『ヒマラヤ聖者の生活探究』というシリーズも内容は実は著者の経験したことではなく、
ほとんどがでっち上げの嘘話であることは様々な資料から現代では明らかになっている。
何しろ著者は2冊目か3冊目が出版されベストセラーになった後に既成事実をつくるために
出版社からお金を出して貰って慌ててインドやヒマラヤに初めて渡航したというくらいだから。
ではこのシリーズは全く無意味だったのかどうか。

パラマハンサ・ヨガナンダの『あるヨギの自叙伝』も同様、
かなり誇張され盛られたエピソードが満載であることが今ではハッキリしているし
ヨガナンダが設立したSRF(自己実現同志会)にとって不都合な箇所が
ヨガナンダの死後にごっそり削られて別の記事に置き換えられたりもしている。
では『あるヨギの自叙伝』は読むに値しないジャンクのような本と言えるのかどうか。

何のためにこれらの本を読もうとしているのか、その目的は何か、
そして著者の無謬性によって本の価値が決まるのか。
無謬である完璧な人間がこの世に果たして存在し得るのか。
自分の成長のための自己啓発なのか、それとも単に完璧な偶像を求めているだけなのか。