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鬼和尚の仏教勉強会 悟りの真実 2 [無断転載禁止]©2ch.net

レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
0001名無しを整える。
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2017/04/11(火) 11:48:39.27ID:kMYDXZN5
大好評なので、続スレッドを建てたのじゃ
みな、儂のことが好きなのじゃ
よって、みな、儂の弟子じゃ
儂は、悟りを開いて、もうこれ以上、悟ることはないのが、みなは、そうではないじゃろ
儂のように悟りたければ、儂の言うことを聞くのじゃ
0815鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
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2017/09/21(木) 21:19:18.51ID:G4JV9MBo
素晴らしいことじゃ。
この世の真理がお釈迦様の言葉で明らかになったのじゃ。
誰も生まれによって賎しくなり、苦に陥るのではないのじゃ。
悪い行いによって賎しくなり、苦に陥ることにもなるのじゃ。
善事を行えば福楽も付き従うのじゃ。
0816名無しを整える。
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2017/09/21(木) 22:46:32.98ID:Yx6GuKEl
>>815
鬼和尚、こんばんは(´・(ェ)・`)つ

お釈迦さんは、因習差別が支配する25百年前のインドで、無常、無我を説いただけでなく、縁起や因果応報も真理として説いたからこそ偉大なのでありますね。

善事を行えば福楽も付き従うのでありますね。
0817名無しを整える。
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2017/09/22(金) 18:37:13.40ID:dxxnpIRc
ブッダのことば(スッタニパータ)
第一 蛇の章、8、慈しみ

143 究極の理想に通じた人が、この平安の境地に達してなすべきことは、次のとおりである。能力あり、直く、正しく、ことばやさしく、柔和で、思い上がることのない者であらねばならぬ。

144 足ることを知り、わずかの食物で暮し、雑務少く、生活もまた簡素であり、諸々の感官が静まり、聡明で、高ぶることなく、諸々の(ひとの)家で貪ることがない。

145 他の識者の非難を受けるような下劣な行いを、決してしてはならない。一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。

146 いかなる生物生類であっても、怯えているものでも強剛なものでも、悉く、長いものでも、大きいものでも、中ぐらいのものでも、短いものでも、微細なものでも、粗大なものでも、

147 目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、近くに住むものでもすでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。

148 何びとも他人を欺いてはならない。たといどこにあっても他人を軽んじてはならない。悩まそうとして怒りの想いをいだいて互いに他人に苦痛を与えることを望んではならない。

149 あたかも、母が已が独り子を命を賭けて護るように、そのように一切の生きとし生れるものどもに対しても、無量の(慈しみの)意を起すべし。

150 また全世界に対して無量の慈しみの意を起こすべし。上に、下に、また横に、障害なく怨みなく敵意なき(慈しみを行うべし)。

151 立ちつつも、歩みつつも、坐しつつも、臥つつも、眠らないでいる限りは、この(慈しみの)心づかいをしっかりとたもて。
この世では、この状態を崇高な境地と呼ぶ。

152 諸々の邪まな見解にとらわけず、戒を保ち、見るはたらきを具えて、諸々の欲望に関する貪りを除いた人は、決して再び母胎に宿ることがないであろう。

(´・(ェ)・`)つ
0818鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
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2017/09/22(金) 22:17:55.26ID:yV+on+c7
>>816 そうじゃ、悟りを求めないものにもお釈迦様は幸福になる道を説いているのじゃ。
 どんどん善を積んで福楽を楽しむとよいのじゃ。
0819名無しを整える。
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2017/09/23(土) 10:30:24.57ID:4id+OVZk
ブッダのことば(スッタニパータ)
第一 蛇の章、9、雪山に住む者

153 七岳という神霊(夜叉)がいった、「今日は十五日のウポーサタである。みごとな夜が近づいた。さあ、われわれは世にもすぐれた名高い師ゴータマ(ブッダ)にお目にかかろう。」

154 雪山に住む者という神霊(夜叉)がいった、「このように立派な人のこころは一切の生きとし生けるものに対してよく安立しているのだろうか。望ましいものに対しても、望ましくないものに対しても、かれの意欲はよく制されているのであろうか?」

155 七岳という神霊は答えた、「このように立派なかれ(ブッダ)のこころは、一切の生きとし生けるものに対してよく安立している。また望ましいものに対しても、望ましくないものに対しても、かれの意欲はよく制されている。」

156 雪山に住む者という神霊がいった、「かれは与えられないものを取らないであろうか? かれは生きものを殺さないように心がけているであろうか? かれは怠惰から遠ざかっているであろうか? かれは精神の統一をやめないであろうか?」

157 七岳という神霊は答えた、「かれは与えられないものを取らない。かれは生きものを殺さないように心がけている。かれは怠惰から遠ざかっている。目ざめた人(ブッダ)は精神の統一をやめることができない。」

158 雪山に住む者という神霊がいった、「かれは嘘をつかないであろうか? 粗暴なことばを発しないであろうか? 中傷の悪口を言わないだろうか? くだらぬおしゃべりを言わないだろうか?」

159 七岳という神霊は答えた、「かれは嘘をつかない。粗暴なことばを発しな。また中傷の悪口を言わない。 くだらぬおしゃべりを言わない。」

160 雪山に住む者という神霊がいった、「かれは欲望の享楽に耽らないだろうか? その心は濁っていないだろうか? 迷妄を越えているであろうか? 諸々のことがらを明らかに見とおす眼をもっているだろうか?」

161 七岳という神霊は答えた、「かれは欲望の享楽に耽らない。その心は濁っていない。迷妄を越えている。目ざめた人として諸々のことがらを明らかに見とおす眼をもっている。」

162 雪山に住む者という神霊がいった、「かれは明知を具えているだろうか? かれの行いは全く清らかであろうか? かれの煩悩の汚れは消滅しているであろうか? かれはもはや再び世に生まれるということがないであろうか?」

163 七岳という神霊は答えた、「かれは明知を具えている。またかれの行いは清らかである。かれのすべての煩悩の汚れは消滅している。かれはもはや再び世に生まれるということがない。」

163a (雪山に住む者という神霊がいった)、「聖者の心は行動とことばとをよく具現している。明知と行いとを完全に具えているかれを汝が讃嘆するのは、当然である。」

163b 「聖者の心は行動とことばとをよく具現している。明知と行いとを完全に具えているかれに、そなたが随喜するのは、当然である。」

(´・(ェ)・`)つ
0820名無しを整える。
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2017/09/23(土) 14:35:09.65ID:4id+OVZk
>>819
お釈迦さん=覚者の心、戒、徳、を夜叉に語らせてるそうであります。
夜叉とは(やしゃ、サンスクリット語:yaka、パーリ語: yakkhaの音写)古代インド神話に登場する鬼神。薬叉(やくしゃ)とも称する。一般にインド神話における鬼神の総称

三毒=克服すべき根本的な三つの煩悩
貪・瞋・癡(とん・じん・ち)= 欲と怒りと無知が問題

この三つのために生命は悩み苦しむ

智慧があれば、この三つをなくすことが出来る。
しかし、この三つをなくす智慧を得ることを妨害するのもこの三つ。
欲が苦しみの原因だと解ったとしても、心は欲を捨てることを嫌う。
欲は智慧の邪魔をする。
その智慧を使って三つを減らすというように前進する。
その方法が瞑想。

(´・(ェ)・`)つ だそうであります。
0821鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
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2017/09/23(土) 21:13:22.07ID:FzzS4L0Y
それを無くすことができるのは観察なのじゃ。
貪欲も怒りも原因から観察すれば消えるのじゃ。
その気付きが叡智なのじゃ。
どんどん実践すると善いのじゃ。
0822名無しを整える。
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2017/09/24(日) 06:21:13.05ID:CFVD5ua3
ブッダのことば(スッタニパータ)
第一 蛇の章、9、雪山に住む者

164 (七岳という神霊がいった)、「聖者の心は行動とことばとをよく具現している。さあ、われらは明知と行いとを完全に具えているゴータマに見えよう。」

165 (雪山に住む者という神霊がいった)、「かの聖者は羚羊のような脛があり、痩せ細って、聡明であり、小食で、貪ることなく、森の中で静かに瞑想している、来たれ、われらはゴータマ(ブッダ)に見えよう。

166 諸々の欲望をかえりみることなく、あたかも獅子のように象のように独り行くかれに近づいて、われらは尋ねよう、──死の縛めから解き放たれる道を。」

167 (その二つの神霊がいった)、「説き示す人、説き明かす人、あらゆることがらの究極をきわめ、怨みと恐れを越えた目ざめた人、ゴータマに、われらは問おう。」

168 雪山に住む者という神霊がいった、「何があるとき世界は生起するのですか? 何に対して親しみ愛するのですか? 世間の人々は何ものに執著しており、世間の人々は何ものに悩まされているのですか?」

169 師は答えた、「雪山に住むものよ。六つのものがあるとき世界が生起し、六つのものに対して親しみ愛し、世界は六つのものに執著しており、世界は六つのものに悩まされている。」

170 「それによって世間が悩まされる執著とは何であるか? お尋ねしますが、それからの出離の道を説いてください。どうしたら苦しみから解き放たれるのでしょうか。」

171 「世間には五種の欲望の対象があり、意(の対象)が第六であると説き示されている。それらに対する貪欲を離れたならば、すなわち苦しみから解き放たれる。

172 世間の出離であるこの道が汝らに如実に説き示された。このことを、われは汝らに説き示す、──このようにするならば、苦しみから解き放たれるのである。」

173 「この世において誰が激流を渡るのでしょうか? この世において誰が大海を渡るのでしょうか? 支えなくよるべのない深い海に入って、誰が沈まないのでしょうか?」

174 「常に戒を身にたもち、智慧あり、よく心を統一し、内省し、よく気をつけている人こそが、渡りがたい激流を渡り得る。

175 愛欲の想いを離れ、一切の結び目(束縛)を越え、歓楽による生存を滅しつくした人──、かれは深海のうちに沈むことがない。」

176 (雪山に住む者という神霊がいった)、「深い智慧があり、微妙な意義を見、何ものをも有せず、欲の生存に執著せず、あらゆることがらについて解脱し、天の路を歩みつつあるかの大仙人を見よ。

177 世に名高く、微妙な意義を見、智慧をさずけ、欲望の起る根源に執著せず、一切を知り、よく聡明であり、気高い路を歩みつつあるかの大仙人を見よ。

178 今日われわれは美しい[太陽]を見、美しく晴れた朝に逢い、気もちよく起き上がった。激流をのり越え、煩悩の汚れのなくなった<覚った人>にわれらは見えたからである。

179 これらの千の神霊どもは、神通力あり、誉れたかきものどもであるが、かれらはすべてあなたに帰依します。あなたはわれらの無上の師であります。

180 われらは、村から村へ、山から山へめぐり歩もう、──覚った人をも、真理のすぐれた所以をも礼拝しつつ。」

(´・(ェ)・`)つ
0823名無しを整える。
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2017/09/24(日) 13:10:59.39ID:CFVD5ua3
>>822
166
二人の夜叉がブッタに最も聞きたかったことは、「死の縛めから解き放たれる道」=死の恐怖を克服する方法。
それを直接訊くのではなく、
生きることについて質問した。
※経典で世間(世界)というところは、生きもの、生命(人間)とした方が解りやすい場合が多いそうであります。
168
「世間は何によつて成り立つて居るのでせうか」、「何があるとき世界は生起するのですか?」と言う意味は「生きているとはどういうことでしょうか?」ということ。
生命(人間)が生きることは何によって成り立っているか?
生命(人間)は何に親しむのか?
生命(人間)は何に執着するのか?
生命(人間)は何によって悩まされるのか?
169
世界(生きること)は六つによって成り立っている」。
六つとは六つの内処(眼・耳・鼻・舌・身・意)と六つの外処(色・声・香・味・触・法)。
→「六内外処に親しむ。」、「六内外処に執着する。」、「六内外処に悩まされる。」
死の恐怖生の克服→生きることについて分析→悩みを整理→悩みの解決方法を質問
170
人間が悩まされる執着とは何か?、どうしたらそれから解放されるか?
171
六種の欲望の対象への執着が人間を悩ます。
六種の欲望の対象に対する貪欲を離れることで、苦しみから解放される。
六種の欲望の対象とは色・声・香・味・触・法。
172
世間の出離。
欲望を満たそうとするのが世間。
ここでは欲望から離れることを述べているので、世間から出離。
↑三つの偈=仏教の核心である四聖。
@苦諦、苦があり、
A集諦、苦の原因が欲望であることが明らかにされ、
B滅諦、欲望から離れることで苦が滅する
C道諦、このようにして苦が滅すること。
一言で「欲望から離れること」と言われても、そんなことが出来るのか?
173
誰が一体この世で激流を渡れるのか?
ここで激流とは欲望のこと
誰がこの世で海を渡れるのか?
ここで海とは死の恐怖(から解放)=死の恐怖を誰が克服できるのか?
174
常に戒を守る人、智慧があって、心を統一させている人、注意を自分の心に向け、心に欲が現れないように守っている人が、渡り難い激流を渡ることが出来る。
175
常に戒を守り、智慧あり、心の統一のある人、気付きのある人は、心に欲が現れないようにすることができる。智慧があれば、欲や苦しみの原因であることをよく理解して、心の統一と気付きある人は、欲の想いから離れることによって、欲が心に現れることを抑えることが出来る。
「一切の束縛を超えた人」とは十結と言われる十の煩悩をすべてなくした人。=阿羅漢十結とは
1.有身見(うしんけん):永遠不滅の真我があると言う誤解
2.疑:迷って確信がないこと
3.戒禁取(かいごんしゅ):無意味な苦行やあらゆる宗教儀式・儀礼
4.貪欲:五欲に執着すること
5.瞋恚(しんに):いらいらして怒ること
6.色貪(しきどん):色界禅定に執着すること
7.無色貪(むしきどん):無色界禅定に執着すること
8.慢:自分と比較すること。自分を重要と思うこと
9.掉挙(じょうこ):落ち着きのないこと
10.無明:真実を知らないこと
179
二人の夜叉の弟子が千人、師匠の夜叉と一緒にブッタに帰依したということだそうであります。

(´・(ェ)・`)つ
0824鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
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2017/09/24(日) 21:29:52.44ID:5pSl8G3B
それらを離れる法が止観なのじゃ。
心を集中させて、六処が観察され尽くせば執着は無くなり、出離も出来るのじゃ。
それが説かれているのじゃ。
0825名無しを整える。
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2017/09/24(日) 22:12:09.39ID:CFVD5ua3
>>824
今回の部分は、たいへん重要は教え満載でありましたが、日頃の鬼和尚のコメントやブロゲで、すでにより分かりやすく解説していただいているところばかりのようであります。
独学で、お経を習得するのはたいへんなことでありますね。

鬼和尚に感謝であります。
(´・(ェ)・`)つ
0826名無しを整える。
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2017/09/25(月) 12:41:03.07ID:tdMAKlIy
でおーと名乗る、俺は悟りをひらいたと自称する、施設に収容されている宗教性妄想患者が作成した文章。


>俺は、最近裏工作的に牧師の霊的指導を笑、
>当然そういう風に魅せずにな笑。
>世話になっている坊主に俺は、自分の修行が
>進まんのにクリスチャンの世話ばかりしてい
>ると笑。
>今日は、さっき書いたが、修行マニアの書い
>た本(どちらかというと仏教、神道系など、
>神秘主義修行の内容が多いのに笑)に、世話
>になっている坊主の公案修行、鈴なのど本を
>書いてあるのを読んだ。
>彼は本物だと知っていたが、きちんとした出
>版社に載るようになったとは笑。
0827名無しを整える。
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2017/09/25(月) 18:59:39.33ID:84IAWBtG
ブッダのことば(スッタニパータ)
第一 蛇の章、10、アーラブァカという神霊

 わたしか聞いたところによると、──あるとき尊き師(ブッダ)はア−ラヴィー国のアーラヴァカという神霊(夜叉)の住居に住みたもうた。そのときアーラヴァカ神霊は師のいるところに近づいて、
師にいった、「道の人よ、出てこい」と。「よろしい、友よ」といって師は出てきた。

(また神霊はいった)、「道の人よ、入れ」と。「よろしい、友よ」といって、師は入った。

ふたたびアーラヴァカ神霊は師にいった、「道の人よ、出てこい」と。「よろしい、友よ」といって師は出て行った。

(また神霊はいった)、「道の人よ、入れ」と。「よろしい、友よ」といって師は入った。三たびまたアーラヴァカ神霊は師にいった、「道の人よ、出てこい」と。よろしい、友よ」といって師は出てきた。

(また神霊はいった)、「道の人よ。入れ」と。「よろしい、友よ」といって師は入った。

四たびまたアーラヴァカ神霊は師にいった、「道の人よ、出てこい」と。

(師は答えた)、「では、わたしはもう出て行きません、汝のなすべきことをなさい」と。

 (神霊がいった)、「道の人よ、わたしは汝に質問しよう。もしも汝がわたしに解答できないならば、汝の心を乱し、汝の心臓を裂き、汝の両足をとらえてガンジス河の向こうの岸に投げつけよう。」

(師は答えた)、「友よ。神々・悪魔・梵天を含む世界において、道の人・バラモン・神々・人間を含む生けるものどものうちで、わが心を乱し、わが心臓を裂き、わか両足をとらえてガンジス河の向こうの岸に投げつけ得るような人を、実にわたしは見出さない。友よ。

 汝が聞きたいと欲することを、何でも聞け」と。そこでアーラヴァカ神霊は、師に次の詩をもって呼びかけた。──

181 「この世で人間の最高の富は何であるか? いかなる善行が安楽をもたらすのか? 実に味の中での美味は何であるか? どのように生きるのが最上の生活であるというのか?」

(´・(ェ)・`)つ
0828名無しを整える。
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2017/09/25(月) 21:05:28.37ID:84IAWBtG
>>827
あーらバカは嫌な奴でありますね。
病んでる夜叉でありましょか?

