ゆうきまさみ総合35【新九郎 奔る!】
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ゆうきまさみ総合33【新九郎 奔る!】
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ゆうきまさみ総合32【新九郎 奔る!】
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https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) まあちょろまかす位っていってると
最終的に倫理崩壊して一条の分家みたいに
領民「年貢足りないんで伊予で略奪してきますわ
一条「俺にも一割寄越すんならいいぞ
って世紀末みたいになっちゃうからなあ ようらく最新話を読めたけど。
最新話に出てきた今川範満の縁談って、wiki等のネット検索では自分は見つけられなかった。
既出なら申し訳ないけど、これってこの漫画のオリジナル設定なの? >>234
二代目の生まれた年を考えたら妥当だと思うよ >>251
確かに、範満の「母」が上杉政憲の娘という「説があるけど誤解」という話しか見つからない 途中で切れてすみません。
1487年出生だから、1432年に新九郎出生だと、55歳の初子で、その後に四男二女(?)の子宝に恵まれたことに。
アリエナイとは言わないけど、確かにどうにも怪しい話で、31歳の初子という方がしっくりくる。 豊臣秀頼とか紀伊頼宣とか尾張義直とかな
地位があり子孫を残す必要がある男なら特に珍しい話ではないけど 秀頼の場合は、石松丸秀勝がいるし、頼宜や義直には、松平信康がいる。
そんな感じで、初子はそれなりの年齢で生まれているが。
新九郎の場合は、初子の氏綱が55歳で、それから子どもが何人も。
更に初婚も50歳を過ぎてから、ということになる。
幾ら何でも、初婚も初子も遅すぎるのでは?
という話になる。 竜造寺家兼みたいに90代でもお家再興に奔走したやつがいるので、北条早雲が80代まで活動していてもおかしくはないのだが 32年説だと
伊豆討ち入りが62歳、三河出兵が70歳代、相模平定が85歳、家督を氏綱に譲るのが87歳
いくら何でも元気過ぎるからな
ただ56年説だと駿河下向して調停するには若過ぎるってのもある もちろん初子の話ではない
その年齢で生ませると言うことについての話 家督を譲る年齢が不自然すぎるとは思う、ご隠居で采配振るえるだろうし 新九郎が駿河下向して調停したって、当時の一次資料では裏付けが取れないらしい。
それらしい形跡が皆無ではないけど、二次資料にあるように、新九郎が調停役として機能したとは言えないとか。
そうしたことからすれば、この漫画にあるように下働きをしたのを、後で膨らませたという可能性が充分にある気がする。 黒田先生はなかった説だよね
でも第9集では協力者だからおもしろがってそう >>259
92歳で討ち死にした一栗放牛ってのがおってな
>>262
毛利元就は71歳の時に毛利秀包を産ませてる 関東のいざこざの経緯を見てて持氏が一番の原因かと思ったけど、後継者決めない義持やら関東の情勢無視で鎌倉公方候補殺しまくった義教も悪いかって考えるとよく分からなくなった >>265
父親の盛定が担当してそれについてきた説を見たことがある
ようはわからんってこと >>266
龍若君の弟配下で
88歳で川中島の戦いにてハッスルした
中条藤資という爺もいるぞ >>221
戦での「殺した・殺された」は兵家の常で、恨みっこなしなんかね。
小鹿さんの弟が殺されたときも、新九郎も姉ちゃんもそんなこと言ってたし。
(小鹿さんは、戦後に弟の首がさらされたことに怒ってた)
まあ、八郎兄の場合は「戦」じゃないかもしれんが。 >>268
成氏を含め全員37564にしていたら違った展開になってたのだろうか
春王丸安王丸は何のために殺されたのかという >>272
弟の執拗極まりない誅殺考えるに
普光院様が赤松に殺されてなけりゃ
恐らく成氏さんも抹殺されてたと思うよ >>271
そう言わないと収まりがつかない時に使われる言葉
例えば信長は本願寺に親族殺されまくりで怒り心頭だったけど
泥沼がずっと続くよりは和睦の方がマシだから最終的には和睦してるし
怒りと現世利益とのバランスよ 戦国の世はでは親の仇とか言ってたら収集つかないもんな
殺した子が天下人になっちゃうと身の終わりだけど >>249
いいこと聞いた
今日これから空也展行くんだ
いつか機会があったら願成就院のものと見比べるために
今日はよく拝んでこよう
(博物館に来る仏像は魂は抜いてあるそうだけど) >>275
長田壱岐守
「そんな事は無い、鎌倉殿は美濃尾張約束されたし… しゅうをきり
むこをころすはみのおわり
むかしはをさだ いまはやましろ
とかいう下手な歌があったっけ(信長公記に収録されてるが、作者は知らん)
しゅう は、主 と 舅 をかけてるのかな? それか、主 だけかも >>278
長田忠致のエピソードを織り込んでいるから主だと思うが山城は誰なの? >>278
松永久秀は山城守になっていたのか、とググってみたら、
伊勢貞宗さんも山城守になってたんだな。 >>281
そうか、「みのおわり」の歌だから松永久秀よりは斎藤道三か。
『信長公記』だし。 >>282
岐阜市の南にある
笠松の寺に歌碑みたいなのがあるよ >>276
そういえば平清盛像もあったわ
あれNHK大河の「新・平家物語」の仲代達也に似てる 今回の弟より息子って台詞は伊都にもつながってくるって事なんだろうな >>289
龍王丸が今川継いだ後も息子のためにと弟を使い潰す勢いで仕事を与えるようになるんだな 某漫画のせいで清正像が世界チャンピオンにしか見えなくなったw >>291
加藤清正はどう見ても具志堅用高というより嶋田久作 千々代きゅん横井の猶子となって神助と名乗らんかしら >>288
そっかあ!
ところで横井のお爺様や浅茅の弟はもうこのまま行方不明なのかな 今川を後ろ楯にするおかげで上手く行く部分も大きいから別に一方的に利用されるわけでもないから難しいところではある 姻戚として正式に今川に仕える道もあったかもしれなかったかな
従来の今川家臣から目の上のたん瘤扱いされる危険もあるが >>296
横井氏は後に織田氏→徳川氏と仕え、江戸時代には尾張徳川氏の家臣となっているので誰かしらは生き残っているだろう
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E6%9D%BE%E8%91%89%E4%BA%8B%E4%BB%B6
幕末に藩内の佐幕派が粛清された青松葉事件では横井氏からは4人が斬首になっているが、いずれも千石以上と禄高が大きい >>300
でもおじいちゃんたちはこのまま行方不明なのかな ねーちゃんのが死ぬの後だから立場的には最後まで今川の将
完全な独立は新九郎死んだ後
まあ晩年の時点でほぼほぼ独立状態ではあったけど >>302
やはり弟は姉に逆らえない生き物なんだな 北川殿が生きている間は今川と北条の同盟は保たれていたんだよな >>270
斎藤実盛さん・・・・・三谷大河では誰が演じるのだろうか・・・・・ 平家の皆さんに大法螺吹いたシーンはカットされたから、あとは死ぬところしか無いな >>303
大道寺って政繁の曾孫で山鹿素行の弟子の
兵法家大道寺友山と
養子の子孫である津軽家臣の一族しか知らんが
三千石ってかなりの大身だな
同じ政繁の子孫なのかな?
それとも太郎と政繁の間の系譜で別れた家か? それはわかるが今回の大河ドラマは平家の物語じゃないからな どうせ主人公の北条義時がメインになる頃には10月末くらいになってるよ >>310
政繁の次男の系譜だとさ
あと四男も旗本として存続で4系統あるね >>314
あんがと
本人の悪名と引き換えに子孫は繁栄したのな 神奈川県立歴史博物館で小田原北条氏に関する特別展をやってるらしい
名称忘れたから調べといて Wikipediaの新九郎、奔る!の記事の読みにくさは何なんだ?
