【ほめ回路】ほめ日記を書いて生きやすくなろう【手塚千砂子】 [無断転載禁止]©2ch.net
一日10個、自分をほめよう
ほめたことをノートに手書きしよう
ノートに書いたら声に出して読み上げよう
たったこれだけ。これが「ほめ日記」です
毎日やれば自己肯定感が養われて自己否定感の生きづらさが解消されて生きやすくなります
初めは2、3個ほめるだけでもいい
やりたい人はまず三日続けてみよう
できたら次に二週間続けてみよう
必ずほめ言葉を用いてほめよう
効果が実感できるはず
詳しくはこちらをお読みください
ほめ日記プロジェクト
http://homediary.net/ 珍しく風邪ひいたから運動しないで体いたわった!
イメージ通りに生姜でおかゆ作った!
GJ俺!
>>145
二年は凄い
毎日10個書いたの?
自己肯定と自己否定感の解放を両方やってる
確かに他人の批判や嘲笑に「だから?」って感じで比較的落ち着いていられるようになった
程度によるけどw >>146
そうですよね。ありがたいものです
>>147
程度によるのわかりますwww
一日に少なくて3個、多くて20個程度でしたね
その日に書けることがあったら書けるだけ書いていました
ただ最低でも一日3個は書こうとはしておりましたよ
いつの間にか一日10個(たまに+α)に安定しておりましたね 日記再開する
いいこと考えたw
日本語で「偉いね」と書いても感情こもらないので英単語で褒めることにした(´・ω・`)簡単だし
我ながら大した思いつきだと思う 英単語か
自分がやったらルー大柴がインサイドブレインでオーバーなジェスチャーでシャウトしちゃってほめられてるのかどうだかキャントアンダースタンドになりそうだ 私は就寝する前にほめ日記を書きます
早く寝たいので、10個さっさと書こうとします
さっさと済ませたいので、些細でもくだらなくてもなんでもいいから早いとこ書き終えてしまおうとします。そうすると普段ならほめないような部分をほめるようになりました。なんでもいいからという部分が肝心なようです
どうやら制限時間内になんでもいいから10個褒めるという方法が個人的に合っているようです 手塚先生って人格障害だよね。気に入らない人は、公衆の面前で徹底的にこき下ろすよね。言行不一致の人物。 >>153
なるほど!
さっさと済ませる時はどんな言葉でほめてますか? >>155
たいていは「えらい!」「すばらしい」です
毎日同じ時間に起きてえらい! とか
二足歩行できてすごい! などです >>156
一々感情込めなくてもそういう簡単な言葉でいいんだなw
自分もさっさと書くのやってみる
参考になりました 反省して偉い
嫌味っぽい褒めになってしまうんで
10個は厳しい >>159
そういう場合には励ましや慰めの言葉を一緒に書くといいみたいです
ほめ言葉も嫌味や皮肉になってしまう場合には形式的にでもほめ言葉を添えるだけは添えて感情は込めないでも良いように個人的に思います。あるいは自分がほめたいところをほめたりします 俺なんか最近目が回るほど忙しくて全部「GJ!」にしてるw >>161
手軽で良いですね! 気楽にやれてそうなところが素敵ですよ( ´∀` )b ありがとう!
最近は赤ペン使って円で囲んでGJ!とかGOOD!って採点みたいにしてますφ(.. ) いいね、他の方の話を聞くとアレンジが増えるわ
私は誉め方に迷うと花丸とか書いてる
脳に強く認識させる為には言語の方が良いのかな?
すごい、えらい、よくやった、その調子だ、嬉しい、楽しい、花丸
こればっかりになっちゃうな 久々にほめ日記を読み返した
ほめ方がだいぶ小慣れてきているww
>>164
自分もそんな感じです
verygood! という便利な言葉があって助かる (スレ汚しを重々承知でごめんなさい)
新居探しもベッド選びも家族との挨拶セッティングも学資保険選びも結婚指輪探しも結婚式の会場探しも科目選びも、もちろん家事は大体みんなみーんな全て私がやって来たんだぞー!
全てやって来てもう常に色々と考えすぎて疲れきってんだよ!!だから体調崩しまくってんだよ!
なのに、旦那の方が頑張ってるだって?同じく正社員で年収は同じ位稼いでるんだぞ?
私の方が時給の高い、その分辛いことも多い、仕事をしつつ、これだけやって来てんだ!ボケェ!!
そんな自分を誰も褒めてくれないし、他人に褒めてくれと言うことでもないから、せめて自分でたくさんたくさん褒めて自分のことを大切にしようと思います。
ほめ日記デビューした、私エラい。 >>164
小学生の時○より花丸貰ったら嬉しかった
○、◎、花丸とかグレードつけたらどうでしょう
Good→Very Good!→Excellent!!みたいに 寝る前に書こうとしたら項目多くて寝てしまうな
メモが必要かも 今日自分で塩麹を作ってみたよ、すごくね?w
めちゃくちゃ簡単なのにワロタw
そして塩麹をどう使ったら良いのか全然知らないのにとりあえず作ってみた自分にワロタw
楽しいから良しw
これを始めてから1か月経ってやっと自分を誉めやすくなってきたよ
これ良いな 唐突ですが…
ほめ日記を続けてるみなさんは御自身に何か変化ありましたか?
その変化に対して周りの人、特に親しい人はどんな反応を示していますか? 自信をつけようというCDも併用しているんだけど
夜寝るときや朝起きるときに
こんなんじゃダメだって思う回数が減った 今日から始めました。
やっと捻り出しで3つ書きましたw >>172
あーCDいいね
自分も朝の絶望感が減ったような気がする 自信をつけるCDいろいろ出てる
みたいですけどお勧めのもの
ありますか? 45分で強い自分になろう ~自信獲得プログラミング
尼で安くうってるので試してみて サイズは?A4とかB5とか
文具好きなので気になる B5だよ 書きなぐるのにちょうどいい
ベッドの近くにおいて書いて寝る
手帳はA6がいい さっき4ミリほどの小さな毛虫が膝に付いてて指で弾いてしまった
床を一生懸命這ってるのを見て、建物の中だしきっと誰かに踏まれてしまうなと思ったので後で放すつもりでそっと紙で包んで席に置いた
良い気分がした
つまらない事かもしれないけど、小さな罪悪感を見過ごさなかったことと優しい気持ちをもてた自分をちゃんと誉めたいと思う ようやっと自分で自分をほめられるようになってきた
それまではほめる演技をしていたような、型に当てはめてほめ言葉を添えているだけだったというか……だがようやくほめかたがわかってきた 害虫じゃなければ外に放す
苦手なクモはむりだが
夏場はカエルを見かけて干からびないように水辺へ 優しい!
クモは子どもの時だめだったが益虫と知って大切にするようになった
去年の女郎大発生は腰抜けたけどw >>171
周りからの当たりが柔らかめになりましたね。人間関係が以前と比べてですがあまりきつくなくなりました
>>189
ほめかた自体はあまり変化ありませんよ。えらいとかすごいとか簡素なもんです
ただ、ほめるという感覚が掴めてきました
ほめ言葉を添えてもほめてる感じがしなかったのがほめてる感覚でほめることができるようになったので、前に比べて自分で自分をほめられるようになりました なんというかですね、例えばお水を飲んでいるとします
普通にお水を飲んでいるだけなのですが、これを「こぼさず綺麗に水を飲んでいてかっこいい」とほめちゃっていいのです 感覚としては、ほめる≠評価する、なんです
ほめる感覚と評価する感覚って違うのです 例えばAさんがAさん自身の顔を評価するならフツメンで終わりますが
AさんがAさん自身の顔をほめるのならイケメンだとほめていいわけです
勘違いや増長を招くのではないかと思うでしょうが、あくまでもほめているだけという自覚があれば平気です
正当な評価とほめることは必ずしもイコールとは限らないのです
……と、いいますような、ほめる感覚を掴めました
ほめる感覚掴めたらほめるのが楽しいな、ということでして はいはいはいはいはいはいw
腑に落ちました
頭で何となくわかっただけなので7割位ですが…
実に面白い!
