〜みなもと太郎「風雲児たち」茶屋 其の伍拾玖〜
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
/ ̄ ̄〕/ ̄ ̄ ̄〉 i⌒ー―'^フ √ ̄ ̄ヽ_ √ヽ
| √/ /7 / ┌‐└‐っ c--‐¬√ √ヽ | [ ̄ __゚丿
| レ´ / ̄ハ | | 几 q p lフ ノ| ∧ フ ノ | / 'ー┐
| ∠っ└┐| L_ノ こ二二フ ̄ |_|/ ` __ノ 〈__入 <__几_
└-┘「 ″゚_人 ヽ (‘ ̄ ̄ ̄〕 / 〉 |i `ーっ┌‐┘
_フ レへ、 \_ハ `フ こl⌒ヽ / /| ム_ノ l └─,ヽ
〈___ノ〉ノ \_ノ〈__ノヽ__ノ (__/ 乂__ノ こ二二ノ 題字 平田弘史
・リイド社「コミック乱」(毎月27日発売)にて「風雲児たち-幕末編-」連載中。
「風雲児たち-幕末編-」単行本はリイド社より既刊1〜30巻絶賛発売中。
「風雲児たちワイド版」全20巻もあわせてどうぞ。
ttp://www.leed.co.jp/
前スレ
〜みなもと太郎「風雲児たち」茶屋 其の伍拾捌〜
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/comic/1515289994/ サロンパスで有名な製薬会社「久光製薬」と島津久光・・・何か関係があるのではないか?と言われています。
しかし、何の関係もありません。
久光製薬の創業者「久光仁平」と、島津久光は無関係。
久光製薬は、本社を佐賀県鳥栖市に置いており、同じ九州ではあっても、鹿児島とは繋がりはありません。
久光製薬の前身「小松屋」は、「1847年」に創業。
島津久光が生まれたのは「1817年」・・・同じ時代に生きてはいますが、接点はありません。 確かに大名行列じゃないな、隠居した元大名ですらない大名の父親の行列なら本来大名行列の常識を当てはめるのもおかしいな。
なんか久光は迷惑振りまいてるおっさんだな… 島津製作所の方で田中耕一博士と並べてみなもと太郎先生を顕彰するのでは? 歓迎しつつもチクチク嫌味を言う慶喜。
母親譲りか? 昔どっかの大学入試(センターだったかも)で「薩摩藩主・島津久光」てやっちゃって訂正したんだよなあ。 定信は将軍父を大御所にさせないためにあれだけ労力を費やしたあげく失脚したのに
今じゃ外様の藩主国父にいいように言われてしまうというんだから幕府の落ちぶれっぷりもよくわかる >>849
ヨーロッパの刀剣は日本刀と比べると切れ味よくなかったって言うし。 でも殆どの人が久光は殿様で(大名とは言ってない)で殿様の行列に突っ込んだら切られても仕方ないなーって時代劇的に思ってるんじゃない?まぁ突っ込んだ方も蛮勇だったんかも知れんけど。
実際は村長の父親の車に他県の暴走族がぶつかって塗装工首になった、みたいな話だったのか >>857
天皇の父親(天皇になったことのない人)を上皇にしようとしたけど、却下したしね
現代で言えば、悠仁親王(ひさひとしんのう)が次の次の天皇になって、秋篠宮様は「本人は天皇になったことはないのに天皇の父親だから上皇を名乗りたい」って
いうようなもんでしょ
しかし久光、一度は「息子を隠居させて自分が藩主になる」ことも考えたらしいな
だったら、斉彬が死んだときに自分がワンポイントリリーフみたいな形で藩主になって、すぐに息子に譲ればよかった
そうすれば「隠居した元藩主」という形式は持てたのに >>849
>>858
西欧の剣は突く。だから今でも、フェンシング競技は突きだけ。
もしくは力まかせにブッ叩く。蛮刀とか、曲刀という剣。貴族は持たない。
切る剣では、日本刀が独走していた。 近代以前の欧州で一般的だった鉄は折り返し鍛錬に向かない鉄だったんだよね
その代わり弾力はあるのでフェンシング剣には向いていたし馬車の板バネなんかは発達した
日本刀は北欧の極寒だと脆化を起こして折れちゃうそうで適材適所だね >>862
上皇に関しては守貞親王(後高倉院)のような例があるにはあった。
島津家に関していうと、斉彬が死んだ時点で斉彬の息子がまだ生きてはいて、
あと忠義本人が、若年とはいっても自分が養子をとれる成人年齢?には達していた
というような事情はある。
ワンポイントにしたって、藩主の代替わりは手間暇もかかれば費用もかかる。 >>863
フェンシングにも斬りが有効なサーブル競技はあるけどね
曲刀は基本的に切る刀剣 >>864
御三卿は領地はあってもほとんど形式上のものだった。
江戸に近い場所でもない限り、領地に入ることもなかったのでは。
水戸藩は江戸定府が決められていても普通の大名には違いないので
御国入りするときには、幕府に申請して、相応の格式(行列)を仕立てたのではなかろうか。 >>856
「実質的経営者」というヤツだな。この言葉は悪い意味でしか使われないが。 文久2年 今(生麦)
文久3年 薩英戦争
元治元年 禁門の変
慶応元年
慶応2年 薩長同盟
慶応3年 大政奉還 今もう。作中で一年進めるのに2.3年かけて書いてるよね。
完結まで10年以上かかりそう。 いつ突然未完のまま終了になってしまうか分からない状況なのが怖い >>859
行列に突っ込んでそのまま過ぎ去ろうとしたって考えてみるとシュールだな
イギリス側にすれば自分らが避ける謂れはないと薩摩にどけ、猿!とか散々罵りつつ進んだんだろうな あれも描きたい、これも、と描き溜めていたらいいんだけどな。 >>879
ちゃうちゃう
薩摩藩士はイギリス人に身振り手振りで「まずいよ、あっち行け」と必死で注意
イギリス人「ああ、まずいんだな、はしっこに寄って行けばいいんだろ」と軽い気持ちでそのまま馬で進む
ついに島津久光の駕籠にまで近づいてしまい、「無礼者!」と斬られてしまう
イギリス人「オレが何をしたの、なんでこんなことになるの?!」と泣きながらシュンサイにとどめをさされてしまう >>882
ちゃうちゃうちゃうんか
騎乗のまま久光に近づいてしまったのね イギリス側の証言では日本語分からずに馬に乗ったままボーっとしてたら突然斬りかかれたみたいなこと言ってたが、
大名行列で前進してて久光の籠がどんどん近づいてくる中で馬乗ったまま微動だにしなければな・・・・
それにいきなり斬りかかったのでなく、退去するよう怒鳴ったら馬が暴れて久光の籠に向かったので仕方なく斬ったみたいなのが薩摩の言い分 直前に行列とすれ違ったアメリカ人の商人は、ちゃんと下馬して道の脇にどいた
この商人の記録では、イギリス人達はダイミョーの前で下馬もせず無礼だったとあり
当時、日本に来ていたヨーロッパ人にとって、ダイミョーは貴族と理解されていたので
貴族制度が無いアメリカ人でさえ下馬したのに、ヨーロッパを代表する階級社会である
イギリス人がそのことを無視したのは変だという訳だ Wikiみたら当時の他国の人からも非難はあったみたいだから殿様見てみようぜwぐらいのチンピラだったのかもしれない この時代のイギリス人はアジア人蔑視が染みついていたからねえ
明治のお抱え外国人の中でもイギリス人はひたすら尊大だし
不良在庫品を強引に売りつけるような商売をしたもので評価は散々 このイギリス人は中国で苦力に酷い折檻をしていたりして同国人からも評判悪かったみたいだから、
猿の大将何するものぞ白人様には何も出来まいとたかくくってたんじゃねーの 久光は大名じゃないから日本国内の慣習法は適応されない、とか抗弁されたら苦しい 漫画の中でなんかよさげな官位をもらってなかった?先々月号付近で >>881
以蔵が呼んでもいないのにやって来て
自分の名前を叫びながら暴れた事件だっけ? >>890
江戸に上る前に京都でちゃんと官位をもらってる
それでもかなり低いから、江戸城には登城できない
慶喜の屋敷には招かれたけど >>892
こういうあたりは黒鉄ヒロシが「幕末暗殺」でまとめて面白おかしく描いちゃってるから
風雲児たちは時間的余裕からしても描くのは省略していいと思う 西郷どんは、もともと自分たちが推して将軍にしたはずの慶喜さんが将軍になったら、倒幕したのね 誓い合った友が最強の敵になるわけだ。
腐女子もべちょべちょよ! >>896
西南戦争かな?大河はそこまで描くけど…このマンガは、五稜郭で終わりだっけ 小林よしのりが許せないので明治時代の言論までやると宣言した。 >>895
西郷が帰ってきた時、すでに薩摩は薩英戦争で自分たちを見捨てた幕府に恨み骨髄だったから
西郷が何を言ったって聞く耳持たなかったよ。薩摩最大の国難の時にいなかったことが
結局西郷がただの飾りになってしまう決定打になった。 万に及ぶ一騎当千を統率するのは、西郷どんでも大変なことだよ。
それはともかく
日本で、『自由』なる語彙を使ったのは、福沢諭吉が「freedom」を和訳したのが最初であると聞いていたが
関ヶ原の前に島津義弘が薩摩藩の家来たちに自由参加でもいいから来てくれって書面を遺している。
ttps://youtu.be/Iq1A_O83llQ
まぁこの文面が後世に作られた物だって疑惑もあるけどね。 >>901
「自由」という言葉は、奈良・平安時代から使われている。
自由(ほしきまま)と読み、エゴイズムを含んでいる。
詳しくは古語の専門書をお読みください。 嶌田左近も今となっては素性が明らかでない(資料が焚書された?) >>896
大久保西郷が土方沖田並みに扱われないのは両者のビジュアルがああだからとしか思えない
そういう意味で写真という新時代機器の功績は大きい(西郷沖田は絵しか伝わってないけど) 大久保は写真は立派な禿だし
西郷は大河主役だが
腐女子だけのことをいってないか
そもそも腐女子は創作でキャラ立てしてくれれば
斎藤一でも山南さんでもokなわけで
単純に創作が不足しているんだろう >>906
新撰組のこんどーです、の方か?
写真では結構エラ張り細目だけど。 押し出しの強さではやっぱり大村益次郎ではないかと。 薩摩勢は濃いイケメン揃いな写真がいっぱい残ってるけど腐には人気ない
土方くらいしかイケメンのいない新選組は腐に大人気で、桂くらいしかイケメンのいない長州も薩摩よりは腐に人気
結局は創作の力だな 大政奉還まで残り5年なのにまだ新選組って出てこないんだな。 暗殺合戦のあの時代
池田屋事件って大して重要じゃないし 新選組(壬生浪士組)誕生までは後半年、みなもと先生は新選組は掘り下げないとは言ってたが、清河八郎と山岡鉄舟と松平春嶽あたりのレギュラー陣が結成に関わるからそのあたりはやるだろう。
その前に京都の治安悪化だな。今月で京都の暗殺1号が軽くかかれたけど、生麦終わったらでガッツリやるだろうな >>914
近藤と沖田は登場してる。
桂が近藤の道場で雇われ師範のようなことをやっていた。
土方は1カット。 >>882
だいたい貴族の行列に構わず突っ込んでいって貴族本人に近付いたらイギリスでは無事ですむのか?って話だと思うんだが。 >>901
自由自在から訳語に当てたのであって。
全く有りもしない漢字並べて英語を訳しましたなんて言う奴ただのキチじゃないか。 >>917
半分ぐらい勤皇だし。幕府が勤皇から露骨に離れるたび院縁組内部の不満も
高まっていった。 新選組は現代で言うとヤクザにならない関東連合のような半グレ集団 >>922
当時そう言う集団がいっぱいいたけど、新撰組は厳しい内部統制で統率が取れ、外部に迷惑をかけることがなかったから重用された。
特に近藤は町人商人相手にも偉ぶらずに対応できたので、かなりの寄付を集めることができた。そこらへんを重視して会津から信頼された。
新徴組とかの無軌道さはすごいぞ。隊員が恐喝とか暴行とかやりまくり、芹沢鴨の初期新撰組みたいなもん。 今の時代に新撰組があったら、沖縄の米軍基地に反対する人たちを「この土人! シナ人!」と言いながら人殺しまくるのかな? 現代に新選組が生まれるような状況なら日本はジンバブエやシリアみたいな内乱だよ。
そもそもは勤皇浪士たちが暗殺やりまくったのが原因だ。 内ゲバって組織の活動がうまくいかないので身内にこそ原因を求めちゃうんだよね
