つげ義春氏の漫画作品や、彼が、その漫画作品を、発表し続けていた昭和年代の終わりの往年の彼のやり方として、やはり、あの、パンクないしは、エレポップ的な、時に滑稽じみて見える様に巧みに誘導しつつも、平成のある年月に至るまでは、馬鹿にされかけていた、「暗さの美学、ないしは、ニヒリズムの美学」にまでも辿り着く事すらもできた、彼にして見れば、売れていたはずの当時ですらも、徹底的に、有名人になる事を拒絶し、徹底した、匿名性の美学のもとに、やり続けた事は、全くの正解だったな。だって、そのような、ニヒリズムの美学って、日本的には、来る時代が来た場合には、それが、有名人としてやったのだってら、徹底的にコテンパンにボロくそに、何の意味も、根拠も無く、滅茶苦茶に批判されまくっただろうというのも同時並行的に考えた場合、匿名性を保ってさえいたら、そういう鬱陶しい皮肉屋根性の話も聞かされずに済んだ訳であるから、よって、彼のやり方で正解であったに決まっているのだ。