センゴク 宮下英樹 149番槍
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戦国史上最も失敗し挽回した男 その名は仙石権兵衛秀久
週刊ヤングマガジンで絶賛連載中
・センゴク 全15巻(週刊ヤングマガジン 2004年21号〜2007年45号)
・センゴク 天正記 全15巻(週刊ヤングマガジン 2008年3号〜2012年26号)
・センゴク 一統記 全15巻(週刊ヤングマガジン 2012年31号〜2015年45号)
・センゴク 権兵衛 連載中(週刊ヤングマガジン 2015年50号〜 ) コミックスは1-10巻
・センゴク外伝 桶狭間戦記 全5巻(別冊ヤングマガジン→月刊ヤングマガジン→週刊ヤングマガジン 2007年〜2010年)
センゴク 宮下英樹 148番槍
https://fate.2ch.net/test/read.cgi/comic/1525828516/ >>355
月見ついでにゴンベ助けに来る虎キチ好き >>354
500貫文のちに800と書いてない?
検索したら石高にすると2倍や2.5倍に相当することが多いらしいから1000石以上かな? お蝶は完全にサヨナラって感じだね。
でもウマイこと今さら実は旧知でした新キャラを登場させたな。
お蝶を軽く絡ませることでいかにも旧知っぽくなった。
しかも実在の藤兵衛と絡ませることでお蝶が実在っぽく処理されたw 関東なんて鎌倉以外ほとんど人なんていなかったんだし
人並みに統治してるだけで地元では人気者になれたんだろうな
関西は過当競争で、ただ統治してるだけじゃ「誰それ?」レベル >>361
氏綱は普通に名君扱いじゃない?戦国大名としてひどうなことしたかと言うと疑問 松永弾正は結構地元の評判が良かったと聞いたことがある 蓑踊りという踊りを農民が踊るのを見て楽しんだ
という逸話があったような お家滅亡したり衰亡しちゃうと
反対勢力のプロパガンダの方が主に残っちゃうから
同時代ではクソミソに言われた長尾為景は
大名として続いたお陰で今じゃヒール扱いされないし >>365
ボンバーさんは名君と暴君両方のエピソード持ちだから。 もう猪武者の時代ではない、って自分で分かってるし
小田原の暴れかたも、暴れるにしても、本人内面と
周りとそれぞれいろんな意味合い含んでくるんでしょーな。 小田原での死を厭わない暴れっぷりは最期の先駆け働きだという意識もあっただろうな
現実には東北・朝鮮・関ヶ原・大坂と後にも戦いはあるのだけれども、時代の流れ的な意味でね >>345
覇王の家や関ヶ原で活躍した徳川家の誇る歴戦の指揮官達が
城塞では軒並み隠居や死亡していて家康がそれを嘆くことにすんなり感情移入出来たりするからな 覇王の家
アサヒ姫の輿入れあたりで唐突に終わってる?
あれ打ち切り? >>372
あれは太閤記がどの作家も小牧長久手でおしまいにしてるのに習ってる
小牧長久手あたりが大きな一区切りっていう感じ >>368
真田丸でも昌幸が小田原攻めを「つまらぬ戦」と評してた様に
小田原はある時代の終焉と感じた武将も少なからず居たのだろうな
その最後のチャンスに乗り込んだのが権兵衛なのかも 本人がこんだけ自覚してるんなら、その自覚とは真逆な
鈴なり武者なんていう派手派手しいかっこで槍振り回して
自ら暴れるとか、なんぞの思いとか意味とか込めてくるんだろうな。
戸次川で死なせた連中の分の何かの意味とかになるんかね。鈴が。 武功が立てられたのか
立てられてないのか
観察してない状態では確定できない
シュレーディンガーの武功 小田原の戦いをきっかけにゴンベ以外に立身出世した人物っているかな?
まあ家康も結果的にはそうだと言えなくもないが >>379
槍働き、武功の時代じゃないってこんだけ本人が言ってんのに
理解しろよ >>386
そう思ってるのは一部で未だ多くの者が槍働きと思ってるよ
現実を理解しろよ情弱君 >>377
そりゃ小田原や忍の包囲戦はつまらなかっただろうよ
武功が立てられないからな
終焉もクソもない
ただ兵の損失を嫌っただけ どうせなら小田原までではなく、九戸政実の乱までやってほしいが。。。 >>390
奉行衆が東北の国人リンチするだけだろ。
つうかこの作品で東北大名の登場は諦めなさい。 東北仕置きはあっても1ページでこんなことがありましたよで終了でしょ >>388
利家や慶次の傾奇者っていうのも、基本的にヤンキーの服装と同じ原理だから。名声だけじゃなく。収入や昇進に直結してるのが違いといえば違い。戦場で目立つと危険も多いかわりに、味方の目にも止まりやすい。 西洋では白騎士とかよく聞くけど(物語の中だけかもしれんが)
白い鎧帷子とかあったらさぞ目立っただろうな
あっというまに射殺されそうだがw ドンキとかで売ってる普通の白磁の皿
あの時代に持っていったら巨万の富になっただろうなとかは考える >>397
色なら黒騎士が有名だと思うが
白じゃ戦場ではすぐ汚れて目立たなくなる 赤備えとかもそうだけど勇名が広まれば示威的な意味合いが出てくるからね
兜の前立ては……どっちかというと味方向けか? 仮に小田原で初登場したら伊達陸奥守政宗になるのかね >>399&>>401
情報提供サンクス
しかし着ている人の風貌のせいか、ストームトルーパー(足軽頭)止まりってとこだだな
ダースベイダー(侍大将)程の威圧感はないか >>405
政宗の黒づくめの具足がダースベイダーの元になってるらしいな。家康も晩年の大黒天モデルはそういう雰囲気。
https://i.imgur.com/Btk4vJs.jpg
前線に出る一武将なら戦場でアピールするのが大事だけど、大将格になると生存が最大の仕事だから、実用性優先とあまり悪目立ちしすぎない感じになる傾向。前立ても開戦時は取っちゃったりすぐ外れるようになってる。 >>405
暗黒卿も若い時は嫁DVで殺したりとかやらかしまくりだったから この頃の政争も現代とは倫理観の欠けたものなのかなぁ
そりゃ血尿もでるわな 小田原に向けて色々と出て来たなぁ
普通は語られんマイナー要素多くて嬉しい ゴンチャンの活躍がもうまさにマイナー要素だからねえw 桶狭間戦記、小谷城虎口攻め、長篠の戦、etc
いずれも古戦場めぐりしたくなるような良い描写だったんだよな
小田原の戦もそれをぜひ期待したいところだが・・・仙石原に行きたくなるような >>412
この漫画の良いところは合戦場の地形が把握しやすい描写することだと思う。
正直言うとこの漫画まで歴史漫画で地形を把握出来たことがなかったw 高低差を結構描いてるよね。
大河ドラマでも大体平らなところで済ましちゃう。
太平記では、頑張って採石場で山岳砦にしてたね。 >>412
仙石原には何度も行ったが、昼はススキや草、夜は暗さであまり戦場跡っぽさを感じられなかったよ…… センゴク関連なら仙石原を拠点にして、小田原攻め各史跡を探訪とかかな >>392
突然回想モードに入る伊達政宗wとか北条5代ww(主に早雲ww)
これで20巻モロタ! 関ヶ原までやるとしたら15巻じゃ収まらないよねこれ >>419
来週秀吉が死ねばなんとか収まるかもしれない。 >>413
「ちゃんと取り入れんと取材旅行できなくなるしな」(センセ) >>415
仙石原は昭和期に温泉地として成り立つまで
入植と逃散を繰り返す人口百人に満たない寒村で
ゴンベや頼朝云々の逸話も由来の一つでも作るっぺかって感じで
比較的最近作られたらしい >>422
そうなのか、だからか……いや草ボーボーススキぼーぼーってイメージしか無いんだわあそこ
かつて在った戦場に思いを馳せるというより、御殿場の夜景を見に来る連中がほとんど
均介みたいな好事家には出くわさなかったな。伊豆や熱海に抜ける通り道ぐらいの存在感 >>424
おはようw
そのwikipediaで見た感じだと、仙石原の由来とされる頼朝などの逸話が載る資料が出来たのが1841年みたいね。
まぁ観光用に逸話を前面に押し出したのが最近と言うことか。 >>401
