複雑な話ではなく盛頼は伊勢掃部助家が2/3ほど実効支配している荏原荘を全部取ろうとしてるだけだろ。盛時の伊勢備前守家だって京で活動というか宗家伊勢守家に仕えて家人郎党を養う費用は他に給料を貰えるわけではなく全て東荏原から捻出しないとならないので減らすわけにいかないわけだ。「新九郎、奔る!」で今後どう描いていくかによるが、4巻時点で1473年頃を描いているとして1476年の1回目の駿河下向を経て1487年に2回目の駿河下向をする頃まで家計を東荏原に頼っていたと考えられるので、早々東荏原を減らしたり手放したりするわけにはいかなかったはず。