センゴク 宮下英樹 155番槍
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戦国史上最も失敗し挽回した男 その名は仙石権兵衛秀久
週刊ヤングマガジンで絶賛連載中
・センゴク 全15巻(週刊ヤングマガジン 2004年21号〜2007年45号)
・センゴク 天正記 全15巻(週刊ヤングマガジン 2008年3号〜2012年26号)
・センゴク 一統記 全15巻(週刊ヤングマガジン 2012年31号〜2015年45号)
・センゴク 権兵衛 連載中(週刊ヤングマガジン 2015年50号〜 ) コミックスは1-10巻
・センゴク外伝 桶狭間戦記 全5巻(別冊ヤングマガジン→月刊ヤングマガジン→週刊ヤングマガジン 2007年〜2010年)
次スレは>>950が宣言して立てる。無理ならば代行を頼むこと。
※前スレ
センゴク 宮下英樹 153番槍
http://fate.5ch.net/test/read.cgi/comic/1532692986/
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センゴク 宮下英樹 154番槍
http://fate.5ch.net/test/read.cgi/comic/1534267669/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured 好みはピンとこんが、当てはめるなら呉は佐竹だろうな
義重と孫権似とるわ 北条ほど国力的な存在感ないし
最後自滅しただけだし
ポジション被ってるかね? >>765
結果的に三舟山で負けたのは結構痛かった 呉は代がわりに成功して長久の計で魏のほころびを待ってみたけれど
逆に長期政権の孫権の後、短期でコロコロ皇帝入れ替わって自滅しちゃったからなぁ >>769
結果論で言うなら黒駒の敗戦が一番痛かったと思うんだ
アレで勝ってたら信濃甲斐に上手く行けば駿河と旧武田領を
上方で秀吉が覇権を確立する前に奪取できてたと思うのですね あえて挙げるとすると規模はだいぶ違うけど
カエサル(BC100)→アウグストゥス〜ネロ(AD68)が
北条早雲(1432)〜小田原征伐(1590)という繁栄期間と
カエサルの「来た見た勝った」が地黄八幡さんとノリが被ってる点でなんとなく似てる 後北条ってなんであんなに執拗に信濃に進出しようとしたんだろう?平野があって港もあるのに、木が足りなかったのかな? >>770
孫権の寿命の三分の一も孫登に譲ってれば・・・まぁそれでもじり貧か
司馬炎も統一まではそこまで羽目外さないだろうし >>774
信濃に攻め入ったの一回だけではなかったかな 山梨で桃の花を観に行く時、いつも黒駒を通るんだけど
単なるなだらかな坂に過ぎないんだが、なんであんなところで徳川と北条が合戦したんだ?
しかも何の変哲もない単なる広くなだらかな平原みたいなところだから
普通に闘ったら数の多い方が勝つに決まってる。なんで圧倒的少数の鳥居元忠(徳川軍)が勝ったんだろ? >>780
御坂峠に陣取ったはいいものの、そこからバラバラに略奪に降りだしたのを
各個撃破された模様。
その過程で黒駒の旧武田系の在野衆も敵に回してしまい、山に逃げたのが
片っ端から狩られてしまったんだと。 >>781
どうしようもないほど氏忠と氏勝が無能だったんだな。
まさか1万の兵が2000の兵に負けるとは氏政も思ってなかったはずで
これで全ての計算が狂ったな。 長篠以前はほぼ無双してた勝頼の事を「強すぎる大将」とは良く言った物だな。
勝頼が正室三条の方の息子だったら武田の未来も変わってたかな? 武将勝頼はひとかどの存在だろうけど
政治家勝頼はどうだろう >>782
北条は野戦の経験に乏しかったからしょうがなくね
逆に徳川は信長に引っ張り回されて百戦錬磨だったし 武田の盾にされつつ姉川まで引っ張り出されたりと都合良く使われてたからねぇ
そりゃ忍耐の人にもなるわ >>772
でも氏政の人生最大の大敗は三船山じゃないかなぁ
あそこで里見を降ろしてれば北関東の愉快な仲間たちも早い段階で飲みこまれてそうだし
鬼怒川対陣も起きないから、御館の乱にも北条本隊が全力で介入してたんじゃないかと
あ、いやでもそもそも越相同盟も無かったかも・・・ 約束破りまくる越後の龍さんと甲斐の虎さんと比べると
北条さんは約定破るイメージがないな 関東方面では結んだり手切れしたりで約定破りも人並みにやってるし
滝川に一方的に仕掛けたのも北条の完全な約定破りだな