新手の嫌がらせか何か? >>319
ああいう書き方しかできないやつは斜め上の使命感にかられてるから
直してもまた元に戻すよ
賽の河原だ相手にすんな
「新九郎」に興味持ってもwikiは見ないように拡散するしかない マイナー歴史系のWikipediaでももっと読みやすい書き方してる 教科書にサインマーカーを塗りまくって
結局文字全部に塗っちゃう系 アニメとかラノベ系のウィキペにありがちなんだよなー、異常に詳しく書きすぎな記事
登場人物からストーリーから、概略という概念がなくてひたすらズラズラと続いて
スクロールバーが数ミリになってたりする
最近「この記事長すぎんよ、もっと簡略に」的な警告文出てたりするけど、改善はされないねえ
(裏で訂正合戦になってたり) Wikipediaの新九郎のページ、昔はスカスカだったんだけどw
「Ninagawashinemon」なる人物がただひたすら手をいれて今の姿にw
ちょっとは蜷川新右衛門さん見習って簡潔に仕上げてほしいものだ。 >「Ninagawashinemon」なる人物がただひたすら手をいれて今の姿にw
その人物には一休みすることをお勧めしたい wikipediaのルール知らんけどせめて人物ページ別に作ってそこで思う存分やってくんねーかな
まあそれでもあらすじがただの羅列で冗長だけど せめてアレよね
各登場人物の説明にしてもデフォルトで表示されるのは概要(基本情報)だけに留めて、
ネタバレ要素を多分に含む詳細は閉じておくようにでもしておけばパッと見はスッキリする >>327
Wikipediaはネタバレ禁止ではないからな。
別に隠す必要はない。
…が、重要でない登場人物やエピソードを延々と書くところではない。 知ってる事は全部言いたいオタクの悪い所全部盛りのページ 知ってる情報を全部のせたい場合は自分でマニアックなWikiページでも作っておいて
Wikipediaからリンク貼っときなさい 今日近所歩いてたら、山名宗全の邸宅跡があってびっくりした。京都市の立札があって初めて気がついたよ。そういや、西の陣だから西陣か納得w 新右衛門どん!おはん、ねぼけちょるんか?
ウィキにあんな読みにくい長文書くとか正気か?新右衛門どん 識者の意見はソースとして識者個人のサイトを貼ってもいいんだろ?
さあみんな識者になろう よくWikiの情報が間違ってたり足りなかったりしてるしてる事を
直接知っている当事者が追記修正したら、ソースが無いとか色々言われて
消されたり間違った情報に書き戻されたりして憤慨してるという話は
時々耳にする
色々とおかしいとこがあるシステムだ >>337
ちょっと実名では挙げにくいけど
某絵売りアン御用版画家とか
ハンス・ウルリッヒ・ルーデルとか
水野勝成とか
アンサイクロペディアの方が真実の場合が
多々ある現実 SNSの発言とかはWikipediaのソースに出来るのかな 残ってるならできるんじゃないの?
昔、諸葛亮のページが民間伝承の子孫で埋め尽くされてた時あったけど、今は一番下に残ってるだけだね >>337
本人がWikipediaについて語る動画をYouTubeにでも投稿したらすぐにでも直るよ
かまいたちとかがそれで直してた ただ、本当に怖いのは本人が語ってる事が全て正しいとは限らないという事だよね
昔の話なら記憶違いする事もあるし、都合の悪い部分だけ隠蔽している可能性だってある
複数の証言や証跡で多角的に検証しないと真の事実にはなかなかたどり着けない事がある
おっ、なんか歴史を紐解く話に無理やりつながった気がするぞ そもそもあやふやな時代の歴史なんて〇〇説がどれだけ信憑性あるから真実にした、なんて過去例が多いからな
後に有力文献発見されたら即ひっくり返る現状真説でしかない “現状真説”が塗り替えられていくのが、進歩だからな
端っから根拠薄弱な思いつきや、旧来の俗説にしがみつくだけの態度には価値がないってだけ
それなりに根拠を揃えないと反論が難しい説は、結果的に史実でありえないと分かったとしても価値がある 森羅万象はすべからく「進歩」すべきなどという思い込みこそ根拠ないけどな >>346
00年代近代資本史観的に田沼アゲが主流になった頃
酷いときには日本のポルポトとまでよばれた
松平定信さんの評価なんか好例だわな
理想の共産主義の為に邪魔者は殺せの
ポルポトの糞と真逆の
急激な社会改革が原因で
職を失いかねない弱者救済のために
反動政策始めたのに >>335
まあ7割くらい基地だわな
せっかく「新九郎」に興味持ってくれてもwikiがあれじゃ新規は離れていきかねん
ファン獲得を妨害してる自覚なんかないだろうし自覚できる脳みそは持ってないね >>347
田沼の再評価ってもうちょっと前じゃなかったか?
バブリーな80年代ぐらい
漫画だと風雲児たちで田沼評価と定信毀損が激しくて、当時読んでも違和感あったしいま読み返すとなんだかなあと
当時は史学会よりも周縁が景気に浮かれて田沼を持ち上げていた印象だったが ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています