チンポ
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赤茄子(あかなす)の腐れてゐたるところより幾程(いくほど)もなき歩みなりけり 『赤光』 JLボルヘス
ジャック・ロンドンのなかで、二つの対立するイデオロギーが出合い、協調している――生存競争における適者生存のダーウィン説と、人間の限りない愛とが。
(ジャック・ロンドン序文)新編バベルの図書館 マイルス・デイヴィスはブーイングを浴びた。ハンク・ウイリアムスはブーイングを浴びた。ストラヴィンスキーもブーイングを浴びた。
あなたもたまにブーイングを浴びないと何者でもなくなる。 シュナーベルはおそらく史上最大のベートーヴェン弾きです。
私がベートーヴェンの本質にいちばん純粋に引きつけられるのは、シュナーベルを聴いているときです。
(『グレン・グールドは語る』 ) グレン・グールド?
ラジオは子供の頃からとても身近なメディアで、私はほとんど途切らすことなく聴いていました。
だから私にとっては壁紙なのです。
ラジオをつけたまま眠りましたし、実際、今の私はラジオをつけておかないと眠れないのですよ。
睡眠薬のネンブタールを服用しなくなって以来(笑)。 ショパン、シューマン、リスト――特に初期はそうですが――は、効果を狙って書いています。
彼らは、ある意味で、公安を乱すために音楽を用いているのです。
その音楽がどれほど洗練されたものであろうとも、です(ショパンがいい例ですが)。
騒乱を導くことの方が形式上の要件より優先されるのです。 私の音楽の趣味は、新ヴィーン学派に到り、かつそれを含むようです。
シェーンベルクの作品で、私が評価を留保するものも多いですが、それでもかれは巨匠だと思います。
(『グレン・グールドは語る』 ) J.L.ボルヘス?
彼が夢想し、その死によって完成または消滅した物語を想像してみることをわれわれに禁じているものは何もないだがそれはそれとして、彼の全生涯は、ひとつらなりの夢であった。
(ナサニエル・ホーソンの序文)
新編バベルの図書館 Kが今日中にもたどり着こうとおもっていたかなたの城は、すでにふしぎに暗くなり、ふたたび遠ざかっていった。
それでも、しばしの別れの合図は送ってやるぞといわんばかりに、城のほうから悦ばしげな鐘の音がひびいてきた。
そのひびきに胸をしめつけられるような思いがした
『城』 グレン・グールド?
(夢もラジオの影響を受けますか?)もちろん。
睡眠中にニュース番組がある場合の話ですが、私はそれを聴き取り、夢の題材にしてしまうのです。
(『グレン・グールドは語る』 ) ボブ・ディラン
穴の底に落ちてみるのもいいものさ。 パウル・ツェラン
粒状の、/粒状で、繊維状の。
茎状の、/密な――/葡萄状で、放射状の――腎臓状の、/板状で、/塊状の――粗な、枝―/分れした――石は、口を/さしはさまなかった、石は、/語りかけた、/閉ざす前のかわいた目に語りかけた。
//語りかけた、語りかけた。
/だった、だった。
(『迫奏』) グレン・グールド?
アーチストは聴き手の要求を意識しない存在であるべきだ。
注目されなければ無名でいられるから、人のために弾くなどという錯覚を起こさない。
聴衆もアーチストの奴隷でなくなるだろう。 葛原妙子
エジプトの死王起きあがることありてあなまぼろしの飲食(おんじき)をせり 『をがたま』 Franz Kafka
朝、胸苦しい夢から目をさますと、グレゴール・ザムザは、ベッドのなかで、とほうもない一匹の毒虫に姿を変えてしまっていた。
あおむけに寝ている背中は鎧のように固く(中略)情けないほど細いたくさんの脚が、眼のまえにちらついているのは、いかにもよるべない風情だった。
『変身』 グレン・グールド?