お釈迦さんはそんなあーらバカのことも友と呼び掛ける大人でありますね。
(´・(ェ)・`)つ
0829鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
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2017/09/25(月) 21:42:29.75ID:BbpPmBg1
>>825 そうじゃ、正しい知識が正しい実践に導くのじゃ。
 正しい法を知れば効果も現れるのじゃ。

>>828 そうかもしれん。
 
0830名無しを整える。
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2017/09/26(火) 18:36:06.43ID:ai0xs9+Q
ブッダのことば(スッタニパータ)
第一 蛇の章、10、アーラブァカという神霊

182 「この世では信仰が人間の最上の富である。徳行に篤いことは安楽をもたらす。実に真実が味の中で美味である。知慧によって生きるのが最高の生活であるという」

183 「ひとはいかにして激流を渡るのであるか? いかにして海を渡るのであるか? いかにして苦しみを越えるのであろうか? いかにして全く清らかとなるのであるか?」

184 「ひとは信仰によって激流を渡り、精励によって海を渡る。勤勉によって苦しみを超え、知慧によって全く清らかとなる。」

185 「ひとはいかにして智慧を得るのであろうか? いかにして財を獲るのであるか? いかにして名声を得るのであるか? いかにして交友を結ぶのであるか? どうすれば、この世からかの世に赴いたときに憂いがないのであろうか?」

186 [師いわく、──]「諸々の尊敬さるべき人が安らぎを得る理法を信じ、精励し、聡明であって、教えを聞こうと熱望するならば、ついに智慧を得る。

187 適宜に事をなし、忍耐づよく努力する者は財を得る。
誠実をつくして名声を得、
何ものかを与えて交友を結ぶ。

188 信仰あり在家の生活を営む人に、誠実、真理、堅固、施与というこれら四種の徳があれば、かれは来世に至って憂えることがない。

189 もしもこの世に誠実、自制、施与、耐え忍びよりもさらに勝れたものがあるならば、さあ、それら他のものをも広く<道の人>、バラモンどもに問え。」

190 [神霊いわく、──]「いまやわたしは、どうして道の人、バラモンどもに広く問う要がありましょうか。わたしは今日<来世のためになること>を覚り得たのですから。

191 ああ、目ざめた方がア−ラヴィーに住むためにおいでになったのは、実はわたくしのためをはかってのことだったのです。わたしは今日、何に施与すれば大いなる果報が得られるかということを知りました。

192 わたしは、村から村へ、町から町へめぐり歩こう、──覚った人を、また真理のすぐれた所以を、礼拝しつつ。」

(´・(ェ)・`)つ
0831名無しを整える。
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2017/09/26(火) 20:44:52.26ID:ai0xs9+Q
>>830
182
仏教では信とは理解に基づく確信を言う。盲信ではなく、理解することが必要。

183
1. いかにして、激流を渡るか? 激流とは貪欲を意味する。
2. いかにして、海を渡るか?海とは、生と死、死の恐怖、果てしのなく繰り返してきた輪廻を海と譬えている。
3. いかにして、苦しみを乗り越えるのか?
4. いかにして、汚れた心を清めることが出来るのか?
184
1. 激流を渡るのは、←信。
信が、人間の最高の富とされるのは信によって、激流を渡ることが出来るから。
スッタニパータ(第1章4、77偈、)「信仰が種である」→信を育てて、悟りという実を収穫する。
五根、五力と言う修行法。内容はどちらも同じ、@信、A精進、B念、C定、D智慧信があってこそ、修行が始まる。信は具体的には、三帰依。仏法僧に対する帰依。これがあるので、貪欲の激流という困難を渡ることが出来る。
2. 生死すなわち輪廻の海を渡るのは←不放逸
不放逸とは、気づき(念)を怠らないこと。これにより、煩悩をなくし、輪廻から解脱できる。
3. 苦しみを乗り越える←精進
すなわち、八正道の実践
4. 心の汚れを清めるのは、←智慧

↑五根、五力の内容の内の四つが述べている。「定(集中)」は、念(気付き)の実践により現れるから、特別に述べてなくとも、この偈は五根、五力の修行と考えてもよい。

185
どのようにして1. 智慧を、2.財を、3. 名声を、4.交友を、5. 死ぬ時に悲しまないことを得るのか?
186
どのようにして智慧を得るのか?
四つの事由(因)が必要。
@ 涅槃を得るための阿羅漢の教えを信じること。=八正道の実践で涅槃に到ることを理解すること。
A その教えを聞こうと願うこと。=八正道、意味を詳しく学ぼうと思うこと。
B 不放逸すなわち気付きを怠ることがないこと。=瞑想を繰り返し実践すること。
C 聡明であること。=気持ちをしっかりさせること。

瞑想を繰り返し実践すること。

気持ちをしっかりさせること。

187
どのようにして財(富)をえるか?
適宜に仕事をして、忍耐強く、努力する人は財(富)を得る。最高の富は信→信についても同様。
どのようにして名声を得るか?
真実=誠実によって得る。
どのようにして友好を結ぶか?
何かを与えて友好を結ぶ。プレゼント作戦でありますね。
188
どのようにしたら死後に悲しまないか? 
四つの性質があれば、死後悲しむことがない。真実(誠実)、法、気力、喜捨。

法=ダンマ「法、教法、真理、正義;もの、一切法、諸法の法」意味は文脈に応じて理解。

(´・(ェ)・`)つ
結局、あーらバカ夜叉とくんは、お釈迦さんに質問したいことが山ほどあったのでありますね。
最初は照れ隠しで意地悪してみたのでありましょう。

友好を結ぶ方法は、プレゼントってのは微笑ましいでありますが、お釈迦さん、他に思い付かなかったのでありましょうか?
0832鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2017/09/26(火) 22:20:20.38ID:NL5QFmYo
微笑とか優しい言葉も施しなのじゃ。
無財の七施もあるのじゃ。
0833名無しを整える。
垢版 |
2017/09/26(火) 23:20:14.20ID:ai0xs9+Q
>>832
なるへそ!へそのごまであります!
(´・(ェ)・`)つ

187
>何ものかを与えて交友を結ぶ。
にも、深い意味があるのでありますね。

「無財の七施」
1. 眼施(がんせ):いつも優しい眼差(まなざし)しで人に接する。
2. 和顔悦色施(わがんえつじきせ):いつも笑顔で接する。
3. 言辞施(ごんじせ):優しい言葉で接する。
4. 身施(しんせ):困った人を見たら助けてあげる。
5. 心施(しんせ):ほかの人のために心を配る。
6. 床座施(しょうざせ):席や場所を譲る。
7. 房舎施(ぼうじゃせ):訪ねてくる人がいれば一宿一飯の施しを行い労をねぎらう。

施しとは、優しい心があれば、誰もが実践することができるのであり、その優しい心こそが、交友を結ぶために重要なのでありますね。
0834名無しを整える。
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2017/09/27(水) 18:26:46.94ID:EdEr0cyd
ブッダのことば(スッタニパータ)
第一 蛇の章、11、勝利

193 或いは歩み、或いは立ち、或いは坐り、或いは臥し、身を屈め、或いは伸ばす、──これは身体の動作である。

194 身体は、骨と筋とによってつながれ、深皮と肉とで塗られ、表皮に覆われていて、ありのまま見られることがない。

195 身体は腸に充ち、胃に充ち、肝臓の塊・膀胱・心臓・肺臓・腎臓・脾臓あり、

196 鼻汁・粘液・汗・脂肪・血・関節液・胆汁・膏がある。

197 またその九つの孔んらはねつねに不浄物が流れ出る。眼からは目やに、耳からは耳垢、

198 鼻からは鼻汁、口からは或るときは胆汁を吐き、或るときは痰を吐く。全身からは汗と垢とを排泄する。

199 またその頭(頭蓋骨)は空洞であり、脳髄にみちている。しかるに愚か者は無明に誘われて、身体を清らかなものだと思いなす。

200 また身体が死んで臥するときには、膨れて、青黒くなり、墓場に棄てられて、親族もこれを顧みない。

201 犬や野狐や狼やは虫類がこれをくらい、鳥や鷲やその他の生きものがこれを啄む。

202 この世において知慧ある修行者は、覚った人(ブッダ)の言葉を聞いて、このことを完全に了解する。なんとなれば、かれはあるがままに見るからである。

203 (かの死んだ身も、この生きた身のごとくであった。この生きた身も、かの死んだ身のごとくになるであろう)と内面的にも外面的にも身体に対する欲を離れるべきである。

204 この世において愛欲を離れ、知慧ある修行者は、不死・平安・不滅なるニルヴァーナの境地に達した。

205 人間のこの身は、不浄で、悪臭を放ち、(花や香を以て)まもられている。種々の汚物が充満し、ここかしこから流れ出る。

206 このような身体をもちながら、自分を偉いものだと思い、また軽蔑するならば、かれは(見る視力が無い)という以外の何だろう。

(´・(ェ)・`)つ
0835名無しを整える。
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2017/09/27(水) 21:05:13.41ID:EdEr0cyd
>>834
四段階の悟りのうち、最初の悟りで、克服する三つの煩悩、@有身見、A疑、B戒禁取がある。
有身見は始めの一番手ごわい煩悩。
「私がいる、この身体は私なのだ」という見解は、解脱を目指す修行者にとって、克服すべき始めの難関。
この難関を克服するためには、この身体をよく観察することを勧めた。
肉体について、細かく、丁寧に、ありのままに観察す過程が示されている。

ここで学ぶべきことは、そのような不浄な肉体に執着するのは止めなさいということ。
人々は自分の身体に執着して、身体は一番大切、一番かわいいと思っている。そのように思っている限り、人は身体に拘束、束縛されることになる。そのように思っている限り、心は身体の奴隷になっている。

身体の奴隷とは、五感の奴隷ということ。
五感から心に欲や怒りが生まれる。
五感に快の感覚があれは欲が生まれ、
不快があれば怒りが生まれる。
五感の奴隷とは欲と怒りの奴隷ということ。
身体に執着すると、欲や怒りの煩悩の奴隷になる。
身体をありのままに見ることにより、身体への執着から離れることが出来まる。
そうすると、煩悩の支配から離れることが出来る。
それは煩悩を克服すること。
それがゆえに、この経を「勝利の経」と言うのです。

(´・(ェ)・`)つ
ふむふむ。
0836鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
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2017/09/27(水) 21:45:05.01ID:Nvh4Kwbk
>>833 そうじゃ、慈悲の心が善事の元なのじゃ。
 慈悲によって人は福楽も付き従えるのじゃ。
 
0837名無しを整える。
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2017/09/28(木) 19:26:50.67ID:bl0JirhM
ブッダのことば(スッタニパータ)
第一 蛇の章、12、聖 者

207 親しみ慣れることから恐れが生じ、家の生活から汚れた塵が生ずる。親しみ慣れることもなく家の生活もないならば、これが実に聖者のさとりである。

208 すでに生じた(煩悩の芽を)断ち切って、新たに植えることなく、現に生ずる(煩悩)を長ぜしめることがないならば、この独り歩む人を<聖者>と名づける。かの大仙人は平安の境地を見たのである。

209 平安の境地、(煩悩の起こる)基礎を考究して、そのたねを弁(わきま)え知って、それを愛執する心を長せしめないならば、かれは、実に生を滅ぼしつくした終極を見る聖者であり、妄想をすてて(迷える者の)部類に赴かない。

210 あらゆる執著の場所を知りおわって、そのいずれをも欲することなく、貪りを離れ、欲のない聖者は、作為によって求めることがない。かれは彼岸に達しているからである。

211 あらゆるものにうち勝ち、あらゆるものを知り、いとも聡明で、あらゆる事物に汚されることなく、あらゆるものを捨て、妄執が滅びて解脱した人、──諸々の賢者は、かれを<聖者>であると知る。

212 智慧の力あり、戒と誓いをよく守り、心がよく統一し、瞑想(禅定)を楽しみ、落ち着いて気をつけていて、執著から脱して、荒れたところなく、煩悩の汚れのない人、──諸々の賢者は、かれを<聖者>であると知る。

213 独り歩み、怠ることのない聖者は、非難と賞賛とに心を動かさず、音声に驚かない獅子のように、網にとらえられない風のように、水に汚されない蓮のように、他人に導かれることなく、他人を導く人、──諸々の賢者は、かれを(聖者)であると知る。

214 他人がことばを極めてほめたりそしったりしても、水浴場における柱のように泰然とそびえ立ち、欲情を離れ、諸々の感官をよく静めている人、──諸々の賢者は、かれを<聖者>であると知る。
215 梭のように真直ぐにみずから安立し、諸々の悪い行為を嫌い、正と不正とをつまびらかに考察している人、──諸々の賢者は、かれを<聖者>であると知る。

216 自己を制して悪をなさず、若いときでも、中年でも、聖者は自己を制している。かれは他人に悩まされることなく、また何びとをも悩まさない。諸々の賢者は、かれを<聖者>であると知る。

217 他人から与えられたもので生活し、[容器の]上の部分からの食物、中ほどからの食物、残りの食物を得ても、(食を与えてくれた人を)ほめることなく、またおとしめて罵ることもないならば、諸々の賢者は、かれを<聖者>であると知る。

218 婬欲の交わりを断ち、いかなるうら若き女人にも心をとどめず、驕りまたは怠りを離れ、束縛から解脱している聖者──かれを諸々の賢者は(真の)<聖者>であると知る。

219 世間をよく理解して、最高の真理を見、激流を超え海をわたったこのような人、束縛を破って、依存することなく、煩悩の汚れのない人、──諸々の賢者は、かれを<聖者>であると知る。

220 両者は住所も生活も隔たって、等しくない。在家者は妻を養うが、善く誓戒を守る者(出家者)は何ものをもわがものとみなす執著がない。在家者は、他のものの生命を害って、節制することがないが、聖者は自制していて、常に生命ある者を守る。

221 譬えば青頸の孔雀が、空を飛ぶときは、どうしても白鳥の速さに及ばないように、在家者は、世に遠ざかって林の中で瞑想する聖者・修行者に及ばない。

<蛇の章>第一 おわる
まとめの句
 蛇とダニヤと[犀の]角と耕す人と、チュンダと破壊と賤しい人と、慈しみを修めることと雪山に住む者とアーラヴァカと、勝利とまた聖者と、──
 これらの十二の経が「蛇の章」と言われる。
0838鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
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2017/09/28(木) 20:02:13.88ID:5xHpXfIb
この最後に書いてあるのは出家が偉いとか、在家がいかんということではないのじゃ。
悟りを求めて修業するためには出家が有利であると言っているだけなのじゃ。
なにものも持たず修業に専念できる出家が悟りを求めるには有利であるのは当然なのじゃ。
いろいろと世間のしがらみがある在家では修業に不利であるといっているだけなのじゃ。 
0839名無しを整える。
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2017/09/28(木) 22:16:54.44ID:bl0JirhM
>>838
お釈迦さんの頃の出家は、
死人の着ていた布切れを洗って継ぎはぎしてまとい、野原や洞窟に草を敷いて眠り、食物はこじき行をして得ていたのでありましょうから、
修行に有利とといっても、仏教教団ができたあとの、出家とはわけが違うのでありましょうが、
悟りを求める人は、それくらい本気じゃなくちゃいかんのでありましょうね。
(´・(ェ)・`)つ
0840名無しを整える。
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2017/09/29(金) 20:44:04.24ID:CMdpx2CA
ブッダのことば(スッタニパータ)
第2 小なる章、1,宝

222 ここに集まった諸々の生きものは、地上のものでも、空中のものでも、すべて歓喜せよ。そうしてこころを留めてわが説くところを聞け。

223 それ故に、すべての生きものよ、耳を傾けよ。昼夜に供物をささげる人類に、慈しみを垂れよ。それ故に、なおざりにせず。かれらを守れ。

224 この世または来世におけるいかなる富であろうとも、天界における勝れた宝であろうとも、われらの全き人(如来)に等しいものは存在しない。この勝れた宝は、目ざめた人(仏)のうちに存する。この真理によって幸せであれ。

225 心を統一したサキヤムニは、(煩悩の)消滅・離欲・不死・勝れたものに到達された、──その理法と等しいものは何も存在しない。このすぐれた宝は理法のうちに存在する。この真理によって幸せであれ。

226 最も勝れた仏が讃嘆したもうた清らかな心の安定を、「ひとびとは(さとりに向かって)間をおかぬ心の安定」と呼ぶ。この(心の安定)と等しい者はほかに存在しない。このすぐれた宝は理法(教え)のうちに存する。この真理によって幸せであれ。

227 善人のほめたたえる八輩の人はこれらの四双の人である。かれらは幸せ人(ブッダ)の弟子であり、施与を受けるべきである。かれらに施したならば、大いなる果報をもたらす。
この勝れた宝は<つどい>のうちにある。この真理によって幸せであれ。

228 ゴータマ(ブッダ)の教えにもとずいて、堅固な心をもってよく努力し、欲望がなく、不死に投入して、達すべき境地に達し、代償なくして得て、平安の楽しみを享けている。この勝れた宝<つどい>のうちにある。この真理によって幸せであれ。

229 城門の外に立つ柱が地の中に打ち込まれていると、四方からの風にも揺るがないように、諸々の聖なる真理を観察して見る立派な人は、これに譬えられるべきである、とわれは言う。この勝れた宝<つどい>のうちにある。この真理によって幸せであれ。

230 深い智慧ある人(ブッダ)がみごとに説きたもうた諸々の聖なる真理をはっきりと知る人々は、たとい大いになおざりに陥ることがあっても、第八の生存を受けることはない。この勝れた宝は<つどい>のうちにある。この真理によって幸せであれ。

(´・(ェ)・`)つ
0841名無しを整える。
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2017/09/29(金) 20:54:45.95ID:CMdpx2CA
225
ブッダ説いた教え(法)が最高の宝
四聖諦という教え(法)。
1、 生きることは苦である。
2、 苦の原因は渇愛である
3、 苦の原因をなくすことで、苦をなくすことが出来る。
4、 苦をなくす方法。
この教えがあるから、苦をなくすことが出来る。だから、宝。

苦の原因をなくすこと、すなわち渇愛を滅尽して、確かに苦がなくなった体験、実証した境地。それを悟りといい、解脱とも言う。また苦が滅尽した境地、涅槃とも言う。
禅定は、煩悩の滅尽、離貪、不死の境地。

226
滅尽定=涅槃の境地
すべての煩悩をなくしている、ブッダの褒め称える禅定。
すべての煩悩をなくした悟りの禅定。
これを間のない、瞬間の悟りの禅定。
無間定と言われる。
涅槃に到る禅定は最高。最高の宝

227
勝宝である仏陀の弟子たち、サンガを紹介
八輩四双の人々
@ 預流道、
A 預流果
B 一来道
C 一来果
D 不還道
E 不還果
F 阿羅漢道
G 阿羅漢果

228.
生命は、生きること、死ぬことで悩み苦しんでいる。
阿羅漢達は欲から離れ、不死の境地達した。
仏陀の教えに基づいて励めば、不死の境地に達することができることを、。阿羅漢達は実証した。
阿羅漢達はサンガのリーダー。だからサンガも優れた宝。

229
不還果、一来果、預流果も勝宝。人々に幸せをもたらす宝。

「ヤティンダキーロー」とは、インドラ神の柱と言われる城門の前に立てられている標柱。これは地中深く埋めて立てられ、四方から吹くどんな風にも揺らがない。揺らがない物の象徴です。
揺らがない人、「預流果」のこと。仏陀の教えの中心である「四聖諦」を正確に観察して、確信している。この確信があるから揺らがない。彼らは涅槃への道、最高の幸福への道であることを理解している。
四聖諦を学び、実践すれば、揺らがない確信を持てる。迷い悩む多くの人々の中にいて、確信が持てることは幸せの第一歩。

