例えば生身で湖を泳いで対岸に渡らなくてはならないとする。

「どうしたら途中で疲れて溺れるようなことにならずに泳ぎきれるだろうか?」
こう考える人は溺れる現実を引き寄せている。
脳は否定形を認識できない。溺れない=溺れると捉える。溺れないことに意識を向けることは溺れることに意識を向けていることになる。

「どうしたら対岸に辿り着くまで水に浮かんでいられるだろうか?」
こう考える人は対岸まで泳ぎきれる現実を引き寄せている。
ただし浮かぶことだけに意識を向けていられるのならだけど。

浮かぶという言葉からだと「なら浮かぶものを身につけて泳ごう」と連想できる。
溺れないという言葉からだとなかなかそういう発想にはならない。せいぜい「溺れないようにするために裸になろう」くらいしか思い浮かばない。

「浮かぶ」でも「溺れない」でも変わらないと思う人はこう考えてみてほしい。
「正義の味方」と「悪の敵」は同じものだろうか?
始めは同じようなものだろうけど、成長するにつれて「正義を守り、悪を改心させる存在」と「悪を殺し、場合によっては正義とも対立する存在」に分かれていくのではないだろうか。

引き寄せの法則的にいうと「失敗しないようにするには?」よりも「成功し続けるためには?」で考えたほうがいい。