ヴィパッサナー瞑想
現在日本では、指導等が殆ど行われていないものも含めて、6種類のヴィパッサナー瞑想が入って来ていると言われています。
それらヴィパッサナー瞑想のイロイロ。あれこれについて語って行きます。 ヴィパッサナ覚えるとその場でひらめくと聞いたけどマジ? ラジャシックな(肉、魚、卵、タマネギ、ニンニク、ニラ)食物を
食べている人の心は、強情で扱いにくくなる
そのような食事を好んで食べていると、
心を作り直すのは困難になる
by ラマナ・マハルシの教え 松本・地下鉄両サリン事件などで計29人の犠牲者を出した一連のオウム真理教事件をめぐり、
死刑が確定していた教祖の麻原彰晃死刑囚(63)ら7人の死刑が7月6日午前に東京拘置所などで
執行されたことが、関係者への取材で分かった。教団が起こした事件の死刑囚は計13人おり、
執行は初めて。
現在日本にある某ヴィパッサナー瞑想団体も、カルト集団になる危険を孕んでいる。
その証拠には、団体指導者が集団で違法行為を行っているにも拘わらず、自浄作用が
全く働かず、協会全体がマインドコントロール状態にあり誤った方向に進んでいる。 ラジャシックな(肉、魚、卵、タマネギ、ニンニク、ニラ)食物を
食べている人の心は、強情で扱いにくくなる
そのような食事を好んで食べていると、
心を作り直すのは困難になる
by ラマナ・マハルシの教え >>3
何のひらめきが欲しいの? 数学的ひらめきなら数学をやらないと駄目ですよ。
びっぱっさな瞑想をしても数学がひらめくようにはならない。しかし数学的訓練を
十分積んでいる人がビッパサナ瞑想をすると無駄な力が抜けてひらめき易くなると
いうことはある。しかしこういう場合にはビッパサナ瞑想よりももっとひらめきを
加速する方法がある。それは数学のためのひらめき方法だから当然だ。
ではビッパサナ瞑想は何のためのものかというと宗教的ひらめきのためのものだ。
それも仏教もしくはその周辺の宗教固有の方法だ。宗教に関心のないものが
ビッパサナ瞑想をしてもあまり意味がないし、回り道になるだけだと思う。 医療大麻オイル特集
シンクロニシティ、コンビニで買える大麻エキスコーラ(チルアウトコーラ)、麻のマッサージオイル、
ユーザーレビュー、政治家(総理大臣)の使用例、女性ホルモン含有でお肌つるつる、など盛りだくさん!
https://plaza.rakuten.co.jp/denkyupikaso/diary/201806090001/ ヴィパッサナーも完全に趣味の領域で登山とかと変わらない。
悟りのツールではない。 想田和弘監督が連載してる。
どうなん?
千葉か京都に合宿行った奴いる? 恐怖の感情は危機を知らせる警報の役割がある。
だから恐怖は必要な感情だ。といって恐怖の感情のまま動いてはいけない。
急ブレーキを踏まなきゃならない状況があるとして。
恐怖の感情のままでいくと間違えてアクセルを踏む可能性がある。
ブレーキを踏めて停車できたとしても停車した場所が玉突き事故確定の場所であることに気づけない可能性もある。
落ち着いていれば間違うことはない。
周囲を確認して減速しつつ安全な道路脇に停めることもできるだろう。
だから恐怖で動いてはダメだ。一秒の暇もないほど緊急事態だったらやむを得ないかもしれないけど……。
そうじゃないならまずは落ち着いたほうがいい。まずは安心するから安心できる状況に進んでいける。
そこで恐怖を感じる状況でも恐怖と自分を切り離して落ち着いていられるようになるにはどうしたらいいか?
ヴィパッサナー瞑想である。この瞑想の実践こそが必要なときに落ち着きを取り戻せる精神を作る。 ヴィパッサナーの理論と実践について学んだけど
生きざまのレベルから根本的に実践者の行動を変えていくものだな。
行動が変わるということは人生そのものが変わる。
具体的に得られるもので社会人的に有用なのは
・安眠と安楽な目覚め
・心の統一が容易となる
・晴れやかで明るくなる
だな。良いものに巡り会えた。 曰く「ヴィパッサナー瞑想で何よりも大事なのは、仕事や生活の現場で本当に苦から解放されていくこと」 >>3
マインドフルネスを気づきと誤訳したことによる勘違いです マインドフルネスと方法はどこが違うの?
同じに見えるけど ヴィパッサナー瞑想とマインドフルネス瞑想は以前はちょっと違ってた。
ヴィパッサナー瞑想は古くから仏教にあった。
テーラワーダ系だけでなく、大乗系でも「止観」の「観」として伝わっている。
マインドフルネス瞑想は1960年代後半または1970年代にアメリカで登場した。
これはヴィパッサナー瞑想の4つの観察対象(身受心法)のうち身のみに焦点を当てたものだった。
つまり、ヴィパッサナー瞑想とマインドフルネス瞑想の違いは、観察対象が法まで及ぶかどうか、だった。
ただし、マインドフルネス瞑想の定義は、世界的ブームになって以降、揺らいでいる。
以前の定義のままの人もいれば、ヴィパッサナー瞑想と同義とする人もいるし、道元の只管打坐を含める人もいる。
どれもそれなりに言い分があり、どれが正解とは言いづらい。 >>24
わかりやすい歴史的な説明ありがとうございます.
ただ,現代のマインドフルネスの観は少なくとも身,受,心まで広がっており,その違いがわかりにくいようですが,どうでしょうか? マインドフルネスが日本で流行り始めた頃、ちょうどさきにヴィパッサナー瞑想を知ってたから、どう違うのか自分もわかりづらかった
今はどうか知らないけど、当時はマインドフルネスの科学的検証や定義もまだ曖昧で、メソッドが理論的裏付けよりも先行している印象を受けた
そのせいかヨガ講師やスピ系の人が書いたマインドフルネス本がベストセラーになったりして、これはますます世間の解釈が混乱するだろうなと思っていたら、おそらくその通りになった