230.
預流果、三種類。
第一種の人は、その人のただ一つの人生だけで、一来果、不還果、阿羅漢になる人。
第二種の人は二回か三回生まれ変わり、そして涅槃に到る人。
第三種の人は七度神(天)と人間に生まれ変わりを繰り返し、最後に苦の終息に到る、すなわち涅槃に到る人。第三種の人は極七返生者とも言います。しかし、何れにせよ、最後は涅槃に到る。
預流果、すなわち涅槃への流れに乗った人。
深淵な智慧で語られた四聖諦は理解するのは難しい。預流果はそれを実践し、真理あることを明らかにした。
四聖諦が揺るがない、不動の確信になっている。
たとえ途中でどんなに怠けることがあっても、七回も人生を繰り返すことがあっても、最後はすべての煩悩を捨て、心を清らかにして涅槃に到る。

(´・(ェ)・`)つ
0842鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
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2017/09/29(金) 22:48:24.86ID:c2GPWfKz
>>839 そうじゃ、世間の全てを捨てて悟りを求める者が出家するのじゃ。
 生きるのに最低限の物しか求めないのじゃ。
 悟る以外の道を無くすのが真の出家なのじゃ。
0843名無しを整える。
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2017/09/30(土) 08:40:29.17ID:IaxjyR4H
ブッダのことば(スッタニパータ)
第2 小なる章、1,宝

231 [T]自身を実在とみなす見解と[U]疑いと[V]外面的な戒律・誓いという三つのことがらが少しでも存在するならば、かれが知見を成就するとともに、それらは捨てられてしまう。
かれは四つの悪い場所から離れ、また六つの重罪をつくるものとはなり得ない。このすぐれた宝が<つどい>のうちに存する。この真理によって幸せであれ。

232 またかれが身体によって、ことばによって、またはこころの中で、たとい僅かなりとも悪い行為をなすならば、かれはそれを隠すことができない。
隠すことができないということを、究極の境地を見た人は説きたもうた。このすぐれた宝が<つどい>のうちに存する。この真理によって幸せであれ。

233 夏の月の初めの暑さに林の茂みでは枝が花を咲かせたように、それに譬うべき、安らぎに赴く妙なる教えを(目ざめた人、ブッダが)説きたもうた、──ためになる最高のことがらのために。
このすぐれた宝が目ざめた人(ブッダ)のうちに存する。この真理によって幸せであれ。

234 勝れたものを知り、勝れたものを与え、勝れたものをもたらす勝れた無上の人が、妙なる教えを説きたもうた。このすぐれた宝が<目ざめた人>(ブッダ)のうちに存する。この真理によって幸せであれ。

235 古い(業)はすでに尽き、新しい(業)はもはや生じない。その心は未来に執著することなく、種子をほろぼし、それが生長する事を欲しないそれらの賢者は、灯火のように滅びる。このすぐれた宝が(つどい)のうちに存する。この真理によって幸せであれ。

236 われら、ここに集まった諸々の生きものは、地上のものでも、空中のものでも、神々と人間のつかえるこのように完成した<目ざめた人>(ブッダ)を礼拝しょう。幸せであれ。

237 われら、ここに集まった諸々の生きものは、地上のものでも、空中のものでも、神々と人間とのつかえるこのように完成した<教え>を礼拝しよう。幸せであれ。

238 われら、ここに集まった諸々の生きものは、地上のものでも、空中のものでも、神々と人間とのつかえるこのように完成した<つどい>を礼拝しよう。幸せであれ。

(´・(ェ)・`)つ
0844名無しを整える。
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2017/09/30(土) 10:03:47.42ID:IaxjyR4H
>>843
231
知見を成就=四聖諦が真理であるという確信=預流果は以下三つの煩悩がなくなる。
第一、有身見。実体として変わらない私がいるという見解。自我意識。
第二、疑。四聖諦や因果法則などの仏説に対する疑い。
第三、戒禁取(カイゴンシュ)。無意味な苦行や宗教儀式・儀礼は解脱に到らない道だとわかること。
四悪趣
@地獄:楽のない苦しみのみの世界。
A畜生:人間以外の動物の世界。
B餓鬼:飢えと渇きの楽のない世界。
C阿修羅:楽のない怖れおののく生命の世界。
六重罪
@母親を殺すこと。
A父親を殺すこと。
B阿羅漢を殺すこと。
C仏陀を傷つけること
Dサンガを分裂させること。
E他の宗教を信じること。

235
阿羅漢に達した弟子たちについて

236〜
神々の王である帝釈天が述べたこと。
0845鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
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2017/09/30(土) 22:36:13.32ID:DYxBGjRo
教えを受けられる環境に生まれるだけでもラッキーじゃ。
真理を受け入れられる心境でいたことも大いなる幸運なのじゃ。
この幸運を生かして今実践に励むのじゃ。
0846名無しを整える。
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2017/09/30(土) 23:17:04.73ID:IaxjyR4H
>>845
まったくその通りであります。
超ラッキー!
大当りくまであります。
(´・(ェ)・`)つ
常に今あるを念じ、思考、感情、感覚を観察し続けられるように、精進するであります。
0847名無しを整える。
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2017/10/01(日) 09:21:18.42ID:WBrv/1A9
ブッダのことば(スッタニパータ)
第2 小なる章、2、なまぐさ

239 稷(キビ)・ディングラカ・チーナカ豆・野菜・球根・蔓の実を善き人々から正しいしかたで得て食べながら、欲を貪らず、偽りを語らない。

240 よく炊がれ、よく調理されて、他人から与えられた純粋で美味な米飯の食物を舌鼓うって食べる人は、なまぐさを食うのである。カッサパよ。

241 梵天の親族(バラモン)であるあなたは、おいしく料理された鳥肉とともに米飯を味わって食べながら、しかも<わたしはなまぐさものを許さない>と称している。
カッサパよ、わたしはあなたにこの意味を尋ねます。あなたの言う<なまぐさ>とはどんなものですか。」

242 「生物を殺すこと、打ち、切断し、縛ること、盗むこと、嘘をつくこと、詐欺、だますこと、邪曲を学習すること、他人の妻に親近すること、──これがなまぐさである。肉食することが<なまぐさい>のではない。

243 この世において欲望を制することなく、美味を貪り、不浄の(邪悪な)生活をまじえ、虚無論をいだき、不正の行いをなし、頑迷な人々、──これがなまぐさである。肉食することが(なまぐさい)のではない。

244 粗暴・残酷であって、陰口を言い、友を裏切り、無慈悲で、極めて傲慢であり、ものおしみする性で、なんびとにも与えない人々、──これがなまぐさである。肉食することが(なまぐさい)のではない。

245 怒り、驕り、強情、反抗心、偽り、嫉妬、ほら吹くこと、極端の傲慢、不良の徒と交わること、──これがなまぐさである。肉食することが(なまぐさい)のではない。

246 この世で、性質が悪く、借金を踏み倒し、密告をし、法廷で偽証し、正義を装い、邪悪を犯す最も劣等な人々、──これがなまぐさである。肉食することが(なまぐさい)のではない。

247 この世でほしいままに生きものを殺し、他人のものを奪って、かえってかれらを害しようと努め、たちが悪く、残酷で、粗暴で無礼な人々、──これがなまぐさである。肉食することが(なまぐさい)のではない。

248 これら(生けるものども)に対して貪り求め、敵対して殺し、常に(害を)なすことにつとめる人々は、死んでからは暗黒に入り、頭を逆さまにして地獄に落ちる、──これがなまぐさである。肉食することが(なまぐさい)のではない。

249 魚肉・獣肉(を食わないこと)も、断食も、裸体も、剃髪も、結髪も、塵垢にまみえることも、粗い鹿の皮(を着ること)も、火神への献供につとめることも、
あるいはまた世の中でなされるような、不死を得るための苦行も、(ヴェーダの)呪文も、供犠も、祭祀も、季節の荒行も、それらは、疑念を超えていなければ、その人を清めることができない。

250 通路(六つの機官)をまもり、機官にうち勝って行動せよ。理法のうちに安立し、まっすぐで柔和なことを楽しみ、執著を去り、あらゆる苦しみを捨てた賢者は、見聞きしたことに汚されない。」

251 以上のことがらを尊き師(ブッダ)はくりかえし説きたもうた。ヴェーダの呪文に通じた人(バラモン)はそれを知った。なまぐさを離れて、何ものにもこだわることのない、跡を追いがたい聖者(ブッダ)は、種々の詩句を以てそれを説きたもうた。

252 目ざめた人(ブッダ)のみごとに説きたもうた──なまぐさを離れ一切の苦しみを除き去る──ことばを聞いて、(そのバラモンは、)謙虚なこころで、全き人(ブッダ)を礼拝し、即座に出家することをねがった。

(´・(ェ)・`)つ
0849名無しを整える。
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2017/10/01(日) 11:31:22.80ID:WBrv/1A9
>>847
過去世にカッサパ仏がティッサという苦行者に教えたこと。
始めの3偈(239〜241)ティッサの言葉
中間の9偈(242〜250)カッサパ仏の言葉
最後の2偈(251〜252)は経の編集者の言葉
242.
殺すこと、盗むこと、嘘つくこと、他人の妻に親しむことなど=なすべきことでないこと=悪いこと。
243
心の内面に注目
欲望に対して抑制のない人
美味しいものを求めて貪っている人
その味を貪るために、『種々の間違った生活(邪命)』と呼ばれる不浄な状態と混じりあっている人
は、生臭である。

「虚無論をいだき、」=何であれ存在しないという見解(断見論)とは、
十項目の邪見。
@布施はない、A献供はない、B祭祀はない、C善作・悪作の諸業の果報はない、D此世はない、E他世はない、F母はいない、G父はいない、H化生・有情いない、I沙門・阿羅漢はいない。
これらはブッダが一番批判した邪見。

「頑迷な人々、」とは、現世に執着し、こだわり、真理を悟り難いこと。頑固な人、教え難い人は確かにいて、そのような人は成長は困難。

これらの人々が生臭である。
249
戒禁取(カイゴンシュ)と疑(ギ)という煩悩があれば、生臭は浄化されない。
苦行や無意味な儀礼・儀式が戒禁取。
疑は、生臭の原因を理解してないこと、拡大して理解すれば因果法則を理解せず、それに対す疑いを持っていること。
250
通路(六つの機官)とは、眼・耳・鼻・舌・身・意の六つ感覚器官。
そこから外部からの刺激が心に入ってくる。
快い刺激が入ると欲が生まれ。不快な刺激が入ると、嫌だという怒りが生まれてくる。
快でも不快でもない刺激が入ると無関心あるいは無知が生まれる。
欲や怒りや無知は心の汚れ。
心が汚れないようにすること、生臭にならないようにするためには、眼・耳・鼻・舌・身・意の六つ感覚器官に入ってくる外部刺激に気づき、心が欲や怒りや無知にならないように守ることが大切。
心に入る外部刺激に気づかないと自動的に心は欲怒り無知に汚れますが、この感覚器官に入ってくる外部刺激に気づくことができると、感覚の流れをストップできる。
そうすれば心は汚れず、浄化されていく。
この感覚の流れから、自分がいるという想い(妄想)も生まれる。
この想い(妄想)が自我です。心の流れから心を守ることによって自我がなくなってくる。
私がいるという誤解=有身見。
戒禁取、疑、有身見という三つの煩悩がなくなった方を、預流果という。
「理法のうちに安立し」は預流果。この法とは四聖諦。
「まっすぐで柔和なことを楽しみ」は一来果。一来果は心を硬直した状態にする貪り・憎しみが極めて薄い。
「執著を去り」は不還果。不還果は貪り・憎しみの執着を超えている。
「あらゆる苦しみを捨てた」は阿羅漢。すべての苦しみを捨てた方はすべての煩悩を捨て、最高の清浄を得ている。

251
経典結集の編集者によって述べられたもの。
生臭とは肉食をすることではなく、生きものを殺すような慈悲の心ないことを言うのである。また、生臭とは貪り、憎しみ、無知などの煩悩があることであると「ヴェーダの呪文に通じた人(バラモン)」に、彼が解るまで繰り返し説明した

「ヴェーダの呪文に通じた人(バラモン)」とは、始めにブッダに「生臭とはなにか?」と質問した苦行者ティッサです。

252
謙虚なこころで、無知の自覚がなければ、無知は克服できない。

(´・(ェ)・`)つ
0850鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
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2017/10/01(日) 21:48:39.25ID:ckevCj1Q
そうじゃ、肉を食べることではなく、悪しき行いこそ避けるべきなのじゃ。
行ないによってのみ人は悪しき者となり、善き者ともなるのじゃ。
 
0851名無しを整える。
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2017/10/01(日) 22:32:51.72ID:WBrv/1A9
そうでありますね。行いがすべてでありますね。
全ての生類の幸福を願う行いをすればよいのでありますね。
(´・(ェ)・`)つ
0852名無しを整える。
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2017/10/02(月) 18:29:49.91ID:HAxpuRsc
ブッダのことば(スッタニパータ)
第2 小なる章、3,恥

253 恥じることを忘れ、また嫌って、「われは(汝の)友である」と言いながら、しかも為し得る仕事を引き受けない人、──かれを「この人は(わが)友に非ず」と知るべきである。

254 諸々の友人に対して、実行がともなわないのに、ことばだけ気に入ることを言う人は、「言うだけで実行しない人」であると、賢者たちは知りぬいている。

255 つねに注意して友誼の破れることを懸念して(甘いことを言い)、ただ友の欠点のみ見る人は、友ではない。子が母の胸にたよるように、その人によっても、他人のためにその間を裂かれることのない人こそ、友である。

256 成果を望む人は、人間に相応した重荷を背負い、喜びを生じる境地と賞讃を博する楽しみを修める。

257 遠ざかり離れる味と平安となる味とを味わって、法の喜びの味を味わっている人は、苦悩わ離れ、悪を離れている。


第2 小なる章、4、こよなき幸せ

 わたたしが聞いたところによると、──あるとき尊き師(ブッダ)はサーヴァッティー市のジェータ林、<孤独な人々に食を給する長者>の園におられた。そのとき一人の容色麗しい神が、夜半を過ぎたころジェータ林を隈なく照らして、師のもとに近づいた。
そうして師に礼して傍らに立った。そうしてその神は、師に詩を以て呼びかけた。

258 「多くの神々と人間とは、幸福を望み、幸せを思っています。最上の幸福を説いて下さい。」

259 諸々の愚者に親しまないで、諸々の賢者に親しみ、尊敬すべき人々を尊敬すること、──これがこよなき幸せである。

260 適当な場所に住み、あらかじめ功徳を積んでいて、みずからは正しい誓願を起こしていること、──これがこよなき幸せである。

261 深い学識あり、技術を身につけ、身をつつしむことをよく学び、ことばがみごとであること、──これがこよなき幸せである。

262 父母につかえること、妻子を愛し護ること、仕事に秩序あり混乱せぬこと、──これがこよなき幸せである。

263 施与と、理法にかなった行いと、親族を愛し護ることと、非難を受けない行為、──これがこよなき幸せである。

264 悪をやめ、悪を離れ、飲酒をつつしみ、徳行をゆるがせにしないこと、──これがこよなき幸せである。

265 尊敬と謙遜と満足と感謝と(適当な)時に教えを聞くこと、──これがこよなき幸せである。

266 耐え忍ぶこと、ことばのやさしいこと、諸々の(道の人)に会うこと、適当な時に理法について聞くこと──これがこよなき幸せである。

267 修養と、清らかな行いと、聖なる真理を見ること、安らぎ(ニルヴァーナ)を体得すること、──これがこよなき幸せである。

268 世俗のことがらに触れても、その人の心が動揺せず、憂いなく、汚れを離れ、安穏であること、──これがこよなき幸せである。

269 これらのことを行うならば、いかなることに関しても敗れることがない。あらゆることについて幸福に達する。──これがこよなき幸せである。

(´・(ェ)・`)つ
0853名無しを整える。
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2017/10/02(月) 20:04:10.32ID:HAxpuRsc
>>852
256

今回の偈の主語は、成果を望む人。
(本来修行の成果を期待しながら、修行することは間違いであるが、初心の人にはそれは理解できないことなので、ブッダはそのように期待している人に分かるように教えている。)

先ず、「喜びを作る基を修習する」ことを教えている。
基とは、精進。精進こそが法に伴う喜悦をもたらす。
そのために七覚支でも、精進覚支の次に喜覚支が来る。

次は「賞讃をもたらす安楽を修習する」ことを教えてる。
賞讃をもたらす安楽とは、始めは天界の神々の楽や人間の楽であるが、最後は涅槃の楽を成就することを指導。
これも精進。
これを「人間としての重荷を運びながら」重荷を背負って生活しながら正しい精進努力をしなさいと教えている。

257
「遠ざかり離れる味」遠離とは、外からみた場合の意味は、人々から離れて一人でいるということ。
本当の意味は内面的なもので、あれこれと心の外のことに関わりを持たないこと。

そのため、あれこれの束縛がない。
回りの事柄に依存してなく、自由であるということ。
本質的には煩悩から離れているということ。
一人でいなくとも、人々の中に居ても遠離ということはあり得る。
「遠離の味」とは束縛のない、自由な、煩悩から離れることから生じる喜び。

「平安となる味」とは、煩悩をなくすことで生じた涅槃の境地。涅槃の味。甘露などとも呼ばれる聖なる法から離れない最高の喜びだと言われる。

(´・(ェ)・`)つ
0854鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
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2017/10/02(月) 22:23:50.65ID:2hnWypc/
友達といいながら実はためにならない敵のような友達はよくいるものじゃ。
そのような者からは離れたほうがよいのじゃ。
0855名無しを整える。
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2017/10/03(火) 18:20:53.82ID:ulH9h7HB
ブッダのことば(スッタニパータ)
第2 小なる章、5、スーチローマ

 わたしが聞いたところによると、──或るとき尊き師(ブッダ)はガヤー(村)のタンキク石床におけるスーチローマという神霊(夜叉)の住居におられた。
そのときカラという神霊とスーチローマという神霊に言った、「かれは<道の人>である」と。(スーチローマという神霊は言った)、
かれは真の<道の人>であるか、或いは似而非の<道の人>であるかを、わたしが知らないうちは、かれは真の<道の人>ではなくて、似而非の<道の人>である。」

 そこでスーチローマという神霊は、師のもとに至り、そうして身を師に近づけた。ところが師は身を退けた。そこでスーチローマという神霊は師にいった、「<道の人>よ。汝はわたしを恐れるのか。」
(師いわく)、「友よ。わたしは汝を恐れているのではない。しかし汝に触れることは悪いのだ。」
(スーチローマという神霊はいった)、「<道の人>よ。わたしは汝に質問しよう。もしも汝がわたしに解答しないならば、汝の心を乱し、汝の心臓を裂き、汝の両足をとらえてガンジス河の向こう岸に投げつけよう。」

 (師は答えた)、「友よ。神々・悪魔・梵天を含む世界において、道の人・バラモン・神々・人間を含む生けるものどものうちで、わが心を乱し、わが心臓を裂き、わが両足をとらえてガンジス河の向こう岸に投げつけ得るような人を、実にわたしは見ない。
友よる汝が聞きたいと欲することを、何でも聞け。」

 そこでスーチローマという神霊は、次の詩を以て、師に呼びかけた。──

270 貪欲と嫌悪とはいかなる原因から生じるのであるか。好きと嫌いと身の毛もよだつこと(戦慄)とはどこから生ずるのであるか。諸々の妄想はどこから起こって、心を投げうつのであるか?──あたかもこどもらが鳥ほ投げて棄てるように。

271 貪欲と嫌悪とは自身から生ずる。好きと嫌いと身の毛もよだつこととは、自身から生ずる。諸々の妄想は、自身から生じて心を投げうつ、──あたかもこどもらが鳥ほ投げて棄てるように。

272 それらは愛執から起こり、自身から現われる。あたかもバニヤンの新しい若木が枝から生ずるようなものである。それらが、ひろく諸々の執著していることは、譬えば、つる草が林の中にはびこっているようなものである。

273 神霊よ、聞け。それらの煩悩がいかなる原因にもとずいて起こるかを知る人々は、煩悩を除きさる。かれらは、渡りがたく、未だかって渡った人のいないこの激流を渡り、もはや再び生存をうけることがない。
(´・(ェ)・`)つ
0856名無しを整える。
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2017/10/03(火) 20:43:29.86ID:ulH9h7HB
271
仏教では、欲望が苦しみの原因であると言っている。苦しみをなくすためには、原因をなくさなければならない。
だから、欲望はどこから生じるかを考えるのは重要。

同様に、怒りはどこから生じるかを考えることは重要。
怒りは毒。毒は生命にとって危険なもの。その危険を取り除くためには、怒りが何処から生じるかを知らなければならない。

嫌いと好きも感覚から生じる。感覚が不快なとき嫌いが現れ、快の時好きが現れる。

欲と怒りも感覚から生じる。不快な時、心に怒りが現れ、快の時、欲が現れる。
感覚はどこから現れるのか?

