骨董屋シリーズだよ
食いたい鋺の話
じゃあ話をさせてもらいますよ。わたしね、昔は骨董屋をやってて、
店を持ってたんです。今はいろいろあってやめちゃいましたけどね。
ほら、骨董って曰く因縁がかぶさってる物が多いでしょ。
だから、なかなか商売を長く続けるのが難しいんです。
いろいろと障りが出てきて。え? 長年やってる人を知ってるって。
まあねえ、そういう人はまっとうな商売をしてるんですよ。
危険な物にいっさい手を出さないっていう。
お前は違ったのかって? ああ、はい。私が骨董に関わったのは、
戦後の混乱期なんです。あのころはもう、何でもありで。
闇市、闇米、密造酒・・・食ってくためにはしかたなかったんです。
でね、骨董の世界では稼ぎどきでもあったんですよ。 ほら、田舎の旧家なんかがたち行かなくなって、先祖代々のお宝を売りに出す。
それを私らが二束三文で買いつける。ええ、ほんらいの値打ちの百分の一も
いかない値段でね。それで、さっき、まっとうな商売って言いましたが、
じゃあ、まっとうでない商売ってのはどういうもんかというと、
2つあるんです。ひとつは、明らかに障りのある品物を扱うこと。
ええ、ええ、それを持ってれば不幸になるってやつです。
これはね、いろいろあるんです。いかにも人の血を吸っていそうな脇差とかも
あれば、見た目はなんでもないような茶器とかもあります。
障りのあるものを、どうやって見分けるかって?
それはね、勘というしかないですね。骨董屋って、昔は、
何代も続けて同じ商売をやってる場合が多かったんですよ。 だから、子どものころから古物に囲まれて育って、そこで、
これはいいもの、これはよくないものっていう勘が自然に養われる。
よくない物の2つ目は、盗品や盗掘品です。
お寺の仏像が盗まれたとか、今でもときおり話を聞くでしょ。
あと、これはさすがに今はないけど、古墳を勝手に掘っかえして出てきたもの。
でね、この2つは重なってることが多いんです。
ああ、なかなか話が前に進みませんね。ある夜です。
店番をしてて、そろそろ閉めようかってときに、若い男が2人、
風呂敷に包んだ古物を売りに来ました。どっちも人相がよくないやつらで、
ひと目でまっとうな人間じゃないってわかりました。
いや、そんなことはおくびにも出さず品物をみせてもらいましたよ。 まず、銅の鏡。それから鉄刀ですね。どっちも錆だらけでしたが、
鏡のほうは売り物になりそうでした。あと、6〜7世紀の土器も何個かあったんですが、
これは売り物にはならない。それとね、銅の鋺(かなまり)です。
この品揃えで、古墳の盗掘品ってわからなけりゃモグリですよ。
よっぽど買い取りを断ろうかとも思ったんですが、
そいつらに暴れられても嫌ですからね。ごく安い値を言ってみたんです。
そしたら、そいつら顔を見合わせてましたが、「それでいいから、置いてく」
って言ったんです。金を受け取ると逃げるようにいなくなりました。
でね、問題はその銅の鋺だったんです。今ね、銅の鋺っていったら、
仏具しかないですよね。けど、古墳時代だと、貴人が食器に使ってた場合が多いんです。
だからそれも、故人が日常使用してたものとして、古墳に副葬したんでしょう。 持ってみるとずっしりと重く、錆がほとんどありませんでした。
色は黒ずんでましたが、少し磨いたらねっとりとした黄色い光を放って。
でもね、そのとき「ああ、これはよくない」って私の勘がささやいたんです。
でも、買い取った以上、売り物です。店の目立つところに飾って、
早めに売ってしまえばいいと思いました。でね、陳列棚じゃなく、
小ぶりのガラスケースに入れて店頭に置いたんです。
いや、売れませんでしたね。お客さんはみな関心を持つんです。
いわれを聞いたり、値段を尋ねたり。でも、値は安くしてあるのに買わない。
この世界は、客のほうも半玄人みたいな人ばかりだから、やっぱりわかるんでしょうねえ。
でね、鋺を置いて3日目でした。朝に売り物を見て回ってたときに、
鋺の中に、ころんと黒いものがあったんです。 「ん、何だ?」と思ってケースに顔を近づけてみると、コガネ虫の頭。
胴体はかじりとられたようになくなった頭だけです。
もちろん鋺を取り出して表に捨てました。・・・このときはまだねえ、
そんなに不思議には思わなかったんです。ガラスケースと言っても、
すき間はありましたからね。何かの具合で入り込んだんだろう。
それくらいにしか考えなかったんですが・・・それから3日後くらいですね。
