【ネタばれ禁止】センゴク 宮下英樹 224番槍
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戦国史上最も失敗し挽回した男 その名は仙石権兵衛秀久
週刊ヤングマガジンで絶賛連載中
・センゴク 全15巻(週刊ヤングマガジン 2004年21号〜2007年45号)
・センゴク 天正記 全15巻(週刊ヤングマガジン 2008年3号〜2012年26号)
・センゴク 一統記 全15巻(週刊ヤングマガジン 2012年31号〜2015年45号)
・センゴク 権兵衛 連載中(週刊ヤングマガジン 2015年50号〜 ) コミックは1-24巻
・センゴク外伝 桶狭間戦記 全5巻(別冊ヤングマガジン→月刊ヤングマガジン→週刊ヤングマガジン 2007年〜2010年)
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※前スレ
【ネタばれ禁止】センゴク 宮下英樹 223番槍
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/comic/1630913512/
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いやまあ、この場合
五摂家の上に豊臣という代々関白独占する
公家の唯一無比の最高位の家格の家を創設するという意味だろうから
同輩とか関係なくなるのかもしれん
まあ史実の五摂家の二条家みたいな幕府べったりの依存しまくる家になるのかもしれんが >>247
喜連川家と前田家も別格の扱いだったが同輩の武家が文句言った? >>184
朝倉の姫さんに付いて行ったんだっけ
うろ覚えだけど広島方面の本願寺だかを頼ったような記憶 これまで秀吉をボケ老人には描いてこなかった関係上、私欲で秀頼の蠟燭を消費する老害化するのは単にボケてお頼み申すするより末路の描写としては悲惨になってる気がするんだよな 人間の感情や古臭い慣習なんてどうでもいい
大事なのは理屈や道理だけ
こんなようなことを言っていた三成が、最終的に選んだ先は秀吉の個人的な私情や欲望に寄り添って身を投じる道になるわけだから何とも言えない気分になるな・・・
合理を極めた人間が非合理に身を捧げるという皮肉な顛末 へうげで少し書かれてるけどこの時期の公家は親豊臣派がかなり残ってるから摂家として豊臣が残れる可能性はあったはず >>249
二条家が親幕府はそのとおりだけど、だからといって幕府に優遇されてたかというと疑問だしなあ
藤氏長者に代々就けてなかったり(あからさまに幕府に反対されたのまでいた)どれだけ報われてるんだろか 滅亡して直系子孫も残らないよりは、多少待遇が落ちても生き残るほうがどう考えても賢いやろ。天下人の座を引き渡すんだから、そのままの待遇でいられるなんて思う方が厚かましい。徳川慶喜なんて一生政治から切り離されたんだから
大体いくら大名として大きくても兵力維持のための雇用や領地経営でそれだけ多く出て行ってしまう。領地取り上げで現金で一部補填してもらうほうが懐はあったかくなるケースだってある。中小大名より旗本のほうが実入り良かったなんて話もある >>249
九条家には完子(江の娘で茶々が養育)が嫁に行っていたし
婚姻や養子縁組を重ねて五摂家と溶け込んでいった可能性もあった >>257
一万石ギリ行かないくらいで参勤交代やらの義務がない旗本が一番裕福な暮らしができたらしいよね
ちっちゃい方の真田家はかなり良い暮らしを出来てたと聞く
大藩で大禄貰ってたようなパターンはどうだったんだろうか >>253
悲惨だけど無意識下のことだしそこはね
まあオカルト入っただけおどろおどろしくて悲惨が増すかもしれんが
そういうの一切ない見方だと、ねねさんの気持ちが切れてることの表現ともみえる(出家=事実上の離縁を申し出てることも明言されてるし) >>257
後世の我々からするとそうだし、なんなら次代以降からみてもそうだろうけど
それができなかったら大坂城もろとも焼け落ちて滅んだわけでしょ?