恐怖はどこから現れるのか?
無知から。生命は弱く、危険なものに取り囲まれている。
生命は知っている者に対しては安心できるが、知らないものに対しては安心できない。
安心できないと怖い。つまり恐怖は無知から生じる。
無知はどこから現れるのか?
快でも不快でもないという、無関心という感覚から。
欲や怒りも無知の現れだから、欲や怒りからも恐怖が生じる。
例えば、不必要なものでも、大切に思っているものがなくなるのは怖いのです。
「妄想はどこから生じて、心を混乱させるのか?」
思考、妄想はは感覚から生じる。感覚から生じた妄想が、心を投げ捨てるが直訳。
それは心を混乱させること。
心が混乱すれば生命は幸せではない。

これらすべては感覚から生じる。
感覚はどこから現れるのか?
「自身から生じる」言葉で表すと「これ」としか言いようのないものら。(本来は「自身」というものはないので、自身とは言えない)

272
欲や怒りや好き嫌いや恐怖など(煩悩)は、ここから生じる。
それだけでは理解できないので、「ここ」を説明。

「ここ」とは愛執=渇愛。「ここ」とは自分。自分はないのだが、説明するためにはやむを得ない。
諸々の煩悩が自分の中の愛執(渇愛)から生じる。
それはつる草のようにいろいろな欲望にからみついている。

つる草は欲や怒りや好き嫌いや恐怖など(煩悩)。それは自分の愛執(渇愛)が伸びて諸々の欲望にからみついたもの。

273
欲と怒りはどこから生じるのか?
好きと嫌いと恐怖はどこから生じるのか?
妄想はどこから生じて、心を混乱させるのか?

欲や怒り、好き嫌い恐怖、いろいろな妄想で心が混乱していた。その問題を解決するためには原因を知る必要があると思っていた。

凡夫にとっては、問題の解決のための原因は自分の外に求める。問題が自分の中にあるという発想がない。問題の原因が自分自身にあること、自分の中の愛執(渇愛)にあることを教えてもらった。

原因が分かれば、その原因をとり除くことにより、問題が解決することを教えてもらった。
具体的には愛執(渇愛)を取り除けばよい。
そうすれば、激流のような煩悩を乗り越え、輪廻を繰り返す原因である煩悩のない生命は輪廻を終了する。

(´・(ェ)・`)つ
0857鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
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2017/10/03(火) 20:59:12.40ID:mPQ15krO
自分があるという無明から欲も執着も起こるのじゃ。
自分があるということが妄想と気付けばそれらもなくなるのじゃ。
0858名無しを整える。
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2017/10/04(水) 20:12:22.17ID:Gqe/AGxn
ブッダのことば(スッタニパータ)
第2 小なる章、6、理法にかなった行い

274 理法にかなった行い、清らかな行い、これが最上の宝であると言う。たとい在家から出て家なきに入り、出家の身となったとしても、

275 もしもかれが荒々しいことばを語り、他人を苦しめ悩ますことを好み、獣(のごとく)であるならば、その人の生活はさらに悪いものとなり、自分の塵汚れを増す。

276 争論を楽しみ、迷妄の性質に蔽われている修行僧は、目ざめた人(ブッダ)の説きたもうた理法を、説明されても理解しない。

277 かれは無明に誘われて、修養をつんだ他の人を苦しめ悩まし、煩悩が地獄に赴く道であることを知らない。

278 実にこのような修行僧は、苦難の場所に陥り、母胎から他の母胎へと生まれかわり、暗黒から暗黒へと赴く。死後には苦しみを受ける。

279 あたかも糞坑が年をへると糞に充満したようなものであろう。不潔な人は、実に清めることがむずかしい。

280 修行僧らよ。このような出家修行僧を、実は、<家にたよっている人、邪まな欲望あり、邪まな思いあり、邪まな行いをなし、悪いところにいる人>であると知れ。

281 汝らはすべて一致協力して、かれを斥けよ。籾殻を吹き払え。屑を取り除け。

282 次いで、実は<道の人>であると思いなしている籾殻どもを除き去れ。──悪を欲し、悪い行いをなし、悪いところにいるかれらを吹き払って。

283 みずからは清き者となり、互いに思いやりをもって、清らかな人々と共に住むようにせよ。そこで、聡明な者どもが、ともに仲よくして、苦悩を終滅せしめるであろう

(´・(ェ)・`)つ
くまは、今まで読んだ経の中で、これが一番好みであります。
0859鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
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2017/10/04(水) 20:56:53.79ID:baMWzYYj
そうじゃ、愚かな者と道連れになってはいかんのじゃ。
賢い者を道連れにして励むのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。
0860名無しを整える。
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2017/10/04(水) 21:35:15.01ID:Gqe/AGxn
>>859
愚かなくまであることを自覚しつつ、精進するであります。
(´・(ェ)・`)つ
0861名無しを整える。
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2017/10/05(木) 18:36:49.84ID:saNPEHcg
ブッダのことば(スッタニパータ)
第2 小なる章、7、バラモンにふさわしいこと

 わたしが聞いたところによると、──あるとき尊き師(ブッダ)はサーヴァッティー市のジェータ林、<孤独な人々に食を給する長者>の園におられた。そのときコーサラ国に住む、多くの、大富豪であるバラモンたち
──かれらは老いて、年長け、老いぼれて、年を重ね、老齢に達していたが──は師のおられるところに近づいた。そうして師と会釈した。喜ばしい思い出に関する挨拶のことばを交わしたのち、かれらは傍らに坐した。

 そこで大富豪であるバラモンたちは師に言った、「ゴータマ(ブッダ)さま。そもそも今のバラモンは昔のバラモンたちの守っていたバラモンの定めにしたがっているでしょうか?」
[師は答えた]、「バラモンたちよ。今のバラモンたちは昔のバラモンたちの守ったバラモンの法に従ってはいない。」「では、ゴータマさそは、昔のバラモンたちの守ったバラモンの法をわれらに話してください。──もしもゴータマさまにお差支えがなければ。」
「では、バラモンたちよ、お聞きなさい、よく注意なさい。わたしは話してあげましょう。」「どうぞ」と、大富豪であるバラモンたちは、師に答えた。

 師は次のことを告げた。──

284 昔の仙人たちは自己をつつしむ苦行者であった。かれは五種の欲望の対象をすてて、自己の(真実の)理想を行った。

285 バラモンたちには家畜もなかったし、黄金もなかったし、穀物もなかった。しかしかれらはヴェーダ読誦を財産ともなし、穀物ともなし、ブラフマンを倉として守っていた。

286 かれらのために調理せられ家の戸口に置かれた食物、すなわち信仰心をこめて調理せられた食物、を求める(バラモンたち)に与えようと、かれら(信徒)は考えていた。

287 豊かに栄えていた地方や国々の人々は、種々に美しく染めた衣服や臥床や住居をささげて、バラモンたちに敬礼した。

288 バラモンたちは法によって守られていたので、かれらを殺してはならず、うち勝ってもならなかった。かれらがかれらが家々の戸口に立つのを、なんびとも決して妨げなかった。

289 かれら昔のバラモンたちは四十八年間、童貞の清浄行を行った。知と行とを求めていたのであった。

290 バラモンたちは他の(カーストの)女を娶らなかった。かれらはまたその妻を買うこともなかった。ただ相愛して同棲し、相和合して楽しんでいたのであった。

291 (同棲して楽しんだのではあるけども)、バラモンたちは、(妻に近づき得る)時を除いて月経のために遠ざかったときは、その間は決して婬欲の交わりを行わなかった。

292 かれらは、不婬の行と戒律と正直と温順と苦行と柔和と不傷害と耐え忍びとをほめたたえた。

293 かれらのうちで勇猛堅固であった最上のバラモンは、実に婬欲の交わりを夢に見ることさえもなかった。

294 この世における聡明な性の或る人々は、かれの行いにならいつつ、不婬と戒律と耐え忍びとをほめたたえた。

295 米と玩具と衣服とバターと油とを乞い、法に従って集め、それによって祭祀をととのえ行った。かれらは、祭祀を行うときにも、決して牛を殺さなかった。

296 母や父や兄弟や、また他の親族のように、牛はわれらの最上の友である。牛からは薬が生ずる。

297 それから(牛から生じた薬)は食料となり、気力を与え、皮膚に光沢を与え、また楽しませてくれる。(牛に)このような利益のあることを知って、かれらは決して牛を殺さなかった。

298 バラモンたちは、手足が優美で、身体が大きく、容色端麗で、名声あり、自分のつとめに従って、為すべきことを為し、為してはならぬことは為さないということに熱心に努力した。かれらが世の中にいた間は、この世の人々は栄えて幸福であった。


ここまで、昔の立派なバラモン。
(´・(ェ)・`)つ
0862鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
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2017/10/05(木) 20:50:28.92ID:u3IK5zw7
そうじゃ、愛があれば結婚もOKなのじゃ。
 そして実践に励むのじゃ。
0863名無しを整える。
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2017/10/06(金) 08:48:50.05ID:0JXtkOCa
鬼和尚さま 世の人はなぜに人の噂話が好きなんでしょうか?  もう人が信用できない うんざり。
0864名無しを整える。
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2017/10/06(金) 13:22:08.28ID:nlO9FFfa
>>863
いや、その鬼和尚自体が悟りだの僧侶だの騙る紛い物なんだがwww
0867鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
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2017/10/06(金) 21:54:50.01ID:U8lc9kQt
>>863 他人を見て自分が失敗しないようにしようと思うからなのじゃ。
 しかし他人を見ても自分は自分で失敗したりするのじゃ。
 自分のしたこととしなかったことだけをみて進むのじゃ。
 そうすれば失敗はしないのじゃ。
0868名無しを整える。
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2017/10/06(金) 23:54:15.59ID:u7PcuXUo
ブッダのことば(スッタニパータ)
第2 小なる章、7、バラモンにふさわしいこと

299 しかるにかれらに誤つた見解が起こった。次第に王者の栄華と化粧盛装した女人を見るにしたがって、

300 また駿馬に牽かせた立派な車、美しく彩られた縫物、種々に区画され部分ごとにほど良くつくられた邸宅や住居を見て、

301 バラモンたちは、牛の群が栄え、美女の群を擁するすばらしい人間の享楽を得たいと熱望した。

302 そこでかれはヴェーダの呪文を編纂して、かの甘蔗王のもとに赴いていった、「あなたは財宝も穀物も豊かである。祭祀を行いなさい。あなたの富は多い。祭祀を行いなさい。あなたの財産は多い。」

303 そこで戦車兵の主である王は、バラモンたちに勧められて、──馬の祀り、人間の祀り、擲棒の祀り、ヴァージャペッヤの祀り、誰にでも供養する祀り、──これらの祀りを行なって、バラモンたちに財を与えた。

304 牛、臥具、衣服、盛装化粧した女人、またよく造られた駿馬に牽かせる車、美しく彩られた縫物──、

305 部分ごとによく区画されている美事な邸宅に種々の穀物をみたして、(これらの)財をバラモンたちに与えた。

306 そこでかれらは財を得たのであるが、さらにそれを蓄積することを願った。かれらは欲に溺れて、さらに欲念が増長した。そこでかれらはヴェーダの呪文を編纂して、再び甘蔗王に近づいた。

307 「水と地と黄金と財と穀物とが生命あるひとびとの用具であるように、牛は人々の用具である。祭祀を行いなさい。あなたの富は多い。祭祀を行いなさい。あなたの財産は多い。」

308 そこで戦車兵の主である王は、バラモンたちに勧められて、幾百千の多くの牛を犠牲のために屠らせた。

309 牛は、脚を以ても、何によっても決して(他のものを)害うことがなくて、羊に等しく柔和で、瓶をみたすほど乳を搾らせてくれる。しかるに王は、角をとらえて、刃を以てこれを屠らせた。

310 刃が牛におちるや、そのとき神々と祖霊と帝釈天と阿修羅と羅刹たちは、「不法なことだ!」と叫んだ。

311 昔は、欲と飢えと老いという三つの病いがあっただけであった。ところが諸々の家畜を祀りのために殺したので、九十八種の病いが起った。

312 このように(殺害の)武器を不法に下すということは、昔から行われて、今に伝わったという。何ら害のない(牛が)殺される。祭祀わ行う人は理法に背いているのである。

313 このように昔からのこのつまらぬ風俗は、識者の非難するものである。人はこのようなことを見るごとに、祭祀実行者を非難する。

314 このように法が廃れたときに、隷民(シュードラ)と庶民(ヴァイシヤ)との両者が分裂し、また諸々の王族がひろく分裂して仲たがいし、妻はその夫を蔑むようになった。

315 王族も、梵天の親族(バラモン)も、並びに種姓(の制度)によって守られている他の人々も、生れる誇る論議を捨てて、欲望に支配される至った、と。

 このように説かれたときに、大富豪であるバラモンたちは、師にいった、「すばらしいことです! ゴータマ(ブッダ)さま。すばらしいことです!
 ゴータマさま。あたかも倒れた者を起こすように、覆われているものを開くように、方向に迷った者を示すように、あるいは『眼ある人々は色やかたちを見るであろう』といって暗闇の中で灯火をかかげるように、ゴータマさまは種々のしかたで理法を明らかにされた。
ここで、われらはゴータマさまに帰依したてまつる。また真理と修行僧のつどいに帰依したてまつる。ゴータマさまは、われわれを在俗信者として、受け入れてください。今日から命の続く限り帰依いたします。」

↑315までが、偽者のバラモンの話しのようであります。
気付きさえすれば、道は開けるのでありましょう。気付けることは、ありがたいことであります。
(´・(ェ)・`)つ
0869名無しを整える。
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2017/10/07(土) 14:48:35.60ID:rEvloaGe
ブッダのことば(スッタニパータ)
第2 小なる章、8、船

316 ひとがもしも他人から習って理解を知るならば、あたかも神々がインドラ神(帝釈天)を敬うがごとくになすべきである。学識の深いその(師)は、尊敬されれば、その人に対して心からよろこんで、真理を顕示する。

317 思慮ある人は、そのことを理解し傾聴して、理法にしたがった教えを順次に実践し、このような人に親しんで怠ることがないならば、識者・弁え知る者・聡明なる者となる。


318 未だことがらを理解せず、嫉妬心のある、くだらぬ人・愚者に親しみつかえるならば、ここで真理(理法)を弁え知ることなく、疑いを超えないで、死に至る。

319 あたかも人が水かさが多く流れの疾い河に入ったならば、かれは流れにはこばれ、流れに沿って過ぎ去るようなものである。かれはどうして他人を渡すことができるであろうか。

320 それと同じく、真理(理法)を弁え知らず、学識の深い人にことがらの意義を聞かないならば、みずから知らず、疑いを超えていない人が、どうして他人の心を動かすことができるであろうか。

321 堅牢な船に乗って、橈と舵とを具えているならば、操縦法を知った巧みな経験者は、他の多くの人々をそれに乗せて渡すように、

322 それと同じく、ヴェーダ(真理の知識)に通じ、自己を修養し、多く学び、動揺しない(師)は、実に(みずから)知っているで、傾聴し侍坐しようという気持をお越した他の人々の心を動かす。

323 それ故に、実に聡明にして学識の深い立派な人に親しめ。ものごとを知って実践しつつ、真理を理解した人は、安楽を得るであろう。

(´・(ェ)・`)つ


322
(心が)動揺しないとは、八つの世間法(@ 利、A 不利、B 名誉、C 不名誉、D 非難、E 称賛、F 楽、G 苦。)に対して、心が舞い上がったり、落ち込んだりしないこと。
0870鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
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2017/10/07(土) 22:19:17.31ID:oTZ/IAD9
そうじゃ、自ら学び、実践しようとする者を仏陀は助けるじゃろう。
真摯に学び実践あるのみなのじゃ。
0871名無しを整える。
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2017/10/08(日) 10:34:40.75ID:SkLRk5DL
ブッダのことば(スッタニパータ)
第2 小なる章、9、いかなる戒めを

324 いかなる戒めをまもり、いかなる行いをなし、いかなる行為を増大せしめるならば、人は正しく安立し、また最上の目的を達し得るのであろうか。

325 長上を敬い、嫉むな。諸々の師に見えるのに適当な時を知り、法に関する話しを聞くのに正しい時機を知れ。みごとに説かれたことを謹んで聞け。

326 強情をなくし謙虚な態度で、時に応じて師のもとに行け。ものごとと真理と自制と清らかな行いとを心に憶い、かつ実行せよ。

327 真理を楽しみ、真理を喜び、真理に安住し、真理の定めを知り、真理をそこなうことばを口にするな。みごとに説かれた真実にもとずいて暮らせ。

328 笑い、だじゃれ、悲泣、嫌悪、いつわり、詐欺、貪欲、高慢、激昂、粗暴なことば、汚濁、耽溺をすてて、驕りを除去し、しっかりとした態度で行え。

329 みごとに説かれたことばは、聞いてそれを理解すれば、精となる。聞きかつ知ったことは、精神の安定を修すると、精になる。人が性急であってふらついているならば、かれには知慧も学識も増大することがない。