もっと聞きたいです >>194
他に何を語れば良いのでしょう……
>>195
普通のキャンパスノートですよ。6mm×35行の 追加で書きたいことを書きますね
まずはほめることと評価することの違いについて書きます
ほめることは採点することではありません
ほめるという感覚を以てほめることなのです
ほめることと評価することの違いは比較を重要視するか否かにあります
評価は比較を重視します。ほめることは比較を重視しません
例えば靴があります。評価するならそれは上物に比べれば安い作りで、ボロボロの使い古しに比べれば綺麗な「普通の靴」です
この「普通の靴」をほめる視点から見ます
すると「履き心地がいい」「使い勝手がいい」「そこそこの外観で気分よく履ける」など色々キーワードが出てきます
実際ほめるなら「履き心地がよくてサイコー!」「使い勝手がよくてすごい!」「そこそこの外観で気分よく履けるステキな靴!」となります。多少わざとらしいでしょうが意図的にほめ言葉を組み込む方が感覚的にもほめているように聞こえます
ただ、そんなことを言ってもほめる視点とかわからない、そんなにすらすらとキーワード出てこない、と思う方がいらっしゃいます。ではどうしたらそのような視点を得て上手にほめるという行為ができるようになるのかですが……(つづく >>197つづきです
ひたすらほめる真似を続けていくのです
自分的にこれならほめてもいいかなという点を1%でも見つけます
ほめる内容を書きます。一緒にほめ言葉を書きます
これで真似ほめ完成です。ほめる真似なので心が伴わなくても構いません
むしろほめる感覚を掴むまでは心が伴えなくて当たり前です
ほめるという行為がわからないところからスタートなのです
形だけ似せれば上出来です。あとは無理しない範囲で数をこなせばいいのです
スポーツ選手が問答無用でフットワークの反復練習を繰り返して身体に動きを覚えさせて試合で活用したりするうちにいつの間にか練習した動きが自分の血肉になったように自分自身の動きになっていたみたいな話になります
理屈で理解しようとするよりも毎日ちょっとずつでもほめ日記を書いていくことでほめるという感覚がどういったものなのかを知るのが近道になります
私はこの感覚を掴むまでに二年と2ヶ月かかりましたが
ほめる感覚を掴むことが大切なのです
「ほめ方がわからない人はまずほめる真似から始めましょうと」ほめ日記の本にも書かれています それと。これはほめ日記の効能なのかわからないのですが、可能性はありますので書き留めておきます
私は最近、自分を許すようになりました。自分を許すことを自分に許せるようになりました。そうしたら他人のことも許せる視点で見れるようになってきました
具体例を示します
私はあることでムシャクシャしておりました
以前は「怒りの感情なんか出すんじゃない。心が出来ていない証拠だ」と自分を責めてムシャクシャしていました
ムシャクシャしている他人を見ても「自分の感情も制御できないのか。子供じゃあるまいしこの未熟者め」と不快な気持ちになっておりました
私はムシャクシャしている自分をこれが正しいからと抑圧しており、そのことに無自覚に不満を感じていました
だからこそ他人にも負の感情を抑圧することを内心で求めていたのです
人は自分ばかりが不当な扱いを受けて損をしていると感じれば自分に対する不当な扱いを不当な扱いではなくするために他人にも同様の損失を与えようとする生き物です
みんな不幸なら不幸が普通になるから自分は不幸ではないの精神です
私はムシャクシャしている自分を許すことにしました
自責と抑圧で苦しんでいた心を楽にしたかったのです。自分の心を楽にするには自分を許すしかありません
すると、ムシャクシャしている人を見ても「あー、わかる。うるさいけど、ムシャクシャする時もあるよなぁ」と共感めいた感情が浮かぶことを自覚しました
