【ほめ回路】ほめ日記を書いて生きやすくなろう【手塚千砂子】 [無断転載禁止]©2ch.net
一日10個、自分をほめよう
ほめたことをノートに手書きしよう
ノートに書いたら声に出して読み上げよう
たったこれだけ。これが「ほめ日記」です
毎日やれば自己肯定感が養われて自己否定感の生きづらさが解消されて生きやすくなります
初めは2、3個ほめるだけでもいい
やりたい人はまず三日続けてみよう
できたら次に二週間続けてみよう
必ずほめ言葉を用いてほめよう
効果が実感できるはず
詳しくはこちらをお読みください
ほめ日記プロジェクト
http://homediary.net/ >>298
横から失礼します。
動画がすごくわかりやすかった!
紹介してくれてありがとうございます! >>301
どういたしましてです
見てるだけでも元気が出ますよね! 時間の使い方が下手。だから何時も後悔する。気ままにやってしまう。
まあいいかと思って無駄に時間を過ごしてしまう。でもやってることと
いえば難解な本を読んだり、英語を読んだりしているから、一見充実している
感じだけはある。
しかしほんとうはもっとやらなければならないことがあるのに逃げている。
一日を振り返ると後悔の連続だ。
もう15分もこんなくだらないことを書いて時間をつぶしてしまった。
一体どうしたらいいのだろうか? 褒めてやれば改善するんだろうか?
俺って自分で自分を甘やかすのって得意だから、朝になって何も進んでいない
自分に一瞬恐怖を感じるけれども直ぐに気を取り直して元気になって
「まあいいか」って思ってしまう。3時くらいまではいつも気分がいい。
でもそれから焦りだして、焦りだけで前に進んでない。俺にはわかってるんだ。
こんなことをしていたらダメだって。ちゃんとやればできるんだという自信が
あって邪魔してる。俺には自信がある。絶対的な自信がある。それが仇になってる。
どうせ直ぐに追いつけるさ。そう思ってドンドン遅れている。
くっそー、いったいどうすればいいんだ。チャレンジ精神はある。マラソンにも
チャレンジしてやり遂げた。ものすごくいい勉強になった。でもそれじゃないんだよ。
逃げてるだけなんだ。英語もマスターしようと100冊を目標にしている。
まだ4冊しか読んでないが絶対に100冊読む。これって何年かかるかわからんが
成功するよ。それはわかるんだ。単に逃げてるだけだからね。逃げるのは得意
なんだ。でもやるべきことはそれじゃない。なんで逃げるんだよ。
でもとりあえず褒めておこう。 ああ苦しい。なにか解決方法を探さなくては。バシャールってなになんだ?
反論できない正さがあるんだよな。99%正しいんだよな。でも
直感的に違和感があるんだよな。いや直観じゃないかもしれないが、、、
外見的には俺は正しいんだよな。真面目に仕事をしている。まじめに勉強を
している。でも違う。何か矛盾を抱えている。ばしゃーるも同じだな。俺が
かかえている1%の矛盾は99%を無価値にする。それと同じだな。
俺の思考を投影しているのだろうか?ばしゃーるってつまりは俺のことか?
くっそーこの矛盾を脱出したいな。
とりあえず寝よう。After all, tomorrow is another day.
よくやった。 本来の自分とズレてるから何やっても空回りするし読んでてもすげー疲れる
力抜くのが最短距離 すごいね
4冊って期間はどれくらいですか?
私はまだ5か月半…もう5か月半なのか
毒親に物心つく前から現在までずっとサンドバッグにされて叩き込まれた呪いの蔑みの存在に気がついたよ
それと本当の自分は全く別物なんだと理解し始めてきたと思う ありがとうございます
期間は1年1ヶ月程です
私もかなり毒親にやられていたのですが
現在かなり落ち着いて、親子であっても
合わない人はいると理解し、自分を責める
事をやめました
まだまだ過去を、思い出しイライラしてしまう
事もありますが、そんな時は大丈夫大丈夫、良く
あの状況で生きてこれたね、頑張ったと自分を励まし、それ以外の事を沢山褒めてあげる事にしています
書けない日もあったけど、続けて行けば行くほど、
少しづつですが確実に、何か変わっていきますね
お互い無理せず頑張りましょう(^^) 発見:花山流を発見した。前後左右をきちっとする。気持ちいい。
発見おめでとう。 >>311
直観力あるねー。そうだよ。
花山流を試しにゲーム感覚でやってみると、凄く気持ちいいよ。特に机の上を綺麗に
整えると勉強がはかどる。
花山流は俺が名づけたんだけどね。
行き詰ったときとか悩んだときとか、ちょっと空気を換えたい時に花山流を使って
気分を変える。やりすぎは禁物。
今日はね、また新しい発見があった。発見おめでとう。
イチゴ走 1分走って5分休憩する。
1分走った感じだが実際には5分は経過している。こういう走りを1日に2,3回
入れることでかなり変わってくると思う。行きはゆっくり走って帰りはダッシュする。
走って帰って呼吸を整えながら、考えを整理するのが5分、計10分くらいの運動だ。 ほめるとこ思い浮かばない時は自分がこうしたいと思っていることをほめるようにしてます。「もっと強くなりたい。えらい!」みたいな >>314
その場合自分は、どんどん強くなってきている!えらい!にしてますよ
これなら現時点でできている範囲を誉められるから良いかなと思って
脳的にも「あれ、そうなんだ、強くなってきてるんだ、よーし強いぞーっ」って洗脳に役立つんだって
お試しくだされ
あなたに幸せがいっぱい起きますように! >>315
いいアイデアですね。参考にさせていただきます! >花山流kwsk
kwskって意味わからんかった。詳しく!!ってことか?