バッハとは、息子たちの華美で芝居がかった演技性に支配された世界に生き残っていた古い時代の音楽家の思想を集大成した人物だったのです。
(『グレン・グールドは語る』 ) 葛原妙子
水中より一尾の魚跳ねいでてたちまち水のおもて合はさりき 『葡萄木立』 古井由吉
ついでに、詩経や楚辞、さらに易経まで読んだのだから、我ながらご精進のことです。
(「群像」2012年12月号 翻訳と創作と) 古井由吉
私には生来行き過ぎる傾向があって、唐代にさかのぼり、おおよそ漢代から南北六朝時代の詩を集めたアンソロジー、「古詩源」と言います。
清の時代の沈徳潜が集めたものですが、これを随分熱心に読みました。
(「群像」2012年12月号 翻訳と創作と) Franz Kafka bot? @kafkaf
きわどい課題ーー爪先立ちの歩行。
ただし、朽ちた梁を橋として、このうえを渡る。
したの水面に映った自分の鏡像、ただそれだけを踏んで渡る。
足で全世界を吊るす、この苦痛に堪えられるよう、両手はただ空中にあげて痙攣させておく。
『断片』 葛原妙子
椿の花落ちて腐れし泥の窪ミノタウロスの落命おもほゆ 『薔薇窓』 葛原妙子
まなぶたに蠍(さそり)の如き傷置かばきらきらと更に倨傲なるべし 『飛行(ひぎゃう)』 吉田健一
寧ろ旅をなすものは夜通り掛つた横丁の石畳が放つ鈍い光とかホテルの窓から観た向う側の建物の屋根とかいふ自分が住み馴れた場所でも珍しいとは限らないものでただそれが旅で正確な働きを取り戻した眼に映って我々の記憶に残ることになる。
(思ひ出すままに) 吉田健一
女王は、「ふしぎの国のアリス」をおほめになり、このつぎに何か書いたら、その本もぜひ見たい、と言われました。
そうすると、ドッジソンは、むずかしい数学の本を献上したので、女王はひじょうにおこまりになったということです。
(「ふしぎの国のアリス」解説) ステファヌ・マラルメ?
唯単に一つの散策がなされ了った.現在というものについての感覚のうち,幾人かの人の心に,希薄だが正確な一つの感覚を惹き起した,あてもないこの彷徨(ディヴァガシオン)によって. グレン・グールド?
どういうわけか、私はペダルの濫用が大嫌いなのである。
例外は、響きにわずかに光沢をもたせてビートをはっきりさせるといった強調をするとき、そのときだけだ。
実は私にはペダルを踏みならす悪い癖があるが、これはこの強調のためである。
彩りを加えるとか、楽譜に何かを施す意味では、ペダルを嫌う。 葛原妙子
雑木林の中なる古き窯(かま)あとはおそろしきものも焼きしかにみゆ 『朱霊』 パウル・ツェラン
目の中の条痕――/道の半ばで眼差しによって/認められ奪いとられた亡いもの。
/本当に紡がれた、再び舞い戻ってきた/一度もなかったもの。/道筋の半ばで――最も長い道筋の。
(『条痕』) 古井由吉
それでもやがては放棄することになり、ヘルダーリンにもどった。
あるとき旅行先でヘルダーリンを読んでいるうちに、ギリシャ語のおさらいをしなければならないと思いました。
すでに還暦過ぎです。
(「群像」2012年12月号 翻訳と創作と) 古井由吉
長続きしないだろうと思っていたら、思いのほかのご熱心で、
文法書から始めて、アイスキュロスやソフォクレス、さらにピンダロス、毒を喰らわば皿までのこころで、ソクラテス以前の哲学者たち、さらにホメロスまでギリシャ語で読んだものです。
(「群像」2012年12月号 翻訳と創作と) 古井由吉
かなたへ耳を澄ませば、かなたもこちらへ向けて耳を澄ます。
これはヴァレリーの、たしかナルキソスの詩の中にある言葉です。
ナルシスといえば水鏡です。
視覚的には鏡ですが、聴覚的には谺とも言えるでしょう。
(「群像」2012年12月号 翻訳と創作と) 古井由吉
息を引き取った後で、死んだ自分を去り際に振り返る。
そんな想像が人の内に埋めこまれているようだ。
(たなごころ「群像」2017年8月号) 葛原妙子
みるみるにテレヴィの枠よりしたたりて腥き血は床(ゆか)に澪れき 『朱霊』 パウル・ツェラン
こうも書いてあった、……と。/どこに? 僕らは/それについては沈黙を守った。
/毒に鎮められて、大きな、/一つの/緑色の/沈黙。一ひらの夢、それには/何か植物のようなものへの思いがまつわっていた――/緑色の、そう、/まつわっていた、そう、/邪悪な/空の下で。
(『迫奏』) 原石鼎(1886〜1951・12・20)
ぎくぎくと乳のむあかごや春の潮
高々と蝶こゆる谷の深さかな
青天や白き五弁の梨の花
夕月に七月の蝶のぼりけり
秋風や模様のちがふ皿二つ
けさあきの一帆生みぬ中の海
頂上や殊に野菊の吹かれ居り
蔓踏んで一山の露動きけり
とんぼうの薄羽ならしし虚空かな
雨を来し人の臭ひや桜餅 J.L.ボルヘス?
