【宝彩有菜】瞑想スレ【能力向上・休息】
このスレでは宝彩有菜さんの瞑想方を基本とし
能力向上・休息を目的とした瞑想について語り合います
始めよう。瞑想 http://www.amazon.co.jp/dp/4334784852
楽しもう。瞑想 http://www.amazon.co.jp/dp/4334785905
【NG】
ヨガ・宗教・神・悟り・解脱・スピリチュアル・精神世界・宇宙
等の「能力向上・休息」と関係ない話はこのスレではしないで下さい。
また他の某瞑想スレには長文・顔文字を使った半コテの方がいらっしゃいますが
このスレと考えが違いますので絶対に書き込まないで下さい。
また質問に対して頓珍漢で見当違いな答えなどもされると迷惑ですのでお帰りください。 >>63
>本によると境地は深層と至福、二つの状態どっちかに分けられるみたいだけどどっちにもならなかった
なら、お前は「深層と至福」とやらが
どのような状態なのか、自分の日常の言葉で説明してみろよ?
それがわかってるから、いずれでも無いことがわかるってことだな。
答えられなければお前は嘘をついてることになる。 >>62
>始めよう瞑想一冊しか読んでないずぶの素人なので
たとえ千冊読んでても、正しい瞑想ができなければ
ズブの素人だ
根本的に考えがおかしい >4.マントラは途中で止める
> 本では境地に入ったら「シーン」と感じると書いてあるが、
>>62
本物の瞑想マントラは、境地にはいると「聞こえるもの」であり
唱えるものではない。
もっといえば、心で唱えるマントラと、聞こえるマントラは
境地に入ると一体化する。
どちらが聞えるほうなのか、唱えてるほうなのか区別がつかなくなる。
つまりお前の読んでる本はデタラメで
境地に入ったことの無い人間が書いたものなのは明らか >>62
>眼球腕肩その他、ピクリとも動かさないように努力する。
いやいや、努力するのではなく
眼球は動かさないようにするために
ロックする手法がある。
それが教えることができないなら
その師匠はそもそも瞑想自体を知らないってこと
偽物から教わっても
何も得ることはない。 しかし本物は世界中探しても一人もいないと思う。
もし本物が一人でもいるなら名前を挙げてその根拠をしめしてほしい。
一人もいないと思う。一度もであったことがないし観たこともない。 >>70
貴方自身の魂が曇っているかぎり、
その考え方は正しい。
貴方自身の魂が本物にならなければ、
たとえ隣に釈迦が座っていても
それとは気づくこともできない。
貴方は自らの見ている世界と
本物が観ている世界が同じものだと思っているが
それは違う。
この世界は貴方の想念が作り出したもので
同じ世界を観ているつもりでも
地獄を見るものもいれば、天国を見ているものもいる。
つまり貴方自身が本物にならなければ、
本物のいる世界に在ることは無い。 >>62
>4.マントラは途中で止める
このスレッド最大の勘違いですね。
マントラをやめれば瞑想ではありません
貴方がどれだけ正しいマントラの唱え方をしているのか
疑問ですが、マントラは唱えるものではないことをまず知らなければなりません
マントラは最終的には心で想うだけです。
唱えるものではありません。
しかし、境地に達するとマントラは思うまでもなく
聴こえてきます。
ここらへんの精妙な段階は言葉で説明不可能です。
貴方自身がそれなりの段階に行き着いたとき
私の書いてることを理解できるでしょう。
それまでは正しい瞑想法を精進しなければなりませんが
貴方の瞑想法は根本的に間違っています。 >>16
まず肉、魚、タマネギをやめないかぎり
貴方の想念は暴れ狂うばかりです。
それは動物の怒りや憎しみの想念を
食事にしているからに他なりません
あとコーヒーやタバコなども言うまでもありません。
瞑想だけしても瞑想ができるようになることはありません
まず準備ができなければ、瞑想を始めることすら
不可能であることを覚えておきなさい もし本物が一人でもいるなら名前を挙げてその根拠をしめしてほしい。
これに答えられる人がいない。ニンニクみたいなものだな。W >>74
貴方が名前や人物に本物を求めているかぎり
本物は見つかりません。
それは貴方という想念の鏡に投影された幻であるからです。
貴方という魂の想念が曇っているかぎり
本物は貴方の鏡には映りません。
本物は常に貴方の心の内側の奥深くに存在します。
それを見つけてくれるのを待っているのです。
探す方向が逆であることを瞑想で「悟る」ことです。 >>74
貴方が本物の瞑想によって、本物を心の内側に見出したとき
それは外側にも投影されて、本物が現れます。
貴方はまだ本物の瞑想を知らないので
この世の内側と外側の関係を実体験していないから
理解できずにいるのです。
本物の指導者はそれを実体験させることができます。
内側に求めなさい。
外側には一切ありません。 >>63だけど、自分にこんなレスがついてるとは知らなんだ
順番に答えていくけど、まず
>>65
>どのような状態なのか、自分の日常の言葉で説明してみろよ?