330 聖者の説きたもうた真理を喜んでいる人々は、ことばでも、こころでも、行いでも、最上である。かれらは平安と柔和と瞑想とのうちに安立し、学識と智慧との真髄に達したのである。

ブッダのことば(スッタニパータ)
第2 小なる章、10、精励

331 起てよ、座れ。眠って汝らに何の益があろう。矢に射られて苦しみ悩んでいる者どもは、どうして眠られようか。

333 神々も人間も、ものを欲しがり、執著にとらわれている。この執著を超えよ。わずかの時を空しく過ごすことなかれ。時を空しく過ごしたひとは地獄に堕ちて悲しむからである。

334 怠りは塵垢である。怠りによって塵垢がつもる。つとめはげむことによって、また明知によって、自分にささった矢を抜け。

ブッダのことば(スッタニパータ)
第2 小なる章、11、ラーフラ

335 [師(ブッダ)がいった]、ラーフラよ。しばしばともに住むのに慣れて、お前は賢者を軽蔑するのではないか? 諸人のために炬火をかざす人を、汝は尊敬しているか?」

336 (ラーフラは答えた)、「しばしばともに住むのに慣れて賢者を軽蔑するようなことを、わたくしは致しません。諸人のために炬火をかざす人を、わたくしは常に尊敬しています。」

以上、序の詩

337 「愛すべく喜ばしい五欲の対象をすてて、信仰心によって家から出て、苦しみを終滅せしめる者であれ。

338 善い友だちと交われ。人里はなれ奥まった騒音の少ないところに坐臥せよ。飲食に量を知る者であれ。

339 衣服と、施された食物と、(病人のための)物品と坐臥の所、──これらのものに対して欲を起こしてはならない。再び世にもどってくるな。

340 戒律の規定を奉じて、五つの五官を制し、そなたの身体を観ぜよ(身体について心を専注せよ)。切に世を厭い嫌う者となれ。

341 愛欲があれば(汚いものでも)清らかに見える。その(美麗な)外形を避けよ。(身は)不浄であると心に観じて、心をしずかに統一せよ。

342 無相のおもいを修せよ。心にひそむ傲慢をすてよ。そうすれば汝は傲慢をほろぼして、心静まったものとして日を送るであろう。」

 実に尊き師(ブッダ)はこのようにラーフラさんにこれらの詩を以て繰返し教えられた。

(´・(ェ)・`)つ
0872名無しを整える。
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2017/10/08(日) 13:57:10.53ID:SkLRk5DL
>>871
324
「最高の目的」(阿羅漢の境地)に達するためには、何が戒めであると考えればよいか。
325
1)「年長者を敬い、嫉妬しないように
326
2)強情な心を捨てて、素直な気持ちで謙虚でいること
327
3)「真理を楽しみ、真理を喜び」
真理はいつでもどこでも貫徹されている。真理は今にある。
「真理」という言葉の代わりに「今」という言葉に変えてみる。
今を楽しみ、今を喜び、
今に安住し、今の定めを知り、
今をそこなうことばを口にするな。
みごとに説かれた今にもとづいて暮らせ。

今がどんなに逆境であろうとも、その今に不平不満を持たずに、その今をそのまま受け止めれば、今が教えてくれる。
真理は今にあるから、この今を受け入れ楽しんで、今為すべきことを今為すべきだと考えればわかりやすい。
328
「だじゃれ」=「つぶやき」
4)小さい煩悩でも、小さくない煩悩も、自己の意志を強くして、注意深くなくしていく。

329
精となる。=真髄とします。

5)説かれた言葉をよく理解して、それを実践して禅定に入るべきであるということ。
八正道でも正定が最後に置かれ実践の目標という意味がある。七覚支の六番目は定覚支であり、仏道修行における禅定は最終目標に対する中間目標という意味がある

330
「何が戒か経」のまとめ。戒めに関す五つのる答え。それらの戒めを実行すれば、このようになるというのが今回の偈。

ブッダの説いた真理を実行すれば、その人の言葉も、心も、行いも最高のものになる。これらは十善行と言われる。
三種の身の善行@生きものを殺さないこと、A盗まないこと、B邪な行為を行わないこと。
四種の言葉の善行@嘘をつかないこと、A仲間を仲たがいさせることを言わないこと、B乱暴な言葉を使わないこと、C無駄話をしないこと。
三種の意(心)の善行@欲のない心、A怒りのない心、B間違った見解を持たないこと。
十善行を実践すると、心は落ち着いて、柔和になり、瞑想をすれば簡単に禅定に入れる。その結果、仏道に関する学識の真髄を究め、智慧が現れ、すべて煩悩を捨てることが出来るようになる。このような修行者は涅槃の境地に達する。

(´・(ェ)・`)つ
つづく
0873名無しを整える。
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2017/10/08(日) 14:34:17.75ID:SkLRk5DL
>>871
10、「精励」=「奮起経」ブッタの元気が出る説法であります。
。この説法をされた500人の出家修行者たちは、この説法のみを思念し、瞑想に励み、阿羅漢の境地に達したそうであります。

欲が苦しみの原因であり、それに執着すれば、苦しみは消えることはない。
だから、「執着を超えよ!」
「一瞬もむなしく過ごすな」奮起させよ!
「放逸はごみだ!」

眼耳鼻舌身に外界からの刺激があると、心に欲、怒り、無知などの煩悩が現れる。この煩悩がごみ。
不放逸であれば、このごみがたまるのを防げる。

気づきと明智(智慧)によって、煩悩をなくすことができる。それを「自分にささった矢を抜け!」と述べている。

五本の矢がある。眼耳鼻舌身に現れる五欲と考えてもよい、五蓋(貪欲、瞋恚、沈睡眠、掉挙悪作、疑)とも言われている。
これらの矢(煩悩)を取り除くと、禅定に入り、解脱の道が切り開かれます。

(´・(ェ)・`)つ
つづく
0874名無しを整える。
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2017/10/08(日) 15:50:49.36ID:SkLRk5DL
>>871
11.ラーフラ=お釈迦さんの一人息子
337
息子ラーフラに述べた最初の訓戒

五つの欲の対象を捨てなさい。
五つの欲の対象とは色・声・香・味・触。
色は色や形、声は音、香とは香りや匂い、味とは甘さ、辛さなどです。触とは、身体が何かに触れた時感じるもの。
これらのものに生きものは喜びや楽しみを感じる。
これらのものを捨てなさいと述べている。
生きることは苦しみであると発見。
その原因は渇愛(欲望)にあると覚られた。
この五つの欲望の対象が欲望が現れる縁(刺激)になるから。

338
1)「善友と親しめ」ということ。
2)人里離れた静かな場所で生活し修行しなさい。人里離れた静かな場所で生活し修行する意味は、修行環境はよいということ以上に重要なことは周りの人々に依存しないといことです。
仏道の修行は、他に依存しない、独立した自由な人格を作る必要がある。
3)「飲食の量を知る者であれ」必要以上に食べたいのは欲。欲をなくすことは、苦しみの原因を断つこと。
食事を自分の意志でコントロールすることは大きな意味がある。

339
最低限の必需品以上ものをの望むことは、それらのものに渇愛の思いを起こす。
渇愛が生じることは、生きたいという思い。この思いに引っ張られてこの世に再生するという輪廻を繰り返すことになる。
これらの生活必需品に対して渇愛の心が起こらないようにすれば、再びこの世に戻ってくるという輪廻から抜け出すことが出来る。これが解脱。涅槃に到るということ。

食に関しては、一座において食事をする(一度立ち上がったら、再び座りなおして食べない)。一鉢のみの食事。食後に食事をしないなどの決まりがある。
臥座所に関しては、森林、露地、樹下に住む。随処に住む(同じ所に住まない)。塚間に住む。常坐不臥者(横になって寝ない)などの決まりがあった。
これらは、いわゆる身体を苦しめる苦行ではなく、渇愛を克服して、解脱でするため心から欲をなくす修行。

340
四つの注意事項が述べられている。戒律を守ること、五感を守ること、身体に注意を向けること、世間を厭い嫌うこと。

戒律を守ることについて。
法(真理、道理)を体得してない凡夫でも、戒律に従って生活し、生きれば、法から大きく離れずに生きることが出来る。その意味では戒律はありがたいもの。

五感を守るこのについて。
五感とは見る、聞く、臭う、味う、触れる、五つの感覚の総称。
感覚器官の反応には、苦(不快)、楽(快)、不苦不楽(不快でも快でもない)の三つがある。
この感覚は生きている限り感じる。止めることはできない。
生命はこの反応が起きたとたんにその反応に伴って感情が発生する。
これは感覚に対する執着から現れる。
感覚を守るとはこの執着を起こさないようにして、感情が現れなくすること。
慈悲の感情もあるが、感情はほとんど貪瞋痴等の煩悩。これが苦しみの原因であり、輪廻の原因になる。
だから五感を守る必要があるのです。

身体に注意を向けることについて。
「身(身体)・受(感覚)・心・法(真理)」を観察する瞑想法の基礎になる経典は大念処経あるいは四念処経。その経典には身についての観察(身随観)について、次の事項が書かれている。
出息・入息の観察、行為の観察、身体の部分(髪・毛・爪・歯・皮・肉・筋・骨・骨髄・腎臓・心臓・肝臓・肋膜・脾臓・肺・胃・腸・胃物・大便・胆汁・痰・膿・血・汗・脂肪・涙・脂肪油・唾・鼻液・関節液・小便など)の観察、
要素(地水火風)の観察、死体の変化の観察などです。

世間を厭い嫌うことについて。
感覚を守る、身体に注意を向けて観察すると真実が分かってくる。そうすると世間は喜び楽しめるものではなく、むしろ汚れた苦しみの世界であることが理解できる。そうすると、世間に執着せずに、世間を厭い嫌い、涅槃を目指す心が養成される。

(´・(ェ)・`)つ
0875名無しを整える。
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2017/10/09(月) 01:31:18.67ID:lIILWaYx
鬼和尚さん、女の子に挨拶しただけでキモいって言われるんですが、どうしたら良いかな?
出会い系と風俗だけでしか女の子を抱いた事ないし、女の子苦手です。
イジメられて来たので、女性不信、人間不信あり、自信なし。
目を合わせたりが違和感あり。
0876名無しを整える。
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2017/10/09(月) 07:06:43.10ID:m2PMPTLj
ブッダのことば(スッタニパータ)
第2 小なる章、12、ヴァンギーサ

 わたしがこのように聞いたところによると、──あるとき尊き師(ブッダ)はア−ラヴィーにおけるアッガーラウァ霊樹のもとにおられた。そのとき、ヴァンギーサさんの師でニグローダ・カッパという名の長老が、アッガーラウァ霊樹のもとで亡くなってから、間がなかった。
そのときヴァンギーサさんは、ひとり閉じこもって沈思していたが、このような思念が心に起こった、──「わが師は実際に亡くなったんだろうか、あるいはまだ亡くなっていないのだろうか?」と。
 そこでヴァンギーサさんは、夕方に沈思から起き出て、師のいますところに赴いた。そこで師に挨拶して、傍らに坐った。
傍らに坐ったヴァンギーサさんは師にいった、「尊いお方さま。わたくしがひとり閉じこもって沈思していたとき、このような思念が心に起こりました。
──<わが師は実際に亡くなったのだろうか、或いはまだ亡くなっていないのだろうか?>」と。

 そこでヴァンギーサさんは座から立ち上がって、衣を左の肩にかけて右肩をあらわし、師に向かって合掌し、師にこの詩を以て呼びかけた。

343 「現世において、もろもろの疑惑を断たれた無上の智慧ある師におたずね致します。──世に知られ、名声あり、心が安らぎに帰した[ひとりの]修行者が、アッガーラウァ[霊樹のもと]で亡くなりました。
344 先生! あなたは、そのバラモンに『ニグローダ・カッパ』という名をつけられました。ひたすらに真理を見られた方よ。かれは、あなたを礼拝し、解脱をもとめ、つとめ励んでおりました。
345 サッカ(釈迦族の人、釈尊)よ、あまねく見る人よ。われらはみな、(あなたの)かの弟子のことを知ろうと望んでいます。われわれの耳は、聞こうと待ちかまえています。あなたはわれらの師です。あなたは、この上ない方です。
346 われらの疑惑を断ってください。これをわたくしに説いてください。智慧ゆたかな方よ。かれらが亡くなったのかどうかを知って、われらの間で説いてください。──千の眼ある帝釈天が神々の間で説くように。あまねく見る方よ。
347 この世で、およそ束縛なるものは、迷妄の道であり、無智を棚とし、疑いによって存するが、全き人(如来)にあうと、それらはすべてなくなくなってしまう。この(全き人)は人間のための最上の眼であります。
348 風が密雲を払いのけるように、[この人](ブッダ)が煩悩の汚れを払うのでなければ、全世界は覆われて、暗黒となるでありましょう。光輝ある人々も輝かないでありましょう。

(´・(ェ)・`)つ
0877名無しを整える。
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2017/10/09(月) 07:10:17.77ID:m2PMPTLj
ブッダのことば(スッタニパータ)
第2 小なる章、12、ヴァンギーサ

349 聡明な人々は世を照らします。聡明な方よ。わたしは、あなたをそのような人だと思います。
われらはあなたを<如実に見る人>であると知って、みもとに近づきました。集会の中で、われらのために(ニグローダ)カッパのことを明かにしてください。
350 すみやかに、いとも妙なる声を発してください。白鳥がその頸をもたげて徐ろに鳴くように、よくととのった円やかな声を徐に発してください。われらはすべて、すなおに聞きましょう。
351 生死を残りなく捨て、悪を払い除いた(ブッダ)に請うて、真理を説いていただきましょう。諸々の凡夫は、[知ろうと欲し言おうと]欲することをなしとげることができないが、諸々の全き人(如来)たちは、慎重に思慮してなされるからです。
352 この完全な確定的な説明が、正しい智者であるあなたによって、よく持たれているのです。わたくしは、さらにこの合掌をささげます。(みずからは)知りながら(語らないで、われらを)迷わしたもうな。智慧すぐれた方よ。
353 あれこれの尊い理法を知っておられるのですから、(みずからは)知りながら[語らないで、われらを]迷わしたりなさいますな。励むことにすぐれた方よ。
夏に暑熱に苦しめられた人が水をもとめるように、わたしは(あなたの)ことばを望むのです。聞く者に[ことばの雨を]降らしてください。
354 カッパ師が清らかな行いを行って達成しようとした目的は、かれにとって空しかったのでしょうか? かれは、消え滅びたのでしょうか? それとも生存の根源を残して安らぎに帰したのでしょうか?
かれはどのように解脱したのでしょうか、──わたくしたちはそれを聞きたいのです。」
355 師は答えた、「かれはこの世において、名称と形態とに関する妄執を断ち切ったのである。長いあいだ陥っていた黒魔の流れを断ち切ったのである」五人の修行者の最上者であった尊き師はそのように語られた。
356 [ヴァンギーサいわく、──]「第七の仙人(ブッダ)さま。あなたのおことばを聞いて、わたしは喜びます。
わたしの問いは、決してむだではありませんでした。バラモンであるあなたは、わたくしをだましません。
357 目ざめた人(ブッダ)の弟子(ニグローダ・カッパ)は、ことばで語ったとおりに実行した人でした。ひとを欺く死魔のひろげた堅固な網を破りました。
358 先生! カッパ師は執著の根元を見たのです。ああ、カッパ師は、いとも渡りがたい死魔の領域を超えたのです。」

(´・(ェ)・`)つ
0878名無しを整える。
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2017/10/09(月) 07:26:57.35ID:m2PMPTLj
>>876
「わが師は実際に亡くなったんだろうか、あるいはまだ亡くなっていないのだろうか?」=自分の師匠が亡くなられましたが、その死が般涅槃であったかどうか知りたいと思った

完全なる涅槃=般涅槃(はつねはん)。
すべての煩悩をなくし、解脱し、涅槃に到達した阿羅漢も、生きている限り、生きるための業の残りかすがある。
そのような阿羅漢の状態を有余依涅槃と言う。
それに対して、そのような阿羅漢が肉体の死を迎え、生きるための業の残りもすべて捨て去った時は、無余依涅槃。
無余依涅槃は般涅槃であり、完全なる涅槃。
346
智慧があるということと普く見ることとは、どちらも、ありのまま見る能力。ありのまま見ることで智慧が出て、普く見ることができる。
この「ありのままに見ること」が出来ないから修行する。この修行方法は八正道の実践であり、ヴィパッサナー瞑想。

(´・(ェ)・`)つ
0879鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
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2017/10/09(月) 21:29:17.80ID:44NPUKSr
>>875 おぬしがしたいと思うことをするのじゃ。
 おぬしは何がしたいのじゃろうか?
 イケメンになりたければファッションとか整形とか出来ることを全て行えば善いのじゃ。
 そして自信をつけて女子と付き合えばよいのじゃ。
 自分はモテモテになっていくとか唱えれば自信もわいてくるのじゃ。
 そのままでいたければそのまま何もしなければよいのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。
0880名無しを整える。
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2017/10/09(月) 22:46:40.21ID:lIILWaYx
>>879
モテに関係ないしたい事もOKかな?
どうしてもトラウマ的に内向して相手もそれに呼応してるのかも
0881名無しを整える。
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2017/10/10(火) 18:49:44.81ID:Wx6qOmm7
ブッダのことば(スッタニパータ)
第2 小なる章、13、正しい遍歴

359 「智慧ゆたかに、流れを渡り、彼岸に達し、安全な安らぎを得て、こころ安住した聖者におたずね致します。家から出て諸々の欲望を除いた修行者が、正しく世の中を遍歴するには、どのようにしたらよいのでしょうか。」

360 師はいわれた、「瑞兆の占い、天変地異の占い、夢占い、相の占いを完全にやめ、吉凶の判断をともにすてた修行者は、正しく世の中を遍歴するであろう。

361 修行者が、迷いの生活を超越し、理法をさとって、人間及び天界の諸々の享楽に対する貪欲を慎しむならば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

362 修行者がかげぐちをやめ、怒りと物惜しみとを捨てて、順逆の念を離れるならば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

363 好ましいものも、好ましくないものも、ともに捨てて、何ものにも執著せず、こだわらず、諸々の束縛から離脱しているならば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

364 かれが、生存を構成する要素のうちに堅固に実体を見出さず、諸々の執著されるものに対する貪欲を慎しみ、こだわることなく、他人に誘かれないならば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

365 ことばによっても、こころによっても、行為によっても、逆らうことなく、正しく理法を知って、ニルヴァーナの境地をもとめるならば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

366 修行者が、『かれはわれを拝む』と思って高ぶることなく、罵られても心にふくむことなく、他人から食物を与えられたからとて驕ることがないならば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

367 修行者が、貪りと迷いの生存(煩悩の)矢を抜いたのであれば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

368 修行者が、自分に適当なことを知り、世の中で何ものをも害うことなく、如実に理法を知っているのであるならば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

369 かれにとっては、いかなる潜在的妄執も存せず、悪の根が根こそぎにされ、ねがうこともなく、求めることがないならば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

370 煩悩の汚れはすでに尽き、高慢を断ち、あらゆる貪りの路を超え、みずから制し、安らぎに帰し、こころが安立しているならば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

371 信念あり、学識ある賢者が、究極の境地に至る定まった道を見、諸々の仲間の間にありながら仲間に盲従せず、貪欲と嫌悪と憤怒とを慎しむならば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

372 清らかな行いによって煩悩にうち克った勝者であり、覆いを除き、諸々の事物を支配し、彼岸に達し、妄執の動きがなくなって、生存を構成する諸要素を滅ぼす認識を立派に完成するならば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

373 過去及び未来のものに関して(妄りなる)はからいを超え、極めて清らかな智慧あり、あらゆる変化的生存の領域から解脱しているならば、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。

374 究極の境地を知り、理法をさとり、煩悩の汚れを断ずることを明らかに見て、あらゆる<生存を構成する要素>を滅しつくすが故に、かれは正しく世の中を遍歴するであろう。」

375 「尊いお方(ブッダ)<さま。まことにこれはそのとおりです。このように生活し、みずから制する修行者は、あらゆる束縛を超えているのです。かれは正しく世の中を遍歴するでしょう。」

(´・(ェ)・`)つ
0882名無しを整える。
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2017/10/10(火) 19:06:02.27ID:Wx6qOmm7
>>881

374 究極の境地を知り、
<生存を構成する要素>を滅しつくす

注釈書では「境地」の訳語を「句」と解釈している。
句とは「真理の四句」(四聖諦)。

四聖諦の四句を知り、四聖諦の真理を理解して、煩悩の捨てることをはっきり経験して、
生存の要素(五蘊)に依存することのなくなった阿羅漢はこの世を正しく遍歴遊行する。
(´・(ェ)・`)つ
0883鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
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2017/10/10(火) 22:33:15.67ID:cF4QO7WB
>>880 何でもしたいことをしてよいのじゃ。
 自由なのじゃ。
 善い事をするとよいのじゃ。
0884名無しを整える。
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2017/10/11(水) 17:57:34.81ID:ZeFjmpH/
ブッダのことば(スッタニパータ)
第2 小なる章、14、ダンミカ

 わたくしが聞いたところによると、──あるとき尊き師(ブッダ)はサーヴァッティー市のジェータ林、<孤独な人々に食を給する長者の園>におられた。
そのときダンミカという在俗信者が五百人の在俗信者とともに師のおられるところに近づいた。そして師に挨拶し、かたわらに坐った。そこで在俗信者ダンミカは師に向かって詩を以て呼びかけた。

376 「智慧ゆたかなゴータマ(ブッダ)さま。わたしはあなたにお尋ねしますが、教えを聞く人は、家から出て出家する人であろうと、また在家の信者であろうと、どのように行うのが善いのですか?