人間は幻のような存在でしかない。だからこそ人の心を揺り動かすのだ。 ボブ・ディラン
いい芸術家になるためには飢える必要はない。愛と深い洞察力と強い見解を持っていればいいんだ。
それに堕落しないように努力しなければならない。妥協しないこと、それがよい芸術家に必要なことだ。 葛原妙子
ガスタンク遠(をち)にしらみて沈みゆくひぐれ蒼白の薔薇を咲かしぬ 『飛行(ひぎゃう)』 デリダ
真実を話すためには、誠実であるためには、嘘をつくことができなければなりません。
嘘をつくことができない存在なら、正直であることも誠実でもあることもできません
(『言葉にのって』) グレン・グールド?
聞く者にこの世のことを忘れさせてくれない音楽は、それができる音楽より本質的に劣っていると私は思う。 Franz Kafka
「当地にはこんなことわざがあります。ご存じかもしれませんが『お役所の決裁は、若い娘の返事のように煮えきらない』というんです」。
「みごとな観察だ」とKは言った。
「うがった見かたです。お役所の決定のしかたは、ほかにもまだ若い娘と共通したところがあるかもしれませんね」
『城』 吉田健一
酒を飲んでいてそれが所謂いい酒ならば酔いが一定の所に留っていてそれ以上にも以下にもならない。
それは酔っているのに違いなくても意識が普通よりも多少は鮮明になっている程度のことでその状態が続けたいから飲むのを止めずにいることにもなる。
(埋れ木) パウル・ツェラン?
月は/いくつもの谷のなかへもぐる、
/窪地に お前の像を描く……//羊歯が/死んだ甲虫たちに 静寂をそよがす…//いくつもの根が 互いに抱き合う…/リューベツァールが 眠っている……//夜は、
/もはや鳴らない…
(『(ぼくの荷車は)』) 葛原妙子
冬の甍(いらか)あらはなる日よ胎児は仄暗き羊水の中に揺れゐき 『葡萄木立』 ステファヌ・マラルメ?
詩句,――数個の単語(ヴォカーブル)を,一つの自己完結的な,全く新しい,国語には属さない謂わば一つの呪文を形造っているような語(モ)に作り変える詩句というものが,
〔……〕用語に残存する偶然性を,至上のひと吹きによって否定しつつ,言葉のこの孤立を完成する. パウル・ツェラン?
いくつもの根が 身をよじる――/その下に/おそらく 一匹のもぐらが棲んでいる……/あるいは一人の小人が……/あるいは ただ土か/そして 一条の銀の水が……//もっとよいのは/血であるのに。
(『願い』) パウル・ツェラン
声ではない/声――一つの/晩いざわめきが、時ならぬ時、/ようやくここで呼び醒まされて、/お前の思いに授けられる――一枚の、
/目の大きさの、深く/刻み目の入った果皮、それが脂を/滴らす、傷口は/塞がろうとしない。
(『声たち』) 葛原妙子?
原始恐怖 おほいなる杉のうしろより動かぬ黒き水をみしかば 『原牛』 グレン・グールド?
マイクロフォンのおかげで、何より、気乗りのしないときに弾かなくてもいっこうにかまわなくなりました。
つまり、弾く代わりに、腰掛けて、コーヒーをもう一杯飲んでもいい。
それから2回でも64回でも、ある楽曲の実現可能な最高の解釈が完全に組み上がるまで、いくらでもやり直しができるのだ、と。 ステファヌ・マラルメ?
ユイスマンスは好んで,たとえ異例のものであれ資料の数々(十五世紀における,魂の,悪における耀きと,われわれとのあいだの比較)を提供するというのとは限りなく並外れた射程を持つ一作品によって,
現下のパリにおける,悪魔性の奇妙な延滞を暴き出した. 吉田健一?
今になって見ると、記憶の上で錯覚が起きて、牧野さんが二階に寝ているのではなくて我々と一緒に坐っていたような気がしてならない。
そしてそれが牧野さんの臨終が間近に迫った時のことであるから、これは美しいことである。
(晩年の牧野伸顕) 斎藤茂吉?
円柱の下ゆく僧侶まだ若くこれより先きいろいろの事があるらむ 『つきかげ』 吉田健一?
つまり、夏の一日の終わりは既に秋を、と言っても、英国の秋を感じさせて、そして春は夏に、又夏は秋に、いつとはなしに移って行き、これが実際は一つの、冬と違って日光が一切を金色に染める季節になっていると見ていい。
(英語と英国と英国人 英国の四季) 赤茄子(あかなす)の腐(くさ)れてゐたるところより幾程(いくほど)もなき歩(あゆ)みなりけり 『赤光』 グレン・グールド?
バッハとは、息子たちの華美で芝居がかった演技性に支配された世界に生き残っていた古い時代の音楽家の思想を集大成した人物だったのです。
(『グレン・グールドは語る』 ) パウル・ツェラン
僕は賭けに勝った、負けた、僕らは/陰鬱な奇蹟を信じていた、大空に/そそくさと描かれた木の枝が僕らをにない、たなびく/白い雲を貫いて月の軌道へ生い立った
/明日が/昨日に飛び移った、僕らは、/四散しながら、燭台を手に取った、僕は/すべてのものたちを誰でもない者の手の中に突き落した。 Franz Kafka ?
「大弁護士って、いったいそれは何者です?」とKは訊ねた。
「じゃあまだあなたは彼らのことを聞いたことがないんですね」と商人は言った
「かれらのことを聞いたあとしばらくかれらの夢を見ないような被告はいませんよ。大弁護士が何者かわたしは知らないし、だれもかれらに近づけないんです」
『審判』 吉田健一?
後に確か木立ちがあってそれが緑だったから、とにかく、冬ではなかった。
汽車の車輪を金槌で叩けばその音が響き渡るような冴えた眺めで、それをその時聞いた気がするのはこれはプルウストの小説の終わりと記憶がごっちゃになっているのかも知れない。
(英国に就て 日光浴) 吉田健一?
つまり、英国の冬のひどさやクリスマスの楽しさはエヴェレストの征服やスコットの南極探検と無関係ではないのである。
もちろん、だからどうということはない。
全くそれだけの話であり、ただそれは、掛け値なしの事実なのであることを言っておきたい。
(英国に就て 英国の四季) ステファヌ・マラルメ?
単にわれらの富を再び(音楽から)奪回する技術を追究するというところまでわれわれはまさしく来ているのである,と私は信ずる. 葛原妙子?
黒死病の死屍をのせゆく喪の舟としてゴンドラは黒く塗られき 『朱霊』 葛原妙子?
秋の蜂柘榴をめぐり鋼鉄の匂ひを含むけさの空なり 『橙黄』 ステファヌ・マラルメ?
書物の製造は,ふくらんで行くであろう全体の中で,一つの文から始まる.
遠い昔に遡って,詩人は,精神のために又は純粋な空間の上にしるされているソネの中でその一行が占めている位置を知っているものなのだ. 我々は,決して止むことのない呼声を,我々の内に鳴り響くのを聞く ── ここに問題がある.その解を求めよ.純粋理性によって解決が見出されるであろう.
何故ならば,数学には無知であり続けることは存在しないからである.
(ダフィット・ヒルベルト,1900年パリでの第2回国際数学者会議にて) パウル・ツェラン?
葉の傷痕、蕾、繊毛。/日にそっぽを向いて、凝視しているもの。/口をぽっかり開けている真実の殻。/唇は知っていた。唇は知っている。/唇はそのことについて最後まで沈黙する
(『口の高さほどの所に』) Franz Kafka ?
これもまたカフカの答えのひとつである。
すなわち、作家を世界に参加させるもの、世界の欠陥そのものに参加させるもの、それは最終的にはひとつのエクリチュールの精密さなのである。
世界が「できあがったもの」ではないからこそ、文学は可能なのだ。
(ロラン・バルト『カフカの答え』) 吉田健一?
併しそのどれ位あるか解らない壜に入つた洋酒の色はどうしてそのやうに曲がないものなのか。
それはグラスに注いだ葡萄酒を明りに翳して見るのとも違ひ、その赤や青や多くは茶色をしたものは薬品と考へても差し支へなくて内山はもつと潤ひがある色を見て来たばかりだといふ気がした。
(金沢) 葛原妙子?
指先にくちなしの色のバター置きひだるき青年は猫をやしなふ 『原牛』 ボブ・ディラン?
フォークの詞の一節には、ロックンロールの一曲全部よりも深い。
人生の真実、絶望、悲しみ、勝利感、超自然的なるものへの信頼などが満ちていた。
そういうものが必要だと思った。 J.L.ボルヘス?
