今直感が来た。
システムと価値判断の基準だわ。嫌われる勇気の何に違和感があるかわかった。ちなみにアドラーの違和感ではない。それは読んでない。

刺激と反応、あるいは精神力動はシステムなんだよな。法則。
そしてなんらかの行動を選択するときに価値判断が入る。
つまり、宿題をやってくる→褒める→嬉しい→次もやってくるって例を見ると。
嬉しいことがあるとその行動が増えるってのは行動療法から見たシステムで
ただそこで褒めるって行為をするのが良いのか、あるいは宿題をやって来させることが良いのかどうかってのは価値判断だな
多くの療法は異なるシステムを採用している上、異なる価値判断基準持つ。だから比べるのが難しい。そもそも治ったって判断基準すら違うから難しい。

で嫌われる勇気って何が不満かって現実に対するシステムが綿密じゃないんだよな。だから哲学的に感じる。
トラウマはないと言い切る姿勢(上のレスによるとアドラー心理学でもトラウマはあるらしいが
裏切られても信じ続ける姿勢

そういう姿勢で臨んだ場合、現実がどう変わるかってことがうまく論理的に言い表されていない。不十分でシステム化されてない。そういう意味でシステムツールとしての不十分さを感じるんだよな。
俺個人としては人生を通してそういう姿勢を維持していくことに意義を感じるんだけど、それを心理療法の過程で人に当てはめたときに不完全なシステムになる気がする。
たとえば人に騙され続けるんです。それでも信じなさい。ってカウンセリングでは言えない。そうは言ってもね?ってなる。孔子とかを教えてもえっるってなるのと同じ
そこに向けて認知を矯正していく認知行動療法や短期療法が必要になる。だから嫌われる勇気だけで全てなんとかしようとした人の態度に違和感を感じたんだ。

もちろんシステムとして成立する認知論的な解釈は含まれているが、嫌われる勇気だけを読んでこれは人から教えらるものではなく自分で学ぶものだなぁって感じた。

わかるかな?

というわけでそういうところのシステムがしっかり説明されてることを期待してアドラーの著作買って来たから読む。

ちなみにアドラーのカウンセリングの本は一冊もなかった
でかい本屋でこれはどうなんだ。