花山流を一言でいうと、「潔癖症を演じてみる」こと
連ドラの「トト姉ちゃん」にでてくる花山さんの配置へのこだわり方が異常で
おもしろい。テーブルでも、張り紙でもすこしでも曲がっているとまっすぐにする。
最初はそれを真に受けて、「こんな人といると息が詰まりそう」と思ったんだけれ
ども、実は花山はそれを演技しているんだね。ちょっとわかりにくいけれども
ドラマの中のさらに「過剰な演技」という2重構造になっている。想像力を発揮する
ために彼が編み出した一つの方法なのだと思う。
ゲーム感覚というかお芝居と同じように自分でもリアルな生活の中で過剰な潔癖症
を演じてみると意外に実用的なので面白い。
実用的というのは、実際に雑然としていたものが整理されるということと同時に
演技する快感があるということ。 そういえば二年前くらいに行った場所、あの時は妙にびびっていたけど、最近改めて訪れたらわりと落ち着いていられた
意外と自分という存在そのものへの信頼感が養われている? 知らん間にレベルアップしている? 他人のおかげもあるだろうけども >>317
亀だがありがとう。
海外ドラマの名探偵モンクみたいだねw>潔癖症
演技するの面白い。
何にも動じない猫を演じてみようかな。 今日は小説を暗唱するために何度も書き写しているうちに最初はめんどくさかった
のにだんだん気分が落ち着いて楽しくなるという心の変化があった。これを一言で
いうなら写経心境だ。
これは素晴らしい発見なので褒めておこう。
写経心境
写経をするようなこと、あるいはただ単に写し取るようなこと、ただ記憶する
ようなことを苦手とする人は多い。しかしこういうことにも喜びを感じる人はいる。
写経を毎日やっていると、それが習慣になり、やらないと気持ちが落ち着かない
ようになることすらありうる。
このような心境を掴むと語学習得や暗唱などいろいろなことをマスターする上で
非常に役に立つ。
つまり退屈に見える単純作業も心境を整えることで楽しい作業に変わるからだ。
写経や繰り返し練習という単純作業は嫌でも「字がうまくなろう」とか「なにか
になろう」と努力して続ける人もいる。それを称賛する傾向もある。
しかしそういう辛い努力を続けるよりは楽しくできる心境をつかむことのほうが
大事だと思う。 >>320
すごくわかる
いまめちゃめちゃ辛いんだが、少しでも楽しめることをするのもありかね?
こんな時に楽しんでいいのかっていう罪悪感や現象としての他人の批判に苛まれてるけど、、結局それを囁き続けてるのは自分だったということに昨日気づいた。
自分を責めても負のループだから意識を切り離したいんだ。 >いまめちゃめちゃ辛いんだが、少しでも楽しめることをするのもありかね?
有りです。しかし、追われている状態から追いかける状態に意識を変えるとさらに
効果的です。
最も過酷な例ではアウシュビッツを生き延びたビクトール・フランクルが
「夜と霧」に書かいている以下のような態度ではないだろうか
「......おそらく、人間の魂への関心を決して絶やさなかったことや、
単に生きのびるだけでなく(大多数はこうした考えだった)、体験し、耐え忍んだこと
を語るために生きのびるのだ、というはっきりした意思を持っていたことが、私を助け
てくれたのだろう。」
つまり「語る」という意識を持つことで現在の体験が耐え忍ぶ苦痛から、語るべき貴重な
体験へと変わるのです。
この意識を持つときには、あなたの苦しみが過酷であればあるほどより一層貴重なもの
に変わるのです。 >>322
覚えておく。
語る、というのは使命から?それともぶれない主体性を持つことだろうか…。 みんなすげえな
俺なんて教科書通りだぞ。自己流でほめ日記やると効果あるか微妙っていうから、本の通りにやっている >俺なんて教科書通りだぞ。自己流でほめ日記やると効果あるか微妙っていうから、本の通りにやっている
自分の気持ちを素直にだせるのは素晴らしいと思う。
本当のことを言うと自分は超自信過剰なので自分を褒めたりはできない。そういうのは
一番苦手だ。なぜかって? それを説明するのは難しい。でも、
今気が付いたんだが、普通に悩んだり苦しんだりしているけど、根本的に
「自分はこれで完璧だ」という気持ちが根底にあるからだと思う。
だから自分を褒めたりしない。必要もない。
俺の場合は「他人を褒めるようにしよう。」いまふとそう思った。
まずはそこからだ。 >>325
特に自己否定感に困っていないならそれでも構わないと思う
ほめ日記は自己否定感を脱したい人間が自己尊重感を養うことでそれを遂げようとするものだ。だから、自己否定感に苛まれていないなら問題ないんだよ 常に自分を責める声や、不安を掻き立てて怖がらせる声や、落ち込ませる声に苛まれてる
声に気づいただけ進歩なのかも知れないけど…
自己啓発には一人さんみたいにただ言葉を唱える念仏型と理解型があるんだって
素直な人には念仏型に近いほめ日記は向いてるかも知れないけど、ストレスいっぱいの思考習慣が根付いてしまってる場合でも効果あるかな…? >>327
念仏型は具体的にはアファーメーションや言霊の力という解釈でいいのですよね。理解型というのはどういったものでしょうか >>327
むしろそういう方のためにあるほめ日記なのですよ
自分を苛む否定的思考習慣を改善するための方法のひとつがほめ日記ですぞ!
二週間ほどほめ日記の本に書いてある通りにやってみたらだいたい効き目がわかります
人によっては短くて三日で効果が出てきます
ただ一ヶ月やってようやく効果を実感できた人もいるようです
一応は二週間で効果が現れて、継続するほどにさらなる効果が見込めるという謳い文句ですので、まずはやってみて向き不向きを判断してみてはどうでしょう >>327
そんな時こそほめる
するとほめる事を探してフォーカスする
それを書く
書いた文字を目が読む
声に出してほめる
その声を一番近くで自分の耳が聞く
一つで5回誉める事になるから試しにやってみて
自分を責めたり落ち込んでるって気付いたら、大丈夫!すてき!幸せ!ありがとう!やったね!元気!など自分が好きな言葉を何度も何度も腹から声を出してみる
なんかすっきりして気合いも入るよ
車とか窓を閉めきると防音なので、人の居ないところに停車して思い切りやるのがおすすめ
昨日やったw >>328
亀スマソ
理解型は自分が勝手に省略して書いただけなんだけど、
ありがとうありがとうと唱えるだけの念仏型じゃしっくり来ない人、理解しないとピンと来ない人はアクションを通じて自己改革してく方法のが合ってる場合もあるんだって。 >>329-330
ありがとうです。
割と長くやってるんだけど、誉め言葉を書くのが辛くて全部GJ!になってしまい、それもテンション低くて、GJ↓凄い!↓みたいな…。
友達のお母さんで「凄いじゃないの!」とか誉めるの上手い人がいて、いつも娘の自慢してるんだけど、そうやって誉められて育った人は割りとすんなり入ってくるのかなと…
できたことを注意深く記録していく意味ではその5回ってやつは斬新で良い考えと思うんだけど、そんな風にテンション上がらんのですよー
根本的なモチベーションはどっからくるのかなあ >>331
わかりました。やってみて理解して自分が変わっていくのが理解型という解釈でいいのでしょうか? 僕もどちらかといえばやらなきゃわからないタイプです
>>332
僕は本気で心が生きやすくなりたくて、そのために続けているほめ日記を当初は修練のようなものとして勝手に捉えていました。あくまで僕の場合はです
僕も自分で自分をほめるなんて行為は違和感ありまくりでした。キツくもありました
形だけほめる真似をしているような感じで、ほめ日記の本(僕の場合は『ほめ日記をつけると幸せになる!』『ほめ日記 自分新発見』です。最近はもっと新しいのが出てるようです)を読み返してはああした方がよかったのかと己のほめ日記に修正を加えていました
そんななかで続いたのは自分を肯定して生きやすくなりたいという気持ちが強かったからなんです
あとはほめ日記を始めてから数日で効果が出たのが大きかったです。やれば効果が出ると実感しましたのでこの経験が継続に役立っています
正直、今も昔に比べて改善されてはいますが、完璧に自己肯定感を養えたかといえばこの時点では違いますよ
流れ作業的にほめ日記やっていたのが、もっと自分をほめることを意識してやってみようという意思を持ち始めた(自分の良いところを積極的に見つけようとし始めた)のですから、おかげで前と比べて心は辛くありません
テンション低くていいんですよ。完璧にほめようなんて考えなくていいんです。ひとまず形だけ整っていれば完璧です。慣れてないうちからほめる気持ちでほめようとしても疲れるだけなのです >>333追記
結局、僕は完璧主義による自己批判精神の苦しみを味わっていたことがモチベーションに繋がっています
二度とあんな生き方はごめんだ! 俺はもっと心の居心地よく過ごしていきたいんだ! と
無理に自分をほめようとしなくていいのですよ!
ほめ日記の本にも書いてあることですが、なにもできたことばかりほめなきゃいけないわけじゃありません!
性格、思い、行動、感覚、感性、発想、考え方、容姿、身体機能、結果はともかくとして努力したこと、過去に頑張ったこと、悪いことをやらなかった、プラスの変化、自己発見……ほめるネタは色々あるんです! >>333
ありがとうです
石井裕之が言ってたんだ。僕らみたいに理解しないと納得しないタイプは…って。つべのまとめ動画にありますよ。
324さんの文章読みやすい!どうしてそんなにすらすら書けるんです?
よく読んでまたレスします >>335
わかりやすく他者に説明しようと工夫しているうちにいつのまにか、です
石井裕之のつべ動画見ました
自己啓発には禅タイプ(理解型)と南無阿弥陀仏タイプ(念仏型)があり、自分に向いている方をやるのがいいと解説されてましたね
禅タイプのやり方は公式に正解が出されていても自分でしっかり考えないと効果が出ず、南無阿弥陀仏タイプのやり方は意味を考えずにどんな嫌なことがあろうとも問答無用でひたすら辛抱強く実践を続けないと効果が出ない、と
面白い! 禅タイプの自己啓発を南無阿弥陀仏タイプのやり方でやれば逆効果で、南無阿弥陀仏タイプの自己啓発を禅タイプのやり方でやれば逆効果……あり得ます
手塚千砂子のほめ日記は……どちらかと言えば南無阿弥陀仏タイプです
例えばほめ日記の本にはほめ日記を実践することでどういうメカニズムで効果が出るのかも書かれていますが、それは問答無用で実践した結果としてわかってきたことであります
ほめ日記を禅タイプのやり方でやればかえって逆効果の可能性があることも頷けます。ほめ日記は自己流を控えて教科書通りにやらないとちゃんと効果が出るかわからないものですので…… >>336
うろ覚えだったので分かりやすくありがとう!思い出しましたw
あーそうか、納得
自分は禅タイプだからやりながら考え過ぎてしまうんだな…
>>332
>僕は本気で心が生きやすくなりたくて、そのために続けているほめ日記を当初は修練のようなものとして勝手に捉えていました
>流れ作業的にほめ日記やっていたのが、もっと自分をほめることを意識してやってみようという意思を持ち始めた(自分の良いところを積極的に見つけようとし始めた)のですから、おかげで前と比べて心は辛くありません
修練という言葉と積極的に意識してという箇所に惹かれました
確かに、自分を誉める声はとても小さくて、逆に責める声は大きい(自分の場合ですが)
今日は関係ない人から独善的とも言える干渉を受けて、自己肯定感は大事と思いました
正当化するのとは違って、人の弱みを責めてコントロールしようとしてくる相手に対して毅然とした心の態度を保てること
以前なら不安に負けて相手に言われた言葉で自分を責めてしまったかもしれないけど、「フェアじゃないから受けとりません」と相手に直接伝えられて、
「自分達はお互いを責めることや不孝な物語を語ることはやめたんです。」と←こっちは頭の中でw静かに答えることができたのも、密かにほめ日記のおかげかもしれない…
正しい声はいつも小さくて、その声を積極的に見つけて心を静かに保つ修練として、ほめ日記は地道だけど良い方法かもしれない
ちなみにほめ日記の禅バージョンって言うと何になるんでしょうね? >ちなみにほめ日記の禅バージョンって言うと何になるんでしょうね?
禅タイプと南無阿弥陀仏タイプって分け方は面白いね。
「ほめ日記の禅バージョンはなんだろう?」とそこで徹底的に考えることでは
ないだろうか?
でも考えろと言ってもどこから手を付けていいかわからないよね。
でもとにかく5分間だけはそのことについて考えてみよう。無理だとか思わないでね。
何か答えを導きだす方法はあるはずだ。ほめ日記というからには
毎日必ず書く
誉める
それに
徹底的に考える
が加わる。
ただ考えるのではなくて徹底的にというところが特徴だね。だから例えば
毎日寝る前に10分間、テーマを決めて徹底的に考える、それをやったら得られた
結果がなんであれ素直に褒める。
こんな感じでもいいのではないかな。これは自分が10分間考えた結果だよ。
よくできたほめておこう。 >>337
ほめ日記の効能なのかはわからないけどほめ日記を始めてから改善されてきているものがあるという感覚は僕にもわかります
ほめ日記は南無阿弥陀仏タイプの人が生み出したものです
「バカになったつもりでひとまずやってみて!」の南無阿弥陀仏タイプです
なのでそれとは対照の禅タイプの人が仮にほめ日記みたいなものを開発しようとすれば「そもそも人はどうして何かをほめる必要があるのか?」というところから始まると勝手に思います
それで最終的にほめることの意味を見出だして納得して、広める際にはその結論を解説するような形になるのだろうと勝手に思うのですが、
その際にも「自分できちんと考えて、間違いだと思ったら僕の話は信じないでね」という、相手に考えさせて答えを探らせる姿勢に徹するのだと僕は勝手に思います どうしても効率を考えてしまって、こんなことしてるよりさっさと行動で変革起こさなきゃいけないんじゃないかって思っちゃうんだよね
でも単純な繰り返しはすごく大事で、力強くじゃなくても在り方が変わればすんなり変化は起きてくることを考えると、自己啓発というより魔法の呪文を唱えるような感覚でやってみるのはありかと思った 別に行動起こしながら片手間程度にほめ日記やったっていいのよ?
魔法の呪文のようにって素敵な表現だね
そうしたアプローチでやるのもありだと思うよ!
難しく考えずとも要は自分を肯定、尊重、受容する方向に脳ミソ使えばいいってことだしな。そのために具体的に必要な方法がほめ日記です、とね
ほめようとしたら良い所を見つけなきゃいけないわけだし。その時点で脳が良い所を肯定しようって方向に働いている 例えば俳句を作って、「これはいいのができたな」とおもうのも自己肯定じゃ
ないだろうか?
