【ほめ回路】ほめ日記を書いて生きやすくなろう【手塚千砂子】 [無断転載禁止]©2ch.net
一日10個、自分をほめよう
ほめたことをノートに手書きしよう
ノートに書いたら声に出して読み上げよう
たったこれだけ。これが「ほめ日記」です
毎日やれば自己肯定感が養われて自己否定感の生きづらさが解消されて生きやすくなります
初めは2、3個ほめるだけでもいい
やりたい人はまず三日続けてみよう
できたら次に二週間続けてみよう
必ずほめ言葉を用いてほめよう
効果が実感できるはず
詳しくはこちらをお読みください
ほめ日記プロジェクト
http://homediary.net/ >>484
今回だけは許してあげましょう
そして、ほめてあげましょう 今日からゆっくり始めよう。
当たり前のことだけど
お風呂掃除した。トイレ掃除した。床を拭いた。
こんなことでええんか?なんか小さい気がする >>489>>494
いや全然いいぞ。むしろ当たり前にやっている身近な小さなことを沢山ほめるのはいいことだぞ(もちろん犯罪的なことは違う) そして、怒濤の499ゲット!
>>500
500ゲットおめでとうございます >>1
> 一日10個、自分をほめよう
> ほめたことをノートに手書きしよう
> ノートに書いたら声に出して読み上げよう
>
> たったこれだけ。これが「ほめ日記」です
これは心理学的には正しいよね。心は安定する。良スレだね 自己肯定感が低くて自分をほめようにも言葉が出てこない(そもそもほめる内容が見つからない。自分をほめられない)人間は『ほめる事柄+ほめ言葉』の形式で機械的に作業的にほめ日記を書いていくことが勧められているけれど
普通に自分をほめることができる人間なら普通に自分をほめていいわけで。そのことに気づかず、自分をほめられない人向けのやり方をやりづらそうに続けている……そんな方はいらっしゃるだろうか?
まあこの時点での俺のことなんだが。いや、自己否定感が強かった時期はそれでしかできなかったわけだけれども……
それこそ昔は「風呂掃除した。えらい!」しか書けなかった。しかも心からほめて書いてるわけではなかった。ほめながらも不自然さを感じていた
今では「風呂を掃除して綺麗なお湯を張った。いい仕事したね。短時間で掃除完了できるところも長年の経験の賜物だ。使う洗剤も身体が適量を覚えている。それは立派な長所だよ。レベルアップしている」くらいなら面白味を感じながら書けるようになった 相模原事件の彼も、さぞかし自分をほめていることでしょう
風呂掃除なんかしてる場合じゃない
君もレッツトライ! >>506
で、あなたはどっちのタイプ?
逆に、ほめられる人向けのやり方をほめられない人がやりづらそうにやってるんじゃないの?
機械作業の念仏形式は洗脳されやすい、既成のやり方に抵抗感ない人向けだから
素直に自分をほめられない人がやるとほめながら打ち消すのを同時にやってしまうから本のやり方だと効果薄い気がするんだよね >>508
面倒だから機械的にやっていたけど最近もうちょっと考えてほめてみるのもいいかなーと思ってる ほめ日記がうまく書けない、書いても効果がないと悩むあなたへ 〜「ない」にばかり目を向けてない?〜
https://miyatore.com/archives/1221 誉め日記よりも、普通に日記を書く方がいい。自己認識になるからね。 アドラー心理学学習者だが何も言わない。自分が思う所を実践すればいいのでは ほめるところが毎日かぶっててもいいの?
