信じない、疑い深い者たちは、
解脱することが出来ず、現象界を転生し続ける。」

「決して現れない、非顕現である私の中に、
このすべての宇宙は、普遍的に広がっている。
真我の中に万物が現れ、万物の中に真我が宿る。」

「私の中に、万物は物質として存在しない。
真我は、万物の維持者で、普遍に存在するが、
現象の一部ではなくて、創造の源泉なのである。」

「あたかも、気として流れる、風の元素が、
いつでも、空元素の中しか、存在しないよう、
万物は、真我である、私の中しか存在できない。」

「クンティーの息子である、アルジュナよ。
カルパが始まる時に、真我が万物を展開して、
カルパが終わる時には、万物が真我に回帰する。」
「アートマンの意思が、宇宙の法則である。
真我である私の意志により、すべてのものが、
繰り返し現象して、繰り返し消滅するのである。」

「それでいながら、私は、意志に縛られず、
すべての現象を離れ、すべての活動を行なう。
わたしは、いつも、中立であり、無頓着である。」

「万物の物質原理である、プラクリティは、
アートマンの意思で活動し、陰陽を描き出す。
陰と陽が移り変わると、創造と破壊を繰り返す。」

「私は、超然たる心と、超越した力を持ち、
すべての支配者、真我であるにもかかわらず、
愚かな者達は、普通の人間であると見てしまう。」
「迷える者は、正しい信仰を捨ててしまい、
虚しい知識を得ながら、虚しい行為を為して、
その空しさ故に、彼らは、分別を失ってしまう。」

「優れた者は、いつでも、真我を賛嘆して、
信愛の心をして、私の前で、恭しく礼拝する。
彼らは、忍辱を為し、精進を忘れることがない。」

「知性を磨いて、真理に至ろうとする者は、
真我を、至上主として、姿を変える者として、
あるいは、宇宙そのものとして、礼拝している。」
(´・(ェ)・`)
(つつく)
0317鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/09/18(火) 22:54:57.99ID:Rjk333Qs
アートマン、認識できない認識主体から全ては生まれるのじゃ。
それこそが秘儀としてクリシュナが説くことなのじゃ。
唯識論と同じなのじゃ。
語る言葉は違っても説くことは同じなのじゃ。
0318仏教の超初心者
垢版 |
2018/09/18(火) 23:06:11.94ID:kJHNjuOd
>唯識論と同じなのじゃ。

仏教の唯識では認識”主体”は一切認めておりませんよw
「常・一・主・宰」なるものを認めれば、それは非佛ですから。

いい加減なことを言わないように、ね。
0319名無しを整える。
垢版 |
2018/09/19(水) 07:03:56.85ID:7geKqd8G
>>316
バガヴァッド・ギーター 第九章

「アートマンは、供養であり、供物であり、
バターであり、ヴェーダであり、礼拝であり、
マントラであり、儀式の火であり、薬草である。」
「アートマンは、目的であり、真理であり、
帰依処であり、聖なる音であり、友人であり、
宇宙の父であり、宇宙の母であり、始祖である。」

「真我は、雨を留めて、雨を降らせている。
また、真我は、不死でもあり、可死でもある。
さらに、真我は、実在でもあり、不在でもある。」

「三ヴェーダを学んで、善業を重ねる者は、
悪業を浄化した後に、神々の世界に生まれて、
地上では想像も及ばない、快楽を得るのである。」

「善業の果報で、天国の快楽を味わう者も、
果報が尽きたなら、即座に地上に落とされる。
楽を求めて生きれば、虚しく現象界を浮沈する。」
「何も求めることなく、私を礼拝する者は、
必要なものが必要なだけ、私から与えられる。
そして、必要なものは、決して失うことがない。」

「私以外の他の神を、無欲に信仰する者は、
それは、正しい方法とは、決して言えないが、
実は、真我を信仰していると、言えるのである。」

「真我は、あらゆる宗教の、主宰神である。
他の神を信じる者は、真我のことを知らない。
そして、知らない限り、輪廻の苦楽を繰り返す。」

「神々を拝めば、神々の世界に生まれるし、
祖先を拝むならば、祖先の世界に生まれよう。
即ち、真我を拝めば、真我の元に来るのである。」
「誰であれ、私に対して、信と愛を込めて、
一枚の葉、一輪の花、一個の果物、一椀の水、
少しでも供えれば、それを喜んで私は受けよう。」

(´・(ェ)・`)
(おわり)
0320dp9 ◆1KaWk8ZRnVxd
垢版 |
2018/09/19(水) 18:48:04.83ID:V2amDHcE
鬼和尚こんにちは^_^)
普段こちらにいらっしゃることが多いのですか?

ジャンキーもいる。。
0321名無しを整える。
垢版 |
2018/09/19(水) 21:50:57.05ID:7geKqd8G
>>317
鬼和尚、ありがとうであります。
物である肉体の脳が、意識を受信して、それを表現するのでありますね。その表現が観念でありますね。
なぜ受信できるかはわかりませぬが、最初に意識があり、意識が全てだと言うことも、そう思えるであります。
論ではないでありますね。
(´・(ェ)・`)つ
0322鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2018/09/19(水) 22:56:45.34ID:ThV4hfOF
>>318 わしもギータにも認識主体を認めてはいないのじゃ。
 それは認識できないと書いてあるのが読めないようじゃのう。
 おぬしは認識できないという意味が理解できていないのじゃ。
 
 常・一・主・宰などもわしもギータにも認めていないのじゃ。

 認識主体を認めているのはおぬしなのじゃ。
 それがあると思って書いているのであるからのう。
 常・一・主・宰を認めているのもおぬしなのじゃ。
 その観念を心に持ち、それが存在しない言葉に投射しているのであるからのう。
 おぬしのようにそれらに囚われることこそ煩悩になるのじゃ。

 涅槃や不死の境地をお釈迦様も説いたのじゃ。
 それも観念をもって見れば常住一切の境地に他ならないように見えるものじゃ。
 
>>320 ここにも毎日書いているのじゃ。
 多くは無いのじゃ。
 他のスレと同じなのじゃ。

>>321 そうじゃ、全ては意識なのじゃ。
 物とか空とかも観念のみなのじゃ。
 実践によって確かめるのじゃ。
0323佛教の超初心者
垢版 |
2018/09/19(水) 23:10:39.79ID:mAv8uzPT
>>322
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

ついに頭がおかしくなったのか?


>>322/馬鹿鬼のレス
 >わしもギータにも認識主体を認めてはいないのじゃ。 

→上記の反証
  >>317/馬鹿鬼のレス
    >アートマン、認識できない認識主体から全ては生まれるのじゃ。 

>>322/馬鹿鬼のレス
 >認識主体を認めているのはおぬしなのじゃ。
 >それがあると思って書いているのであるからのう。

→上記の反証
  >>318/佛教の超初心者のレス
    >仏教の唯識では認識”主体”は一切認めておりませんよw
    >「常・一・主・宰」なるものを認めれば、それは非佛ですから。

>>322
 >涅槃や不死の境地をお釈迦様も説いたのじゃ。
 >それも観念をもって見れば常住一切の境地に他ならないように見えるものじゃ。 

 wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

 有為の視座から見れば非常・非楽・非我・非浄で、
 無為の視座から見れば常・楽・我・浄なだけでしょw

 佛教の超初心者でもその程度は常識ですが? 
0325仏教の超初心者
垢版 |
2018/09/19(水) 23:35:35.66ID:mAv8uzPT
馬鹿鬼や?

ちなみに、岩波の赤本程度は目を通してるよw
0326名無しを整える。
垢版 |
2018/09/19(水) 23:56:20.35ID:7geKqd8G
>>322
鬼和尚、ありがとうであります。
ところで、
>認識できない認識主体
とは、認識主体は認識できないと言うことでありますよね。
従って、認識主体はいないと言うことでありますね。

これを、Aさんが認識できない、認識主体。と言うように読んじゃうと、主体があると主張してるように、勘違いしてしまうのかもでありますね。
こんな理解でよいのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ
0327仏教の超初心者
垢版 |
2018/09/20(木) 00:23:38.71ID:jhpCBio7
>>326
馬鹿鬼や?
今更後付けで俺のせいにして誤魔化すでない。

俺が

「常・一・主・宰」なるものを認めれば、それは非佛ですから。(>>318

とお前の過ちを指摘したから、さすがにこれはまずいと思って何時ものように誤魔化しに奔ってるんだろ?