377 実にあなたは神々とこの世の人々の帰趣と究極の目的とを知っておられます。奥深いことがらを見る方で、あなたに比ぶ人はいません。世人はあなたを、優れた目ざめた人(ブッダ) だと呼んでいます。

378 あなたはすっかり証りおわって、生けるものどもをあわれんで、智識と理法を説かれます。あまねく見る人よ。あなたは世の覆いを開き、汚れなくして、ひろく全世界に輝きたもう。

379 エーラーヴァナと名づける象王は、あなたが勝利者(ブッダ)であると聞いたので、あなたのもとに来ましたるかれもまたあなたと相談して、(あなたの話を)聞いて、『いいなあ』といって、喜んで去りました。

380毘沙門天王であるクヴェーラも、また教えを請おうとして、あなたに近づいてきました。賢者よ。かれに尋ねられたときにも、あなたは話をなさいました。かれもまた(あなたの話を)聞いて、喜んだ姿を示しました。

381 アージーヴィカ教徒であろうとも、ジャイナ教徒であろうとも、論争を習いとするこれらのいかなる異説の徒でも、すべて、智慧であなたを超えることはできません。立ったままでいる人が急いで走ってゆく人を追い越すことができないよえなものです。

382 論争を習いとするいかなるバラモンでも、老年であろうとも、あるいは(中年、あるしは青年の)バラモンであろうとも、またそのほか『われこそは論客である』と自負している人々でも、すべてあなたから<ためになることがら>を得ようと望んでいるのです。

383 先生! あなたがみごとに説きたもうたこの教えは幽微であり、また楽しいものです。あなたにお尋ねしますが、どうぞわれらにお説きください。最高の<目ざめた方>(ブッダ)よ。

384 これらの出家修行者たち、並びに在俗信者たちは、すべて、(目ざめた人の教えを)聞こうとして、ここに集まってきたのです。けがれなき人(目ざめた人)がさとり、みごとに説いた理法を聞け。──神々がインドラ神のことばを聞くように。」

385 (師は答えた)、「修行者たちよ、われに聞け。煩悩を除き去る修行法を汝らに説いて聞かせよう。汝らすべてはそれを持て。目的をめざす思慮ある人は、出家にふさわしいそのふるまいを習い行え。

386 修行者は時ならぬのに歩き廻るな。定められたときに、托鉢のために村に行け。時ならぬのに出て歩くな、執著に縛られるからである。それ故に諸々の(目ざめた人々)は時ならぬのに出て歩くことはない。

387 諸々の色かたち・音声・味・香り・触れられるものは、ひとびとをすっかり酔わせるものである。これらのものに対する欲望を慎んで、定められたときに、朝食を得るために(村に)入れよ。

388 そうして修行僧は、定められたときに施しの食物を得たならば、ひとり退いて、ひそかに坐れよ。自己を制して、内に顧みて思い、こころを外に放ってはならぬ。

389 もしもかれが、教えを聞く人、或るは他の修行者とともに語る場合があるならば、その人にすぐれた真理を示してやれ。かげぐちや他の誹謗することばを発してはならぬ。

390 実に或る人々は(誹謗の)ことばに反発する。かれらは浅はかな小賢しい人々をわれは称賛しない。(論争の)執著があちこちから生じて、かれらを束縛し、かれらはそこでおのが心を遠くへ放ってしまう。

(´・(ェ)・`)つ
0885鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
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2017/10/11(水) 21:57:07.49ID:G5MEfHDm
そうじゃ、自己を制して愚かな論争から遠ざかるのじゃ。
そうすれば悩むことも無いのじゃ。
0886名無しを整える。
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2017/10/12(木) 18:59:23.93ID:jHqR9Qxn
ブッダのことば(スッタニパータ)
第2 小なる章、14、ダンミカ

391 智慧のすぐれた人(ブッダ)の弟子は、幸せな人(ブッダ) の説きたもうた法を聞いて、食物と住所と臥具と大衣の塵を洗い去るための水とを、よく気をつけて用いよ。

392 それ故に、食物と住所と臥具と大衣の塵を洗い去るための水、──これらのものに対して、修行者は執著して汚れることがない。──蓮の葉に宿る水滴[が汚されない]ようなものである。

393 次に在家の者の行うつとめを汝らに語ろう。このように実行する人し善い<教えを聞く人>(仏弟子)である。純然たる出家修行者に関する規定は、所有のわずらいある人(在家者)がこれを達成するのは実に容易ではない。

394 生きものを(みずから)殺してはならぬ。また(他人をして)殺さしめてはならぬ。また他の人々が殺害するのを容認してはならぬ。世の中の強剛な者どもでも、また怯えている者どもでも、すべての生きものに対する暴力を抑えて──。

395 次に教えを聞く人は、与えられていないものは、何ものであっても、またどこにあっても、知ってこれを取ることを避けよ。また(他人をして)取らせることなく、(他人が)取りさるのを認めるな。なんでも与えられていないものを取ってはならぬ。

396 ものごとの解った人は婬行を回避せよ。──
燃えさかる炭火の坑を回避するように。
もし不婬を修することができなければ、
(少なくとも)他人の妻を犯してはならぬ。

397 会堂にいても、団体のうちにいても、
何人も他人に向かって偽りを言ってはならぬ。
また他人をして偽りを言わせてもならぬ。
また他人が偽りを語るのを容認してはならぬ。
すべて虚偽を語ることを避けよ。

398 また飲酒を行ってはならぬ。
この(不飲酒の)教えを喜ぶ在家者は、他人をして飲ませてもならぬ。他人が酒を飲むのを容認してもならぬ。──
これは終に人を狂酔せしめるものであると知って──。

399 けだし諸々の愚者は酔いのために悪事を行い、
また他人の人々をして怠惰ならしめ、(悪事を)なさせる。
この禍いの起るもとを回避せよ。
それは愚人の愛好するところであるが、しかしひちを狂酔せしめ迷わせるものである。

400 (1)生きものを害してはならぬ。(2)与えられないものを取ってはならぬ。(3)嘘をついてはならぬ。(4)酒を飲んではならぬ。(5)婬事たる不浄の行いをやめよ。(6)夜に時ならぬ食事をしてはならぬ。

401 (7)花かざりを着けてはならぬ。芳香を用いてはならぬ。(8)地上に床を敷いて伏すべし。これこそ実に八っの項目より成るウポーサタ(斎戒)であるという。
苦しみを修滅せしめるブッダが宣示したもうたものである。

402 そうしてそれぞれ半月の第八日、第十四日、第十五日にウポーサタを修せよ。八つの項目より成る完全なウポーサタを、きよく澄んだ心で行え。また特別の月においてもまた同じ。

403 ウポーサタを行なった<ものごとの解った人>は次に、きよく澄んだ心で喜びながら、翌朝早く食物とを適宜に修行僧の集いにわかち与えよ。

404 正しい法(に従って得た)財を以て母と父とを養え。正しい商売を行え。つとめ励んでこのように怠ることなく暮らしている在家者は、(死後に)<みずから光を放つ>という名の神々のもとに赴く。」

<小なる章>第二おわる

この章のまとめの句
 宝となまぐちと、恥と、こよなき幸せと、スーチローマと理法にかなった行いと、バラモンにふさわしいことと、船の経と、いかなる戒めを、と、精励と、ラーフラと、ヴァンギーサと正しい遍歴と、さらにダンミカと──
 これらの十四の経が「小なる章」し言われる。

(´・(ェ)・`)つ
>>885
鬼和尚、ありがとうであります。
自己を制して精進するであります。
0887鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
垢版 |
2017/10/12(木) 21:04:23.00ID:ATx/FKWt
↑そうじゃ、定めを守って心安らかに進むのじゃ。
善事を積むだけでも天にいけるのじゃ。
0888名無しを整える。
垢版 |
2017/10/13(金) 19:08:55.76ID:KlhQDm3P
ブッダのことば(スッタニパータ)
第3 大いなる章、1、出 家

405 眼ある人(釈尊)はいかにして出家したのであるか、かれはどのように考えたのちに、出家を喜んだのであるか、かれの出家をわれは述べよう。

406 「この在家の生活は狭苦しく、煩わしくて、塵のつもる場所である。ところが出家は、ひろびろとした野外であり、(煩いがない)」と見て、出家されたのである。

407 出家されたのちには、身による悪行をはなれた。ことばによる悪行をもすてて、生活をすっかり清められた。

408 目ざめた人(ブッダ)はマガダ国の(首都)・山に囲まれた王舎城に行った。すぐれた相好にみちた(目ざめた)人は托鉢のためにそこへ赴いたのである。

409 (マガダ王)ビンビサーラは高殿の上に進み出て、かれを見た。すぐれた相好にみちた(目ざめた)人を見て、(侍臣に)このことを語った。

410 「汝ら、この人をみよ。美しく、大きく、清らかで、行いも具わり、眼の前を見るだけである。

411 かれは眼を下に向けて気をつけている。この人は賤しい家の出身ではないようだ。王の使者どもよ、走り追え。この修行者はどこへ行くのだろう。」

412 派遣された王の使者どもは、かれのあとを追って行った。──「この修行者はどこへ行くのだろう。かれはどこに住んでいるのだろう」と。

413 かれは、諸々の感官を制し、よくまもり、正しく自覚し、気をつけながら、家ごとに食を乞うて、その鉢を速やかにみたした。

414 聖者は托鉢を終えて、その都市の外に出て、パンダヴァ山に赴いた。──かれはそこに住んでいるのであろう。

415 [ゴータマ(ブッダ)がみずから]住所に近づいたのを見て、そこで諸々の使者はかれに近づいた。そうして一人の使者は(王城に)もどって、王に報告した、──

416 「大王さま。この修行者はパンダヴァ山の山窟の中に、また獅子のように座しています」と。

417 使者のことばを聞き終るや、そのクシャトリヤ(ビンビサーラ王)は荘厳な車に乗って、急いでパンダヴァ山に赴いた。

418 かのクシャトリヤ(王)は、車に乗って行けるところまで車を駆り、車から下りて、徒歩で赴いて、かれに近づいて坐した。

419 王は坐して、それから挨拶のことばを喜び交わした。挨拶のことばを交わしたあとで、このことを語った。──

420 「あなたは若く青春に富み、人生の初めにある若者です。容姿も端麗で、生れ貴いクシャトリヤ(王族)のようだ。

421 象の群を先頭とする精鋭な軍隊を整えて、わたしはあなたに財を与えよう。それを享受なさい。わたしはあなたの生れを問う。これを告げなさい。」

422 (釈尊がいった)、「王さま。あちらの雪山(ヒマーラヤ)の側に、一つの正直な民族がいます。昔からコーサラ国の住民であり、富と勇気を具えています。

423 姓に関しては<太陽の裔>といい、種族に関しては<シャカ族>(釈迦族)といいます。王さまよ。わたしはその家から出家したのです。欲望をかなえるためではありません。

424 諸々の欲望に憂いがあることを見て、また出離こそ安穏であると見て、つとめはげむために進みましょう。わたくしの心はこれを楽しんでいるのです。」

(´・(ェ)・`)つ
0889鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
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2017/10/13(金) 21:49:42.16ID:NjGr4fyp
執着するところには苦もあるものじゃ。
執着を離れてこそ心は安穏になるのじゃ。 
0890名無しを整える。
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2017/10/14(土) 11:06:56.93ID:yOzm25TM
ブッダのことば(スッタニパータ)
第3 大いなる章、2、つとめはげむこと

425 ネーランジャラー河の畔にあって、安穏を得るために、つとめはげみ専心し、努力して瞑想していたわたくしに、

426 (悪魔)ナムチはいたわりのことばを発しつつ近づいてきて、言った、あなたは痩せていて、顔色も悪い。あなたの死が近づいた。

427 あなたが死なないで生きられる見込みは、千に一つの割合だ。きみよ、生きよ。生きたほうがよい。命があってこそ諸々の善行をもなすこともできるのだ。

428 あなたがヴェーダ学生としての清らかな行いをなし、聖火に供物をささげてこそ、多くの功徳を積むことができる。(苦行に)つとめはげんだところで、何になろうか。

429 つとめはげむ道は、行きがたく、行いがたく、達しがたい」・・・・

430 かの悪魔がこのように語ったときに、尊師(ブッダ)は次のように告げた。
──「怠け者の親族よ、悪しき者よ。汝は(世間の)善業を求めてここに来たのだが、

431 わたしはその(世間の)善業を求める必要は微塵もない。悪魔は善業の功徳を求める人々にこそ語るがよい。

432 わたしには信念があり、努力があり、また知慧がある。このように専心しているわたしくしに、汝はどうして生命をたもつことを尋ねるのか?

433 (はげみから起る)この風は、河水の流れも涸らすであろう。ひたすら専心しているわが身の血がどうして涸渇しないであろうか。

434 (身体の)血が涸れたならば、胆汁も痰も涸れるであろう。肉が落ちると、心はますます澄んでくる。わが念いと智慧と統一した心はますます安立するに至る。

435 わたしはこのように安住し、最大の苦痛をうけているのであるから、わが心は諸々の欲望にひかれることがない。見よ、心身の清らかなことを。

436 汝の第一の軍隊は欲望であり、第二の軍隊は嫌悪であり、第三の軍隊は飢餓であり、第四の軍隊は妄執といわれる。

437 汝の第五の軍隊はものうさ、睡眠であり、第六の軍隊は恐怖といわれる。汝の第七の軍隊は疑惑であり、汝の第八の軍隊はみせかけと強情と、

438 誤って得られた利得と名声と尊敬と名誉と、また自己をほめたたえて他人を軽蔑することである。

439 ナムチよ、これは汝の軍勢である。黒き魔(Kanha)の攻撃軍である。勇者でなければ、かれにうち勝つことができない。(勇者は)うち勝って楽しみを得る。

440 このわたくしがムンジャ草を取り去るだろうか? (敵に降参してしまうだろうか?)この場合、命はどうでもよい。わたくしは、敗れて生きながらえるよりは、戦って死ぬほうがましだ。

441 或る修行者たち・バラモンどもは、この(汝の軍隊)のうちに埋没してしまって、姿が見えない。そうして徳行ある人々の行く道をも知っていない。

442 軍勢が四方を包囲し、悪魔が象に乗ったのを見たからには、わたくしは立ち迎えてかれらと戦おう。わたくしをこの場所から退けることなかれ。

443 神々も世間の人々も汝の軍勢を破り得ないが、わたくしは智慧の力で汝の軍勢をうち破る。──焼いてない生の土鉢を石で砕くように。

444 みずから思いを制し、よく念い(注意)を確立し、国から国へと遍歴しよう。──教えを聞く人々をひろく導きながら。

445 かれらは、無欲となったわたくしの教えを実行しつつ、怠ることなく、専心している。そこに行けば憂えることのない境地に、かれは赴くであろう。」

446 (悪魔はいった)、
「われは七年間も尊師(ブッダ)に、一歩一歩ごとにつきまとうていた。しかもよく気をつけている正覚者には、つけこむ隙をみつけることができなかった。