毎日違うところをほめたほうがいいのかな 同じ事柄でも違う事柄でもいいんだよ。
自分を誉めて、自信をつけるのが大事だと思う >513
どっちでもいいけど観点が違うな。できれば量を増やした方がいい。毎日10ページとか
ね。で最後に適当に褒めておけばOK。
誉めても誉めなくてもいい。思いつくことを気楽に書いていけばいい。悲観的になら
ずにね。
誉めることよりも量を書くことの方が重要だよ。効果が出ないのは量が足りないから
だからね。
音楽や体操の練習と同じことだ。ある程度の量を練習しないと効果が実感できない。
毎日10ページづつ3か月続けたら、見違えるほど変わる。
誉めることよりも力を出して汗をかくことの方が簡単に自信がつく。血流が良くなって
元気になるからね。毎朝ジョギングをする方が手っ取り早く自信につながる。体を
動かすということは、妄想とか、考えとか、こじつけとか、理想とか、そういう口先
や小細工とは違って確実に上気するし体が変わっていくし汗が出るし食欲がでる。
血流が良くなって頭の回転が良くなって実際に確実に変わる。
2,3行誉め言葉を書いてそれが魔法の言葉になると思うのは安直すぎるね。変わるために
は変わるだけのことをすればいいだけだよ。魔法なんか待つ必要はない。 アドラー心理学を学習したいのなら、アドラーのいいとこだけパクって自分の
心理学を打ちたてるのがいい勉強になる。ヘーゲルをパクったり貶したりして
書き上げたのが資本論で、今度はそいつを貶したりパクったりして書いたのが
なんだったけ? そういうように人類の歴史はパクリと共にある。最も高貴な
部分ですら本質はパクリで成り立っている。聖書なんて丸ごとパクリだろ。
パクリのパクリのパクリが積み重なって聖書になる。
嘘をつくには頭がいる。記憶力が良くないと嘘をついたのがバレるし時には
反論が必要になる。聖書なんてボロが出まくりだからこじつけにこじつけて
その過程で議論が得意になった。それが産業革命をもたらしたのだ。 >>513
同じところを褒めても違うところを褒めてもいいんだよ
例えば毎日食事したら食器洗いするよね? これをほめるとなると……
・毎日自分が食事した分の食器洗いをしている。自分の面倒が見れて偉いね
こうなるよね。それで、こういうのって毎日やってるからこそ尚更に偉いだろう?(もちろん今まで食器洗いを他人任せにしてきた人が自分で食器洗いを始めたというのも充分偉い) だから毎日褒めて良いわけだよ 自己肯定感が高いと自分で自分の価値を認められるようになるから精神的にラクになるんだよ
逆に自己肯定感が低いと周りの評価=自分の価値みたいになるから常に他人の評価に怯えて生きづらくなる
例えば海外の反応系のサイトを閲覧して日本人としての自尊心を満たそうとする人がいるんだが、その時点でおかしいと思わないか? 尊厳って他者から(それも他国の人々)から与えられるもんなの? そうじゃないだろと
ほめ日記を本格的に始めたいって人は手塚千砂子のほめ日記の本を読むことを勧めるよ
ほめ日記には、ほめ日記の効果をより一層出していくため(またはほめ日記の効果が薄くならないようにするため)の約束事があるからね
例えば犯罪的なことは褒めない、他者と比較しない、自分を否定する言葉を使わない、なるべく沢山のほめ言葉を使ってほめ日記を書く、など色々ある
というか久しぶりにアマゾンで検索かけたらほめ手帳なるものまであったよ。そんなものまであったのか >>514,517
かぶっても問題ないんだ
「毎日できている」ってところをほめるのもいいね
今のところ寝起きにスマホ入力で昨日の自分をほめているんだけど、
一日の始めにやると、書いてるときだけじゃなくその日はずっと自分の良いところを見つけるモードに入る気がする
これはモーニングページのやり方を参考にした
ほめ日記の本は未読なので読んどく >518
別に否定はしないが、幻想だけの自己肯定感覚では脆いよ。
隣でドンとやられるとグラっとくる。
問題を誤魔化していると自分の欠点が見えなくなるから、改善されない。
それよりも、自分の弱さをしっかりと認識して、それを改善する戦略を練った
ほうがいい。
自己肯定というのは、根拠もなしに褒めるようなことではなくて自分の弱さや
駄目な部分をもハッキリと認めたうえで、それを受け入れるというように
自己認識をしっかりと持つということの方が重要だ。 >>519
いいね! グッジョブ!
ほめ日記の本を読んでおくと色々な勘違いが解けるから読んでおくといい
>>520
誤解がいくつかあるよー。ほめ日記の本を読んでね https://goo.gl/cjho2T
これは知らなかったよ。。
本当ショックだな。 >>524
タヒね!
お前には何一つほめるところがない https://goo.gl/tMU1RU
これはショック。。
本当だったらイヤだな。。 >>526
タヒね!
お前には何一つほめるところがない 今日もちゃんと起きた。息してる。心臓も動いてる。右足から地面に着地した。わたし偉い! ほめ日記再開3日目
「ほめ日記に書くためのネタを作ろう」現象発生
現実(リアル)と日記(書いたモノ)が入れ替わるこの感覚
ブログのために食べ歩きするような目的と手段の入れ替わり
前回は何で続かなかったんだろう? ほめ日記を翌日の朝に書く
10個誉めるどころか
昨日何をしてたか10個思い出すのも
むずいな ほめ日記を翌日の朝に書く
朝どころか一日中
昨日のことを考えるようになった
昨日は何をしたか
誉められる瞬間はあったのか
「昨日はずっと一昨日の事を思い出そうとしてましたマル」
しか日記に書けなくなりそうだ >>541
俺は今日、無理に自分を褒めようとすることが減ったことを褒めたよ
毎晩寝る前に書いてる。別に朝縛りにする必要はないよ http://homediary.net/#09
ここでDLできるほめ日記ノート(PDF)にコツが書いてあるよ >>544
ほめ日記の本を読まなくてもいいかというくらいに要点が詰め込まれてるな。教えてくれてありがとうな 『ほめ日記って何?』という本は読んだけど、同じ内容の繰り返しが多くて正直微妙だった
小冊子くらいの薄さで書けることを無理して広げた感じ でもやってみると難しい
「今日も仕事に行けたなんて偉い俺!」
って感じでどうでもいい事を誉めると自尊心が高まるってのが理屈だが
「誰でも仕事してるわ!馬鹿にするな!」って気持ちが消せない
「馬鹿にされ日記」になってしまう
で無理をする事になる
日記に書いて誉めるために
自分が納得できる賞賛に値する行為をするようになる
しかし無理は続かない
俺は今2回目挑戦中なんだが1回目に挫折した理由が解った
さすがだ俺様 できたことばかり褒めていると日記が行きづまりやすいと本に書いてあったな
だからこそ、いろいろな角度から自分を褒められるようにしようと
「Doの自信」じゃなく「Beの自信」を持とうってことだろうね 卑屈さが軽減できた
他者を妬んだり僻んだりケチをつけたりせず、ほめられるようになった
それだけでも人間として大きな成長だよ 俺は嫉妬して卑屈になっている自分を受け入れられるようになった。 最近ほめ日記をやめて、ホモ日記をつけるようになった
みんなにも勧めたい 自分を許せるようになってきたぞ。そしたら他者にも昔と比べて寛容になったと思う。俺もそうだから責めらんねえなって
あとほめ日記やってて思ったのは「ほめる言い方をする」って大事だなと
ほめる内容+ほめ言葉(→今日は部屋の掃除をした。えらい!)よりも、ほめる内容+ほめる言い方+ほめ言葉(→今日は部屋の掃除をした。自分で部屋の掃除をするなんて綺麗好きでステキだね)という方が温かい感じがするっていうか
どうしてそれをほめるのか、どんな良い点があってほめているのかというところを考えて書く必要も出てくるから頭は使うけど何よりも書いた自分が受け入れやすい だから難しいんだよ
「二足歩行して偉いね!」とか他人に言ったら殴り合いになるだろ
他人はもちろん自分に対しても「誉め」を受け容れさせるのが難しい
お世辞やオベッカと真の賞賛の違い
それを意識せねばならない >あとほめ日記やってて思ったのは「ほめる言い方をする」って大事だなと
おおっ、いい気付きだな。
それにも増して、「褒める内容+誉める言い方+誉め言葉」という構造を発見して
分析を加えているところに独創性の芽生えのようなものを感じる。これがいいな。
ただもう少し表現方法を洗練させることができそうだ。例があるのでわかるけれども
この言葉をパッと見ただけでは気付きの本質的な部分が解らない。
>卑屈さが軽減できた
>他者を妬んだり僻んだりケチをつけたりせず、ほめられるようになった
>それだけでも人間として大きな成長だよ
例えばこういう気付きももう少し分析を入れると伝わりやすい。どういう機序で
「卑屈さが軽減できた」というような心理的な変化が起こったのか?
