伊達氏は備中にもいたという話が前に出たけど、井原市の中央を流れる小田川の南岸は伊達氏が支配していたらしくて、城主だったと伝わる戸木荒神山城,や伊達館跡がある
弘治年間(1555~58)に城主の伊達大蔵が伊勢長左衛門尉長盛なる人物(盛頼の子孫か?)に破れ討ち死にしてその歴史は終わるが、新九郎が荏原を巡って盛頼と揉めたり川の氾濫に悩まされていた頃対岸には伊達氏がいたということになる
この伊達氏も駿河の伊達氏も本家と分かれて数百年経ってるから同族意識なんてなかっただろうけど