お前の主張

 認識は出来ないが認識主体はある

 根拠
  >アートマン、認識できない認識主体から全ては生まれるのじゃ。 >>317

当方の主張

 認識”主体”自体、(唯識)仏教では一切認めていない

 根拠
  >仏教の唯識では認識”主体”は一切認めておりませんよw  >>318
  >「常・一・主・宰」なるものを認めれば、それは非佛ですから。 >>318
0328仏教の超初心者
垢版 |
2018/09/20(木) 00:31:09.66ID:jhpCBio7
他にも馬鹿鬼が  認識主体を認めている  レスを抽出しておく。


206 名前:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [] 投稿日:2018/08/22(水) 00:01:16.30 ID:0BnWFTFD [1/2]
>>203 そうじゃ、観察されることで自我は観察者ではないと気付くのじゃ。
決して認識されない認識主体で在るアートマンに達すれば認識される心は止まるのじゃ。


228 名前:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [] 投稿日:2018/08/27(月) 22:50:51.62 ID:nqlmhLZ4
不滅の真我とは認識できない認識主体なのじゃ。
在ると言えるのはそれだけなのじゃ。


315 名前:鬼和尚 ◆GBl7rog7bM [] 投稿日:2018/09/17(月) 20:00:38.21 ID:KQFyFarq [2/2]
認識する全てを否定して認識できないものに行き着くのじゃ。
3 認識する全てを否定すればそれ自体は認識できない認識主体に至るのじゃ。
 認識主体に来るのじゃ。
0329仏教の超初心者
垢版 |
2018/09/20(木) 00:55:10.84ID:jhpCBio7
馬鹿鬼や?

お前のあまりにも低い佛教理解は、論ずるにも値しないレベルだよ。

ギータ読む暇があったら「中村元の仏教入門」とか、先ずそのレベルから仏教を学びなさい。

話にならん。

今後も、あまりにもひどい事を書く様なら、都度、指摘は入れて注意するから。
0330名無しを整える。
垢版 |
2018/09/20(木) 07:42:59.98ID:Yp4KnYnd
バガヴァッド・ギーター 第十章

クリシュナは、アルジュナに、このように語る。

「アルジュナよ、私の深遠なる言葉を聞け。
君は、掛け替えの無い、私の親友であるから、
更に深い教えを、君の為に、話して聞かせよう。」

「たとえ、神であろうと、聖者であろうと、
わたしの起源を、すべて知ることは出来ない。
というのも、私が、神や聖者の起源であるから。」

「私が、世損であると、見とめる者だけが、
人間の世界にあって、幻影に迷えることなく、
すべての罪の穢れから、解脱していくのである。」
「知性、知識、不惑、寛容、正直、自制心、
寂滅、苦楽、発生、消滅、恐怖、無畏、満足、
不殺生、平等心、禁欲、布施、名誉、不名誉等。」

「これらの資質を与えるのは、真我である。
人類の始祖である、マヌは、真我から生じた。
すべての生物は、彼らを、先祖として生まれた。」

「このような、私の働きを認めている者は、
バクティーヨーガにより、常に私と共にある。
そう、これについては、何の疑いもないことだ。」

「一切の根源の真我から、万物が展開する。
この真理を悟った者は、全身と全霊をもって、
真実の私を信仰して、真我である私を賛美する。」
「彼らは、いつでも、わたしを想い続けて、
すべての生活を、私のために奉げるのであり、
私について語り合うことを、無上の喜びとする。」

「アートマンを、信愛して、奉仕する者に、
アートマンは、仏性を用いるヨーガを授ける。
ブッディにより、彼らは、真我の元に回帰する。」

「このような者に、特別な慈悲を施すため、
真我である私は、彼らの胸の中に宿りながら、
智慧の灯明を以って、無智から生じた闇を破る。」

アルジュナは、クリシュナに、このように問う。

「あなたは、至高のブラフマン自身であり、
無上の住処にして、万物を浄化する方である。
不生にして不滅、世に遍在する元始の神である。」

「神仙たちは、あなたを、このように呼ぶ。
ナーラダ、アシタ、デーヴァフ、ヴィヤーサ。
そして、今、あなたも、そのように宣言された。」

(´・(ェ)・`)
(つづく)
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

ニューススポーツなんでも実況