この時の北条の行動が秀吉にとって大きく悪印象を与えたなんて説も 約束破らないのは毛利だけと・・・
関ヶ原でも約束守ったしぃ〜 「孫権は荊州を望まず、益州を望まず、そのくせ劉備の都合が良いタイミングで曹操を攻めてくれる
全て劉備の為に動いてくれる、お人好しを通り越した間抜けである」
というのが、諸葛亮の隆中対の大前提であり致命的な欠陥
劉備はそれを解決する方法を持っていなかったし
関羽は状勢も理解せずに本拠地の守りを捨てて北伐するんだから
なるようになっただけだよ
むしろあの前後の孫権は
荊州を手に入れ、高い官位や呉王の座を手に入れ、自らの地位を高めて基盤を固め
再び蜀と結んで魏の侵攻を追い返す等
非情に上手く立ち回っている 別に関羽は本拠地の守りを固めてなかった訳じゃないので
前提にそもそも蜀陣営への偏見のある意見だな >>768
呉の方に国力がない
先代が途中でリタイアしたせいで統一あきらめて、連合で大勢力とやった所をそう思った 確かに無双して領土は拡大したが国が豊かになったわけではなく最終的にそれが原因で瓦解したわけで
強すぎる大将というのは確実に皮肉が混じってる部分はあるな >>787
御館の乱って勝頼の対応ばかり責められるけどかなり勝頼に無茶ぶりしたあげく
自分たちは北関東勢に妨害されて景虎救援に遅れるって勝頼への逆恨みで責任転嫁もいいとこなんだよな >>783>>797
それそういう意味じゃない
「強い人は普通の人や弱い人の気持ちが分からん」といった意味
戦の強い弱い関係ない >>799
まだ今週の読んでないから助かる
明日回収されそう >>798
氏政は、御館の乱、天正壬午の乱と立て続けに大ポカやらかしてるから
強いイメージが無いんだよねえ >>802
大平台さんだろ!!
湯本かあ 小田原いきながら箱根の温泉いきたいというもの 氏政が飯に汁を何度もかけて氏康が嘆くエピソードって飯に汁かける事そのものは嘆かないのね
つまり味噌汁ぶっかけたご飯大好きな俺は普通 そら炊飯ジャーのない時代だからご飯はすぐさめるしそれを食べようと思ったらあったかい汁かけるしかなかっただろうからね
今はお行儀悪いって言われても当時は普通の事だったんじゃないのかな 当時はまだ昆布とか鰹節のダシ入ってないし
相当貧弱な味だったんだろうな >>808
氏政時代の北条って位勝ちしてる相手にじっくり掛かる分には強いけど
突発的な事態や果断な決断が求められるケースには弱い印象
良くも悪くもよく言う大企業の三代目って感じ(氏政は四代目だが) >>810
今と違ってむしろマナーですらあった
と言っても毎回毎回ザバザバかける訳じゃなくて最後の一膳にかけるとされてた
もうお代わり要らないですって意思表示でもあったらしい
>>814
昆布はあったし鰹節も今のとは違うが大分近いものは既にあったらしい
と言っても京から遠く離れた関東にまで波及してたかは判らんな >>781
長谷川ナポレオンにあったな
略奪みとめると軍は弱くなるんだよ >>817
下っ端の兵隊連中は基本略奪大好きだし
認めるとヒャッハー奪い放題だーってなって統率取れなくなって
軍としてはハチャメチャになる罠
いちおう士気が上がる効果もあるにはあるだろうが ナポレオンがオーストリア相手に勝ちまくったのって
「俺達は貧乏だからあいつらからふんだくれ」って鼓舞したからじゃなかったっけ 何かの戦国ものか戦記もので
「略奪は許さん!」「!?」
「兵が勇敢に戦うのは、戦後の楽しみがあるからです」
「敵兵を殺し、敵地で略奪し、女を犯す・・・それを禁じてどうするんです?」
みたいな会話場面があったような気がする
庶民の楽しみは
(自分たちに害がかからない場合)合戦見物だし
戦場は就職場であり、落武者狩りできる稼ぎ時だし
現代人の常識で考えちゃいけないんだな 当時の上層階級は味噌汁じゃなくて吸い物だった気がする 律儀な家康が甲斐と信濃を火事場泥棒するのが天正壬午の乱 >>818
兵隊「閣下給料払ってくださいよ」
まあ略奪にも三日の掟とかルールが有るには有る
戦闘に勝つ前に肉奴隷とかバルキーなもんかっさらっても身動き取れなくなるしね
兵のモチベーションをうまくコントロールするのも名将の条件 そもそも真田と北条の沼田問題って真田の了承得ないまま和睦の条件として沼田の北条への譲渡決めちゃったことが発端だから
間接的に家康が北条滅ぼしたようなもんだよな うんこ漏らしは真田に代替地の提案すらしてなかったんだっけ そもそも、飯を炊くって調理法が普及したのは江戸中期以降
それまでは大半は煮てたはず
(もしくは蒸す)
