福島修理亮は新九郎を幕府の文官で戦の実践経験も無いと見下したようだが
新九郎は当時日本最先端の幕府申次で難しい対人的な経験を積んだり、
第13集に出てくる大徳寺の春浦宗熙主宰の軍事研究会(これを一休が批判した訳だが)に参加し孫子の兵法なども学んでいたのだろう。
おそらく低レベルの実戦経験よりは、指揮官としてははるかに有益な知識と経験を持っていたのではないか。

またその春浦宗熙も自分を罵る超有名人・一休を大徳寺の住持に就任させ世間から浄財集めに利用するなどすさまじいリアリストの人物で、新九郎はそういう姿勢も学んだんだろうな。