>>815
それって耕地面積かな?
「中世後期における 山城国上久世荘の農業生産」ってネットで読める論文によると、暦応四(1341)年時点で上久世荘の耕地面積623反(つまり62町3反)に対して年貢が米226石3斗6升7勺、畠地子13石4斗3升3合7勺。諸公事等が草用途23貫630文、職事銭1貫980文、六月八講用途3貫940文、茄子銭930文、人夫1200人代8貫600文、糠28石、藁2135束5把代6貫408文とか。

米一石一貫文換算で、概略250〜300貫、様々な免や得分を控除した領主の取り分はそのうち8割くらいかねえ。実績としては年平均200石くらいは納入されてたようだ。