赤軍は総括とか言ってリンチ殺人してポルポト末期も幹部同士殺し合いになってた
でも敵意が外に向いちゃうとオウムのテロそのままだし内ゲバの方がマシだよね 新撰組の資金調達って料亭とかに商家の当主や番頭呼んで軽く世間話したら
後は金を出すまでダンマリ決め込むと聞いた
決して強制ではない >>928
近藤の代になってからはそんなことはやってない。
近藤以外が金策するのは禁止だったし、近藤自身は多摩で富農や大商人相手に付き合う経験が多かったので、京都でも上手くやってや。
見廻組や会津の武士たちが、商人町人を馬鹿にしてそこらへんまったくダメだったのと対照的。 近藤も鳥羽伏見で官軍が敗北してから、上から目線で配下になれと新選組の隊員たちを見下して、見捨てられて晒し首
土方歳三との差は死に方で決まってしまった
まー土方も恐怖で地獄まで縛り付けていたのかもしれないが るろうに剣心の志々雄誠、三谷新選組、アサギロ
今では、芹沢鴨のほうが近藤より創作面では人気があるくらいだしなあ 土方は後ろから味方に撃たれた説があるくらい恐れられてた
コイツがいたら降参できないまま全滅…となったら撃っちゃうだろうな >>930
近藤は確かに家来になれ発言で永倉新八、原田佐之助といった古い仲間と喧嘩別れしたが
それでもついていった古参隊士も多く決して見捨てられたわけじゃない
土方も蝦夷地に渡る前に仙台で官軍に降伏したい者は去っていいと指示して彼らに路銀まで与えてる
蝦夷地では隊士から「幼児が母親を慕うようだ」と例えられるくらい信頼されてた 京都守護職で莫大な金が必要なのに、商人相手の交渉が下手で脅迫まがいのことしかできない会津藩士に代わって、町人相手の交渉経験豊富な近藤が金策に走り回っていた。
その手の記録が今日大阪の古い商家から大量に見つかってる。
新撰組が会津に重用されたのも市中取締りの仕事以上に近藤の交渉能力が評価されてたから。 島田左近結構長く出たのに最後は描かれず晒し首だけか。 >>932さん…どうみても狂人に描かれてるのに人気あるは無理がある… >>937
最近の新撰組漫画であるアサギロやちるらんを見ると、芹沢を「いかれた暴力狂だがまっすぐな性根を持ったある種の魅力のある漢」
として描くのがトレンドのような気がせんでもない。つーても昔の和田慎二のあさぎ色の伝説でもそんなんだったか。 新選組をあまり描かないって事は
京都見回り組とかどうするんだろう?
竜馬暗殺の件とかは京都見廻組がいまや
一番有力なんでしょ。 >>934
近藤勇だけ直参旗本に取り立てられ、隊員は全員その奉公人という立場だったんじゃないの? 旗本というか空手形だが大名まで約束されていたからね。家来になれって感じだったのかも。 >>935
>京都守護職で莫大な金が必要
京都守護職を会津藩に押し付けたくせに、治安維持の経費は支出してくれなかったのね
家老が反対したわけだ >>922
悪いのは、
ヤクザを悪とわかっていて将軍警護下級戦闘警備員に使用した
勝安房と江川目玉代官 >>924
土佐郷士出身の浪士を山内上士や試衛館一派(自分たちは将軍おひざ元の武蔵だから「武人」と威張り)が罵ったのが、
「土人」の始まり? 戊辰でいちばん残忍だったのは土佐人
坂本竜馬殺害の罪を近藤勇に着せて晒し首にしたのが土佐の乾(いぬい)あらため板垣退助
全て長州のせいにされているけど >>942
経費捻出するため領民搾ったせいで会津戦争じゃ官軍に協力する領民続出 京都の治安維持なら寺院にゴロゴロしてるムダな下級僧侶と寺侍と寺ヤクザで防衛隊を組織するべきだった
寺なら金ももってるし >>949
そこらへんは会津みたいなアズマエビスなんてバカにして言うことを聞かないよ。 >>942
京都の治安維持は出陣と同じ。経費は大名の負担。
費用は領地から得られる収入でまかなう。
いざというときに備えて、御奉公するための金を、領地からの収入でたくわえておく。
それが武家のたしなみ。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。