工作をしていて「素晴らしいものができた」と納得するのも自己肯定になる
ように思う。
無理やり褒めることを探すよりも自分の納得いく仕事をするとか
納得する作品を作り上げることの方が、なにか自然のような気がする。
遊びでも同じだと思う。魚を狙って仕掛けを作って狙い通りに当たればこれも
自己行程になるように思う。つまり面白いこと楽しいことをやればいい。しかも
少し手の込んだ仕掛けを考えてやるのがいいように思う。人にプレゼントをして
喜ばせるのでも、一工夫してそれが当たると何倍も嬉しい。 >>342
無理することはないよ。しちゃいけないわけじゃないよ
・俳句を作ってみた。なかなかよくできた。イケてるね
・工作して納得のいくものができた。verygood!!
無理しなくても自然にできちゃうでしょ? 初。
月曜に旅行から戻ってきたが、飛行機内での臨機応変対応や判断、行動中の状況への即応は大いに評価したい。
旅先で人と会うときなど、かなり緊張してた自分がいるけど、それは過去のものになりつつあると実感。成長した。
この感じかな? ・頑張ったこととかできたことばかりがほめポイントではない
・小さな何気ないことをほめてもいい
・自分に馴染む言い回しでほめる
・自分が言われて嬉しいほめ言葉を使う
・自分にはほめるところがあるって前提でほめてみる
ほめ日記にやりづらさを感じる人はこのあたりに気をつけたらやりやすくなったりしない? 無理のある自分ほめしても苦しくて心が疲れちゃうよ 酔っ払ってるくらいのハイな感覚でいいんだよね
いやいや…とか、こんなことで…とか要らない
なんかわからんけど偉いし素敵だしハッピーやん♪
という感じで書いてるとだんだん楽しくなってくる
読み返すと我ながら健気で目頭熱くなるよw 今日は空がきれいだと思った
感性が豊かで素敵だ
こんな事も自分には大切なので書いてますよ ふと思った。自分にとってどう褒められたいのか、考えたけど浮かばない >>350
最初は、○○できたえらい、すごい、いいね、とかから始めたら良いんじゃないかな
自分は半年やってるけど未だにそればっかりだw
ほめる対象の事なら、思い付いた事を片っ端から書き出せば良いと思うよ
ご飯残さずきれいに食べた幸せだ、とかw >>350
褒めに限らず言われて嬉しい言葉
あるいは人を褒めたり賞賛する時に使う言葉は? >>349
いいね。そういうの凄く大事よ
>>350
例えば君が趣味でやってる何かをしていて、それを見ていた君好みの可愛い女の子が「すご〜い!」って言ってくれたら仮にお世辞だったとしても嬉しくならない? >>350
これは君がほめ日記に興味を持っていて実践してみたい気持ちがあることを前提にした話なのですが……
>>351も言っているんだけど、まずはほめる真似だけからでも始めたらいいよ
ほめ日記を始めた人はどうほめたいか、どうほめられたいか、そういったことをイメージできないところからたいていは出発してるから
自己肯定感が低ければ仕方ないことだから。これから改善することだからね
まずは1日五個くらいからノートに手書きしていくのもいいんじゃない?
以下に比較的やりやすいやり方を載せておきます。興味があればまずは三日続けてみて
・日常で普通にやってることを書いて、最後に「いいね。素敵だよ!」とつける
例)歯を磨いた。いいね。素敵だよ!
・日々の行動や仕事について書いて、最後に「よく頑張ったね。かっこいいぞ!」とつける
例)ゴミ拾いした(※またはゴミの回収をした)。よく頑張ったね。かっこいいぞ! あとほめ日記の本にも書いてあるんだけど、ほめ日記始める時は「こんな自分になりたい」っていうことをノートの始めに書いておくんだよ
自分はこうなりたいって目標を持ってほめ日記やると更に効果が上がるのだと >>350 は >>344
趣味はかなりあるけど話す女子がいない
誰かに褒められたのはめったになくて、何とも言えないのが現状
やってることとして、毎夜寝る前に良い一日だったと一言言って目を閉じることくらい 続)目標いくつもは見定めてるけど、それを褒める人がいないから自分に自分でちょっとした贅沢をするのが精一杯 >>356>>357
>350と>344は同一人物なのね。了解だ
可愛い女の子の話は例えです
ほめられて嬉しいシチュエーションをイメージしたらどうほめられたいのかもイメージしやすいんじゃないかなと思いました
とりあえず、その話からいくつかほめる箇所が見つけられます
・俺には趣味が沢山ある。いいね。素敵だよ!
・毎夜就寝前には良い1日だったと言うようにしている。いいね。素敵だよ!
・自分にちょっとした贅沢をさせてあげたよ。いいね。素敵だよ!
ひとまず1日五個ほめるノルマをこなすとして、テンプレとして使えるものがこの時点で三つも揃いましたよ! 同じことを毎日ほめてもいいのですからいけますよ! あとは、ちょっとした贅沢をするって点がバリエーションとして幅広くほめポイントとして使えるんじゃないかな
ほめ日記はその日あったいいことを交えて書いたりするのも良いので
「自分にちょっとした贅沢をさせた」っていうのは「その日あったいいこと」だよね?
例えばちょっとした贅沢で美味しいものを食べたとすると、
・今日は毎日生きてる自分へのご褒美に美味しいもの食べにいったよ! 自分を愛していてえらいよ!
みたいな自分ほめができる 前に誰かが書いていた、○○できた←ってほめ方がより良いみたいですよ
行ったより行けた、贅沢したより贅沢させてやれたなどかな まあ、自分の心が苦しくなるほめ方はしないほうがいいよ
自分の心が喜ぶほめ方をできればしてあげて
ほめ言葉って自分の心が喜ぶ言葉のことだから。心って表現が抽象的でピンとこないなら脳みそって言い換えてもいい >>361続き
っていうのはできたことや頑張ったことをほめるのはいいことなんだが、そればかりやっていくとネタ不足で行き詰まることができてくるっていうか……
○○できたって言い回しが個人的に合っているなら充分に良いほめ方なんだけど、「このほめ方が一番だ。だからこのほめ方とは別のほめ方のほうがやっててラクだけどやらないでおこう」って自分に合わないほめ方を重ねていって心労が溜まったら本末転倒でしょ? ほめ方がわからない、どこをどうほめたらいいのかわからない、というか自分にほめるところがないと感じる……そういう人はまずはテンプレ(ほめる真似)からやるといいって話であって
自分ほめが普通にできてきたらほめる真似は卒業していいわけで
ただ、ほめ日記でやっちゃいけないことがある(本に載っている)からそこは気をつけておこうねってことで >>364
すまん
俺自身が○○できたって言い方に徹したほめ方するとどうにも心苦しくてやりづらくて、本当にこれ効果が上がる書き方なの? って思いまして
でもそれをストレートに書くとキツイ言い方になっちゃいそうだと思って遠回りな書き込みをしちゃいました……○○できたってほめ方で実際に効果上がったよって人の書き込みだったらそういうケースもあるんだなで納得できますけど…… >>365
横だがヒントになるから別に良いと思う
それより質問があるんだが、、
どんなやり方をしても拭い去れない根本的な違和感がずっとあったんだが、やっとわかった
自分には自分に対する「愛」がないんだ
だから幾らほめても上っ面だけになるし、愛を妨げてる過去の思考習慣の方を何とかしなきゃって思いが強まるばかりだった
すんなり褒めれる人は育った環境や何かで自分や自分の行動に対する基本的な愛情があるんだと思う
だから本当に小手先のやり方じゃなくて心構えとしてどんな風なスタンスで褒めを捉えていったら良いと思いますか? まあええでねえか
千差万別、十人十色
人によって違うんだから、様々な意見があるのは当然だよ
あなたがダメでも他の人は良かったって経験談を書いているんだし
あなたが他人の成功談を否定する必要もないし、やってイマイチだったあなたの経験談も他の人の役に立つさ
どれが正解でそれ以外は不正解ってもんじゃないんだから、各々報告しあって自分に合うものを見付けられるようになれば良いと思うよ >>366
「自分ほめをどう捉えたら良いか?」という意味での相談なら「自己肯定脳を作るための手段としての自分ほめである」と自分は答えます
ほめる気持ちにならなくてもいいんです。心を込めなくていい
愛がないのに愛を込めようなんて無理なことしたら違和感増し増しで心労は強まるばかりなのです
自分を変えるための手段として淡々と自分をほめる文章を書いたらいいのです
自分をほめようと思ってのことではなく、あくまで自己肯定脳を作るためにほめる真似を実践しているだけというスタンスです
ただのトレーニングです。自分に愛情をそそぐためとか考えなくていいのです。自分の悪いところも含めて愛そうなんてことはまだ自分には早いと思うくらいでいいです
自己否定思考回路は無理に矯正しなくていいのです
自己否定の強い人がマイナス面を無理にプラスに変えようとするのは難しいです
なので、自己否定思考回路とは別に新しく自己肯定思考回路を作ればいいだけなのですよ
筋肉みたいに使う回路は鍛えられ、使わない回路は衰えます
自分をほめれば肯定回路が、自分を責めれば否定回路が鍛えられます
それと、あなたほめ日記の成果出ていますよ
自己否定感の強い人は自分を愛していなくてもそれが自然な状態だから愛していないことを気づかないんです
自己肯定感が養われていくと自分がどれだけ自分に否定的なのかに気づいていくんですよ
強い自己批判、やたら自分を責める、自分を愛そうとしない、こういうのは過去の自己否定思考の習慣が作り出したものです
この思考は変えなくていいです。ただ、使わないようにして(自分を責めないようにして)おけばいいんです
自己否定感が強い(自分に対して愛がない)うちは「形だけでも自分をほめる」ことをしていても違和感や抵抗感は感じられますが、それでも続けているだけ効果が上がっているんです
>>367
>各々報告しあって自分に合うものを見付けられるようになれば良いと思うよ
俺もそう思います >>368追伸
『ほめ日記 自分新発見』という本はあなたの悩みに対する良い返答になると勝手に思います
自己否定感の強い人達がほめ日記を通じて自分への愛を取り戻していき人間関係が改善されていくという体験談が何本かほめ日記の実例やアドバイス付きで載っています。読んでるとモチベーション上がります そもそもジャニー喜多川とセックスしないとジャニーズジュニアからデビューさせてもらえない制度とか
こんな人身売買みたいなことが平然とまかり通る芸能界はおかしい >だから本当に小手先のやり方じゃなくて心構えとしてどんな風な
>スタンスで褒めを捉えていったら良いと思いますか?
愛も自己否定も同じ種類の雑念だから、別に気にしなくていいと思うよ。
褒めるのも雑念をきれいな雑念で彩るようなものだな。
一番いいのは君のように、客観的に雑念を見ることができるようになるか
どうかだな。 そうすると雑念には左右されなくなる。
善も悪もちりばめて作品を作り上げる映画監督のような立ち位置に立てば
自己否定も楽しい作品の材料だよ。 >>368
「自分ほめにどういうスタンスで向き合ったら良いか?」という意味での相談だったのですが、
>あくまで自己肯定脳を作るためにほめる真似を実践しているだけというスタンスです
>ただのトレーニングです。
自己否定思考回路とは別に新しく自己肯定思考回路を作ればいいだけなのですよ
>筋肉みたいに使う回路は鍛えられ、使わない回路は衰えます
自分をほめれば肯定回路が、自分を責めれば否定回路が鍛えられます
↑ここで回答頂いてますw
すごく納得しましたw
愛については若干ニュアンスの訂正があって、愛してないから誉められないというより、ほめても「どうせ…」と瞬時に否定してしまって、肯定回路として蓄積されないのではないかという心配です。
よくある間違ったアファメーションみたいに…
それとやらなきゃいけないことやほめること自体に微塵でも義務感を察知してまうと冷めてしまう
肯定回路を作るためのコツや技術的な話なのかとも思いますが、そこに育った環境などから来る肯定脳の基盤が関わってくるのかなと思える訳です。
その基盤がない人はどうするかというのが課題です
ゴチャゴチャ言わずやれよwって感じもますけど >>369
ありがとうございます。読んでみますね。 IQテスト受けたら
「メンサも軽く超えるレベル!あなたの頭脳を適切に測るためには、より高い
レベルのテストが必要です。あなたの頭脳の限界はどこまでなのかぜひとも知
りたいですね!」
ってでた。ほんまかいな。W >>372>>373
仰る通り、自分をいくらほめようと同じくらい自分を否定するようなことを言えば自己肯定感復活の効果は薄れます。ほめ日記に自分を責めることを書いてはならない理由です
ほめ日記を書いて「どうせ俺なんか……」と自己否定的な思考が出てきてしまう時にはなおのこと前向きに捉え直してほめてしまうのが吉です
自分を否定したくなった時がまさにほめる時なのです
よくあるやり方が、結果を出せなかった時には努力した点をほめて次回こそはやれるぞと自分を励ますというやつです
仮に自分をほめようとしてもなかなかほめるべき点が出ない場合には自分にはほめるべき点がないという前提で自分を見るからそうなってしまうところがあります
自分にはほめるべき点が沢山あるという前提で自分を見てみたらほめるべき点は無理にひねり出さなくても出てきますよ >>378
ほめるところがないという前提でほめるところを探すと無理が出ます
自分にはほめるところがあるということにしてほめるところを探せば出やすい
どんな小さなことでもいいんです
日常生活で普通にやっている小さなこととかでもいいんです
例えば爪を切ったこと、風呂に入って身体を洗ったこと、しっかり食事をしていること、歯を磨いていること、お茶を淹れたこと、夏場なら水分補給を欠かしていないこと、運動がてら徒歩で目的地に向かうこと、電車やバスを使って素早く目的地に着けたこと
いきなり自分の素晴らしい点を見つけようとしても無理な時にはこうしたことをほめたらいいのですよ 1.英語の新しい暗証方法を発見した。
2.猫に仕事をさせる方法を発見した。
素晴らしい。 沈んでる時は敢えて「元気!」とかプラスな言葉を明るく発している
できるなら声を出しながら動くと更に良い
毎日やるとほめ日記と同じような効果があると思うよ
だるい、しんどい、もうだめだ、どうせ自分なんて…となりそうな時にやってみてください
よし!元気元気!やる気満々! 意識による肯定的思考だけでは、無意識の否定的感情に勝てない
無意識の身体の反応や潜在意識を、顕在意識はどうしたらコントロールできるだろうか >無意識の身体の反応や潜在意識を、顕在意識はどうしたらコントロールできるだろうか
無意識とは他人のようなもの、だから
やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、
ほめてやらねば、人は動かじ。 ありがとう教じゃないけど、色々感謝する事でも
スキンシップで増やせる幸せホルモンが出るとか何とか >>384
ほめ日記では「人は誰しも生まれたその時点においては潜在意識からして自己肯定できている」という基本スタンスがある
自己否定は辛い体験による後天的なものであり、仮に潜在意識が自己否定に染まっていようと芯の部分は自己肯定のままなのだと
潜在意識に染みついた自己否定という汚れをほめ日記で洗い落として本来の輝きを取り戻していきましょうねー、ということなのです
>>386
昔誰かがモーニングページってのをやってたぞ >ほめ日記以外にも何かないのかな
まずは「やって見せる」ということが大事だろうな。それが無いことには褒めようにも
ほめられんよな。
他人に対して「あいつは凄いな」とおもうだろ。そいつと同じ努力をしてみて
「俺にもできた。凄いな。」と思える。これは本物だな。
でも重箱の隅をつつくようにして無理やり「俺は凄い。俺は凄い」と言ってみたところで
嘘だよな。嘘はだめだわ。そんな嘘をつくと余計に心の状態は悪くなる。そんなことを
するよりは「俺はこういうところはダメな奴だ。」と正確にシッカリと認識することの
方が大切だろうな。 何となく言いたいことわかる
我ながらGJと思うことが幾つかあって、それらが積み重なってゆくことに静かな満足感を覚えてるんだが、
不思議なことに「〜をやった。よくやった!GJ!」とか書くと膨らんでた風船が萎んでしまうんだ
自分はコツコツ記録をつけてく方があってるんじゃないかと思った
ほめ日記は万人向けなのかな?
それと、肯定的思考だけで無意識をコントロールできないように、ほめ言葉で自己否定を洗い流せるとは思えないんだが…
ほめるというのはほめ言葉を無理やりひねりだすだけじゃないんじゃないの?
本のままにやるのは自分は合ってないように思う >>386
「お姫様ごっこ」とか「モーニングページ」とか。詳しくはググってね ここのところ「ほめ日記実践ガイド」ってやつが気になってる。ほめ日記のノウハウが短くまとめられた本みたいなんだけど、読んだ人いたら感想教えてほしいです
>>390
>388だけど、型にがんじがらめになることが必ずしも良いこととは限らないのは確かだよね
だから自分に合うと思うやり方を実践してみて、その効果をここで報告してくれればこちらも参考になる
本の通りのやり方に納得いかなかったら試しにやりたいようにやってみればええねん >>392
いや、本じゃなくて388が納得いかない
他力本願にすり替えないで自分か報告すればいいと思う >>393
>392だけど自分は教科書通りにやるだけだから。その結果を報告することもあるだろうけど
教科書通りにやることに納得がいかない人は試しに自分のやり方を模索してもいいんじゃないのかということを伝えたかったんだよ
>388が納得いかないならそれでいいんだよ。>388を受け入れる義務はない あとねー、仮にほめ日記では無意識の否定感情がどうにもできないというのならもう他の方法探すしかないじゃん
ほめ日記はやってみて効果がわかるものだ
理屈から入るものではない。だから理屈から入ってマスターするタイプの人は大変かもしれないけれど
だから、本の通りにやってみて、それでダメだったらやり方に見落としがないか本を読み直したり、ほめ日記ブログに目を通したり、自分なりに工夫したり、あるいは別の方法を考えるなりすればいい 人って生まれた時から否定的感情を持って生まれてくるかと言われればそうじゃないだろ?
生きていくなかで他人から言葉や態度で否定されて、そういうのが積み重なって否定される自分に慣れちゃって、いつのまにか自分でも自分を否定するのが当たり前みたいになっちゃうもんだろ?
外からの刺激によって自己否定が起きるんだから、どうして外からの刺激によって自己肯定が起こせないと言いきれる。その外からの自己肯定的刺激を自分から起こすだけのことじゃないかほめ日記は
って自分は勝手に思っているんだけどね >>394
おまいが何やろうと勝手だけど、同じ褒め言葉を書くにしても染み込んでいくやり方をしなきゃいみないんじゃないかと問題提起してるわけ
それをよく考えもせず、ダメならやめるしかないとか短絡的すぎる。
教科書通りにやってるつもりかもしれないけど、ただ形を真似るだけは教科書通りじゃないからね
著者にはツボでも、その時の著者の無意識な心の動は本には書かれていない。形は褒め言葉を書くだけでも自分なりに染み透っていくやり方を開発しないと。
少なくとも効果や結果を期待してやるのなら、それはよくある間違ったアファメーションと同じだと思う そういった観点で自分はこういう書き方が合ってると思うと報告したわけ
自分と向き合って深く掘り下げるのめんどい、ただ真似るだけ、いやなら止めればーみたいなスタンスはほんと単細胞すぎる
俺はどうしたらほめ日記を最大限に活かせるかを考えてるので、真の意味で(無意識の部分も含めて)教科書通りにやりたいと思う
何も考えず念仏唱えていたいなら、それこそ自分のやり方で勝手にやればいいと思います。 そういった観点で自分はこういう書き方が合ってると思うと報告したわけです。
自分と向き合って深く掘り下げるのめんどい、ただ真似るだけ、いやなら止めればーみたいなスタンスはほんと単細胞すぎる
俺はどうしたらほめ日記を最大限に活かせるかを考えて試行錯誤してるので、真の意味で(無意識の部分も含めて)教科書通りにできるようになりたいと思う
何も考えず念仏唱えていたいなら、それこそ自分のやり方で勝手にやればよいと思います。