苫米地の「『空』を定義する ~現代分析哲学とメタ数理的アプローチ」を読んでみた。
http://tomabechi.jp/EmptinessJapanese.pdf
結論から言えば、子供だましだ。

「bottom」は、本当は「φ」「空集合」と言いたいところだが、それだと仏教の「空」とごっちゃになるので、
ここはあえて「矛盾」と呼ぶのはまあよかろう。
「top」は、「万物」「宇宙」「神」などを置けば西洋でも閉じたlatticeになるが、まあこれもどっちでもいい。

問題は、
「特定の個人の自我を定義するなら、宇宙をその個人の自我と、それ以外のものとに分け、その個人の
自我を完璧に定義することができれば、その個人の自我を除く全宇宙を定義できたことになります。
つまり、自我が分かれば、宇宙が分かるのです。」
の部分。
瞑想などで自我を知り尽くせば、そのまま宇宙がわかるという。

これに先立って、偶数という部分関数を定義すれば奇数も定義される、という例を出している。
だが、これが成り立つためには、全集合である自然数をあらかじめ知っておかねばならない。
また、もし全体が実数や複素数だとしたら、偶数を定義しただけでは数の全体は把握できない。
つまり、苫米地の理屈だと、あらかじめ「個人の自我をも含む全宇宙」を知っていなければ、
自我を知り尽くしても全宇宙はわからない。