そこのところの本当に聴きたい体験の中心部分が抜け落ちているのが分かりにくい。 >>555
それめっちゃわかる
というより、最近になってようやく腹に落ちた
自分をゆるす=他人をゆるす、なんだよな
前は自分の小さな失敗でも許せなかったり、
過去の恥ずかしい記憶を突然思い出してうわー!ってなったりしてたけど、
「そういうこともあるよな」ってスルーできるようになった
これは他人に対しても同じ
口に出さないまでも「こいつゆるせねー」って思ったらずっと嫌いだったのが、
「そうしたくなるときもあるよな」とか、「おたがい価値観がちがうからしょうがない」って思えるようになった なるほどなるほど、自分を誉めることを探す練習をしているうちに
他人の長所を発見する力もついて来たってことだな。 例えばの話ですよ
二足歩行できる事をほめる例を使うと
二足歩行できたえらい!←認識を改める練習に入る
そんなのできて当たり前だ、ほめるのバカじゃね?←卑屈
転んでる奴は当たり前ができないバカだと感じる←他者を責める
ある日自分が二足歩行中に転んだ←当たり前ができない自分が許せない
この辺りが改善されてゆくんじゃなかろうか
他者が転んだ←二足歩行できるのは当たり前じゃない、ならばできない時もある、許すかなどと発想できるようになる
他者を責めないと自分も許し易い
それから、他人の粗を否定するのは簡単だが、粗以外に感謝するのを忘れないように
それだけで世界観は変わっていくよ そこまで分かってるんなら、別に誉める練習なんて卒業して世界観を変えたら
いいだけだろ。違う? >>561
自分のことが嫌いな人は自分の粗を探す名人でもあるんだよね
で、その粗探しテクニックは家族や他人にも向けられる
だから自分の粗探しをしなくなると、他人の粗探しもしなくなる そうですね
一つのパターンとして、毒親に非難ばっかり叩きこまれた子は、親から離れても脳内の毒親が非難してくる
もう自分の悪いところを探すプロになっている
その間違った洗脳を打ち消す訓練になりますね
結局は自分が幸せに生きられるようにするトレーニングなんだと思います
やりたくなければやらずとも良い、個人の自由
やらない人がやっている人にそれは無駄だから云々とごねるのもおかしな話 ホモ日記、ワイ女ですけどどのように書けばいいですか >>561
俺も似たような発想で
「二足歩行を誉める」という課題をクリアした
ただし「昨日の自分を今日誉める」という基本通りの前提が必要
「二足歩行が出来るお前はなんて素晴らしい」
「何故今朝二足歩行が出来るのか?」
「その理由は『昨日の自分』が全力で注意深く2本の足を守ってくれたからだ!」
「そんなにも守られ愛された今日の自分には価値がある!」
こんな感じ ほめる言い方するように気をつけてから随分とほめ日記がやりやすくなってきている気がする
自己肯定感が低かったりして自分で自分を褒められないうちは機械的に形式的な書き方しかやらなかったものの、自己肯定感が上がってくることで自分らしく褒められるようになったと思う。書いていて気分が良くなってくる >>578>>579
自分の書いているほめ日記の一部を書き込みます
××××のところには自分の名前が入っています。山田太郎ならタロウって書いている感じ
・トイレをキレイに使うことができている(便器にウ○コついてたらトイレットペーパーで拭き取ったり)のだから××××はえらいね。キレイ好き。
・いずれ庭の草刈りをやろうと思うのは良い心がけだ。立派だ。
・暗い顔しようとしないよね。それって輝いてるよ! ナイス! 人間的に強い!
・ゲームを長時間やりすぎないようにしたのは素晴らしい判断だった。スバラシイ!!
Evaluation: Good! さぁ、今から3月27日(月)から3月31日(金)までのほめ日記書こう。
きちんと書く私って、几帳面で素晴らしいね >>580d
シンプルで実にわかりやすい!
押し付けがましくなく淡々としてるのが良いね
特にEvaluation欄は感心した( `・ω・) さて、自分も真似しようと思ったときに抵抗が発生した
「そんな事してる場合じゃない(当面の問題を解決しなくては)」ってやつ…
そんな小さなとこでまったりやっててはこの緊急事態に追いつかない、という思考。
関係ないスポーツの練習は小さな積み重ねを抵抗なくできるのだが、なぜこっちはブレーキがかかるのか…
望む現実を引き寄せるためのツールとしてほめ日記(自己肯定感を養う)を捉えているので、その下心ががエゴにバレてるんじゃないかと自己分析した( `・ω・)
イメージとしては押し寄せる津波を背中で食い止めながらノートに向かってる感じ
一方、スポーツの練習は全然関係ないし直ぐに手応えあるからからむしろ開放感一杯でコツコツできる
これ単純に発想の転換かな?
それともサバイバルに精一杯だから自己実現に精出す状況じゃないのかな? Evaluation:Good!って2chの仕様なんだなw