夜中に、店のほうでガタガタ音がしたんです。でも、戸締まりはしっかりしてましたし、
ネズミだろうって思いました。昔は蝿も蚊もネズミも、どこの家にもたくさんいましてねえ。
今の人はわからないでしょうが、ネズミ捕りでつかまえたネズミを、
ドブに沈めて殺したりしてましたからねえ。でも、骨董屋ですし、
ネズミが食べるものなんてない。そう思って寝直しました。 翌朝、店に出ると、あの鋺のガラスケースの全面が赤黒く染まってまして。
血じゃないかと思いました。調べるとガラスの内側に飛び散ってて、
鋺の中には、大きなネズミの頭があったんです。
これはさすがに、おかしいと思うでしょ。すき間があるとしても、
ネズミが入ることはありえない。まして頭だけになるなんてね。
で、店の中を探しても胴体はなかったんです。そのときにふと、「鋺が食った」という
考えが頭に浮かびました。まあ、そんなことがあるはずはないんですが。
ガラスの血は拭きとって、ありえない飾り方ですが、
鋺をひっくり返して、底が見えるように置いたんです。それから、相変わらず鋺に
買い手はつきませんでしたが、おかしなことはなくなったんです。
ただ・・・あるとき、お客さん来てたんですが、その人が、 「さっき、店に立派な装束を着た、昔のお公家さんみたいな人が入ってったが、
あれ何だい?」って聞いたんです。「いやいや、そんな人は来てませんよ」
そう答えるしかなかったです。その夜です。夢を見ました。
お客の話に出てた貴人なのかもしれませんが、それが暗い中に座っていて、
「食いたい、食いたい、もっと食いたい」ってつぶやくんです。
顔は面長で、時代劇に出てくるように眉を剃ってましたが、その額のとこから
ぼこっとネズミが頭を出したんです。ネズミは「チイチイ」と鳴き、
それに貴人の「食いたい」の声が重なって・・・そこで目が覚めました。
心臓が動悸を打ってましたが、怖いというより気がかりな夢で、
電灯をつけて店に行ったら、あの鋺がケースからなくなってたんです。
ええ、どこにも見あたりませんでした。 でも、鋺がないのを見て、なんだかほっとしたのを覚えてます。
大間違いでしたけども。でね、当時、うちには8歳の息子がいたんです。
「腹減った」って言うのが口癖の。まあ、どこの子どももそうでしたけどね。
戦時中、終戦直後よりはいくらか食糧事情はよくなってましたが、
食べるもののない時代で、金があったとしても、食品そのものがないんです。
その子が、めずらしく夕食を残しまして、「腹が痛え」って言うんです。
さわってみると、蛙みたいに胃のあたりがふくれてました。
「何か食ったのか?」 「なんも」それで、いつまでも治らないようなら医者に
連れてくしかないと思ったんですが、しばらくして「寝る」って言いまして。
「腹は?」 「よくなった」で、その夜のことです。
寝ていると、ガチャンと店で何かが割れる音がしました。 「あ、売り物が落ちたか」そう思って見に行くと、表のガラスが割れて
戸が開いてたんです。「!?」すぐ外に出ました。当時は商店街でも街灯は少なくて、
暗い中にしゃがみ込んでいる影がったんです。影は「うまし、うまし」って
言いながら、側溝に顔を近づけてて。子ども・・・息子?
「お前か? 何してる」襟首をつかんでこちらを向かせると、
顔のまわりが黒くなってたんです。手からカランと何かが落ちました。
息子は「食いたい、もっと食いたい」そう言ってて、明るいところに連れてきて見ると、
顔についてるのは泥、鋺の中にも泥。側溝の中をすくって口に流し込んでたんです。
すぐ医者に連れてきましたが、疫痢になって3ヶ月入院しましたよ。
鋺は、その日のうち市場に出しました。・・・ただねえ、あれから数十年たった今も、
噂を聞くんです。障りの強い鋺が出回ってて、何人も死んでるって話を。 さむどの屏風の話
こんばんは。この間、物を食らう銅の鋺の話をしたものです。
他に骨董品にまつわる怖い話はないのか、ということでしたので、
もう一つだけお話したいと思います。屏風ですね。
「さむどの屏風」と呼ばれるものがありまして。
なんでその名で呼ばれるのかは、私にはわかりません。
それと、今どこにあるかもわからないんです。というのは、この屏風、
所有者が代わるたびに、描かれている絵も変わりますんでね。
いや、屏風絵を描きなおしてるってことではないんです。
不思議なことに、自然に絵柄が変化する。どういうことかって?