落下を身を持って体験する人の心持ちは家臣ともども他から計り知れないんじゃないのかな
駿府の慶喜家もけっきょく家臣が無禄のままで従っていたわけじゃなくて、牧の原に入植して切れてるんだしね 信長秀吉家康の中で墜ちる英雄を見れるのは秀吉の魅力?の一つだな
戦争も終わり秀吉も落ち着き平和になったけどどう再出兵に繋げるんだ?からのこの流れは面白いな >>260
宮本武蔵の養子の宮本伊織は
譜代でもなんでもないのに
26歳で豊前小笠原藩15万石の筆頭家老で2000石取りになって、
最終的に4000石取るんだよな 小一郎さんもそうだがなまじ才能と天運があったから登り詰めて「しまった」んだよな秀吉も
織田家以外に仕えてれば何々家の出来た家臣木下兄弟みたいな生涯もあったかも 信長が横死しなかったら織田家有力家臣羽柴秀吉のまま死ねたのかな
家中も信忠の下にまとまるだろうし 本能寺が無かったら秀勝が羽柴を継いで織田の一門衆になってた それだと、まるで秀勝が謀殺されたみたいじゃないかw
でも実際のところ信長四男が長生きしてたら、どうなってたのかな
すんなり秀吉後継になれたかどうかわからんけどw 於次秀勝が茶々とほんのりインフォーマル見合いするエピは好きだったな >>264
おれらは戦国武将の話を読みすぎてるから麻痺してるが
1000石って1000人雇える金をもらってるようなもんだからな
今風に言えば売上高数十億円の会社の社長さん
そりゃ参勤交代とか変なお勤めがなきゃウハウハだわな 1石一人じゃないし石高貰えても色々と賄うのに使うから大量動員出来る訳じゃないとかなんとか 一石は成人が一年に食べる米の量だな。
流石に米だけでは生きていけない
まあ当時の奴隷の価格が二貫とか三貫、武家の姫でやっと10貫くらいだから
(戦国時代では一石で500文〜600文、だいたい一貫で二石程度)
人間の価格がそもそもそんなに高くないけどね。戦争が相次いで奴隷が溢れたら数百文まで暴落するしね
島津とか上杉はちょっとやりすぎなんだよなあ。 まあ千石、二千石なんて貰っているのは結構な上級武士だったのはそうだろう
天正記あたりでゴンが歩いてきて申告したら「千石取りの武士が徒歩だと」と驚かれた位には
まあ「千石取り」なんて言われるのはどうも江戸時代に入ってからみたいだけど 失敬な火薬樽にかわるんですよ。
火薬が高価な頃は奴隷10人くらいで火薬樽一つになります。 動員兵力は1万石で200人とか300人とかじゃなかったっけ あれ?そうなのか?
確か御家人って200石未満だよね?
奉行所では御家人である同心が岡っ引きの手下も含めると100人くらい使ってたと聞いたことがあるけど >>260
そうなると1万2千石とかの大名が一番悲惨だったのかも? 奉行所では主従ではなく、同じ会社(藩主)に勤める上司と部下の関係性でしかない。個人的に非常勤で雇う目明しはいるにしても、歴代雇うわけでもないし。給料の出所がそもそも違う。
大きな旗本クラスになると、役職に関係ない歴代の家臣(陪臣)がいる。家臣というかもう家族みたいなもん >>279
太閤検地の頃で全国2000いかない位だっけ
当時の日本の最大動員兵力が40万から60万ってことかな
まあそんなもんな気がするな 何石って動員力ではなくて大まかな領民の人口くらいに感じる >>279
それは遠征の場合だな。
他国に遠征するときに一族郎党全員引き連れていくわけじゃないからね。
女子供も当然いるわけだし 余剰人口の多さがどうとか経済力がどうとか動員力の計算は容易に能わざる物に 石高=人口と覚えておけばいいよ
一石が一人が一年で食べる米の量。当時は成人男子なら1,5石は食べてたそうだけどね
ただ当時は人口はピラミッド構造だから、子供が非常に多い、そして幼児死亡率が高く半分以上は大人になれない
一万石で一万人、老人と女子供排除すれば成人男子は3000人くらいかな?男女比に差があったといわれているのでもっと多そうだけど
農業や産業維持することを考えれば長期遠征できる兵士はやはり数百人くらいになるんじゃないかな。
農閑期で隣国でヒャッハーするだけならもっといけそうだけど 素人考えだが
米だけじゃ生活できないから米って金にしないとダメだよね
江戸時代の勝ち組は米商人? 土地の生産高は武家だけじゃ無く農民も食わしていかないといけないし
取れた米を換金したり備蓄したりしないといけないから、1万石なら
家臣と眷属合わせて2000人程度じゃないかな 最初千石貰ったとき武田攻めにゴンが動員してたの20人くらいじゃなかったっけ
んで讃岐10万石でも九州攻めに動員したの2千人
関ヶ原でも佐和山19万石の三成が兵4千とかだったと思うから大体千石で動員20人ってカウントしてた >>280
