三浦氏は相模の名族で源頼朝に仕えて鎌倉幕府の重臣となるけど、執権北条氏とその外戚の安達氏と対立し宝治合戦で宗家は滅亡した
この時北条氏に就いた一族の佐原氏が名を継承して相模三浦氏を再興し15世紀末には扇谷上杉氏に仕え、その没落後に戦国大名となるが三浦義同(道寸)の代に伊勢宗瑞に滅ぼされた
その終焉の地になったのが、戦死者の血で海が油のようになったという逸話から名付けられた油壺

今川氏に仕えていたのはこれとは別の駿河三浦氏で、宝治合戦で死んだ三浦朝村の子孫とされるが該当する人物が史料では確認できない
この後どうなったかはネタバレになるので