まあまあ、それをこれから話していくんですよ。
あれは、高度成長期と呼ばれた昭和40年代の始めのことでした。 ええ、日本全体が活気にあふれてたころでね。
まあ、骨董屋はそういう景気のよしあしにはあまり左右されない商売ですが、
わたしのところも少し店構えを大きくしたんです。
で、店に置く品を増やそうと思って、仕入れた中にあったのがその屏風です。
何気なく市場に出てたんです。4曲物でした。ああ、4曲ってのは、
屏風の面のことを言うんです。全体を4つに折りたたむことができるから4曲。
それと、屏風を構成する1枚1枚のことは扇と言います。
いやあ、最初はたいしたものじゃないと思ったんですよ。
時代は江戸中期頃ですかねえ。表装はよかったんです。
骨もしっかりしてたし、いい紙を使ってました。
そこを見極めて仕入れたんですが、値段のこともありました。 異様に安くてね。ただこれは、絵が悪いせいだろうと考えてたんです。
屏風絵は、墨絵で田舎の山野を描いたものでした。
山の間にさびしい道が続いてまして。秋なんでしょうねえ。
ススキらしきものが道の両側に生えてましたから。
ええ、薄墨がさらに薄くなって絵柄が消えかけ、判然としなかったんです。
まあでも、さっき話したように表具はいいから、
これ買っていって、新たに仕立て直すお客さんがいるんじゃないかと考えまして。
でね、店の奥のほうに広げて立てかけてたんですが、
特におかしなことはなかったです。で、ある日ですね。
店に2人連れのお客さんが来ました。どちらも50年配で、
顔が似てたから、兄弟なんだろうなって思いました。 そのうちの一人が「兄さん、あの屏風じゃないか」って店の奥を指さしまして。
そしたら、年上に見えるほうが、「亭主、あの屏風は売り物かね」って聞いて。
「ええ、そうですよ」 「値はいかほど?」
ここで少し考えたんですが、20万って言ってみました。
これね、仕入れ値の10倍なんです。ただ、骨董の値段なんて、
あってないようなもんですから。いくら高くてもほしい人はほしい。
まあ、まからんかって言われたら交渉に応じるつもりでしたけど。
ところが、2人は一瞬顔を見合わせてから、「買わせてもらう」って
即決したんです。これにはちょっと驚きました。わたしの鑑定眼が曇ってて、
価値のある品に安い値をつけたんじゃないかと。
でも、どう考えてもそんな高いものには思えない。 兄弟は現金でその屏風を買い、その日のうちにトラックが来て運んで
いったんです。うーん、儲けたのか、それとも儲けそこねたのか、
わたしにはよくわかりませんでした。それから・・・
1ヶ月ほどして、そのときの兄弟の兄のほうが店に来まして。
印象に残ってたんで覚えてたんです。で、開口一番、
「ここで買った屏風、引き取ってもらえないかね」って。
「ははあ、買い戻せってことですか?」 「いや、金はいらんから」
「どういうことです?」 「それが、家が手ぜまで置けなくなった」
「・・・・」こんなやりとりがあって、屏風が戻ってきました。
変な話ですよねえ。まあ、古物を買っていったお客さんが、
すぐに返しにくるってこともないわけじゃないんです。 ただ、金はいらないって言われたのが気になりましてねえ。
だって、骨董屋はいくらもいるんだし、そっちに売ればなにがしかの値段には
なるでしょう。でね、返ってきた屏風ですが、見ると絵が変わってたんです。
よく似た絵柄ではありました。藁葺の田舎家がいくつか建ってる中を道が続いてて、
遠くのほうに歩いてる人の姿がかすかに見える。でも、男か女かもわからない。
紙は同じものが使われてるように思えました。ああ、絵をはりかえたのか、
だからただで引き取ってくれってことなのか。でも、わたしには、
前の絵も新しいのも、どっちも同じツマラナイものに思えましたけども。
それから、半年くらいたったんです。屏風のほうは、ずっと売れないし、
関心を示すお客さんもいなかったから、蔵にしまってました。
で、その日、わたしは同業者の会合の帰りで、信号待ちをしてました。 そしたら、「おや、○○骨董屋さんじゃありませんか」こう声をかけられて、
そっちを見たら、見覚えのある顔で。でも、誰だかはわからなかったんです。
「ほら、お店で屏風を買った」それで、あのときの弟さんのほうだと気づきました。
「その節はどうも」 弟さんはちょっと躊躇した様子でしたが、
「これから時間ありますか、どうです、そこらでコーヒーでも」 「いいですよ」
こんな感じで、近くにあった喫茶店に入ったんです。
ここから話すのは、そこで弟さんとしたものです。
「あの屏風、お兄さんが返しに来られたんですけど、絵をお変えになった?」
「ああ、いや、なんというか、自然にああなったんです」 「どういうことです?」
「じつはですね、そのあたりのことを聞いていただきたくて、お誘いしたんです」
「ははあ」 「あの屏風、さむどの屏風って言うんですが、ご存知でしたか?」 「いえ、不勉強で」 「ここから話すのは、身内の恥になることですが、
どなたかに聞いていただかないと心が休まらなくて」 「どうぞお話しください」
「わたしらの親父なんですが、70歳を過ぎて呆けが始まりまして」
「はい」 「ただ体のほうはなんともなく、
体格もいいですから、暴れはじめると手がつけられなくて」
「はい」 「親父は若い頃、ある組に入っていて、背中には彫り物もあるんです」
「はい」 「だから暴れだすと、年老いたおふくろはもちろん、
われわれ兄弟でもどうにもならなかったんです」 「施設などもありますよね」
「それが、なんとか一度入ったんですが、暴力のために追い出されてしまいまして」
「ははあ」 「それで、あの屏風がお宅の店にあることを人づてに聞いたんです」
「どういうことです?」 「あれね、昔からあるもので、 自分の親がどうにもならなくなったときに使うんです」 「・・・」
「あの夜も、酒を飲んで荒れてた親父をなだめすかして、兄といっしょに
どうにか寝かしつけたんです」 「はい」 「で、その枕元に屏風を立て回しました」
「?」 「朝になったら、親父がいなくなってたんです」 「??」
「もちろん警察に連絡しまして、呆けがかかってたことも話しました」
「警察が捜索したってことですよね」 「ええ。でも1ヶ月たっても見つかっていません」
「そういう話は耳にしますよ。徘徊って言うんですか、
呆けた年寄りがふらっといなくなって、そのままっていうのを。
おおかたは川とかに落ちたりしてるのかもしれませんが」
「それで、屏風の絵が変わってたんです」 「意味がわかりません」
「あの田舎家のある景色ね、われわれ兄弟が子どもの頃に住んでた土地なんです」 「・・・」 「遠くに向かって歩いてる人がいたでしょう」
「はい」 「あれ、親父なんです。夢の中で屏風に入っていった」
「まさか」 「ええ、そう思うのは当然です。わたしも最初、知人からその話を聞いた
ときにはまったく信じませんでしたから。でも、見てたわけじゃないけど、
親父が消えてしまったのも、絵柄が変わってたのも事実です」
「うーん、それが本当だとして、自分の親じゃないとダメなんですか?」
「そういう話です。あの屏風、まだお店に?」
「ええ、蔵にしまってあります」 「そうですか・・・」
この後、コーヒーを飲み終えてすぐ別れました。その後は会ってませんね。
屏風ですか? その後しばらくして市場に出しました。え、わたしの親に使う?