江戸町奉行同心は30俵2人扶持、むろんこれだけで目明し(これは同心が私的に雇用する、家臣ではない)を使えるわけはなく
町人から盆暮れの付け届けなどがあってはじめてなりたっていた
清廉潔白だけではやっていけない体制 堺の商人相手に米相場による支配プレゼンしてた秀吉と佐吉がこんなことになるなんてな http://sito.ehoh.net/mitohan.html
拾い物より。水戸藩は30万石程度。どうやら俸禄はいわゆる額面で、そっからさらに年貢相当分が引かれるようだ。
寛文6、7年頃(1666-67)の水戸藩家臣団の組織状態。徳川光圀が家督を継ぐのが寛文元年だから、光圀初世時の家臣組織である。職掌88、藩士1070名ほど。
1000石以上を上士(上級武士)、500石以上を中士、100石以上を平士とすると、人数割合は上士5.2%、中士5.6%、平士89%となる。
文政7年(1824)の平士の常禄は大体200石といわれ、寛文6、7年頃と大差ない。万延元年(1860)の士分以下も加えた総数は1800名ほどになるが、士分の数は若干の増加に過ぎず、総数の増加は徒士(かち)など下士(下級武士)の増加と、分限帳に記載されない低い身分の者の増加である。
※なお、上表の石高は水喜が、「近世史の研究 第四冊」(伊東多三郎著 吉川弘文館)に掲載されている、「水戸藩の成立」などを参考にして出した目安に過ぎないことをお断りしておく。 当時の生産性から生産活動に従事しないで済む成人男性の割合が1万人中100人とか200人ってことよね
これだと100石程度しかない御家人は自分以外労働力がない身分って感じなんだね
話戻して秀頼が数万石残して公家化したら数百人の兵士しか動員できないのか
というか65万から減らしたら浪人どうすんのってのが大きいのかな
当時はそういう連中が社会問題になってた訳で 10万石あれば5千人は動員してるぞ歴史的に
敵地略奪前提の限界動員数なのは間違いないが、まぁそれは当たり前 1万石で動員できる兵数は約300
なので徳川250万石は旗本8万
大阪方は大阪城の維持費めっちゃ掛かるのに牢人大量に抱えてパンク寸前だった
横山徳川家康知識でした 大阪城は落城したときですら金銀四万枚が発掘されている
ドサクサで略奪などが横行しただろうし、大阪城には美術品なども多数あっただろうから、
浪人を何万と抱えてもさして問題はない
というか蔵入り地が大阪の陣までは存在していたといわれているので、60万石ではそもそもない >>295
小田原攻めで秀吉が畿内に出したのは五人役(一万石あたり500人)
徳川領と甲斐信濃には七人役、(つまり一万石あたり700人)
そして五人役は半役と書かれているので、10人役、つまり最大で千人まではあった可能性がある。
文字通り総動員だな。
小田原の場合は事前に兵糧を駿河に備蓄しており、足りない場合は秀吉から買えばいいからできることだろうけど 一番お得なのはきちんと検地したら予想より石高が高かったけど
周囲とのバランスで名目の石高が低くなってるせいで
収入は多いのに賦役が少ないパターン なんか今週号、決定的な破綻を来した感じがして読んでて切なかったな…… ボケずに狂わせたのがより哀しいのぉ・・・
三成は忠義と言うより、この時代において猪達よりも自分達のような理と計数の才を認めて実際重用してくれた秀吉をリスペクトしていただけになぁ・・・
まさかその秀吉から理と計数から完全に外れた不合理を求められるとはな。 >>298
動員人数と養う家臣は別
溜め込んだ金で一時的に農民を動員するなら大人数可能だが
上にも指摘されたように常時雇用なら1万石はせいぜい200人程度だろう
1万石が取れる領地でも領主が貰えるのは1万石じゃなく年貢分だから 過少申告しとけば実高との差分がそのまま収入になるんだから金銭的には大得
家格を上げる為に表高を高く見積もる事もあるそうだからその辺は価値観の違いかな ボケた以上に悲しい結末だなあ
これ柵封で満足して再出兵せずに秀吉死んだら
豊臣は滅亡避けられたんだろうか? >>305
秀次失った時点で大分詰んでるし
この後三成や秀頼のガイジムーブがあるから結局滅亡すると思うぞ >>303
>過少申告しとけば実高との差分がそのまま収入になるんだから金銭的には大得
ちょっと違う
表高に合わせて家格が決められてて、大名の儀礼式典などは家格に見合ったものにしないといけないし
幕府が課す役務も家格相応だから、実高>表高ならその分楽になる
逆に家格向上のために検地の結果を高く届け出たり、小身なのに
幕府が配慮して家格を国主格にしたりした場合、家格に応じた実高以上の負担しないといけないから大変
前者は福島との兼ね合いで分限決められた毛利、後者は参勤義務なしなのにしんどい喜連川とかが典型 平和時だけど旗本1000石とりで家臣は20人ぐらいとかググると出てくる >>308