シャア専用も百式も全然アリってことがわかった。 >>339
逆に世間では賞賛されるが地元民は疫病神
島津
会津松平氏
後は池田輝政、他にいる? 沖田畷行ったけど、漫画みたいに開けた土地じゃなかったよ山と海に挟まれた、狭い土地。
ここに何万の龍造寺軍とかマジかよと思った
まあ数の優位を活かせなかったんだろうなと >>432
姫路時代に白鷺城作ったり、天下普請で重税、人頭税は愚か、便器にまで税金かけた
死んだ時には呪いのような落首が貼られた記録あり >>433
地元でも事績とかよく知られずにTVの名物シリーズのおかげで名君認識だよ
大陸の動乱に介入しようとしたとかアタマのおかしい史観で史書編成始めさせたとか辻斬りマニアとかは大日本史以外は概ね認識されてない
兄ちゃんの子供と跡継ぎスワップしたのは美談として認識されてるか
まあ水戸藩主は江戸常府で天下の副将軍wだから、隠居するまで領地に足を踏み入れず、隠居したら藩庁から20kmは離れた隠居地住まいだから地元ではあんまやらかしていないってのもある 光圀って名は家光から与えられた時は光國と書いていたけど國だと惑うに通じるのでヤだと
めでたい意味のある口に八方という字に勝手に換えちゃったそうだね 光圀が自分で作った感じ、て意味のレスでなかったら↑はスルーで 君達ってなんでそんなに歴史に詳しいの?
史学科出身なのかな
医学部医学科出身の俺にはついていけないわ >>436
てーか、明救援派の中心的人物にして急進派
幕閣はまあ程度の差はあれ今さらそんな時代じゃねえと醒めた態度だったんだが、
ヒマ持て余した外野のボンボンが無意味に乗り気だったというありがちな話
光圀は亡命中の鄭成功と交友を結び、水戸学はまあその落とし子のようなもの
ある意味日本思想史上最も不幸な出会いなんだな
史人としての楠公は鄭により発見され水戸徳川家の特異なポジションによって称揚され拡散されたようなもの
ほかまあ日本儒学の後世見ると頭抱えるしかない異常な思想展開の多くはここに萌芽するわけで 楯突いた相手が人気の無い綱吉だったせいで
庶民の人気に拍車をかけることに 日本史資料集から歴史にドハマリしたのは俺くらいだろう >>436
まあ創作的にはそっちの方がロマンあるな >>441
鄭成功は日本に来てないと思うが?
陽明学は鄭成功が派遣した朱舜水の影響 天正地震というM8クラスの直下型地震が起こったダメージがデカすぎて家康は臣従を決意したような気がする
M8クラスの直下型地震ってスゲー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%AD%A3%E5%9C%B0%E9%9C%87 >>450
今も埋蔵金の噂がたつ帰雲城埋没を引き起こした地震か・・・ まあ当時は耐震基準とかも無かっただろうし
今なら「昨日めっちゃ揺れなかった?」「怖いよねー」で終わる可能性もある >>452
んなこたーない。
直下型地震は震源地近くの被害がデカイ代わりに範囲が狭いのが特徴。このあいだの地震はほぼ大阪府の一部地域のみ。
複数の県に渡って被害が出た阪神大震災はその30倍のエネルギー。
さらにでかい被害が出た濃尾地震は阪神大震災の30倍のエネルギー。
天正地震は濃尾地震と被害範囲の広さが大体同じでマグニチュード8とされてる。現代でも最低数千人単位の死者が出る。
このあいだの大阪の地震の千倍の破壊力がある 日本の古建築の基本構造ってほとんど地震の無い大陸から伝来したものだし
明治に洋式建築が入ってくるまで千年以上ほとんど変わって無いからね
まあ戦火だの政策的な移築が多くて地震対策なんか意味無かったんだろうけど >>454
熊本城被災の時も話題になったけど、少なくとも慶長伏見地震以降の大規模建築は、地震や津波を意識した立地や構造になってる。
伝統的木造建築は揺れをある程度吸収できるし、世界的に見ても地震には強い部類。
ヨーロッパ辺りのレンガ作りとか震度5ぐらいでバラバラ壊れる。
ちゃんと手入れしてない白アリだらけの木造建築が被害でるケース多いので誤解されがちだけど、一般住宅レベルの大きさなら現代工法にも引けを取らない。ただし屋根は軽く作らないと自重に負けて潰れる原因になる。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています