センゴク 宮下英樹 145番槍
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戦国史上最も失敗し挽回した男 その名は仙石権兵衛秀久
週刊ヤングマガジンで絶賛連載中
・センゴク 全15巻(週刊ヤングマガジン 2004年21号〜2007年45号)
・センゴク 天正記 全15巻(週刊ヤングマガジン 2008年3号〜2012年26号)
・センゴク 一統記 全15巻(週刊ヤングマガジン 2012年31号〜2015年45号)
・センゴク 権兵衛 連載中(週刊ヤングマガジン 2015年50号〜 ) コミックスは1-8巻
・センゴク外伝 桶狭間戦記 全5巻(別冊ヤングマガジン→月刊ヤングマガジン→週刊ヤングマガジン 2007年〜2010年)
センゴク 宮下英樹 144番槍
http://fate.5ch.net/test/read.cgi/comic/1520603296/ >>848
船橋市民だが、元湿地帯に無理くり家建てて地盤沈下してる地帯とか未だに在るわw >>846
結局はどんなに盤石の施策をうっても肝心の中央がガタガタになったら意味がないという好例やもしれんね
このケースでは家康が優秀すぎたので多少豊臣家にも同情の余地はあるが ゴンさんの場合、次郎三郎の兄貴にも大恩があるのと
西軍についたら真田よりも先に潰されるという立地条件も…。 利根川の流れもこの頃は江戸川方面に流れこんでて度々大水出るめんどくさい所 >>846
家康にしても三河や駿遠の土着家臣を土地から切り離して官僚化することができたし、北条の下にいた優秀な人材を配下に出来たから決して悪い話じゃなかったよね。 だからこそ秀吉も関東を任せたんじゃないかな。北条亡き後の関東を上手く治められそうな実力者って、豊臣政権だと小一郎さんと犬千代さんの二人以外いなさそうだし。 >>847
五大老筆頭にして自分の死後政治を任せた時点で封じ込め策が破綻してる
権威も権力も兵力も持ってる大大名に対する周りの監視役が役に立つのは
それ以上の権力と権威を持つ存在がいる時だけだから、織田系の重鎮で
豊臣家後見人の利家が死ぬと同時に家康の天下が確定した >>849
東海道で最初に徹底抗戦したのが乗っ取られた織田家の三法師で
攻めたのが最も信頼してた福島正則ってのも皮肉だね 関東八ヶ国といっても常陸には佐竹がいて安房には里見がいて
他にも結城とか宇都宮とかいろいろ…。結城は息子が当主だが。
伊豆も+されたとはいっても八ヶ国にはずいぶん足りない。 >>859
主戦派だった重臣の木造が戦後福島に召抱えられるのも皮肉ですな この漫画は途中からハシバシリーズになってしまってもう軌道修正不可能であることを作者は認めろ 宮下「センゴクとは書いたが仙石と書いた覚えはない!」 連載開始時 →秀吉、家康とかメジャーな戦国大名を書く陳腐な漫画はもうたくさんだ。マイナーな一武将を書くオレカッコイイ!
現在→戸次まで書いたけどゴンベは微妙だな。正直飽きてきた…秀吉色々調べたら…ナニコレオモシロイ! 悪郎「とおし とおし とおし 一発ツモ!」
ハゲネズミ「づが〜ん」
次郎三郎「やぐまん!」
殺し間「トリプルロンありだったな、俺はピンフ三色ドラ一丁」
こうですねわかります。 戦国大名が麻雀打ったらどんな打ち方になるかは雑談ネタとして割りと面白そうではある 信長の性格は秀吉や徳川政権で苛烈なものとされた
だからこそ裏切られ天下取りで最後に破れたと
秀吉は太閤記で庶民的な愛すべきキャラ付けされた
徳川政権下でも人気あった
家康は我慢の人とされた
明治以降の不人気の中でも何で天下取れたかは凄いから粘りの人とされた
実際やっていること見ると信長は身内や部下に甘いから何度も裏切られたあまちゃんで
慎重に事を進めた保守主義者だし
秀吉は残酷、人たらしは事実でも踏み台にして片付ける
家康は慎重でも狸じじいでも何でもない
でも周りからすれば既得権益ひっぺがえした信長は天魔王で横紙破りの暴君だし
それに替わって出てきた秀吉家康は調整重視型に映る、コミュニケーション重視にされる
保守主義者に見える
かえって今の時代はアスペ革命家としての信長像がもてはやされて
長らく一番人気になり
またそれへの反動も出てそこまでではねえやも叫ばれるが
それもまた行き過ぎの面が強い
秀吉は下からつきあがった魅力は説明つかないし