いやいや、そんなことは少しも考えませんでしたよ。 扉の掛け軸の話
今晩は。前に何度かおじゃました元骨董屋です。ほら、鋺とか屏風、鏡の話をした。
また一つ、奇妙な事件に関わったので、やってきました。
ええ、私はもう骨董屋は引退してるんですが、ときおりね、目利きを頼まれるんです。
立派な言葉で言えば鑑定ってやつです。ほら、テレビで「何でも鑑定団」なんて番組を
やってるでしょ。でもねえ、私から言わせれば、鑑定なんて言葉を使うのは、
うさん臭いやつが多いんですけどもね。それで先月、その旧家におじゃましまして。
私らが古物を仕入れる場合、方法は大きく3つあるんです。
一つは店買い。そう、お客さんが持ち込んだ品物を買わせていただく。
これはね、ピンキリですけど、あんまりいいものはありません。
それと、盗品に気をつけなくちゃならない。だから、悪いけどね、
店に来たお客さんの人品骨柄は、しっかり見定めさせてもらいます。 それはそうでしょ。貧乏くさい、骨董の知識なんてなさそうな人間が、
すごいお宝を持ってきたとしたら、やはり怪しみますよね。
次が市場買いです。ええ、仲間内の市で仕入れる。でも、これでいいものは買えません。
あたり前ですが、いい品だったら自分の店で売るでしょ。
3つ目が、宅買いです。はい、個人のお宅に出張して買い取る。
これが一番期待できます。でね、宅買いにも2種類あるんです。
まずは、亡くなった方が生前に骨董を集めていたのを、まとめて買い取る場合。
ただこれも差があって、一般のお年寄りが年金でちょこちょこ集めてたのと、
大会社の社長だった方とかのコレクションじゃまるで違います。
あと最後ね、その地方の旧家が解体されるときに、蔵にしまい込まれてたお宝を
一気に買い取る場合。これは大きな商売になりますよ。 ああ、すみません。内輪話が長くなってしまって。でね、先月、目利きを頼まれたのは、
長野のほうにある古いお屋敷で、当主の方が事故で亡くなられたんです。
狩猟を趣味にされてたみたいで、山で猟銃事故があったみたいなんですね。
で、当主の死をきっかけに、子どもたちが遺産分けをすることになり、
屋敷も、お宝類も一切現金化してしまおうってことだったんです。
私が頼まれたのは、もちろん、現役の古物商じゃないからです。
ね、自分が商いするわけじゃないから、公正な評価ができる。
そう思われたんでしょうね。でねえ、すごいお宝ばかりでしたよ。
江戸中期頃のものが多かったんですが、中には室町と思える硯箱の逸品もありました。
で、その中で一つだけ、評価に困る品物があったんです。
掛け軸でした。表装は古かったですが傷みはなく、 いい拵えでした。でも、絵柄がどうにも判断のつかないもので。
扉が描かれてあったんです。おそらくはかなり古式の、神社の扉です。
賽銭箱や鈴のようなものはなく、ただの固く閉まった扉。
でね、その前に空の三方が一つ置かれてる。ほら、神道で使う供物を乗せる台ですよ。
ねえ、おかしな絵柄でしょう。絵そのものは上手いも下手もない、
写実的なもので、正直、時代もわかりませんでした。使われてる顔料の分析をすれば
判明するかもしれませんが、そこまではねえ。もちろん署名や落款はなし。
で、値はつけられないです、って正直に言ったんです。そしたら、
お子さんの一人から、こんな話を聞かされまして。
この掛軸は、故人がとても大切にしていて、普段は厳重にしまってあるのが、
ときおり出されて、奥の和室の床の間に飾られることがあった。 故人は、株の取引、為替、先物買いなんかを手広くやられていたようで、
その掛け軸が持ち出されるのは、大きな取引の前が多かったそうです。でね、
故人は山に入って、野兎なんかを撃ってきては、その掛け軸の前に投げ出すように置く。
あと、猟期でないときは、ペット屋から小動物を買ってくる。
で、絞めてから同じようにする。畳が血で汚れたりもしたそうです。
それで、その部屋には故人が一人で籠もり、家人は朝まで絶対に入れずに一晩を過ごす。
故人は夜が明けると、憔悴した面持ちで出てきて、まず風呂に入る。
それから大飯を食ったんだそうです。ええ、中肉中背の人で、普段は晩酌をして
食事はあまりとらなかったのに、おかずなしで、おひつに山盛りの飯を平らげたそうです。
それとね、不思議なことに、その部屋に持ち込まれた狩猟の獲物の動物が、
