幕末江戸三大道場 開設者の出身って↓なんだよね。
士学館、鏡新明智流:地方の下級武士
玄武館、北辰一刀流:未確定(農民説でほぼ確定)、千葉周作の師匠は農民出身
練兵館、神道無念流:斎藤弥九郎、農民
なんだよね。修行どころか、齋藤は非武士のまま将軍御膝下で堂々と道場開いとる始末‥
確かに禁止令もあるんだけど、幕府だと初期と末期に数回出されただけで、『近頃は
武術やって不敬乱暴する百姓町人いる、自重しろ・取り締まるぞ』って感じで
明確な武術禁止とも言い難い。天領の庄屋名主宛には「支配地内の道場印可者の名簿出すこと」
って通達もあり、これだと農村に武術のエキスパートがいる事を認めている/前提にしてる事に。

農村の自治・警察は郷士(武士階級)や名主(農民。苗字帯刀認可多い)とその配下が担ってたし、
武家の中間小物は農村の若者の就職先の一つ。農村の若者が、職務や就職/出世の手段として
剣術やる/奨励される理由もある。
江戸中後期に関東農村を中心に隆盛した馬庭念流の場合、当主は代々農民身分だし、
認可者名簿でも〇〇村ばかり(天領には、村に武士階級は居住していない)。