家康はあの中を生き残れた胆力はわけがわからない
実際はどうだったかは本当に難しい >>850
一兵卒よりも政治の中央を描く今の作風だと、
一柳直末や渡辺了も出てこないで山中城編は終わりだろうな 信長は弟殺した身内にも苛酷な残忍な奴だとされてそれが信長のキャラとされたが
あれは弟が悪いと今になればそうわかる
戦国時代では別に殺して当たり前だしむしろ信長は甘い
秀吉は甥は殺すわ主君の子供を片付けていく残酷な奴
そういう野蛮な下剋上を抑え込む儒教支配の徳川の祖は長男殺すわ
秀康始め妙に身内に冷淡なそういう儒教の徳目とは縁遠い奴 元々弟についてたはずなのに何故か織田家の譜代筆頭重臣の代表みたいな扱いの柴田さん 家康は武田、今川、織田に囲まれ全盛期の秀吉にもガチとぶつかりと無理ゲーを潜り抜けてるんだよな
本能寺の明智軍は家康を始末するために用意されてたって話もあるし 家督相続前から一貫して信長に仕えてきたはずなのに、突如追放された逃げ佐久間さん… >>876
信長の筆頭重臣だった森可成さんが戦死しちゃったからねえ >>878
あのまま信長に仕えてたら、信長も本能寺はなかったのかもね >>874
二度謀反を起こした弟の息子を重用したり
のぶおを見捨てなかったり
悪郎様は身内には甘いという印象。 >>883
ここの人間は皆戦国時代から生きてるぞ? 司馬遼太郎は小説家だから見てきたような口ぶりでうそと史実を混ぜて書くのが仕事だろ
ここで歴史語るのとはまた別の話じゃないのかな >>884
うんちく語りと物語を混同しちゃいかんぞ
同じ語りでもあっちは人を楽しませるのが目的やで
こっちのは自分が楽しむのが第一のやつが多い >>885
さすがネット高野山、長命者もおるもんじゃ 見てきたように語れなければネット高野山に入山する資格はない >>858
そうだねえ
それに学んだ徳川は譜代以外を幕府の政治には絶対に関わらせなかった。 そういや映画の「関ヶ原」見たら冒頭が少年時代の司馬遼太郎が
三献茶の舞台となった寺でそこの老人から
「わしがいますわっているここに太閤さんが腰を下ろしていた。
鷹狩の装束をなされておった。その日も夏の盛りでな。
今日のように目に汗のしみ入るような日中やった」
と話され、司馬遼太郎が
「おっちゃん、それ見たん?」と聞いてる場面だったような
たぶんその老人は戦国時代から生きてきたんだな。 >>890
え゛???っていう
江戸時代も中後期以降になると、外様大名も婚姻で親藩化して、オブザーバー的なポジションにしても幕政に関与することが増えていきますよ
そういう積み重ねの結果がないと、黒船来航以降の薩長などの雄藩の政治的ポジションの説明がつかない 結局諸藩の意見無視して勝手に条約締結したから、攘夷祭りですよ
幕府ってほんとバカだねえ センゴクですらおだのぶながのことを信長様もしくは親方様って読んでたけど
しょうよん!のころ織田信長のことをおりたしんちょうとか読んでたの俺くらいだよなあ? >>889
右頭さんみたいやん・・
長島一揆があったら蓄電しなきゃ >>870
殺し間「トリプルロンありだったな、俺はピンフ三色ドラ一丁」
俺ら「ブタだけど?なにそんな下らないことでムキになってんの?」
全然関係ないけどセンゴクの中の明智は人狼ゲームつよそうだな 織田の次男坊って旧徳川領土を蹴って改易されたんだよなあ
なかなか先見の明あるよね 佐久間→劣り潰し 甥っ子は賤ヶ岳で深入り死亡
佐々→隈部の一揆に遭い切腹
有楽→のうのうと生きる
今川氏真→家康家臣の妻子虐殺しておきながら品川で悠々自適の生活
織田信雄→大阪で諜報 子孫がスケイト
うーん・・こいつら >>905
深入り 柴田の負けに大いに貢献
秀吉に懇願されるも、斬首を選択 信成は信雄直系に「誰こいつ知らん」言われてなかったっけ 佐久間さんちのお茶狂いのバカ息子の方は
後に許された後、信忠、のぶをと仕えてから
秀吉、秀忠に御伽衆として仕えて割とのうのうと生きてたみたいだね 武器もった殺人鬼が、そこらへんを歩いてるのが戦国時代だぞ
天寿をまっとうしただけで、もう俺らなんかと比べモンにならない超人なんだよ、実際は 検索してみたら信雄じゃなくて信長七男・信高の子孫(証拠なし)自称だったわ>信成 羽柴○×秀吉、という何度もしつこく立候補する、ウケ狙いとしか思えない泡沫選挙候補がいたような… >>876
佐久間A→追放
佐久間B→戦死
林→追放
平手父→切腹(諌死?)
平手息子→戦死
・・・・・
必然的に柴田と丹羽は繰上がるなw >>905
家康が謀反を起こしたのだから人質を殺すのは当然だろ、氏真は何も悪くないぞ >>905
吉田城下で串刺しにされたのは松平家の直臣じゃなくて、家康と結んで今川を離反しようとした東三河国衆からの人質だよ
松平一族もいるけど、早いうちに松平宗家からは独立して、今川に直属していた連中
なんで家康とその重臣はそれほど氏真恨んでなかったのかも
その後仕えた井伊なんかはどう思ってたか分からないけど そういえば青森の津軽氏って外交能力高すぎでしょ
南部から勝手に独立しながら 小田原役 関ヶ原 戊辰 って全部勝ってるし
最大の障害の江戸期も乗り切ってるしな
(おまけに石田三成の子供とか匿ってるし)
まぁ津軽地域を取るに足らない言われたらそれまでだが >>896
だから幕末に滅んだんだよ
自明だと思って書かなかったんだけど
雄藩連合とか絵家康が聞いたら墓の下で泣いとるわ 幕末に幕府独裁でやってけるわけねーじゃん。
諸藩だって生き抜かないといけないんだから、幕府に全権委ねて心中するなんてできるわけがない。
雄藩の政治参加を認めず、決定に参加させず幕府の独断で国交結んだり開港したり条約結べば、
当然諸藩は反発する。参政権ないのに軍役と税金とられたらお前らもたまらんだろ。
長州征伐に大敗したことであっというまに崩壊したが、長州征伐で勝利しても第二第三の長州が現れるいずれ確実に幕府は滅んだよ。 >>920
津軽に関しては本当に南部から勝手に独立なのかが怪しい
南部なんて元々豪族連合だからまとまり無いし、為信の独立時なんて晴政と信直が大喧嘩してる頃だから晴政派の為信が石川を襲ったって事も考えられる
外交に関しては為信の実力と朝廷へのチャンネルなんだろうな だって、幕府の旗本が
「西洋式に軍制変えるなんて嫌だー! かわりに領地の農民差し出すから、そいつらで訓練しろよ」
って駄々こねて、幕府もそれを認めざるをえない状態だぜ
で、その農民を訓練した歩兵隊が、ほとんど唯一まともに長州ら近代化した軍と戦える部隊になり
旗本のほとんどは役立たずでした、というそれこそ先祖が聞いたら三河者特有の切れ具合を発揮しそうなレベルだし… 鉄砲撃つのは足軽で、旗本というのは小さいながらも領主であり大名だからな。
そういうことはしないのが普通、だからフランスも戦列歩兵を進めた。
旗本は後ろで撃てーと命令する仕事、逃げた奴がいたら後ろから刀で切る督戦隊みたいなのが本質
貴族の俺様が下民と同じことできるわけねーだろ、
というのは当時としては間違っていない。
それが身分制度でありそれを肯定することで秩序ある安定し、そして腐敗し衰退した江戸時代が生まれた。
や
戦国時代はかなりの大身でも鉄砲の名手いたんだけどね、光秀や滝川とかね。 200年以上、経験したことない有事に備えて何もせずじっと待つ、というのが基本な状況になればそりゃ骨抜きになるわねえ。
そりゃ外圧が発火点になったとはいえ、維新の原動力になったのは関ヶ原後に負け組、中立組になって200年以上押し込められて苦労した反発心と活力でしょ。
上杉は何してたんだという感はあるが >>927
むしろ上杉みたいな例があるからこそ負け組の苦労や反発心というのが後付の理屈なんじゃないかと思う。 上杉家が大名として幕末まで存続できたのは会津松平藩のおかげなので、幕府というよりはそっちに義理立てしたんじゃないの?
それこそ吉良とか秋月の血が入って、上杉の血というものは薄いし >>916
平息は佐久間隊がわけもわからず敵前逃亡はじめたので
自分も逃げたため巻き込まれたらしい・・ね 足軽は傭兵で武士は職業軍人だからね
知行地取りと蔵米取りの差もここから来てるのかな
蔵米取りは古い家柄じゃない、傭兵的身分だった名残って >>924
伊井赤備えが長州攻めで赤の当世具足で先方して鴨撃ちみたい打たれたって話あるみたいだね
本当かはにわかには信じられないけどそれほど馬鹿じゃないだろ >>927
15万石に減らされたうえに、毛利なんかと違って極貧の国では何も出来ません。 庄内藩はずいぶんと頑張ったんだっけ?
金のあるところは違うな >>934
毛利は減封してすぐリストラ&検地と開墾で実高を50万石以上にして財政立て直したけど
上杉はリストラなしだからスタートから全然違った 反発心とか後付けだと思うがな
維新の原動力となった連中の文章見るにどっちかってーと外国から来るものにどれだけ触れてたかの違いじゃないかと >>905
偶然にしろ意図的にしろそこまで言うのはあんまり>劣り潰し 幕末の戊辰戦争のおかげで武士じゃない人が
簡単に戦力になる事が分かってしまって
維新後、士分以外の意識改革がはじまり
日本軍全体がサムライ思想に染まってしまった
江戸時代から町人にももちろん日本人の気風は
今と違って厳しいものがあったが
職業軍人と雇われ兵士との意識の差は戦国時代のそれと同じだった
しかし明治以降は職業軍人も徴兵の一兵卒も
ノブレスオブリージュを強制された
ここにあの悲惨な大東亜戦争の惨劇が起こる
維新という下克上は誤りだった 西洋の高い精神性がうらやましいからって、近代化のために捨てた武士を持ち出し
しかも、空想的なかっこよさを追い求めた武士道というフィクションを作ったんだ
でも、なぜか武士道を口にし、武士気取りのために近代戦には不要、邪魔な刀を携行したがる軍人ほど
行動自体は、戦国時代のヒャッハー武士になる、という凄い皮肉 いわゆる支那派遣軍は戦国時代の武士団がタイムスリップしたような軍隊だった。
日中ともに兵器は旧式で士気、用兵に少しばかり日本が上回っていたので勝つ事が出来た。
その勘違いを太平洋でアメリカとやったのでぼろ負けした。
支那派遣軍のやり方をそのまま運用したのでアメリカにはまったく通用しなかった。
でも極限状態の各戦場ではその奇抜な戦術がアメリカを混乱させたようだw
そのせいで相当数のアメリカ兵の頭がおかしくなった模様。
しかし戦局には影響はなかった。 >>937
それだな
当時の世界情勢にもっとも詳しいかったであろう横井小楠は
西洋人の豊かさを「蒸気船、機関車、電信機などの便利による、交易の利」と見抜いていたとか 技術の背後にあるのは、哲学や思想だよ
そこを勘違いして、小手先の技術だけ真似ればいい、と思った所はだいたい時代遅れになる
日本みたいに、全部捨てるぐらいの覚悟がないとね
もっとも、近代化したはいいが、その後の慢心や腐敗が凄くて
明治天皇が、「儒教教育復活させたら? 特に官吏達に」って苦言をいうぐらいだったが 銃の登場で兵士はあまり訓練を積まなくても戦力になるようになった
というのは戦国時代でも起こってるわけだけどな
鉄砲足軽がまさにそれで >>943
全部捨てた時代なんてありませーんもうちょっと勉強してくださーい >>942江戸時代は流通にとことん負荷をかけて江戸を守る体制だからねえ ttps://twitter.com/sengoku_YM/status/982708298297237504
どこで手間取ってるのかな >>943
具体的にどの技術がどういう思想や哲学の影響受けたのか詳しくどうぞ
散兵戦術はフランス革命の影響で平等と愛国心が根付いた結果実施できるようになったとかそういう類の話でいいから説明してみな レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。