>>336
うろ覚えだったので分かりやすくありがとう!思い出しましたw
あーそうか、納得
自分は禅タイプだからやりながら考え過ぎてしまうんだな…

>>332
>僕は本気で心が生きやすくなりたくて、そのために続けているほめ日記を当初は修練のようなものとして勝手に捉えていました

>流れ作業的にほめ日記やっていたのが、もっと自分をほめることを意識してやってみようという意思を持ち始めた(自分の良いところを積極的に見つけようとし始めた)のですから、おかげで前と比べて心は辛くありません

修練という言葉と積極的に意識してという箇所に惹かれました
確かに、自分を誉める声はとても小さくて、逆に責める声は大きい(自分の場合ですが)
今日は関係ない人から独善的とも言える干渉を受けて、自己肯定感は大事と思いました
正当化するのとは違って、人の弱みを責めてコントロールしようとしてくる相手に対して毅然とした心の態度を保てること
以前なら不安に負けて相手に言われた言葉で自分を責めてしまったかもしれないけど、「フェアじゃないから受けとりません」と相手に直接伝えられて、
「自分達はお互いを責めることや不孝な物語を語ることはやめたんです。」と←こっちは頭の中でw静かに答えることができたのも、密かにほめ日記のおかげかもしれない…
正しい声はいつも小さくて、その声を積極的に見つけて心を静かに保つ修練として、ほめ日記は地道だけど良い方法かもしれない

ちなみにほめ日記の禅バージョンって言うと何になるんでしょうね?