>>111 > 魏志の道程表現は四書五経など漢文の専門家が
前時代の文献からほぼ同一表現を見つけてるしね
「海を行くこと30日」などは如何に遠方か示すデフォルト表現でしかない//

なぜ、尤もらしいデフォルト表現をもって、倭が如何にも遠方であるかのごときに、
出鱈目な記載を張政は残したと考えますか?
出鱈目な記載を残すという事は、正確な情報を把握していて始めて出来ることだ。

> 今でも距離と方角を求め実際の地図で検証してるの//

今に限らず、当時の魏は、少なくとも緯度的には、倭の位置を正確に把握していたんですよ。
「 計其道里 當在會稽東冶之東 」というのは、魏志倭人伝の記載だ。
會稽(紹興)というのは、九州最南端・佐多岬の僅かに南であり、
東冶(福州)というのは、台湾最北端の僅かに北だ。
これは偶然なんかじゃなくて、緯度という概念が、当時から知れていて、
各場所での北極星の仰角を測定して、緯度を把握していたと考えるしかないだろ。
むろん、佐多岬にも台湾最北端にも上陸してのことだ。船上では仰角なぞ正確に測れまい。

「 計其道里 當在會稽東冶之東 」というのはね、張政の道程記載によるならば倭の位置は、
紹興福州間の、目ぼしい島嶼が存在しない海域になっちゃうよ藁、という意味だ。
序に云えば倭人伝の出だし、「倭人在帶方東南大海之中」 というのはね、
倭人は太平洋のド真ん中に住んでいる、んな訳ないだろ、という意味であり、
のっけから笑いどころになってるんですよ。
「大海」というのは太平洋のことだ。天候に恵まれれば対岸を見渡せる日本海が、大海の訳もない。

> を漢文の学者が醒めた目で眺めている//
  漢文の学者の事は知らんけどね、君は当時の技術も分からずに、
不正確な地理知見しかなかったとでも考えて、醒めた目で眺めているツモリなのかね。
君はね、かなりさ、粗忽でしかないんだよ。醒めた客観的な目の持ち合わせなぞないね。