どこにもなくなっていたんだそうです。 でね、これに関して、相続人の一人の息子さん、といっても50代くらいでしたが、
「私は一度だけ部屋をのぞいたことがある」とおっしゃられて。
その人が結婚前でまだ実家にいたとき、例によって故人が白兎を持って部屋に籠もった。
息子さんはその儀式に前々から興味を持っていたので、
夜中の3時ころに、その部屋までそっと近寄って、小さく小さく横手の襖を開け、
こっそり中をのぞいてみたんだそうです。そしたら、床の間の掛け軸を前に、
故人がきちんと正座し、目を前方に据えている。
でねえ、掛け軸の前に置かれてるはずの白兎がない。おかしいと思って見回すと、
なんとね、絵の中の三方に兎がのせられていた・・・
ええ、絵の中に入っちゃったってことですね。息子さんはひどく奇異に感じましたが、
音をしないように襖を閉め、それで戻ってきたそうです。 で、翌朝、故人が部屋から出てきたんですが、いつもと違って、手で兎の足をつかんでいて、
しかもその兎は、まだ獲ったばかりだったのが、ズルズルに腐っていたそうです。
それと、故人の額に、?の字型の傷があり、血がしたたっていました。
故人は部屋から出てくるなり「不興をかった、何故だあ!!」
大声でそう叫ぶと、そのまま布団に入って3日3晩起きてこなかったそうです。
息子さんが責められるとかはありませんでしたが、そのときの取引は大損で、
一時は家が傾いてずいぶん困窮したそうです。ですから、それ以来、
部屋をのぞくことはしなかったということでした。
でね、故人は70歳を過ぎても、ときどき大きな取引をしてましたが、
亡くなる直前、子どもらの家族が実家に呼び集められまして。
ええ、故人からみたら、ひ孫にあたる幼児も何人かいたんです。 で、それまでは小さい子をかわいがることなどあまりなかった人なのに、
夕食の席で小さい子どもを一人ひとり抱きあげて、頭をなでたり頬をさわたりしたそうです。
それから、その掛け軸を出してきて、奥の部屋に飾った。
でも、その翌日、急に猟にいくと言い出し、鉄砲を持って一人で山に入り、
そこで亡くなったんですね。自分の鉄砲で頭を撃ち抜かれて。
警察は自殺も疑ったそうですが、そこは旧家ですから、猟銃事故ということにしてもらって、
葬式を終えた。でね、故人の奥さんはとうに亡くなってましたから、
最初のほうで話したように、子どもたちはその家を畳むことにして、
すべてをお金にかえて遺産分けすることになったんです。
ですが、調べてみると、現金は思いの外、少なかったんです。借金こそなかったものの、
おそらく投機の失敗が続いていたんでしょうねえ。 で、私ね、よせばいいのにスケベ心を起こしまして。その掛け軸、もっと専門的に
目利きしたいと言って、借りてきたんですよ。だってねえ、気になるじゃないですか。
これもおそらく、何かしら命を持った古物なんでしょう。
引退はしましたが、そういう興味は失っていない。でね、自分の家に持ってきて、
和室の床の間にかけてみたんです。ええ、私は今、一人暮らしで、
迷惑をかける家族はいませんから。掛け軸を前にして、つまみなしで焼酎の
ロックを飲んでました。そうやって朝まで過ごすつもりだったんです。
何が起こるか?起こらなくても、それはそれでよしと思って。
夜中の12時を過ぎても何も起きませんでした。ただのつまらない絵柄の掛け軸。
少々飽きてきまして、焼酎の杯も進みました。
それで、2時を回った頃ですか。少しうとうととして・・・ 獣臭かったんです。ものすごく強い獣臭。それで目を覚まして、
反射的に掛け軸のほうを見ました。そしたら、三方はそのままでしたが、
絵の中の神社の扉が少し開いていたんです。ええ、数cmほどでしたけど。
でね、その間に目が見えたんです。人間のものではない片方の目。
黒目がちで、強い青い光を放っていると思いました。「あっ!!」そう叫んで
私が立ち上がると、「ビシャーン」大きな音をたてて絵の中の扉が閉じたんですよ。
それっきり、朝まで何事もありませんでした。でね、その掛け軸の中のもの、
それがまだ生きてることがわかりましたんで、依頼人の方たちには、
売るのはやめて、どこぞの有名な神社へ奉納するよう進言したんですよ。
まあこれで、今回の話は終わりです。え、掛け軸の中のもの?
それはわかりません。私はあくまで骨董屋で、神職とかではありませんからねえ。