これは説明の必要があると思わない。
俺自身はどちらも経験したことがない。
本によると「至福」の場合はエクスタシーを、「深層」の場合は過去の記憶の閲覧を
と書いてあるが、どちらも当てはまらなかったが故に
どちらでもないと言う自然な結論になった。
>つまりお前の読んでる本はデタラメで
なんだろうと思ったけど、要するにこの作者のアンチなのか?
まぁ、俺は瞑想知らないから「インチキではない」と否定もできないけど
この本の知識は正しいと言う前提の元瞑想してるんで勘弁してくれ >>64危険じゃないと否定もできないけど、案外危険でもないのかもしれない
なぜ瞑想をしている時、しばらくすると輪郭が溶けていくんだろうと不思議だった
ちょっと怖かったんで、自分なりにどうしてそうなったのか考えてみたんだけど
ジル・ボルト・テイラーと言う脳科学者が、自分の脳が壊れた時のことを記録している
この人は脳が「自分」を司るために機能している部位が壊れた人で
その時の体験を
「周囲と一体になった」と言う俺と全く同じ表現をしている
解剖の養老孟司によると、この部分には動物が移動するための地図があり
地図は「周囲」と「自分」を隔て、動物が空間を移動するために機能していると言っている
これら二つのことを組み合わせて考えてみると
瞑想をする時は、体をピクリとも動かさなくなり「体を動かす」という意識もなくなる
つまり「移動」が意識から消えるので脳内の「地図」も必要がなくなる
結果その部位の脳の活動が弱まる
この脳内の地図の部分が「周囲」と「自分」、と言う「自分」を司る部位なので
そこの活動が弱まると、その部位が壊れた脳科学者と同様に
「自分と周囲を隔てる機能」が弱くなり、輪郭が溶けだす
そして最終的に一体感を感じる結果になる
ただし、脳は活発になっているところに血液が集まるので
瞑想の場合はあくまで「極端にその部位の活動が弱まった」だけであり
壊れた訳ではないので、危険はないものと思われる
全部あてずっぽだけど >>78
俺はお前がこのスレでマトモな人間の一人だと思っている。貴重な体験を忌憚なく報告してくれて感謝している位だ。参考にさせてもらう。アリガトウ。 >>77
>本によると「至福」の場合はエクスタシーを、
>「深層」の場合は過去の記憶の閲覧を
> と書いてあるが、どちらも当てはまらなかったが故に
> どちらでもないと言う自然な結論になった。
なら聞くが、君は「エクスタシー」や「過去の記憶の閲覧」を
したことがないのか?
オナニーやセックスでもエクスタシーは感じるし
過去の記憶を思い起こすことが「閲覧」ではないのか?
なぜ「当てはまらない」と言い切れる? >>78
>瞑想をする時は、体をピクリとも動かさなくなり
>「体を動かす」という意識もなくなる
口でいうのは簡単だが、実際はこれより先に起こることがある。
君はそのとき無呼吸となっているか?
無呼吸でなければ、君の体験は単なる妄想ということになる。
あと身体の硬直化はされてるか?
硬直化というのは俺自身の造語だが
意味は読んで字のごとく
もし本当に体験してるなら、理解できるはずだ >>78
結局は逃げですか
貴方の体験談もやらせ自演問答臭いですね。
都合が悪くなれば逃げる
似非瞑想者は皆そうします。 いきなりだけど、
瞑想中に襲われたら無防備だよね?
それとも神の守りがあって大丈夫になってる? >>80何もせず座ったままエクスタシーを経験したことは一度もないな
本の記載によると過去の記載は単純な「思い出し」とは違く
リアルタイムのように鮮明に再現されるとある
そこまでのイメージ力を使えたことは夢以外にない
恐らく直感像(過去の記憶を写真のように思い出す能力)
に近いのだろうけど、瞑想は必要な手順を踏むことで
直感像の能力がない者にも、似たようなことが出来るようになる脳の状態
にしていくことが可能なのだと思う
>>81硬直化と言うのは、意識しなくても体が動かず固定化されているような感覚かな
それならある。瞑想がうまく言っていると感じている時によく起こる現象だと思うので
一つの目安にしている
無呼吸と言うのは息を吐いた後、少し息を止めている間隔のことをさしているならあるな
瞑想をしている時は体動かさないんで酸素消費量がかなり低下してるんじゃないだろうか
>>79
ちなみに脳科学者のおばちゃんのTED
これをみる限り、瞑想は左脳の活動を弱めるか、右脳の活動をより活発にするんじゃなかろうかと思われる
https://www.youtube.com/watch?v=ldSoKfFYKqM >瞑想をする時は、体をピクリとも動かさなくなり「体を動かす」という意識もなくなる
>つまり「移動」が意識から消えるので脳内の「地図」も必要がなくなる
凄い。凄すぎる。ちゃんと説明になってる。まともな説明を聞いたのは初めてだ。
あなたのような人が瞑想家になるのがいいと思う。
巷の瞑想家にはろくな奴がいない。
瞑想は基本的には脳の破壊だと思う。一部を破壊することで他が活性化する。
脳梗塞の現象やサバン症候群にみれる超能力などともよく符号する。
しかし多少は破壊してもそれほど問題ないのだとも思う。手術で脳をゴッソリと
本当に大胆にゴッソリと削除してもそんなに日常生活には支障がないように見える
場合もある。脳なんてそれほど大したことをしていないのかもしれない。
むしろ破壊したほうが使いやすい場合もある。
スポーツマンだとか、修行者を注意深く観察してみるとかなりの脳の破壊が
観てとれる。つまりシンプルすぎる。もちろん物理的という意味ではない。しかし
就職などではそういうシンプルな人が有利だったりする。
ジェフリーローレンスは最も好きな女優だが、彼女もかなり脳に破壊がみてとれる。
それが彼女の自由で面白い性格をつくっている。 ジェフリーローレンスは瞑想をしているとは聞いたことがない。たぶん子供のころ
どこかで頭を強く打ったのだろう。
真央ちゃんもすこしその傾向がある。
「エアロ、おすわり、ちんちーん」
「ちんちんだってば!」
「ちんちーん!ちんちーん!」
とか、とっても面白いと思った。やはり天才はどこか面白い。
真央ちゃんは瞑想をしてるかもしれない。 >>83
瞑想は神そのものに成ることです。
守られる必要はありせん >>84
>恐らく直感像(過去の記憶を写真のように思い出す能力)
心が動いていること自体、瞑想ではありません
単に鮮明な妄想をみているだけです。 >>84
>体が動かず固定化されているような感覚かな
それならある。
違います。
理論的に言えば、瞑想は仮死状態に意図的になるものですが、
血液や酸素や細胞活動など
あらゆる活動が鈍くゼロに近くなるので
そのような硬直化が起こりますが
実際には体が金縛りにあった感覚とよく似ています。
数多くの言葉で言えば言うほど、体験した事のない人間は
それを曲解しだします。
ちょうど貴方のように。
それは体験した事のない人間は
自分の体験の中から、それを超越した状態を
妄想してしまうからです。 >>85
自画自賛はやめなさい。
貴方はまだ瞑想を知らない。
貴方の瞑想ははじまってすらいない。
それに気づいて、正しい本物の瞑想を身に着けたいのか
ネットで本物のふりをして、自己満足したいだけなのか
ちょうど貴方の魂は分岐点に立っています。 >>84
>少し息を止めている間隔のことをさしているならあるな
それも違いますね。
少し息を止めるのではなく
息をする必要性がなくなるといったらいいのでしょうか。
言葉でうまく表現するならそんな感じです。
呼吸と心は完全に連動しています。
無呼吸にならなければ、心は静止することがありません
つまり無呼吸の状態になれば、心はおのずと無心となるのです。
釈迦が解脱に至ったときの状態、
無念、無想、無呼吸とは、そのような状態を言います。 >>84
人間には生まれつき、仮死状態になる生理的機能が体に備わっています。
一部の動物は冬になると、餌も食べず活動することもほとんどなく
洞穴で最低限度の呼吸や細胞活動で一種の仮死状態になりながら
暖かい春が来るまで「冬眠」します。
実は人間にもこのような動物たちがする「仮死状態」へ意図的に
入る機能があるのですが、ほとんどの人はそれを知らずに
一生を終えます。
瞑想とは、「仮死状態」に意図的に至るテクニックだといっても
過言ではないでしょう。
もちろんそれは肉体面だけのことですが、
肉体面が仮死状態に至ると、精神は大宇宙の本来の次元へと
解放されることを覚えておきなさい。 仮死状態? そんなのは珍しくもなんともない。それに脳梗塞の患者なら
ごまんといる。W
100歩譲って本物のがいるとする。本物とはどういうことだ。 つまり、本物はどれか? 具体的にだれか? なぜそいつが本物なのか?
こういう説明ができないなら、5万といる患者と本物の患者の区別はつかんだろ。 >瞑想は神そのものに成ることです。
意味がわからんなー。
神そのものと人間は違うのか?
どう違うのだ? >>94
本物を見つけるには貴方自身が本物の目を養う必要があります。
貴方の魂が曇っているかぎり、貴方の視界には本物が現れることはありません。
本物の証明は人間の感覚器官を超えた次元に存在するからです。
犬笛というのを聞いたことがありますか?
犬笛は人間の耳には聞こえません
しかし犬にはれっきとした音として感知します。
同じように本物は本物の耳を養えば、
そこらじゅうに現れますが
貴方の耳には犬笛のように聞き取ることができません
貴方が本物の瞑想によって、本物を心の内側に見出したとき
それは外側にも投影されて、本物が現れます。
貴方はまだ本物の瞑想を知らないので
この世の内側と外側の関係を実体験していないから
理解できずにいるのです。
本物の指導者はそれを実体験させることができます。
内側に求めなさい。
外側には一切ありません。 >>95
貴方自身がその答えを他人に聞いてるかぎり
理解できることはありません。
なぜなら、神と人の精神の違いは
貴方自身が目や耳で聞き取る情報の次元を
遙かに超えているからです。
それを感知するには瞑想という手段しかありません。
瞑想のみが貴方の疑問に答える秘密なのです。 あっ間違ったジェフリーじゃない、ジェニファー・ローレンスだ。 ≫96
君には電子が見えないのか? 見えないかもしれんな。感覚器官でとらえる
のは難しい。しかし勉強するとみえるようになるぞ。
妄想よりも勉強しろよ。
瞑想だって電子と同じで、ちゃんと手順を踏めば見えるようになる。
妄想して飛躍していたらいつまでたっても見えるようにはならん。 >>99
よかったね
で、電子見えたら何か人生が変わったの? >>99
君は電子が見えるのに、本物の瞑想者は見えないんだ(苦笑 99を覚えて、掛け算ができるようになるとどう人生がかわったかな? >>98
だよな、ググったらオッサン出てきてビックリしたわ 本物は目に見えないんだよ。心は見えないだろ?
たとえあんたがバイキン見えようが、電子みえようが
本物は心でしかそれを証明できないがゆえに
見えることはない。 それは重大な勘違いだぞ。心が見えないから体を観察して体を頼りにして心を見る。
こころで見るんじゃない。こころをみるんだ。
それをビッパサナ瞑想という。
簡単にいうと、心と身体がまじわる深いレベルに焦点を当てる。
そこでは心の動きに条件づけられた体の反応がある。そこで身体感覚を注意深く
観察するとことで、心と体の条件付けに気が付く。
心の観察ならもっと良い方法が最近では考えだされている。
97なんかも瞑想について平気でうそをつくが、それは自動的に嘘をつくように
条件づけられているからだ。その嘘をついた瞬間に
何で嘘をつくんだろ
何で嘘をつくんだろ
何で嘘をつくんだろ
と、繰り返し問うことで、心の病が見えてくる。問いの仕方が重要で
単に機械的に問うてもだめだ。だから病気の人は自分でやっても難しい。病院で先生に
問いを発してもらうのがいい。
ただし頭の良い人だと論理的に問うことができるから、必然的に適切な
問いが生まれて、自力で病気を治すことができる。 ビッパサナ瞑想は鋭利なカミソリのようなツールだ。だから単機能で使ってこそ
意味がある。それで料理をしたり木を切ったりするのは好ましくない。
ところが仏陀を余りにも偉い,偉いと持ち上げんがために、木でもなんでも切れると
いう。そんな使い方はビッパサナには全くふさわしくない。
風邪をひいたらトンプクの方がましだ。 本物のワインはあるだろうか?
100万円のワインは500円のワインよりも美味しいだろうか?
新鮮なワインの時は500円くらいだ。その同じワインを寝かせると100万円になる。
寝かせると美味しくなるのだろうか? 古い方がおいしいのだろうか?
2000円のワインと100万円のワインの味の区別は殆どつかない。特殊な訓練をした
人だけが区別できる。なんのための区別だろうか?
古いと価値があるのだろうか? 3000年前の梅干しは美味しいのだろうか?
ありがたいもの、貴重なものだろうか?
悟りを開いた人が3000年前の梅干しを舐めても、時代を特定はできないだろう。
しかし科学技術を用いれば時代をただしく特定できる。
悟りでは梅干しの真贋を鑑定できない。真贋を鑑定するには科学技術が必要だ。
悟った人の目はは梅干し鑑定に関してはたんなるふしあなだ。玉ねぎでもニンニクでも
肉でも同じだ。それの鑑定などできない。
悟りができるのはもっと別のことだ。 >>105
君は精神が分裂してしまってる。
精神病院に通う必要がある。つかもうすでにいってるかもしれんが。
書いてることが何を言いたいのか一定していない。
文の最初と最後みればわかるが、まったく違う話題に話が飛んで
話の主旨に一貫性がない。 >>105
>こころで見るんじゃない。こころをみるんだ。
>それをビッパサナ瞑想という。
心で心を観ることはできません。
貴方自身の目で、貴方自身の目を見れないのと同じ理屈です。
貴方はヴィッパッサナー瞑想を知りません。
知らない人間がヴィッパッサナー瞑想の誤解を与ええるような発言は止めなさい。 君は全く正常だよ。心配ない。
それよりも正常な人が正常なだけの話を繰り返して何か意味があるとおもうか?
つまり「君のビッパサナ」が「ビッパサナ」であり、誰が何と言おうとも
「ビッパサナ」であり続けるというのは、まったく異論はない。
石ころが石であり、石であり続けることを繰り返し石であると主張してなにか意味があると思うか?
死、悟り、
これらはある意味完璧だ。手の下しようがない。
引きこもり、スルー、石ころ
これもほぼ完ぺきだ。いや料理方法はもちろんある。それに果敢に挑戦する人もいる。
それよりも扱うなら美人の方がいい。
ジェニファー・ローレンスとアン・ハサウエイはどっちも美人だと思う。どっちが
本物の美人かというのは直観的には難しい。
どっちが頭がおかしいかというと、ジェニファーだと即答できる。
どっちが面白いかというと、明らかにジェニファーだ。
実はアンが好き。ジェニファーは好きだが、本当のところは彼女の才能に嫉妬して
しまう気持ちが強い。憧れ的な存在だ。
ジェニファーは生まれながらにして天然だ。そこがたまらなくいい。しかしアンは
正常だ。そこを突き抜けていってほしい。 瞑想は正常な人が正常を突き抜けるために必要な方法かもしれない。
だからいたってまじめな凡人が瞑想に憧れる。ジェニファーは
瞑想など見向きもしないだろうし必要もない。アンにとっては瞑想が意味を持つ。
彼女の場合は特に臨済禅のように言語的に狂ったテクを身に着けると突き抜けら
れるのではあるまいかとおもう。
シャマタとビッパサナと二つの瞑想方法があるが、ザクッと捉えると
_シャマタ 狂う瞑想
_ビッパサナ 正常になる瞑想
仏陀はあまりにも狂う者が多いのでビッパサナ瞑想を発明した。なのでやはり基本は
シャマタだろう。まず狂うことが必要だ。正常というのは、普通で凡庸ということだ。
安定、繰り返し、大量生産、鈍感、コピペ、ベテラン、プロ、こういうのはすべて
正常と密接に関係している。
臨済禅はシャマタでは足りない分を考案という手法で補う。とにかく狂うことを目指す。
一旦は狂うことで、突き抜ける手がかりがつかめる。 >>110 >>111
君は精神が分裂してしまってる。
精神病院に通う必要がある。つかもうすでにいってるかもしれんが。
書いてることが何を言いたいのか一定していない。
文の最初と最後みればわかるが、まったく違う話題に話が飛んで
話の主旨に一貫性がない。 昔のインド人が考えたことを今の日本人である自分が考え出せないと思うのは
自信の欠如意外のなにものでもないだろう。
様々な民族の人が乗った豪華客船が沈没しそうになる。それぞれの乗客を海に飛び込ませる
には、どのように声をかければいいか?
アメリカ人「今飛び込めばあなたは英雄ですよ」
ドイツ人「規則ですから飛び込んでください」
日本人「みなさん飛び込んでいますよ」
韓国人「日本人はもう飛び込んでいますよ」
潜在意識はこういうユーモアにも表れている。 ♪三味と踊りは習いもするが、習わなくても女は泣ける。
より本質的なことほど習う必要はない。
本物のマスターについて習うような瞑想はダンスみたいなものだ。 >>115
貴方は心の声をまだ聴いたことが無い
なのに瞑想を知っているつもりでいる
かわいそうに >>115
おまえは三昧がどういう状態なのかもわかっていない
瞑想本読書して、妄想してるだけ >貴方は心の声をまだ聴いたことが無いなのに瞑想を知っているつもりでいる
あれもわかっていない。これもわかっていない。本当はもっとすごいのがあると
いつまでも追いかける。
どこかにとっても素晴らしいシャングリラがある。
どこかにとっても素晴らしい瞑想がある。
どこかにとっても素晴らしい何かがある。
といつまでも、何かを追いかける。その何かの総称が瞑想だ。
瞑想はかつては希望だった。夢だった。
言われるままに、採食もした。断食もした。何時間もすわり続けても見た。
座っていると気持ちよくなることが分かった。
しかし本当のところは何もつかめない。
しかし追いかけても追いかけてもつまめない。
涙がぽつり。
いま瞑想は悲しみにかわった。
ツボは悲しみで満たされている。なかにはニンニクと玉ねぎと肉と
採食と断食と涙で満たされている。
ツボを空っぽにしない限り、何も耳には入ってこないのだ。
観却下。瞑想はいつでも目の前にある。 >おまえは三昧がどういう状態なのかもわかっていない
三昧は瞑想とは関係ない。関係ないと言いながら、それすらできない者が気になる。
自分には三昧それしかないからだ。
20年修行してやっとマスターしたのは三昧。
三昧はマスターベーションの技術だ。おれはマスターベーションができるぞ。
と自慢なのだ。 >>121
完全に狂ってる
瞑想に興味がないなら書き込みすんな
おまえは荒らしてるだけだろ >>120
お前は瞑想を少しもやったことがない。
お前は本物の瞑想を知らない。
おまえが本物を知ったとき
いきなりお前の固定概念を崩すことが起きる
本物とはそういうものだ。
おまえは本物の瞑想を知らない。
おまえは瞑想をやったつもりになってるだけで
実際は少しもやってない。
だから知らないのは当たり前だ。 ≫126
神様がやんちゃで面白いなら、瞑想もやんちゃで面白くないと神様には近づけない
だろうな。 >>127
質問の意味がわからん
おまえは頭がおかしい カリアッパ師の教えは「天の声」だ
「天の声」が聞き取れなければ、瞑想とはいえない。
おまえは「天の声」を知らない。
言葉で説明してほしければ「天の声、天風」でググれ
一つもわからない人間でも、
理屈ぐらいは理解できる。 君は天の声が聞こえるのか? それは良かった。凄いじゃないか。
で天の声はなんて言ってるんだい? >>131
天の声が聞えなければ、瞑想ではない
天の声が聞こえるか否かが瞑想できてるか否かの境目
お前は瞑想を知らない 結局は、両方とも涅槃に達していなくせに
わかった風なこと言ってるってことでいいじゃん。
涅槃に達していたら、自我丸出しで、連投なんかしないでしょ。 天の声はなんていってるのかわからんのか? 猫の声みたいなもんか?
でも猫の声よりは良いものなんだろうな? 高級な猫の声よりもずっとずっと
高級なのか? とにかくものすごくメリットがあるんだろうな。100億ぐらいの
価値があるんだろうか? まあでもお金の価値では測れないのかもしれない。
とりあえず100兆の価値があるということで、、、
「瞑想すると100兆儲かります。絶対に儲かります。信じなさい。」
「先生、なんで100兆儲かるんですか?」
「瞑想すればわかる。天の声が聞こえてくる」
「どんな声なのですか?」
「瞑想すればわかる」
「瞑想ってなんですか?」
「それが分からないと話にならない。とにかく瞑想をしなさい。そうすればわかる」
こういうのが君の瞑想だよな。カリアッパ瞑想もこんなのか? >>133
ねはん【涅槃】とは。
「1 煩悩 (ぼんのう) の火を消して、知慧 (ちえ) の完成した悟りの境地。
一切の悩みや束縛から脱した、円満・安楽の境地。
仏教で理想とする、仏の悟りを得た境地。」
これは言い過ぎだろ。絶対に到達できんだろ。これは欲張りすぎだ。釈迦だって
こんなに欲張ったことは言わないはずだ。
だから涅槃の境地を釈迦の言葉で正確に言うと
あるていどは煩悩 (ぼんのう) の火を消して、知慧 (ちえ) が湧き出しやすくなった
状態で、些末な悩みや束縛から脱した、円満・安楽の境地。
このくらいが正しいと思う。なんせ釈迦は中庸、ほどほどにがもっとも大切だと
いうくらいだから、悟りの境地といえどもそんなに欲張ったことは言わないと思う。
カリアッパもそんなに欲張ったことは言わなかったと思うな。 >>135
じゃぁ絶対俺が正しくて他が間違いみたいなレスやめれ。 >>134
まず瞑想を始めろといっている
はじめれば最初わからなかったものが
わかってくる
そうすると新しい段階のものがわかる
なにをはじめるにもやることはおなじだ >>133
お前は涅槃を言葉で読んだだけで、知っているわけではない。
涅槃を知らないのに、誰かが涅槃に至ってるか否かを論じるのは
童貞がセックスについて語るのに等しい。
そんな情けなく滑稽な姿は無い。 >>134
>天の声はなんていってるのかわからんのか?
天の声を言葉で現すことはできません。
貴方は言葉を超越した世界を体験したことがないゆえに
それが何を意味するかも理解できません。
>100億ぐらいの 価値があるんだろうか?
安すぎます。
たとえ1000億、一兆円払ったところで
買えるものではないからです。 >>134
>「瞑想すればわかる。天の声が聞こえてくる」
>「どんな声なのですか?」
天の声とは、「音」無き所に聞こえる「音」です。
すべての物質や非物質が放つ「振動音」といってもいいでしょう。
人間の耳はたとえ周囲に100人の声が聞こえても
注意を払ったたった一人の声を聞き取ることができます。
それはラジオのチューニング機能と似ています。
貴方の耳が、周囲のどの音にも合わせずにいるとき
カリアッパ師流にいえば、「どの音をも相手にしないとき」
天の声が聞こえてくるのです。 >>134
>「瞑想すればわかる。天の声が聞こえてくる」
>「どんな声なのですか?」
天風師の伝記に書かれている内容です。
参考にしてみなさい。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
カリアッパ師「ほんとから言うとねどんな音を耳にしていても
心がそれを相手にしないとその時天の声が判って来るんだよ。」
天風「えーーー!そうですか、心が相手にしなけりゃいいんですね。」
その翌日から言われるままに心が一切の音の相手をしないように
一生懸命やってみたがこいつは駄目だ、
聞くまいと思えば思う程聞こえてきやがる。
こりゃ難しい行だなあ、と思ったけれども
相手にしまいとすればするほどいけない。
その相手にしないと思うことの方が心へどんどん食い込んでくるんだ。
なかなかうまくいかない。
こりゃずいぶん困ったよ。
私もねえ、およそ3ヶ月ぐらいこういう状態だったなあ。
半分神経衰弱に罹った。
口惜しいけどどうしてもうまくいかない、
しょうがないから降参しようと思ってね。 >>134
>「瞑想すればわかる。天の声が聞こえてくる」
>「どんな声なのですか?」
天風師の伝記に書かれている内容です。
参考にしてみなさい。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
「こりゃ、難しいことやったって駄目だ、
こんな事止めた天の声なんか、天の声なんか聞かなくったっていいや、
今までだって天の声聞かなくったって生きてられたんだ、
もう止めだ、こんな難しい事。」
やけくそみたいな気分になっちまったんだ。
いきなり仰向けにひっくり返って目を半眼にして空を見たんだ。
日本の初秋のように晴れた空にちぎれ雲が所々フワー、フワーと漂っている。
その雲の様々なのに思わず興を感じてフワーっと見入っている内に
フッと気が付いてみると耳にいろんな鳥や獣や、
虫の声が滝の音と共に絶え間なく聞こえていても
私の心は見ている雲にフーっと繋がっている事に気づいた。
全然それらのものとは離れて漂う雲の中に私の心が入って無心でいる
自分に気づいたんです。
何にも考えていない。
あっ、これじゃねえかしらんと思ってね。
刹那の悟りでしょうなあ。
思った途端にボロボロ涙が出てきてね。
人が居ないんですから大きな声出して泣いちゃったよ私。
ああ、こういう心持ちの中に天の声というのは聞こえるんだな。
聞こえました。もう、その時は駄目だ。我に帰っているからね。
何も聞こえない。やっぱり駄目じゃねえか。
何だかへんてこになっちゃってね。 >>134
天風師はこの時初めて、「瞑想」というものを知りました。
天の声が聞こえてないかぎり、それは「瞑想」とはいえません。
まず天の声を聴きなさい。
天の声を聴くことこそが「瞑想」なのです。 >>134
>「瞑想すればわかる。天の声が聞こえてくる」
>「どんな声なのですか?」
「天の声」は、ヨガの流派によっては「ナーダ」とも呼ばれます。
ウィキに「ナーダ」の説明を見つけましたので参考にしてみなさい。
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「全ての宇宙とそこに在る人間を含む全てのものは、ナーダと呼ばれる音の振動から成り立つ」
ナーダ・ヨーガによると連続音と精神統一、呼吸制御によって、
個人で自身のアナハタ(内部音)を聴く事が出来、9つの異なる形を取り得ると
される。
瞑想の補助としてこの内部音に集中する事は心を制御するのに
とても役立ち、明確に認識出来るようになると、
外の生活でも同様に自分を落ち着かせるのに使える。
段々全ての事象が実際の創造を通して永遠に経験出来る。
出典 ウィキペディアより
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%80%E3%83%BB%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%82%AC >>145
内部音って 耳鳴りみたいなやつで、耳鳴りじゃないやつかなぁ? >>146 瞑想できてないうちは
耳鳴りしかきこえん >>147
じゃぁ俺は瞑想しているということになるんだな。 耳鳴りは耳が鳴る。ナーダは基底音のように全身で鳴る。どこから聞こえてくるか
分からないような音。だから天からの声という。
つまり自我が消えて、音を聞いている自分と音そのものとの区別がつかない状態
全身が音になったような状態。 >>150
慣れれば普通意識でも聞こえる
無になる前に聞こえてくる音なき音だ >>150
その文章、どこで書き写してきた?