つまりべちゃべちゃか、すごく固いかのどちらかなんだよ >>827
勉強になった。
確かにググったら現在と全く同じ炊き方になったのは江戸時代中盤だったらしいね。 まじかよ。。。
じゃあ握り飯とか作れねーだろ
あれ創作だったのか
ほしいいがメインだったのか >>829
似たような調理法は平安時代からあったらしい。
煮て上澄み液を捨てるんだよ。
それだと米の芯が残って美味しくはないんだけど逆に長期保存が効く。 >>745
作者のそういう偏った見方はひしひしと感じるが資料の裏付けは取ってるし
そう単純に中身が無いと切り捨てるものでもないだろう >>829
チマキはあったらしいから、
おにぎりを食ってるシーンはチマキということで脳内補完しよう >>827
知らなかった……
弥生時代から炊いてたもんかと…… 戦国時代の下級武士がよく食べていたのは、大唐米と呼ばれるインディカ種の赤っぽい色の米だったようです
煮て湯を捨てるやり方は理に適っていますね
炊いてしまったらたぶん美味しくなくなってしまう
粘り気も少ないから、乾し飯にするのも向いていたんでしょう >>830
汁捨てた後再度蓋して蒸らせば芯も残らないよ
多分そうしてたと思われる
昔はとんでもなく米食ってたので芯の残ってた米大量に食ってたら消化不良で大変なことになってるだろうし 宮下先生のアシスタントが独立してスピンオフ戦国メシを描く流れか タイ米とかも煮て湯を捨てた方が美味しい
日本のコメ不足の時にそうしてればあの不評はなかったんじゃないかと思うが
ちなみにそのタイでは今では日本やそのコピーの炊飯器が当たり前になってて
昔に比べて不味くなったと嘆く人も多いとか >>838
もし出来たらブシメシ!の戦国版になりそうだな
土山先生… ここ飯スレになってる‥?
何かの茎にミソ味付けて縄にしてたインスタント味噌汁みたいのは一度飲んでみたいね
現代の味覚では不味いんだろうけどw >>842
ズイキ(里芋の茎)やな
味噌だけでダシ入ってないから
めっちゃ味気ないと思う >>843
幾ら昔の人が逞しくても、流石に生米食ったら腹を下すのでは? 足軽が持ち歩いてたのは干飯じゃない
口に含んで唾液でふやかして食べる >>842
>>844
へうげで知ったわ
やっぱ美味しくないんだろうな… 折角だから連休中に作って食ってみたら?
雑兵物語かなんかにも携帯食に付いて書かれてたりするんだっけ? 干し飯て炊飯ジャーに残ったカピカピご飯だよね
ムリっす 真田丸で氏政が金平糖みたいなのボリボリ食ってたが金平糖って戦国時代に伝わったものだったんだな 味噌も当時の庶民雑兵が使える味噌なんて水気が多い上に塩っ辛くてひどかったらしいからな
そんなんでもマシな代物とはいえ現代人からすると大分悲惨な味ばかりだろうな >>842
光秀の作意あってこその旨さだけど、あのシーン読んだら飲んでみたくなるよね アルファ米って言うと超クール&ちょっと危険な香りを漂わせ出す干飯さん
川上伸一郎 → ショーンK的な ヤバくなりゃ葉っぱや根っこ、獣の生肉食うこと考えたら干し飯でもマシなんやろなぁ
想像するだけでゲンナリや‥ ただそもそものお米自体が今みたいな狂気の食追究文化で品種改良されてないわけで
どっちにしろ美味しくなかったんだろうな・・・ 一休さんの第一話がYouTubeに落ちてたけど
アワ粥食ってたよ。 真田信幸だったか、なんかの逸話で武田が滅んだ時は道端の杉菜とか食ったけどありゃ不味かったとか言う下りがあったけど聞くだけでうえってなる
そんなんでもくわにゃならない事があるって事なんだよな
(とはいえ野草を手当たり次第に食うのは危険すぎるが) >>860
それ以前にまず玄米なわけでw
某対談本で中世は古米のほうが人気があったとかその理由推測読んで、価値観の違いにもう埋めようのない距離感じたわ
>>862
政治的な混乱はあったけど、同時期に浅間のお山が火を噴いてるかんねえ
もう道端の雑草すら枯れてそうっていう
天明の大飢饉類似な状況なわけで…
そこを踏まえないとなんでそんな困窮したんだ?ってなる >>862
杉菜の逸話って色々な武将で似たような話残っているよ
先人の苦労の上に今があるんだよって後世に伝える意味もあるんだろうね
信之は長命だったから逸話として有名になったのかな 豊臣の時代にどっかの山が大噴火しなかったっけ?
合戦中に地震が起こって大逆転!とかたまには有ってもいいよね >>860
狂気だよな
数百年に続く国策しゅごい…… ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています