新九郎の直臣クラスも、新九郎に付いて年の大半、京都に滞在するようになった段階から、荏原の田畑からの収入に加えて、新九郎から給料もらってたのでは無いか?じゃないと無理だろ
どっかに俸禄というセリフもあったしな

存竹三郎だって荏原の初めのころ描かれていた存竹父から分け与えられた猫の額のような畑と三郎に仕える腰を痛めた爺さんひとりだけでは、京に住んで妻と子供がいる生活は難しい