すべての文学は、最終的には自伝的なものである。 パウル・ツェラン ?
星を、この星を、/闇夜へ投ぜよ。//(僕の、僕の/闇夜へ。)(『木の星』) パウル・ツェラン?
それらはみな 沈んだのか。/砂は。/槍たちは。/戦士たちの腕は。呼吸する顔は。//沈んだのか。それらは沈んだのか。
//まわりを取り囲む黒人たちの吃る魂が/ぐるりで踊り そして押し入った――/影たちを それらは見つけた。/誰のものでもない影たちを…
(『消えた世界のバラード』) パウル・ツェラン?
世界が見えなくなった眼、/瀕死の峡谷の中の眼、/眼、眼――//僕ら二人のからだの下の雪のベッド、雪のベッド。
/時の深さの格子縞の入った/結晶また結晶、僕らは落ちる、/僕らは落ちる、僕らは横たわる、僕らは落ちる。
(『雪のベッド』) J.L.ボルヘス?
万物は〈言語〉の単語であり、それを用いて〈何者〉かが、或いは〈何物〉かが、日夜、世界史と呼ばれる無限のたわごとを書き綴っている。 パウル・ツェラン?
ぼくの血の中の森に 霧が立ち込める――/ひとりの青い王が 馬を駆り そして叫ぶ――/赤い野呂鹿たちが 驚く…
/その星が もっと遠く 満ち潮のなかへもぐる、/蕾たちが 涙の香気を/夢の隠れ家にいる動物たちのうえに注ぐ。
(『バラード』) パウル・ツェラン?
その塔を 誰の雲の拳が 打ち壊したのか。/いま その明星は ふたたび傷だ……/妹よ、見知らぬ瓶からの慰めによって/時刻が曇る。
(『途上で』) グレン・グールド?
人はそれなりに孤独な生活を送ることができるという仮定と、四六時中背景でラジオを流すことが心の支えになるという事実とのあいだに決定的な矛盾があると思ったことは一度もありません。
(『グレン・グールドは語る』 ) 古井由吉?
六十近くになると一度総ざらいをやらなくてはならないでしょう。
そのときにいちばん興味を引かれたのがマラルメとドイツ文学のヘルダーリンでした。
まったく違うんだけど、明快な音調と晦渋な内容が共通していますね。
(「文藝」2012年夏号) 葛原妙子?
水中より一尾の魚跳ねいでてたちまち水のおもて合はさりき 『葡萄木立』 吉田健一?
酒とも、煙草とも縁がない所謂、道学者流が口を酸っぱくして禁欲を説くようなもので、
ロンドンがここから何千里か、何万里も山や海を越えた向うにある時に、
ロンドンのハムはハムステッドのに限るなどと言った所でどれだけの足しになるだろうか。
(ロンドンの味) 葛原妙子?
菊枯るるまぎはを支那の書籍云ふ、死臭すなはち四方(よも)に薫ず、と 『橙黄』 葛原妙子?
たれもいまみることのなき植木鉢ひらめきてパンジーの花増えてゆく 『縄文』 ステファヌ・マラルメ?
たまに開かれるあの火曜会の一夜,私の家で,あなたがわが友人たちの語らいに耳を傾けて下すった折に,ふとアルチュール・ランボーの名前が,何本かの煙草の煙につれてゆらめき出でたことでもあったのかと想像します.
あなたの好奇心を惹く,何か漠たるものを留めながら. パウル・ツェラン?
手、茨が/もとめる傷口、鐘が鳴る、/手、空無、その海原、/手、エニシダのかがよいの中、血の/帆が/君に迫る。(『ブルターニュの素材』) 吉田健一?
寧ろ旅をなすものは夜通り掛つた横丁の石畳が放つ鈍い光とかホテルの窓から観た向う側の建物の屋根とかいふ自分が住み馴れた場所でも珍しいとは限らないものでただそれが旅で正確な働きを取り戻した眼に映って我々の記憶に残ることになる。
(思ひ出すままに) パウル・ツェラン
ぼくの血の中の森に 霧が立ち込める――/ひとりの青い王が 馬を駆り そして叫ぶ――/赤い野呂鹿たちが 驚く…
/その星が もっと遠く 満ち潮のなかへもぐる、/蕾たちが 涙の香気を/夢の隠れ家にいる動物たちのうえに注ぐ。
(『バラード』) ステファヌ・マラルメ?
最高の制度機関であり,というのも王制は終り諸帝国もそうだからだが,重々しく,誇り高く,儀式的なのは,国の,直接的,代議院を期待なさるな,
もう一つの院が続いているのであってみれば,名指すのを遅らせるのは不敬と思える,アカデミーだ. 彼の母親が清教徒はだしの禁欲主義を説けば説くほど、彼の父親はますます極端に異教徒的な快楽主義をかかげて、
母親が菜食主義を採用するにいたったころは、父親はほとんど食人主義まで容認する点に達していた。
(G・K・チェスタトン/木曜の男) 吉田健一?
君を夏の一日に喩へようか。 君は更に美しくて、更に優しい。
心ない風は五月の蕾を散らし、 又、夏の期限が余りにも短いのを何とすればいいのか。
(シェイクスピア/十四行詩 第十八番より) パウル・ツェラン?
ハリケーン。/昔からのハリケーン。/微粒子の吹雪。それ以外は、/お前は/無論知っている、僕らは/それを本で読んだ、それ以外は――/憶測だった。
//だった、憶測/だった。僕らは/何としっかりと/しがみつき合っていたことか――しっかりとこの/二つの/手で?
(『迫奏』) 吉田健一?
童心に返るといふやうなことはただの言ひ方に過ぎない。
もし子供の時にあつたものをなくしたのならばそれを取り戻すだけのことでもしそれが人間である上でなくてはならないものならば初めからなくしていないか一度取り戻すことで又といふことがないことである筈である。
(思ひ出すままに) 吉田健一?
我々が考へる時は言葉を用ゐて絵は視覚を通して精神に働き掛けるものでなければならない。
その上で精神が働き掛けられた結果に就て言葉を見出すといふことはある。
(思ひ出すままに III) Franz Kafka?
「大弁護士って、いったいそれは何者です?」とKは訊ねた。
「じゃあまだあなたは彼らのことを聞いたことがないんですね」と商人は言った
「かれらのことを聞いたあとしばらくかれらの夢を見ないような被告はいませんよ。大弁護士が何者かわたしは知らないし、だれもかれらに近づけないんです」
『審判』 パウル・ツェラン?
砂。砂。/テントの前に、無数のテントの前に/月が その絶え間ない囁きを運ぶ。/「わたしは海だ。わたしは月だ。/わたしを入らせよ。」//「夜」とテントが呟く。「夜であれ。」
(『消えた世界のバラード』) スーザン・ソンタグは、カフカの作品は解釈者たちによって「集団レイプ」されてしまったと書いている。
カフカの作品そのものは傷つけられていないが、カフカに飽きたという声があることも事実である。
だがそういう声が浴びせられるのはカフカにではない。
カフカについて書いた本にである
(ラニツキ) パウル・ツェラン
彼らが横たわっていた場所、そこには/名がある――そこには/名がない。彼らはそこには横たわっていなかった。何ものかが、/彼らの間に横たわっていた。彼らはむこうを/見通せなかった。
(『迫奏』) ステファヌ・マラルメ?
私の劇場,ずかずかと入ってそれを踏みしめること,役者そのものとして――書割から想を得るままに,実験として,私を断片的に上演したってよいではないか,万人の眼の外,万人から暇をとって. パウル・ツェラン?
一つの目が、今日、/もう一つの目のためにそこにあった、連れだって、/閉ざしたまま、潮の流れを/その下の方までくだって行った、積荷を/下ろし(誰も/僕らの心の壁から言葉を――)、
鉤形の砂の堤を/外にむけて築いた――小さな、/航行不能の/沈黙の前方に。
(『引き潮』) 吉田健一?
我々が作者の言葉に従ふのはそれが語るものが人間である我々にとつて真実であることだからでそれならば神経を擽るだけのことを便宜的に真実と取り違へる俗習に基いて驚くべきことになつてゐることは全くその俗習に基いてのことに過ぎない。
(書架記「エリオツト・ポオルの探偵小説」) 珈琲の濃きむらさきの一椀を啜りてわれら静こころなし
(吉井勇) パウル・ツェラン?
粒状の、/粒状で、繊維状の。茎状の、/密な――/葡萄状で、放射状の――腎臓状の、/板状で、/塊状の――粗な、枝―/分れした――石は、口を/さしはさまなかった、
石は、/語りかけた、/閉ざす前のかわいた目に語りかけた。
//語りかけた、語りかけた。/だった、だった。
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