447 烏が脂肪の色をした岩石の周囲をめぐって『ここに柔かいものが見つかるだろうか? 味のよいものがあるだろうか?』といって飛び廻ったようなものである。

448 そこに美味が見つからなかったので、烏はそこから飛び去った。岩石ら近づいたその烏のように、われらは厭いてゴータマ(ブッダ)を捨て去る。」

449 悲しみにうちしおれた悪魔の脇から、琵琶がパタッと落ちた。ついで、かの夜叉は意気しょう沈してそこに消え失せた。

(´・(ェ)・`)つ
0891名無しを整える。
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2017/10/14(土) 12:09:02.12ID:yOzm25TM
>>890
426
悪魔は自分の領域(欲の世界)から出たいと望んでいる神や人間を妨害する。解脱を目指す修行者の修行の邪魔をする。
428
ヴェーダ学生としての清らかな行い
聖火に供物をささげる
←悪魔推奨の修行方法
430
悪魔
仏教では仏道を妨げ、悟りを妨害する欲の世界の支配者。経典では世間における常識的考えの代表者という役割を演じている。悪魔、マーラは欲界の神の一員。
悪魔の勧めは、輪廻の世界にいて、よい世界に生まれ変わること。ブッダは、輪廻は苦しみの世界であることを知って、そのようなことは望んでない。ブッダの目標は苦しみの世界からの完全なる解脱。輪廻からの解脱。
ブッダは悪魔に、お前の言葉は良い世界に生まれ変わりたいと望んでいる人々に語るのが相応しいと述べた。
432
信と精進と智慧
434
念いと智慧と統一した心=念と智慧と禅定→五根が具わり、安立した。五根の安立で涅槃への道は定っている。
437
第八の軍隊はみせかけと強情(偽装と強情、偽善と頑固)。少しばかりのすぐれた境地を経験すると、慢心や偽善、強情などが生じる。これらも出家者の修行を妨げる悪魔の軍隊。
438
(第九の軍隊)は「誤って得られた利得と名声と尊敬と名誉」
(第十の軍隊)は「自己をほめたたえて他人を軽蔑すること」
疑惑、恐怖などを比丘が克服して修行をしていると、優れた境地を得ることになる。→比丘は人々から「利得、名声、尊敬」を得ることになる。→修行を完成してないのに、慢心が起こり、修行を中止してしまう。
これは大きな修行の妨げ。ましてや誤って得た利得、福徳ならば、なおのこと修行の妨げになる。
439
勇者とは身体、生命を顧みないで修行する者。悪魔の甘言に乗って、自分の身体の心配する者は、このような悪魔の軍隊には勝てない。
440
「ムンジャ草」
戦場から退却しない人々は、自分は退却しないものであることを知らせるために、頭や旗や武器にムンジャ草を結びつけた。→悪魔に絶対に降伏しない。
442
四方を象に乗った悪魔とり囲まれても、釈尊はひるむどころか、悪魔以上の闘志と決意で、それに立ち向かい、不敗の結跏趺坐の瞑想で臨むのであります。ドラマチックであります。
443
悪魔の軍隊
欲望、嫌悪、飢餓、妄執、ものうさ、睡眠、恐怖、疑惑、みせかけと強情と、誤って得られた利得と名声と尊敬と名誉、自己をほめたたえて他人を軽蔑すること。
釈尊は智慧があるから、これらに勝つ方法を知っており、打ち勝つことができると断言した。
「智慧」
智慧のいくつかの特徴
物事の本質を理解して、その目的、構造、機能を理解すること。或は、その成り立ち、しくみ、働きを理解すること。その智慧はもの事をありのままに観察することによって得られる。
「欲望」
欲望は眼耳鼻舌身意に刺激があり、その刺激が好ましいと感じる時現れる。また、その時の感覚に対して、思考し、妄想するとそれが欲望の燃料になり、欲望はますます増大する。
その感覚に対して、妄想という燃料を供給しなければ、欲望は燃料不足によって消えてしまう。
欲望を満足させることが幸福だという誤解をなくし、欲望が苦しみの原因だということを、欲望の観察から理解した人は、欲望を満足させることではなく、欲望をなくすことに努力し、そのために、欲望の燃料、その欲望に関する思考、妄想を止める。
そうすると欲望は燃料不足のために消滅する。
「焼いてない生の土鉢を石で砕くように」焼いてない生の土鉢とは、妄想で増大していない欲望をという意味で、それならば簡単に打砕くことができるということす。
449
悪魔の脇から、琵琶がパタッと落ちた」
この琵琶は、帝釈天(神々の王)が音楽神に与えたものと言われ、一度指で奏でると、四か月間甘美な音を発するというもの。
それほど素晴らしい琵琶を、悪魔は脇から落としてしまったというほど悪魔が意気消沈して、茫然としていたということ。
ブッダは悪魔との戦いで完全な勝利した。ブッダにとっては自分の煩悩との戦いに勝利したことであり、解脱への修行を完成させたということ。

(´・(ェ)・`)つ
0892鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
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2017/10/14(土) 20:15:42.99ID:HXg9krFs
そうじゃ、無欲と成り、智慧を具現した目覚めた者に悪魔は何も出来ないのじゃ。
それは欲に取り付かれて無知無明の者にのみ災いを起こすものであるからのう。
0893名無しを整える。
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2017/10/15(日) 05:45:32.09ID:9lzgGzkH
ブッダのことば(スッタニパータ)
第3 大いなる章、3、みごとに説かれたこと

 わたしが聞いたところによると、──或るとき尊き師ブッダはサーヴァッティー市のジェータ林、<孤独な人々に食を給する長者の園>におられた。
そのとき師は諸々の<道の人>に呼びかけられた、「修行僧たちよ」と。
「尊き師よ」と、<道の人>たちは師に答えた。師は告げていわれた、「修行僧たちよ。
四つの特徴を具えたことばは、みごとに説かれたのである。悪しく説かれたのではない。諸々の智者が見ても欠点なく、非難されないものである。
その四つとは何であるか? 道の人たちよ、ここで修行僧が、[T]みごとに説かれたことばのみを語り、悪しく説かれたことばを語らず、[U]理法のみを語って理にかなわぬことを語らず、
[V]好ましいことのみを語って、好ましからぬことを語らず、[W]真理のみを語って、虚妄を語らないならば、
この四つの特徴を具えていることばは、みごとに説かれたのであって、悪しく説かれたのではない。
諸々の智者が見ても欠点なく、非難されないものである。」尊き師はこのことを告げた。そのあとでまた、<幸せな人>である師は、次のことを説いた。

450 立派な人々は説いた──[T]最上の善いことばを語れ。(これが第一である。)[U]正しい理を語れ、理に反することを語るな。これが第二である。
[V]好ましいことばを語れ。好ましからぬことばを語るな。これが第三である。[W]真実を語れ。偽りを語るな。これが第4である。

 そのときヴァンギーサ長老は座から起ち上がって、衣を一つの肩にかけ(右肩をあらわして)、師(ブッダ)のおられる方に合掌して、師に告げていった、「ふと思い出すことがあります! 幸せな方よ」と。
「思い出せ、ヴァンギーサよ」と、師は言われた。そこでヴァンギーサ長老は師の面前で、ふさわしい詩を以て師をほめ称えた。
451 自分を苦しめず、また他人を害しないことばのみを語れ。これこそ実に善く説かれたことばなのである。

452 好ましいことばのみを語れ。その言葉は人々に歓び迎えられることばである。感じの悪いことばを避けて、他人の気に入ることばのみを語るのである。

453 真実は実に不滅のことばである。これは永遠の理法である。立派な人々は、真実の上えに、ためになることの上に、また理法の上に安立しているといわれる。

454 安らぎに達するために、苦しみを終減させるために、仏の説きたもうおだやかなことばは、実に諸々のことばのうちで最上のものである。

(´・(ェ)・`)つ
0894名無しを整える。
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2017/10/15(日) 16:29:23.06ID:9lzgGzkH
>>892
鬼和尚ありがとうであります。
無知無明のくまであるとの自覚をもって精進するであります。

次に進むであります。
ブッダのことば(スッタニパータ)
第3 大いなる章、4、スタンダリカ・バーラドヴァージャ

 わたしが聞いたところによると、──或るとき尊き師(ブッダ)はコーサラ国のスンダリカー河の岸に滞在しておらめれた。ちょうどその時に、バラモンであるスンダリカ・バーラドヴァーシャは、スンダリカー河の岸辺で聖火をまつり、火の祀りを行なった。
さてバラモンであるスンダリカ・バーラドヴァーシャは、聖火をまつり、火の祀りを行なったあとで、座から立ち、あまねく四方を眺めていった、──「この供物のおさがりを誰にたべさせようか。」

 バラモンであるスンダリカ・バーラドヴァーシャは、遠からぬところで尊き師(ブッダ)が或る樹の根もとで頭まで衣をまとって坐っているのを見た。見おわってから、左手で供物のおさがりをもち、右手で水瓶をもって師のおられるところに近づいた。
そこで師はかれの足音を聞いて、頭の覆いをとり去った。そのときバラモンであるスンダリカ・バーラドヴァーシャは「この方は頭を剃っておられる。
この剃髪者である」といって、そこから戻ろうとした。そうしてかれはこのように思った、「この世では、或るバラモンたとは、頭を剃っているということもある。さあ、わたしはかれに近づいてその生れ(素姓)を聞いてみよう」と。

 そこでバラモンであるスンダリカ・バーラドヴァーシャは師のおられるところに近づいた。それから師にいった、「あなたの生まれは何ですか?」と

 そこで師は、バラモンであるスンダリカ・バーラドヴァーシャに詩を以て呼びかれた。

455 「わたしはバラモンではないし、王族の者でもない。わたしはヴァイシヤ族(庶民)の者でもないし、また他の何ものでもない。

456 わたしは家なく、重衣を着け、髭髪(ひげかみ)を剃り、こころを安らかならしめて、この世で人々に汚されることなく、歩んでいる。
 バラモンよ。あなたがわたしに姓をたずねるのは適当でない。」

457 「バラモンはバラモンと出会ったときは、『あなたはバラモンではあられませんか?』とたずねるものです。」
「もしもあなたがみずからバラモンであるというならば、バラモンでないわたしに答えなさい。わたしは、あなたに三句二十四字より成るかのサーヴィトリー讃歌のことをたずねます。」

458 「この世の中では、仙人や王族やバラモンというような人々は、何のために神々にいろいろと供物を献じたのですか?」
 (師が答えた)、「究極に達したヴェーダの達人が祭祀のときに或る(世俗の人の)献供を受けるならば、その(世俗の)人の(祭祀の行為は)効果をもたらす、とわたくしは説く。」

459 バラモンがいった、「わたくしはヴェーダの達人であるこのような立派な方にお目にかかったのですから、実にその方に対する(わたくしの)献供はきっと効果があるでしょう。
(以前には)あなたのような方にお目にかからなかったので、他の人が献供の菓子(のおさがり)を食べていたのです。」

460 (師が答えた)、「それ故に、バラモンよ、あなたは求めるところあってきたのであるから、こちらに近づいて問え。恐らくここに、平安で、(怒りの)煙の消えた、苦しみなく、欲求のない聡明な人を見出すであろう。」

461 (バラモンがいった)、「ゴータマ(ブッダ) さま。わたくしは祭祀を楽しんでいるのです。祭祀を行おうと望むのです。しかしわたくしははっきりとは知っていません。あなたはわたくしに教えてください。何にささげた献供が有効であるかを言ってください。」
 (師が答えた)、「では、バラモンよ、よく聞きなさい。わたくしはあなたに理法を説きましょう。

462 生れを問うことなかれ。行いを問え。火は実にあらゆる薪から生ずる。賤しい家に生まれた人でも、聖者として道心堅固であり、恥を知って慎むならば高貴のの人となる。

463 真実もてみずから制し、(諸々の感官を)慎しみ、ヴェーダの奥義に達し、清らか行いを修めた人、──そのような人にこそ適当な時に供物をささげよ。──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

464 諸々の欲望を捨てて、家なくして歩み、よくみずから慎んで、梭のよえに真直ぐな人々、──そのような人々にそこ適当な時に供物をささげよ。──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

465 貪欲を離れ、諸々の感官を静かにたもち、月がラーフの捕われから脱したように(捕われることのない)人々──そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ。──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

(´・(ェ)・`)つ
0895名無しを整える。
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2017/10/15(日) 16:31:54.56ID:9lzgGzkH
>>894
457
前半はスンダリカ・バーラドヴァージャ・バラモンの言葉で、後半が釈尊の言葉
サーヴィトリー賛歌
「リグ・ヴェーダ」第三編第六二詩篇の10にある三句二十四字よりなる詩
太陽神サヴィトリに対する賛歌。
バラモン達のあいだでは特に神聖視され、今日に至るまで毎朝この詩が唱えられている。
[仏教徒のサーヴィトリー賛歌(仏に帰依奉る)、(法に帰依奉る)、(僧に帰依奉る)]
458
「究極に達したヴェーダの達人」=輪廻の究極に達した人(解脱した人)、真理を悟った聖者に、供物をささげるならば、その祭祀の儀式は成功する。
それらの聖者に対するの布施の功徳は大きいから。
459
疑問を持つ人にはその答えは、与えられるということ。
「意志ある所に道あり。」
「求めよ。さらば与えられる。」
「修行者が師を必要とした時、師は現れる」
「弟子に聞く耳が出来た時に、師匠は教えられる。」
聞ける態度が出来なければ、何も聞けないのです。
462
供物を捧げるときは、捧げるのにふさわしい(価値のある)人間に捧げれば、効果がある、成功したと言える。価値ある人間は生まれで決まるのではなく、行いで決まる。
火は香木の火も、木屑の火も同じ性質を持っている。
どんな賤しい家柄の出身の者でも、心を浄める修行をして聖者になられた方でも、貴族出身の聖者も同じ聖者だということ。
聖者になる方法として、「恥(慚)を知って慎む」
恥(慚)とは、悪事をすることを内心に恥じること。良心の呵責によって悪いことをしないこと。
(もう一つ悪事を止めるための力になるのが「怖れ」。仏教用語では愧。
愧とは、悪事をすることを外部に怖れることです。こんなことをすれば、他の人に非難されるだろうと怖れて悪いことをしない。両者を合わせて、慚愧(ザンキ)。
これらは道徳を守る力。慚愧の力で、道徳を守り心を清らかにして、心の堅固な聖者になる。)
463
「真実もてみずから制し」=四聖諦を理解して、実践し、自己を完成してという意味。
464
「よくみずから慎んで」(自己が善く自制され)いる人、これは煩悩の起こる基である感覚器官をよく守って、煩悩が現れないようにしている人。
梭(ヒ)=機織りの梭(シャトル)
真直ぐな人の喩え
465
月がラーフの捕われから脱した
月蝕や日蝕のことを言う。
ラーフはインド神話の鬼神の名前。このラーフが月や太陽を呑み込むので月蝕や日蝕が起こると言われている。煩悩を脱した人をラーフの捕捉から脱した人と言う。
煩悩を捨てるためには、貪欲から離れることが必要であり、感覚器官を守る必要がある。煩悩は感覚の乱れによって現れる。
好ましいものを見ると欲が現れ、嫌なものを見ると怒りが現れる。音と耳、香りと鼻、味と舌、感触と身体、想いと心の関係についても同様。
見たり、聞いたりすることは避けらない。見ても、聞いても煩悩が現れないように訓練をする必要がある。
見た時は見ただけにする。聞いた時は聞いただけにする。
見たことをしっかり見たと意識すること、見たと自覚すること。
(´・(ェ)・`)つ
0896鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
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2017/10/15(日) 22:50:03.25ID:xst05O0l
そうじゃ、生れを問わず行いを問うのじゃ。
正しい修業に励む者が真の修行者なのじゃ。
0897名無しを整える。
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2017/10/16(月) 18:50:51.41ID:oI9bbLlX
ブッダのことば(スッタニパータ)
第3 大いなる章、4、スタンダリカ・バーラドヴァージャ

466 執著することなくして、常に心をとどめ、わがものと執したものを(すべて)捨て去って、世の中を歩き廻る人々、──そのよえな人々にこそ適当な時に供物をささげよ。──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

467 諸々の欲望を捨て、欲にうち勝ってふるまい、生死のはてを知り、平安に帰し、清涼なること湖水のような<全き人>(如来)は、お供えの菓子わ受けるにふさわしい。
468 全き人(如来)は、平等なるもの(過去の目ざめた人々、諸仏)と等しくして、平等ならざる者どもから遙かに遠ざかっている。かれは無限の智慧あり、この世でもかの世でも汚れに染まることがない。<全き人>(如来)はお供えの菓子を受けるにふさわしい。

469 偽りもなく、慢心もなく、貪欲を離れ、わがものとして執著することなく、欲望をもたず、怒りを除き、こころ静まり、憂いの垢を捨て去ったバラモンである<全き人>(如来)は、お供えの菓子を受けるにふさわしい。

470 こころの執著をすでに断って、何らとらわれるところがなく、この世についてもかの世についてもとらわれることがない<全き人>(如来)は、お供えの菓子を受けるにふさわしい。

471 こころをひとしく静かにして激流をわたり、最上の知見によって理法を知り、煩悩の汚れを滅しつくして、最後の身体をたもっている<全き人>(如来)は、お供えの菓子を受けるにふさわしい。

472 かれは、生存の汚れも、荒々しいことばも、除き去られ滅びてしまって、存在しない。かれはヴェーダに通じた人であり、あらゆることがらに関して解脱している<全き人>(如来)は、お供えの菓子を受けるにふさわしい。

473 執著を超えていて、執著をもたず、慢心にとらわれている者どものうちにあって慢心にとらわれることなく、畑及び地所(苦しみの起る因縁)とともに苦しみを知りつくしている<全き人>(如来)は、お供えの菓子を受けるにふさわしい。

474 欲望にもとづくことなく、遠ざかり離れることを見、他人の教える異なった見解を超越して、何らこだわってとらわれることのない<全き人>(如来)は、お供えの菓子を受けるにふさわしい。

475 あれこれ一切の事物をさとって、それらが除き去られ滅びてしまって存在しないで、へいう平安に帰し、執著を滅ぼしつくして解脱している<全き人>(如来)は、お供えの菓子を受けるにふさわしい。

476 煩悩の束縛と迷いの生存への生れかわりとが滅び去った究極の境地を見、愛欲の道を断って余すところなく、清らかにして、過ちなく、汚れなく、透明である<全き人>(如来)は、お供えの菓子を受けるにふさわしい。

477 自己によって自己を観じ(それを)認めることなく、こころが等しくしずまり、身体が真直ぐで、みずから安立し、動揺することなく、疑惑のない(全き人)(如来)は、お供えの供物を受けるにふさわしい。

478 迷妄にもとづいて起る障りは何ら存在せず、あらゆることがらについて智見あり、最後の身体をたもち、めでたい無上のさとりを得、──これだけでも人の霊(タマシイ)は清らかとなる。──(全き人)(如来)は、お供えの供物を受けるにふさわしい。」
(´・(ェ)・`)つ
0898鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
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2017/10/16(月) 20:58:58.42ID:wNyv3F1R
そうじゃ、自己によって自己を観るのじゃ。
そしてそれに囚われずにいるのじゃ。
0899名無しを整える。
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2017/10/16(月) 21:36:09.19ID:oI9bbLlX
>>897
466
@「執着がない人」
十二支縁起の執着と同じ。
執着をなくした人はすべての苦をなくし、解脱した人。
A「常に気づきのある人」
不放逸。
ブッダの最後の言葉。「では君たちに告げます。すべての事柄は消え去るものです。不放逸を励みなさい」
常に気づくこと(不放逸)によって、悪をなさず、善に至り、智慧が開発される。
B我がものという思いのない人、
467
四聖諦。
人生は苦しい。その原因は渇愛(欲望)にある。その苦しみは欲望を捨てることで克服できること。また苦しみを克服する八正道という方法を示した。
八正道を実践した人は、すべての煩悩が消え、燃える火に喩えられる煩悩が消えると熱がなくなり、常に冷たい湖水のような清涼な状態になる。この境地を涅槃とも言う。
如来には無限の智慧がある。
無限を凡夫は有限の延長としか考えられない。
無限とは有限とは次元の異り、理解できない。
469
(偽り、欺瞞、幻影)がない。
凡夫には我があるという実感がある。しかし、如来には我あるというような幻影はないと正しく実感できている。幻影にだまされることはない。
(慢心)がない。
自分と他人と比較するという心。
自分と他人を比較して自分が上だと思う心は増上慢(高慢)。自分と他人と同じだと思う心を同等慢、自分は他人より下だと思う心は卑下慢と言う。
如来には慢心がないら、慢心から生まれる悩みや苦しみはない。
如来には貪欲がない。
自我がないから、自己に執着する我執はない。日々淡々と必要なことを行うだけ。
もちろん怒りはない。怒りを抑えているのではなく、怒りの心がないので、怒れない。
憂い苦しみの原因は渇愛と無明。渇愛と無明のない如来には憂い苦しみはない。
470
心にこだわりがなければ、どんなことにも抵抗がなく、すべてが受け入れられる。怒りや嫉妬などは生まれない。悩みも生まれない。
自分の外部にこだわりの対象、執着の対象が何にもない。
そのような体験のある人はこの世にもそれ以上望むことがなく、死後は良い所に生まれ変わりたい等という思いはない。
そのような人には、心に汚れのない。
471
心を統一するとは、瞑想して禅定に入ること。
激流とは煩悩を意味する。
禅定に入って、煩悩を克服するということ。
禅定に入るためには、五蓋(欲貪、瞋恚、昏沈・睡眠、掉挙・悪作、疑)いう煩悩の機能を停止する必要がある。
五蓋の機能が停止すると、自然に五支禅(尋、伺、喜、楽、一境性)が現れ、第一禅定に入る。
そうすると一時的に煩悩がない状態を経験する。しかし、禅定により煩悩がなくなったわけではないのて、禅定から出ると煩悩は現れる。
心を統一して禅定に入っただけでは、激流と言われる煩悩を克服することはできないん。
最高の見解によって真理を了解することが必要。
これは智慧を得ること。
禅定に入ることによって、ありのままの現象をありのままに観察することができるようになる。
智慧が開発され、その智慧の力にとってすべての煩悩が克服さる。
煩悩の親玉である無明も克服される。
すべての煩悩を智慧の力に克服することを解脱と言う。阿羅漢は生命を輪廻の苦しみに結びつけるすべての煩悩ないので、もう輪廻することはない。
そのような方を最後身の保持者と言う。
(´・(ェ)・`)つ
つづく
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2017/10/16(月) 21:39:15.73ID:oI9bbLlX
>>897
472
欲界への欲は普通の生命が持っている「生きていきたい、死にたくないという欲」という煩悩。
色界への欲は色界の禅定(第一禅定から第四禅定)の状態を求め、それを失いたくないという欲。
無色界への欲は無色界の禅定(空無辺処禅定、識無辺処禅定、無所有処禅定、非想非非想禅定)の状態を求め、それを失いたくないという欲です。
この二つは阿羅漢になるまでにはなくならない煩悩。この生存の煩悩を除き去ったということは阿羅漢になったということ。
「生存の汚れ」
すべての煩悩を捨て去った阿羅漢は、普通は乱暴な言葉、粗野な言葉は使わない。
如来は聖なる智慧に通じており、「あらゆる所で解脱している」
のあらゆる所とは、五蘊(身体、感覚、概念、意思、認識)あるいは十二処(眼、耳、鼻、舌、身、意、色、声、香、味、触、法)において執着がなく解放されているということ。
473
執着するのは心。
執着がないとは心が執着しないこと。
心が執着しなければ、心は完全に自由。凡夫の心は自分の心がする執着によって自由が奪われている。完全に自由な心は解脱していると言われる。執着がないとは煩悩がないこと。煩悩がないとは涅槃。執着がないとは涅槃。
慢心は他と比べる心。心は他と比べることによって、評価する。評価はその人の価値観を基準にする。人は自分の価値観に執着している。自分の価値観への執着から悩み苦しみが生まれる。慢心から悩み苦しみが生まれまる。
田畑は業と煩悩の象徴。
474
遠ざかり離れることを見、
@身の遠離A心の遠離は八禅定(色界と無色界の禅定)B生存素因の遠離、すなわちそれは涅槃。
「他者の教える見解」とは、「六十二見」。長部経典の『梵網経』ブッダがまとめた誤った六十二の見解
「何らこだわってとらわれることのない」「諸々の〔欲望や執着の〕対象(所縁)が存在しない」望むものがない、欲しいものがない、期待するものがないということ。如何なる欲望もないと言うこと。
475
一切の事物
五蘊(色受想行識)、十二処(眼耳鼻舌身意、色声香味触法)
一切の物事は無常
一切の物事はある時、ある条件のもとでのみ存在している。
条件を構成する要素もそれぞれ無常
その条件も一定ではない。
ある瞬間にのみ存在していると言えるので、次の瞬間は存在出来ない。それはすべて事柄について言えるので、何かに執着することはない。
476
煩悩の束縛
結縛、仏教用語では「結」生命を輪廻の世界に結び着ける煩悩。
これが私たちの心にあるから輪廻転生を繰り返す。煩悩は次の10種類。(十結)
1.有身見:「私」という概念が実体のあるものだと思い、肉体と心が自分のものだと誤解していること。
2.疑:仏法僧、因果法則、四正諦、八正道などを疑うこと。
3.戒禁取:無意味な苦行やあらゆる宗教儀式・儀礼。
4.愛欲:五欲に対する渇愛。
5.激怒:異常な怒り。
6.色貪:色界禅定に対する渇愛。
7.無色貪:無色界禅定に対する渇愛。
8.慢:自分を基準にして他者と比べる働き。驕り高ぶり。卑下。
9.掉挙(じょうこ):心が浮つき落ち着きがない。禅定を妨げるもの。
10.無明:すべての煩悩の大本。煩悩の親玉。
1から5までは五下分結、6から10までは五上分結
悟りの段階と十結の関係。
預流果:1、2,3、の煩悩がなくなる。一来果:4から10の煩悩は残っているが、預流果より薄まっている。不還果:1から5の煩悩がなくなる。6から10の煩悩は残っている。阿羅漢果:すべての煩悩がなくなる。
これらの十結を残りなく除き去れば、輪廻再生させる要素はなくなり、二度と生は現れない。それを生存の滅尽の極限を見と表現されている。
またこれらの10の煩悩が心から残りなくなれば、心は清らかになる。愛欲の過ちも激怒の過ちも無明による過ちもなくなる。その時心は透明で明るい。
477
自己(自我)はないので、自己を観察しても、五蘊(色受想行識)は感じるが、その実体たる自己(自我)はないことが解る。
478
諸々の煩悩、すべての煩悩がない。
最後の身体を保持する人とは、輪廻を繰り返さない人、阿羅漢。
「これだけでも人の霊(タマシイ)は清らかとなる」
スンダリカ・バーラドヴァージャ・バラモンはこの時点で、「魂の清浄」に価値をおいているので、彼に理解しやすいように、このように述べたのではないか?
(´・(ェ)・`)つ
0901名無しを整える。
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2017/10/17(火) 19:00:06.05ID:X+Ej+xsQ
ブッダのことば(スッタニパータ)
第3 大いなる章、4、スタンダリカ・バーラドヴァージャ

479 「あなたのようなヴェーダの達人にお会いできたのですから、わが供物は真実の供物であれかし。
梵天こそ証人としてみそなわせ。先生! ねがわくはわたくしから受けてください。先生! ねがわくはわがお供えの菓子を召し上がってください。」

480 「詩を唱えて得たものを、わたくしは食うてはならない。バラモンよ、これは正しく見る人々(目ざめた人々、諸仏)のなすきまりではない。
詩を唱えて得たものを目ざめた人々(諸仏)は斥けたもう。バラモンよ。このきまりが存するのであるから、これが(目ざめた人々、諸仏の)行いのしかた(実践法)である。

481 全き者である大仙人、煩悩の汚れをほろぼし尽し悪行による悔恨の消滅した人に対しては、他の飲食をささげよ。けだしそれは功徳を積もうと望む者(福)田であるからである。」

482 「先生! わたくしのような者の施しを受け得る人、祭祀の時に探しもとめて供養すべき人、をわたくしは──あなたの教えを受けて──どうか知りたいのです。」

483 「争いを離れ、心に濁りなく、諸々の欲望を離脱し、ものうさ(無気力)を除き去った人、

484 限界を超えたもの(煩悩)を制し、生死を究め、聖者の特性を身に具えたそのような聖者が祭祀のために来たとき、

485 かれに対して眉をひそめて見下すことをやめ、合掌してかれを礼拝せよ。飲食物をささげて、かれを供養せよ。このような施しは、成就して果報をもたらす。」

486 「目ざめた人(ブッダ)であるあなたさまは、お供えの菓子を受けるにふさわしい。あなたは最上の福田であり、全世界の布施を受ける人であります。あなたにさし上げた物は、果報が大きいです。」

 そこでバラモンであるスンダリカ・バーラドヴァーシャは、尊き師にいった、「すばらしいことです。ゴータマ(ブッダ)さま。すばらしいことです、ゴータマさま。
あたかも倒れた者を起こすように、覆われたものを開くように、方向に迷った者に道を示すように、
あるいは『眼ある人々は色やかたちを見るであろう』といって暗闇の中に灯火をかかげるように、ゴータマさまは種々のしかたで理法を明らかにされました。
だから、わたくしはゴータマさまに帰依したてまつる。また法と修行僧のつどい帰依したてまつる。わたくしはゴータマさまのもとで出家し、完全な戒律(具足戒)を受けたいものです。」

 そこでバラモンであるスンダリカ・バーラドヴァーシャは、師のもとで出家し、完全な戒律を受けた。
それからまもなく、このスンダリカ・バーラドヴァーシャさんは独りで他から遠ざかり、怠ることなく精励し専心していたが、まもなく、無上の清らかな行いの究極
──諸々の立派な人たち(善男子)はそれを得るために正しく家を出て家なき状態に赴いたのであるが──
を現世においてみずからさとり、証し、具現して、日を送った。「生まれることは尽きた。
清らかな行いはすでに完成した。なすべきことをなしおえた。もはや再びこのような生存を受けることはない」とさとった。そうしてスンダリカ・バーラドヴァーシャさんは聖者の一人となった。

(´・(ェ)・`)つ
0902名無しを整える。
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2017/10/17(火) 21:04:22.27ID:X+Ej+xsQ
>>901
479
みそなわす【見そなはす】「見る」の尊敬語。ごらんになる。
481
仏教を教えられたから、そのお礼をするとか、感謝するとか、尊敬するとか、そのような限定された行為ではなく、
全き人である大仙人、煩悩の汚れをほろぼし尽し悪い行いを消滅した人に対して、何も期待しない、ただ奉仕する、供養する、布施をするという限定のない、純粋な行為が仏教のやり方だと教えた。

(´・(ェ)・`)つ
0903鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
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2017/10/17(火) 22:47:02.12ID:l9e8hrVu
すばらしいことじゃ。
教えを聞いて理解して実践すれば誰でも目覚めて阿羅漢になれるのじゃ。
実践あるのみなのじゃ。 
0905名無しを整える。
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2017/10/18(水) 19:02:21.96ID:eCiv/Pch
ブッダのことば(スッタニパータ)
第3 大いなる章、5、マーガ

 わたくしが聞いたところによると、──或るとき尊き師(ブッダ) は、王舎城の<鷲の峰>という山におられた。そのときマーガ青年は師のおられるところに赴いた。そこに赴いて師に挨拶した。
喜ばしい、思い出の挨拶のことばを交したのち、かれらは傍らに坐した。そこでマーガ青年は師に言った、──
 「ゴータマ(ブッダ)さま。わたくしは実に、与える人、施主であり、寛仁にして、他人からの施しの求めに応じ、正しい法によって財を求めます。
そのあとで、正しい法によって獲得して儲けた財物を、一人にも与え、二人にも与え、三人にも与え、四人にも与え、五人にも与え、六人にも与え、七人にも与え、八人にも与え、九人にも与え、十人にも与え、
二十人にも与え、三十人にも与え、四十人にも与え、五十人にも与え、百人にも与え、さらに多くの人にも与えます。
ゴータマさま。わたくしがこのように与え、このようにささげるならば、多くの福徳を生ずるでしょうか。」

 「青年よ。実にあなたはそのように与え、そのようにささげるならば、、多くの福徳を生ずる。
誰であろうとも、実に、与える人、施主であり、寛仁にして、施しの求めに応じ、正しい法によって財を求め、そのあとで、法によって獲得して儲けた財物を、一人にも与え、さらにつづいては百人にも与え、さらに多くの人にも与える人は、多くの福徳を生ずるのである。」

487 マーガ青年がいった、「袈裟を着け家なくして歩む寛仁なるゴータマさまに、わたくしはお尋ねします。
この世で、施しの求めに応ずる在家の施主、福徳をめざして供物をささげ、他人に飲食物を与える人が、祀りを実行するときには、何者にささげた供物が清らかとなるのでしょうか。」

488 尊い師は答えた、「マーガよ。施しの求めに応ずる在家の施主、福徳をもとめ福徳をめざして供物をささげる人が、この世で他人に飲食物を与えるならば、まさに施与を受けるにふさわしい人々とともに目的を達成することになるであろう。」

489 マーガ青年はいった、「施しの求めに応ずる在家の施主、福徳をもとめ福徳をめざして供物をささげる人が、この世で他人に飲食物を与えるに当って、
<まさに施与を受けるにふさわしい人々>のことをわたしに説いてください。先生!」
(´・(ェ)・`)つ
0907名無しを整える。
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2017/10/18(水) 22:03:45.60ID:eCiv/Pch
>>906
宇宙初のくまかんを目指すであります。
鬼和尚ありがとうであります。
(´・(∀)・`)つ
0908名無しを整える。
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2017/10/19(木) 20:03:38.31ID:Sdl67uVC
ブッダのことば(スッタニパータ)
第3 大いなる章、5、マーガ

490 実に執著することなく世間を歩み、無一物で、自己を制した<全き人>がいる。
──そのような人々にこそ適当な時に供物をささけよ。──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

491 一切の結び・縛めを断ち、みずから慎しみ、解脱し、苦しみなく、欲求のない人々がいる。
──そのような人々にこそ適当な時に供物をささけよ。──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

492 一切の結び・縛めから解き放たれ、みずから慎しみ、解脱し、苦しみなく、欲求のない人々がいる。
──そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ。──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

493 貪欲と嫌悪と迷妄とを捨てて、煩悩の汚れを減しつくし、清らかな行いを修めている人々がいる。
──そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ。──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

(´・(ェ)・`)つ
0909名無しを整える。
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2017/10/19(木) 20:48:55.49ID:Sdl67uVC
>>908
490
執着を四種類に分類。
1.欲に対する執着。
2.見解に対する執着。
3.戒禁に対する執着。
4、我語に対する執着。自分の説に固執すること。(自分がいるという実感に対する執着)
491
492
結(十結)仏教用語。輪廻の原因になる以下の煩悩。
1.有身見(うしんけん):永遠不滅の真我があると言う誤解 (自我があるという誤解)
2.疑:迷って確信がないこと
3.戒禁取(かいごんしゅ):無意味な苦行やあらゆる宗教儀式・儀礼
4.貪欲:五欲に執着すること
5.瞋恚(しんに):いらいらして怒ること
6.色貪(しきどん):色界禅定に執着すること
7.無色貪(むしきどん):無色界禅定に執着すること
8.慢:自分と比較すること。自分を重要と思うこと
9.掉挙(じょうこ):落ち着きのないこと
10.無明:真実を知らないこと
十結には経蔵の分類と論蔵の分類がある。
10の煩悩が生命を束縛する拘束。
491偈では、これらの煩悩を断ち切った人について述べ、
492偈では、これらの煩悩から解放された人について述べている。
これらの煩悩を断ち切って、解放された人は涅槃を体得した阿羅漢。阿羅漢は自己を制御し、解放した(執着から離れた)、苦悩のない、何も望むことのない(何事にも満足した)方。
十結と悟りの関係は、1.2.3.の煩悩がなくなれば預流果の悟り、かつ4.5.の煩悩が少なくなれば一来果の悟り、1.2.3.4.5.の煩悩がなくなれば不還果の悟り、1.から10.までの煩悩すべてがなくなれば阿羅漢果の悟りで修行の完成。
493
始めの二行の述べられた煩悩は
貪りと怒りと迷妄。三毒あるいは貪瞋痴(トンジンチ)
(´・(ェ)・`)つ
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2017/10/20(金) 16:12:00.46ID:2Ij21SNU
ブッダのことば(スッタニパータ)
第3 大いなる章、5、マーガ

494 偽りもなく、慢心もなく、貪欲を離れ、わがものとして執することなく、欲望をもたぬ人々がいる。
──そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ。──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

495 実に諸々の愛執に耽らず、すでに激流をわたりおわって、わがものという執著なしに歩む人々がいる。
──そのような人々にこそ適当な時に供物をささげよ。──バラモンが功徳を求めて祀りを行うのであるならば。

(´・(ェ)・`)
0913名無しを整える。
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2017/10/20(金) 19:42:01.81ID:2Ij21SNU
>>912
494
(欺瞞、偽り)は、自分の悪事を隠すこと。
(慢心)は自分と他人と比べること。増上慢、同等慢、卑下慢。この慢心は阿羅漢になるまでなくならない煩悩であり、根深い。
495
激流とは、煩悩を意味する。渇愛に耽らないのであれば、渇愛はいろいろな煩悩の根本にあるものなので、煩悩の激流を渡ることができる。
渇愛は感覚を縁にして生まれる。
自我が生まれる事情。
自我も感覚を縁にして生まれる。何かを見たり、聞いたりするたびに、私が見た、私が聞いたという私(自我)という主語(妄想)が生まれる。
渇愛と自我は二子の兄弟のようなもの。渇愛が克服される過程は、自我が克服される過程でもある。
煩悩の激流を渡った人は自我の固執すなわち我執はない。
496
渇愛を三つに分類。
1.愛欲 : 色、声、香、味、触、五欲に対する渇愛
2.有愛 : 生存に対する渇愛
3.無有愛 : 虚無への渇愛(破壊したいという思い)
この内の特に2.有愛があるので輪廻する。渇愛のなくなった人は輪廻しない。渇愛のなくなった人は、固執、有、生、老、死、苦蘊が次々に滅し、解脱する。
(´・(ェ)・`)つ
0914鬼和尚 ◆GBl7rog7bM
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2017/10/20(金) 21:57:39.09ID:dQKH8eJQ
なにやらおかしいのじゃ。
渇愛があってもなくても輪廻するのじゃ。
無認識に至るまで輪廻はありつづけるのじゃ。
0915名無しを整える。
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2017/10/21(土) 10:19:43.95ID:VddYMOYG
>>914
鬼和尚、おはようございます。
この解説では、生存に対する執着がなくなれば、輪廻は止み、解脱するとされてますが、
輪廻しなくなること=解脱=悟り、なのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。