都合よく自分を許したことが自分ばかり不当に得をしているように感じられて、他人を責める気があまり起きないのです
不正を働いて得をした人間が他人の不正を目撃した際に「そうだよなぁ、そうしちゃうよなぁ、いけないことだけどわかるよ」と見逃す感じです
仲間意識ではありません。同情に近い気持ちです。罪の自覚はあれども自分も他人のことが言えないから許さざるを得ない感じです
自分に対して許せることは他人にも許せる
自分に対して許せないことは他人にも許せない
これは真実でした。自分を許す度に他人に寛容になっていくのを実感しています 怒りを持った自分を許す人は怒りを持った他人を責められないのです。なんとなく怒る人の気持ちが理解できるからです。責めようと思いません
転じて、許せない行為を働く人が出てきた場合、それは自分が自分に何を許していないのかを知らせるサインなのだと私は思うようになりました
人間には本当は自分もそれをやりたいけど、それは世間一般には悪い行為だったり恥ずかしい行為だったりするからそれをやりたい欲求を抑圧する面があります。それが正しいことだと自分に言い聞かせながらもそのことに不満を持っています
それがある時、自分が抑圧している欲求を存分に表に出して楽しんでいる人に出会いますと、
「自分は世の中のためにこんなにそれをやりたい欲求を抑圧している。なのにあの人はそれをしない。あの人は正しくないからやめさせないといけない(※本当は自分だけが損するのが嫌なだけだけど自覚はない)」となります
自分を抑圧する人間は他者をも抑圧しにかかります
抑圧を解放した人間からすると「こっちきて君も一緒にやろう(一緒に得しよう)」となりますが、
抑圧を続けている人間からすると「我が正義だ貴様は我の敷いた法律に従え(一緒に損しよう)」になります
自分を許さないことが正義になるのではないのです
許さないことがムシャクシャした気分を余計にムシャクシャさせてしまうのです だから、他人を許す前にまずは自分を許す方がいいですよ
ムカつく書き込みをされたらムカつく書き込みをした相手を許す前にまずムカついた自分を許します。そうするとちょっと冷静になれます 自分を許せばその分だけ他人のことは自然と許せるようになることを私は実感しています
同じように、無理に他人をほめようとするよりはまず自分で自分をほめるようにした方がほめる行為の上達も早いのではないかと思います
例えば私は自分ばかりをほめておりますが(※これも他人をほめようとしても恥ずかしがって口に出せないからなのですが
この場合も他人をほめることを自分に許す(強要する)のではなくて、
素直に恥ずかしがって他人をほめられない自分を許す(容認する)といいのです)、最近では花の一輪でさえもほめようと思えば自然とほめる箇所が複数見つかります
自分を許すことを自分に許せるようになったのもほめ日記によって自己尊重感が養われたからこそなのかもしれません。自己否定が強いほど自分を許せるはずもありません はじめのうちは自分を許せるようになってきたこととほめ日記の関係性が自分でもよくわからなかったのですが、書き込んでいくうちに納得できてきました
自分を許せるということは許せなかった自分を許すということです
肯定できず抑圧していた一面を許して受け入れられるようになるということです
より自分が肯定できるようになるということです
そしてほめ日記は毎日自分をほめることで自分を肯定できるようになっていこうというものです。様々な要因で培われてしまった自己否定精神を自然で無理のない自己尊重精神に戻していこうというものです
他人から条件付きで尊重される自分から、無条件に自分を尊重できる自分に変わって人生をイキイキ過ごしやすくなりましょうというものです
自分が受け入れられなかった駄目な自分を許し受け入れられるようになってきたというのは自己尊重感が回復してきた証拠なのだと思いました まずよくそんなにスラスラ出来た文章が書けますね
本は読む方なんですか? それなりに読みます。そんなに多く読む方ではないと思いますが……
書きたいことができたらそれを文章にするだけなのです
別に長文書こうと思って書いたわけではなくて、書きたいことが次々出てきて結果的に長文になってしまいます…… いや普通に読みやすいし頭の中でまとまってて羨ましいなと…
自分はほめる言葉考えるだけでも一苦労なので ほめ言葉を自分で考えていることも凄いと思いますよ
私はほめ日記の本に参考用に書かれてあるほめ言葉をそのまま使うことがこの時点では多いです ぽつりぽつりと自分なりのほめ言葉が出せるようになってきた
超クールとかサムライだねとかグレイト! とか 「〜した。すごい!」よりも「〜できた。すごい!」の方がより効果的な書き方ほめ方なんだと
試してみたら「掃除したオレすごい!」よりも「掃除できたオレすごい!」の方がよりほめてる感じが出てると個人的に思った ほめ日記には反省点を書いちゃいけない
ほめる、ほめる、ほめる。ほめ日記はこれのみ
だから、反省点や改善点を見つけたとしてメモしておきたくなったらほめ日記に使っているノートとは別のものに書いておけばいい
反省しちゃいけないわけじゃなくて、反省も愚痴も不満もほめ日記に書いちゃうと効果薄くなりますよということで
「壁を使って逆立ちできたよ! すばらしい! 上達してるよ!」→壁を使って逆立ちできたことをほめている
「逆立ちできたよ! すばらしい! でも次は壁を使わないでできるといいね!」→壁を使ったことへの改善と反省を促すニュアンスになっている
「逆立ちできたよ! すばらしい! 壁に頼っちゃったのは残念だったけど上達してるよ!」→壁に頼ってるうちは真にほめられないと暗に言っているように聞こえる
ほめ日記で効果が出にくい人はほめ日記がいつの間にか不満と反省を綴る日記にはなってはいないだろうか ほめるための日記に自分を責めるようなこと書いちゃダメですというお話!
だから仮に「壁を使って逆立ちできたよ! 上達していってる! オレってスゴイ!」とほめたとして、
ほめ日記とは別のノートや紙にでも「壁を使ってしか逆立ちできないのは問題だ。これを解決するためには筋トレとバランス感覚を養わなくては」と書くのは大丈夫です
ただ、これも実は「壁逆立ちできないのは問題だ」のくだりはいらない
それは「〜できない自分はダメ人間だ」とわざわざ書いておくのと同じだからだ
自分を責めて追い詰めるような反省方法はコンプレックスのもと!
それよりも「筋トレとバランス感覚を養おう。大丈夫、着々と上達してるからオレならやれるよ」と改善点と励ましの言葉で前向きな気持ちになれる感じの書き方をしておくと、いざ達成できた時は成功体験になって自信に繋がりやすい
「完璧なのが当たり前だから完璧になれない自分は劣等であり、また完璧にこなせたとしてもそれが普通だからほめるようなことじゃない。故に完璧じゃない自分は責められるべきであり、反省とはそのためにある」みたいなのだとよくない 小言いうときも5回くらい褒めて
合間にいうと聞いてくれるが
自分にも当てはまるんだね うん、あるねそれ。自分の言葉とはいえ二度は見聞きしたくないものもあるし ほめるネタが見つからなくてノルマ10個埋まらないとき、自分でも別に手柄と思わないような当たり前にやっていることをほめちゃえば案外10個埋まったりした
・一人で爪切れてえらいね!
・一人で食器洗うことができて素晴らしい!
・毎日歯みがきしていてかっこいい! 超クール!
・ご飯の支度ができるオレ有能だ!
・一人でお風呂入れるなんて大人だね! いい子だ!
・雨が降ったら傘をさすオレってばかしこい!
・風呂掃除ができるオレはたいしたものだ!
・電池交換できるオレは手先が器用でクールだね!
・画面を汚さないように携帯ゲーム機で遊べるオレってば紳士だ! かっこいい!
・静かに座ることができるオレは大人だね! かっこいいぞ! おう、ほめろほめろ! てか図書館にあるのか!? いいこと聞いた! 毒親の数十年に及ぶ強固な自己否定等がだいぶ減ってきてくれている
なんだ自分って有能じゃないか、と気が付いた
今まで周囲から有能だの頭良いだのたくさん誉められていたのに、自分では卑屈でねじくれていた
産まれて来たことを呪って悔やんでばかりいた
これを毎日続けていたら、産まれて来たことを良かったなと感じる事がちょっとできてきた
寿命半分終わってると思うけど、残りの半分をあのまま送らないで済みそうで良かったよ
一気に全て解決したり激変する訳ではない
だけど、大切な事に気付く切っ掛けにできると思う >>222
うおおおお!!!!
おめでとうーー!!!!!
君の書き込みで勇気づけられて、ほめ日記やってみようって人は、きっと出てくる。
君は、人を救うんだ。
君の勇気に、ありがとうと言わせてくれ。 >>223
ありがとう
これが誰かの役に立てるなら、今までの地獄の生き方もただの無駄ではなかったって事だからありがたいよ
苦しい事があった。そこで終わりにしたら勿体無い
そこから自分が何かを得た。そこで終わりにしても勿体無い
他者に渡して役に立てたなら、報われる
少しでも誰かの力になれたなら、自分が救われます
だから、何かを拾ってくれた方にありがとうを伝えたい >>220だけどほめ日記の効果が現れているみたいで良かったです
GJだと思います! 私は自然と他人をほめる言葉が出てくることが多くなりまして、おかげで会話が滑らかになりやすくなりましたね ほめ日記のいいところは始めてから三日〜二週間程度で効果が現れてくるところ 2ヶ月は続けているけれど目に見えるような効果は出ていないんですが 自分ほめるのが面倒になってきて、それでも一応ノルマこなすかと思い、なんでもいいからてきとーにほめておくことで形だけはノルマこなしておこうとした
ほめるぞ長所見つけるぞと力まずに、なんでもいいからてきとーにほめておこうと。そしたらなんでかスラスラほめることができた
それこそ似合ってるか似合ってないかで言えば普通程度のアクセサリーでも似合ってるっててきとーにほめといたりとか
>>229
二ヶ月しても目に見える効果が出ないケースもあるのか……
それだけ長い期間よく頑張ったな。すげえよ。一日何個くらい自分ほめ書いてるん? 先日、他人からほめられた
いつぶりだろうか。久しぶりにお前は凄いと素直な賞賛をされた
それが嬉しくて快感で、俺はますます頑張った。結果も出した
ただ、そのことについて自分から自慢するようにもなっていた
止めたくても口から出てくる自慢は止まらず、俺はもっと他人から凄いと言われたくて自分から自慢話をした
即ち、他人から認められたがっていた
俺は承認欲求に餓えていることを自覚した
そして気づいた
承認欲求は自分で自分をほめても満たされないのだと
ほめ日記で培われるのは自分を受容&肯定するための思考回路なのだと
自分を肯定的に見る思考を養えても他人から認められたいという欲求は消えはしないのだと知った
アドラー心理学は承認欲求から離れろと説いてはいるが、劣等感が強ければそれは難しい話になる。劣等感が強い奴にとって優越感に浸ることは何にも勝る快楽かもしれないからだ
劣等感が強いというのはそれだけ自己否定的な思考回路を抱く人物になる
だから、自己肯定的な思考回路になったら劣等感が薄れ、他人に認められたいという執着からも自然と離れていくんだろうか >>230
毎日10個と決めて褒めているな
日によっては5〜7位になってしまう日もあるけど大体達成している
どっかでルーチンワークっぽくなっているからかな >>232
ほめ日記始めてから二ヶ月目にしてルーチンワークの域になってるとか普通に凄いな
俺は今でこそ流れ作業のようになんとなくほめ日記をこなすが、始めてから二ヶ月の頃なんて自分に必要な自助努力だと思って必死にかじりつくようになって書いてた
ほめる個数も問題なくて(始めて二ヶ月で毎日10個書けるのがまず凄いことなのにほぼ毎日それをやれてるのが凄い)、ちゃんとやってる232だからどうかほめ日記の効果が現れてほしいが……
効果の現れには個人差があるようだから、232の場合もどうかそうであってほしいわ…… そういえばこれまで書いてきたほめ日記読み返してみると、ほめネタが過去と現在とでは随分違ってきてるんだよな
【現在】
小さなささいなことを沢山ほめてるのが主流
短文で簡潔にほめている感じ
【昔】
自分がやった凄いこととか何か大きなことに目を向けてほめている
長文で無理矢理ほめている感じ
長くやっていると自然に自分がほめやすい書き方や切り口に変わるんだなーと >>232
すまん。読み違えた
「どっかでルーチンワークっぽくなっているからかな」を「どっかでルーチンワークっぽくなっているからな」と読んでしまって>>233を書き込んでしまっていた
ルーチンワークっぽく書いてるせいで効果が出ないのだろうかと気にしているわけだな。把握したぞ
ルーチンワークで書けている分には何も問題ないと思うよ。肩の力を抜いて気楽にやれているならさらに良いことだと思いますよ 個人的に気をつけていることになるけど……
【ほめ日記に書くと効果が下がる言葉】
・愚痴や泣き言などのネガティブ言葉
・自己批判や反省の言葉
【効果が上がるほめ方】
・「〜できた」という書き方でほめる
・例えば「掃除した私はえらい」もいいが「掃除できた私はえらい」の方がさらにいい。できたことをほめる。普通にしていることもできたこととしてほめる
【注意点】
・ほめ日記は自己批判や反省を否定するものではない
・自分の悪い部分を無理矢理肯定しようとする必要はない
・自己批判や反省を書き留めておきたい場合はほめ日記に使うノートとは別のものに書いておくのがいい >>236【効果が上がるほめ方】の補足
・結果が伴わなかったものでも「〜について頑張ることができた。素晴らしい」など、頑張った過程をできたこととしてほめるのもアリですね。努力した、よりも、努力することができた、という書き方 参考になるよ、ありがとう
以前このスレを読んで、〜できた、って書き方に変えてみた
まだ効果は実感していないけど、人のアドバイスを素直に聞いて速やかに実行し継続できているところは良い
などとほめてみるw
>実際の効果
ありがとうが以前より多く口に出るようになったね
気分が下がる出来事があった場合も、ダメージを軽減したり沈んでいる時間を短くできていると思う
他者をほめる事も以前よりスムーズにいくようになってきた
今までは、自分なんかがほめたら上から目線と感じさせてしまわないだろうかとか、怯えみたいな不安を含んでしまっていた
感覚的には、錆だらけの水道管の錆をこすり落とした感じ
水も出やすくなったし、水自体がきれいになってきている
そんな自分、良い傾向w 素朴な疑問なんだけど、達成したことはほめ日記だと思うんだが、感動したことや感謝すること、気づいたこと、幸せだったことなど普通の日記のような内容もほめ日記に書いてますか?
それとも別の日記に書いてますか? >>238
なかなか効果が出ているみたいでよかったww
>>239>>241
ほめ日記に書いてますよ
〜に感動できる私の感性ステキ、とか
〜に感謝できた。えらいぞ、とか >>242
ありがとう
自分は別々のノートに書いていたんだけど、項目が被ると二回書かなきゃいけなかったりややこしくなってきたので質問しました ここのところ個人的な試みからわざと大袈裟なほめ方を実践している。ほめ日記の中ではの話になるが
本日自分にしては気配りが上手にできたことがありまして
そのことについて「すごい! かっこいい!」に加えまして「英雄だ!」とかちょっとオーバーなほめ言葉を追加してみたりしました。なんとなく面白味を感じています
>>243
たしかにそれはややこしそうですねww
自分の感性もほめていいんですよ!
(念のため補足しますと、>>240と>>242は別人物です) なんか今日ほめ日記書いてたら「超キュート」とかいうほめ言葉が自然と出てきたよ。気づけたことについてほめていたら出てきた。超キュート