>>891
『太田道灌状』と通称される長ーーーーーーーーーーーーーーい書状。
享徳ノ乱や長尾景春ノ乱で自分や朋輩・配下の者たちが如何に大きな功績を上げたか、
にも拘わらず山内家は碌な処遇もしない、
むしろ道灌たちの足を引っ張るまである、
その事例集を延々書き連ねた果ての最終章で山内顕定をバッサリ斬り捨てている。

一応宛所は顕定の近臣高瀬民部少輔になっているが、これは当時の礼儀に過ぎず実質的には直接指弾。