家臣もピンキリっしょ
下の下の食い扶持も考えたらそれくらいなのかもな 家臣は独身じゃなく、妻子や付き人一家を養わないといけないからな スレ諸兄には釈迦に説法だが、桃山編、特に今週号の寧々様の言葉を踏まえて
無印と天正記を読み返すと切なさ倍増だ 初期の秀吉は戦好きじゃない男だっただけになぁ……センゴクで通底してるテーマだと思う「甘美なる戦」がこれ以上なく可視化された回だったように思うわ。
戦以上の祭りなんてなかったんだよな。 とかく現実は、太閤秀吉があまりにつまらないため、再出兵へ。 三成はもちろん増田や長束も関ヶ原後に責任とらされるのに
前田さんはしっかり生き残るのはなんとも ボケてないなら作中オリジナル設定「唐入りの本音」を明かしてる筈だから確実にボケとる。 玄以さんはきちんと東軍のスパイしてたでしょ
信雄がスパイしたのは夏の陣だっけ ボケてないよ
ただ、秀吉が唐入りを決行したのは結局政略や経済のためでは無く
自らの虚栄心と戦というお祭り騒ぎを求めてるだけだったという
権兵衛を可愛がるのも戦馬鹿の猪に無意識のうちにシンパシーを感じてるからかも
早川口の権兵衛を見てワクワクしてたし >>278
九州のキリシタン大名たちの評価が低い要因のひとつだね 祭りを自分が終わらせた以上次はもう祭りの後始末をやらなきゃいけないんだがそれを許容出来なかったんだな 小田原終わってからの本編は
「宣教師の記述によると…」史料紙芝居
「なんということだ…」奉行衆オロオロ
「どうせアンタらもワシのこと…」ゴンベギャグ
「戦国の世は…(キリッ」秀吉のまとめ
マジでこれの繰り返しやね
今週ビシッと決めた以上どんどん掘り下げて進めてほしいわ
来週頭に「宣教師の記述によると…」が来たらずっこける 戦するのは好きじゃないけど戦に勝つのは好きっていうあれ 百万円売り上げの企業が、給料百万払わないのと同じ、
石高一万石として、藩の収入は4-6000石前後か。ここから人件費以外の経費も賄うし貯蓄もするから、一万石が一万人食える米の量だとしても、一万人雇用するわけではない。 奉行人斬九郎が30石3人持ちとナレーションで言っていた
で、バイトしないと生活できないぐらい苦しいみたい >>306
秀吉が豊臣じゃなく自分自身の都合を優先しちゃったからどうしようもない >>326
御家人斬九郎な
円盤BOX欲しくて20年待ってる >>328
そだ御家人だ
渡辺謙も母親役のキョンキョンも演技良かった
何より主人公のキャラが暗いエピソードにも耐えうる明るさみたいなのがあったな
鬱々な話でもゴンさまでほっこりするセンゴクみたいだった 静謐よりも真理よりも「殿下の私心」が一番なんだから
三成はウッキウキで唐入りの準備をすべきだよね >>320
乱世を生きるのに最も長けた病に侵されたセンゴク秀吉に、時代が味方していた。
戦自体は嫌いなんだろうが、乱世のきな臭さが体に馴染むんだよ、きっと。 >>329
センゴクと斬九郎にその様な通じる点があったとは
今日もBSフジの再放送楽しみ >>331
秀吉が天下で一番賢いからその私心第一だけど今の秀吉を三成が見て賢いと思えるかどうか >>331
唐入り編はこういう矛盾多い
最近は彼岸島の方が話の筋通ってる 別に矛盾じゃないよ、リアルでもある話だし
あまりにも有能な人間の下で働いてると、この人の言うこと聞いてりゃ全部うまくいくと錯覚する、実際それでうまくいってたんだし >>332
戦が好きな訳じゃなくて、勝ったら栄光負けたら破滅みたいな環境が好きなんだろうな
特に優秀で勝負に勝ち続けてた人間にとってはたまらないだろう
この作品てギャンブル好きと言えば別の人のことだった気がしないでもないけど 彼岸島ってセンゴクより2年早く連載開始なのに
いまだに作者元気いっぱいで勢いが衰えないのは素直にすごいわ 先生ェ…は勢いは衰えなくても方向性はちょくちょく迷子になるじゃねぇか! 漫画家は犬ともいへ、畜生ともいへ、描く事が本にて候 身共さんは博打に負けることの意味やどんな安全そうな勝負でもありえない理由でひっくり返ることを今までの苦労で知ってるからこそギャンブラー卒業して
秀吉は普通なら勝てないような勝負でも自力で勝ち続けてしまったからカイジじゃないが脳が勝利の味に焼かれたイメージだな 家族も仲間もみ〜んな巻き込んで辛い目に合わせたのはゴンも同じだが、
立場が違うと言えばそれまでだが、ゴンは加増や出世が見込める出仕も辞退して、
腹八分目で落ち着こうとしているからね。
命の畑なんて死のイメージで秀吉とねねを描いたのを読んで、次はお藤さん死去かなと少し思った。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています