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ブジョーはゲリラを鎮圧するためには、正規戦とはまったく異なった独自の戦略と戦術が必要であることをよく熟知していたので、アルジェリアで司令部に着任した際には大きな失望を覚えたようです。
というのも、そこではフランス軍がナポレオン戦争の頃、イベリア半島で犯した間違いを繰り返していたためです(同上)。


1843年、アルジェリアで起きたスマラの戦い。この戦闘でフランス軍は敵の宿営地を襲撃し、大きな戦果を上げることができた。敵はモロッコとの国境地帯にまで後退することを余儀なくされた。
やがてフランス軍は組織的な部隊活動によってアルジェリア全土を焦土にし始めました。生活を支える農地を焼き払い、穀物や家畜を強奪し、住民を計画的に困窮、飢餓に追いやることによって、非正規軍の活動範囲を狭め、フランス軍の勢力圏を拡大していったのです。
この作戦を現地で目撃した将軍は、この作戦の利点を認め、次のように記しました。
「ヨーロッパでは大都市2、3カ所を手に入れれば、国全体を手に入れることができる。しかしアフリカでは、テントを固定する杭以外、土地との繋がりを持たない民を相手にしてどうしたらよいというのか。(中略)唯一の方法は、彼らを養う穀物と、彼らの衣服を作る家畜を取り上げることである」(同上)

スペインでの失敗はアルジェリアで活かされてる