かなり瞑想やり込んでる人間の書き込みだが
おまえの自分の言葉でないことだけはわかる。 >>150
昔俺が書いた天の声についての書き込みを書き写してるなら
納得する。この領域に到達してるネラーはまずいないからな おまえのどこに説明がある。お前のはリピートだ。だから
ネットに情報がない天の声は説明がでっきない。カリアッパも天の声もほとんど
情報はないからな。お前は僅かなネットの説明を繰り返すだけだ。
事実、俺が説明するまで天の声がなぜ天の声と言われるか説明できなかっただろ。
「耳鳴りとは違う」これがお前の説明だろ。
でもチャンスをやろう。
天の声をもう少しチャンと詳しく説明してみろ。答えたら先生とよんでやるよ。 >>154
お前が俺の過去ログみて、天の声を説明したことはわかった
図星のようだな。
カリアッパ師を持ち出したのも
俺の過去ログみて、そうしたのだろう。
おまえが俺に興味を示して
俺の過去ログを調べる気持ちはわからんでもないが
真理について言葉で説明することはできない。
たとえお前が俺の真理の説明を書き写したところで
おまえ自身がその領域に到達していなければ、
少しレスを返答されただけで、受け答えができないからわかる。
真理を知らないおまえと
真理について言葉であれこれ議論するのは無意味な行為だ。
それは例えればバイキンのサイズが何センチなのか?を
定規で測って議論するようなものだ。
バイキンは定規で測れるほど大きくはない。
おまえは真理について言葉で説明しろと
バイキンを定規で測れと同じぐらい
滑稽なことを言っているのだ。 >>154
今流行りのスターウォーズで、俺が一番大好きな名言をやろう。
マスターヨーダが語った言葉だ。
「偉大なる戦士だと?戦うものに偉大なものなど、いるものか」
お前は言葉で説明できない真理を言葉で説明できれば先生と呼んでやろうといっている。
俺から言わせれば、言葉で真理を説明できるという人間は
真理を知らない人間だと知っている。
おまえは「偉大なる戦士」はどこにいるのか?と質問してるのと同じだ。
「偉大なる戦士」などいない。
同じように言葉で説明できない真理を言葉で説明できることはありえない。 お前の過去ログなんてコピペだらけなのに誰も読まんよ。W
天の声について書いているところがあれば、そのログを出してみなよ。 これお前だろ。これは天風がきいた天の声とはちょっと違うな。
なんだったら詳しく説明したろうか?
{
天風師のいう「天の声」とは、瞑想中、あらゆる雑念を取り払って
無念無想の境地にいたったとき聞こえてくる「音無き音」
それは物質的な音ではないが
あらゆる音と想念を無にしたとき
あらゆる物質や非物質が放つ、宇宙を構成する最も基本的な振動音が聞こえてくる。
それが「天の声」
瞑想は「天の声」を聴き始めて、はじめて瞑想と言えることになるが、
天風会の人間は、天風師があれほど著書に書き残されているにも関わらず
「天の声」の存在や意味を知らずにいるのは
悲しきことだ。 } >>159
おまえが違うと感じるのは当然だ。
なぜならおまえは文字が違うと感じているだけで
天の声自体を聞いたことがないからだ。
おまえが表面的文字を見ているかぎり
天の声を理解できることは永遠に無い。 >>158
お前はソースをはっきりさせた引用と
パクリのコピペを同じにしている。
ソースをはっきりさせた引用は、
その人自身の表現を参考にするためのもので
おまえがやってるようなソースもわからない検索で調べた
パクリでは無い。 >>150で書かれた文にちょっと質問しただけで
もう会話がつづかない。
それはおまえがどこかからこの文をバックって
アレンジしたからに他ならない。
パクリは瞑想世界ではすぐにばれる。
パクリと引用はまるで違うことを
覚えておきなさい。 お前は罠に嵌った狐だ。色んな人がかわいそうに思って罠を外してやろう
としているのに、暴れまわるので外せない。そうこうするうちに、あちこち
絡みついて相当じっくりと縄をほどかないと解けないような状態になっている。
禅宗では野狐禅というのがこれにあたる。師匠でもなかなか手に負えない。 >>164
野狐禅とはどういうものかな?
もう少し詳しく説明してくれぬか。